密談
シャーニのいなくなった地下室は、シンと静まり返っていた。彼の足音が聞こえなくなるまで皆が耳を澄まし、押し黙っている。
「……思いがけない方向に転がりましたね」
シャーニが完全に地上に出たのを確認して、エリシダがぽつりと呟いた。
元々彼らは、オリバーのことを諦めていた。逃したままにしておく気はなかったが、優先すべきは彼ではなく、情報を持っていると思われる彼の仲間だ。オリバーは森に潜んでいるのだと、誰もが思っていた。なにしろ森はあまりに広大で、隠れられる場所も多い。加えてこの時季、気候は温暖であり、森の中で寝起きしたところで凍えることもない。食料に出来る動物達も多くいる。ほとぼりが冷めるまで森の中で隠れて暮らすことは、それほど難しくもないのだ。オリバーを探すのは時間の無駄だと判断した。だからこそ、そちらには賞金を掛け、人海戦術に頼ったのだ。オリバーの周囲を洗い出し、そこから協力者を突き止めた方が早いと思っていた。
だが、蓋を開けてみればどうだろう。オリバーの周囲をいくら洗っても、協力者の決定的な手掛かりは見つからない。それどころか、オリバーは森ではなく民家に潜んでいた。何か事情があったのか、こちらの裏を掻いたのかは分からないが、完全にしてやられた。しかも、それを見抜いたのは昨日バークレインに入ったばかりの青年である。
「……どう思う」
組んだ指に唇を押し当てながら、ガルシアは部下を見渡した。主語はなかったが、部下達は彼の意図を正確に理解した。
「頭の回転の速い人ですね。この国を取り巻く国際関係も、正確に理解しているようでした。きちんとした教育を受けているんでしょう」
「わざとらしいやり方だったけれど、慣れた所作だったわ。上流階級の女との接し方も心得ているようね」
「あの軽い言動に惑わされちゃいけないね。本質を見誤るよ」
三人か思い思いのことを口にする。ガルシアは頷いた。
「今日、草たちを使って少し調べさせた」
彼が草と呼ぶのは、バークレイン中にいる彼の協力者のことだ。大抵は貧しい民で、様々な情報提供と引き換えにガルシアがその生活を援助している。シャーニの監視もさせたが、妙なことをしたら矢を放つというのはただの脅しだ。草たちはただ見聞きしたことを彼に伝えるのが仕事である。
「あいつがバークレインに初めて来たのは六年前。以来、頻繁に来てはいるが、どこから来ているのかは分からない。白い猪の店によく出入りし、そこで泊まったり食事したりしていることが多い。泊まれなければ、厩や納屋を借りて寝ていることもあるらしい。商隊の護衛やら賞金稼ぎなんかをして生計を立てている。バーグという友人がいて、彼と仕事をこなしていることも多いようだ。オリバーの件も二人で取りかかっていたみたいだな」
三人は神妙な顔をして聞いていた。ガルシアは続ける。
「あっさりオリバーを見つけたことといい、あいつには怪しい点が多すぎる。だが、もし奴が敵の間者だとして、疑われた時にどうしてもっとまともな嘘を吐かない? そこがどうも引っ掛かる」
「そう思わせて、こっちの裏を掻こうってんじゃねぇの?」
「あるいは、ほんとに見えるのかも」
ロアがぽつりと呟いた言葉に、全員が彼女の方を向いた。
「何だって?」
「だって、あの瞳を見た? 私達とは違うものが見えていたっておかしくないわ」
彼女は皆を見渡して話した。ガルシアとエリシダが口をつぐむ。ランドルフだけが首を傾げた。
「確かに珍しい色だけど、陛下の瞳だってだって似たような色してるじゃないか」
「あなた本当に陛下の瞳を見たことがある? 全然違うわ。陛下の瞳はもっと温かみのある、人の瞳としておかしくない色よ。だけど、彼のは──」
一瞬、彼女は何かを恐れるように言いよどんだ。
「彼のは、まるで作り物みたいな冷たい瞳だったわ。松明の影がその瞳の中で揺れ動いて、まるで──」
「悪魔のよう」
ロアの言葉をエリシダが引き継いだ。城付きの神官は一同を見渡す。
「王国を破滅に導く悪魔か、あるいは、王の支えとなる予言者か。どちらにせよ、もう少し見極める必要がありそうですね」
誰もが難しい顔をして口をつぐんだ。やがてガルシアが深くため息を吐く。
「人手も時間も足りないと言うのに、厄介事ばかりが増えていくな」
部下達は黙って頷いた。