ハーピーの恋唄
お読みくださりありがとうございます。
よろしくお願いします。
一、
ここで待つのは、何回目だろう。
今日も彼は来るだろうか?
来ないなら、今日から私は諦める。
元々、人間と過ごすなんて馬鹿げてるんだから。
暗闇の海の岩場。
そこに、私は腰をかけていた。人間にはハーピーと呼ばれている。
長くて海にも負けない輝きをした金髪を、海で手入れしながら彼を待つ。結構、自慢の髪なんだ。
後で、もうひとつの自慢の白い翼も洗わないと。
彼からもらった、白いワンピースを私は今日も着ている。
金の髪を洗いながら、私は海に映る顔を見る。我ながら、ひどい顔だ。彼は美人だと言ってくれるけど、この顔を好きになったことは一度もない。
私は髪を洗い終わってから、今度は翼を洗い始める。
翼は汚れが目立ちやすいから、丁寧に洗わないと。
彼は今日も来るのかな。
会ってお話をしたい、というと、これ以上彼には会えない、という思いがせめぎ合う。
思いと想いがぶつかり合っていると――彼は来てしまう。
小舟で彼は夜なのに、私のところに来る。
馬鹿みたい。
「こんばんは」
「こんばんは。何で来たの?」
「来ない方が良かった?」
彼は一気に暗くなる。
ホントに馬鹿。
君に笑っていてほしい、と思えてしまう私も、馬鹿だ。
「――勝手にすればいいじゃない」
「そうする。それで、昨日はどんな話をしたのだっけ?」
「昨日捕れた魚の話」
「じゃあ、今日は僕の大切な人の話をしようか」
彼は星を見ながら、微笑んだ。
私の胸の奥が、一瞬――ざわつく。
何でなんだろう。
心の中で、私は拒絶してるんだ、彼の話に。
でも、最後に心に残るのは――何で、の一言だった。
「僕の大切な人は、とても優しくてね」
――やめて。
「僕は彼女が、彼女は僕が互いに好きだった」
――やめてよ。
「とても面白い人でね。例えば――」
「やめてよ!」
私は叫ぶと同時に、両手で口を押さえる。
彼は私に怒鳴られて、悲しそうに微笑んだ。
そんな顔――しないでよ。
もっと、楽しそうに笑ってよ。
じゃあ、今から私が――
「ごめん。こんな話して。今日は、帰るね。申し訳なかった」
彼はそれだけ言うと、元来た海路を戻っていく。
何で帰るなんて言うの?
――待ってよ。
私は手を伸ばす。
――行かないで。
追いたい。
でも、話しかけられる言葉なんて見つからない。
――無力だ。
飛べもしない翼なんて、意味ない。
飛べても、彼のことを追えない翼なんて意味がない。
追えても、話ができない声なんて意味がない。
嫌だ、嫌だ――。
私は、私の翼を嫌いになった。
私は、私の声が嫌いになった。
私は――私が嫌いになった。
海は大空を映して、彼の道を塞いでいく。
彼の船の道を――。
二、
次の日の朝、私は飛べなくなり、声が出せなくなっていた。
翼は岩のように固く、重くなっている。
声は出そうとすれば掠れた空気が、口から吐かれるだけ。
何でこんなことに――いや、心当たりはある。
昨日のことだ。
嫌いになったんだ。
私は私自身を。
でも、でも――。
もう、飛べないの?
あの気持ちのいい大空を、飛ぶことが不可能なの?
もう、話せないの?
彼に相槌を打って、彼の話に笑ったり、怒ったり、悲しんだりすることができないの?
こういう時に、彼が恋しくなる。
我ながら、我が儘だと思う。
私は岩場にうずくまって、目を閉じた。
もう、開けなくてもいいかな。
辛くなって、苦しくなって、悲しくなって――。
そんな思い、もうしたくないから。
飛べなくても、翼は温かい。
私を包んでくれている感じがする。
あの人みたいだ。
温かくて、包んでくれて――。
翼は私を守ってくれる。
それだけで、今は十分だ。
きっと、それだけで――。
三、
次に目を覚ますと、明るかった空はすっかり暗くなっていた。
星が、瞬いている。
月が、照っている。
声は未だに私の喉から出てくれそうにない。
――と、その時だった。
暗闇の海に、一つの影が見えた。
「こんばんは」
影は完全に月明かりで姿を顕にする。
影の正体は、いつもの彼だった。
彼の姿が瞳に映っただけで、私の目には涙が溢れそうになる。
「――? どうしたんだ?」
私は黙る。
ううん、違う。
黙るしかないの。
「もしかして、昨日のことを気にしているとか?」
私は彼の推測に、全力で首を振る。
彼がいなくなって分かった。
私には、彼が必要なんだって。
だから、気にしてるとかじゃない。
でも――うまく説明ができない。
「まあ、いいか。今日は君に伝えておこうと思ってたことがあって」
何かな?
「実は、明日は君に会えないんだ。ごめんね」
会え、ないの?
何で――と問いたいのに、私の声は空気になるだけ。
「さて今日は、今日捕れた魚の話でもしようか。今日は、大きな魚が釣れてな――って、どうしたんだ? 具合でも悪いか?」
彼が、私を心配してくれてる。
なのに、こういう時に限って私は声を出せない。
――お願い、声出てよ!
「何で今日は一言も話してくれないんだ? そんなに怒ってるのか?」
違うの。
首をとにかく横に振る。
お願い、お願い――届いてよ!
「――謝るから、声を聞かせてくれよ。元気な君の声を」
彼は頭を下げる。
違うのに――本当に違うのに。
今頭上に見えて、感じている空と同じだ。
届かない。
どんなに頑張っても、近かったものが遠くなっていく。
「――ごめん。本当に。今日も帰るよ。明後日また」
彼は元気を失って、帰っていく。
行かないで!
声出てよ。
空飛んでよ。
何で、届かないのよ!
いつまでも心は罵倒を繰り返す。
翼は彼が見えなくなるまで、羽ばたくことはなかった。
彼が完全に見えなくなったところで、私は止めどなく涙が溢れ始めた。
「うぅ……」
嗚咽。
ひどいよね。
あんな風にされたら、誰だって怒るよ。
「どうして――あれ? 声! 声出た!」
私は自分の口から発せられた声に感激を覚える。
――と、同時に悔しさも覚えた。
何で思うとおりにいかないの?
明日、彼は来ないって言った。
それなら、いっそ――。
私は、このままでは壊れちゃう。
彼には大切な人がいるんだから。
邪魔者、だから。
結局楽しみにしてたのは、私だったんだね。
私は、昔小耳に挟んだ恋の唄を口ずさむ。
私――自慢できるものもうひとつあったんだね。
闇の中に、美しい唄声が響く。
閑静な海は、月の明かりと星の光と唄声に照らされていたのだった。
四、
私は、飛ぶ。
声が出たのをきっかけに私の体は動き始めたのだった。
彼から離れないと。
だって、あなたに出会ったから苦しくなったから。
私、馬鹿だから良く分からないけどさ、あなたを想っているからなんだと思う。
人間と過ごすなんて馬鹿げてる。
それなのに、彼に会うことを楽しみにしていた私の責任だ。
だから、自分を責めないでね。
私は目の中の海から溢れ出る涙を拭いながら、飛び続けるのだった。
一日を一心不乱で飛んだからか、とても疲れた。
ここはどこだろう。
海のどこかの岩場だ。
でも、前のものとは違う。
ここなら彼も私を見つけられないだろう。
えへへ、ざまあみろ。
えへへ、えへ――
「ぐすっ……えへ、あーあ。会えて良かったなー」
あなたに出会えて。
人間なんてどれも野蛮だと思ってたから、なんか新鮮だったな。
私は、岩場にうずくまる。
いつもの岩場じゃないのに、同じ感じがする。
変なの。
私の翼は、今日も温かい。
翼の一部になって、夜を過ごす私だった。
五、
彼から離れて、一日か。
所詮海だから、真新しい感じはないな。
「声、出て良かった」
私はひと安心して、海に顔を映す。
顔も思ってたよりもひどくはないかもね。
彼から離れたからかな。
私は私を好きになる余裕ができたのかも。
あの人は今焦ってるかな?
それなら、その顔を見て――
「ダメダメ! 離れるって言ったんだから」
私は頬を膨らませて、否定する。
そうだよ。
あの人だって、私を忘れて――
「――忘れられる筈がないよ。あんなに、話して、楽しく笑って、悲しなったら泣いて、ひどいことされたら怒ってたんだから」
でも、彼の中ではこんな記憶も消されていくのかな。
――本当に馬鹿だな。関わらなければ良かった。
私は邪念を振り払い、海に潜って魚捕りをすることにしたのだった。
もう夜か。
一日が最近早いな。
星が今日も輝いてるな。
こんな日は、星に感謝を込めて私は恋唄を唄う。
あの唄を。
――すると、何かが海を渡ってくる音が私の耳についた。
聞き覚えのある――小舟の音。
この時間いつも聞いてたから、幻聴でも聞こえてるのかな?
小舟は後ろから聞こえてきて、段々と近づいてくる。
まさか、ね。
そんなわけないよ。
私は気にせず唄を唄い続ける。
「こんばんは」
聞き覚えのある、声。
嘘、でしょ?
「何やってるの?」
私は後ろを見る。
見間違えるわけがない。
あの人だ。
えっと、えっと――
「まあ、いいか。それより、さっきの歌って――」
「あっ、あれは、昔聞いたことあって……」
「そっか。その歌――好きなんだ」
彼は、優しく穏やかな笑顔で告げる。
一緒だ。
私、大好きだから――。
「その歌の名前、知ってる?」
「――ううん」
「その歌の名はね――」
彼は目に涙を浮かべて笑い――
「『ハーピーの恋唄』というんだ。その歌は、僕が昔作った歌なんだよ」
「――そう、なんだ」
心臓が鼓動の早さで突き破ってしまいそうだ。
何で諦めたのに、こんなにドキドキしてるの?
何で――
「大切な人の話、続けてもいいかな?」
「――今なら、いいよ」
「僕の大切な人だったんだけど――ある日消えてしまったんだ。でも、見つけることができた」
心がざわついていく。
でも、もう平気だよ。
何でも、大丈夫だから。
彼は、それは、と前置きを置いて――
「君だったんだ。昨日気づいたんだ。君が声を出せなくなったのを思い出して」
「声を、出せなくなったって――昔もあったの?」
「やっぱり記憶がないのか。あの時、君の両親が事故亡くなったって言ってね。そこから声も出せなくなって、記憶をなくしたんだよ」
私の両親は、事故で亡くなったのはなんとなく覚えてはいる。
その先は、覚えいなかったけど――
「僕たちの町の人間はハーピーと仲が良かったんだ、昔は。でも、その事件以来仲が悪くなってね。だけど、僕は君を元気づけたくて――それで『ハーピーの恋唄』を作ったんだ」
「だから――でも、記憶は消えてたのに何で覚えてたんだろ?」
自分で言って、しかし答えは見つかっていた。
それは――単純に嬉しかったからだ。
私って、本当に馬鹿だな。
本当に。
「――ありがとうね」
私は彼に笑いかける。
おかしなこともある。
笑っているのに、涙が出るなんて。
すると、彼は舟を安定させてポケットから小さな箱を取り出した。
「突然だけどさ、僕と結婚してくれるかな?」
「――えっ?」
何を言ってるの?
「私は、ハーピーだよ? 人間じゃないのに――」
「知ってるよ。それでも、やっぱり君がいいんだ」
彼も笑いながら涙を流す。
変なの。
本当に変。
でも――本当にあったかい。
「ねえ、もう一度唄ってよ」
「ええー。うーん……ま、いっか」
私は仕方なさそうに了承する。
ホントはとっても嬉しいけど、内緒。
私の唄は夜の海を彩る。
私にも彼にも、背中だけではない翼はあるんだね。
飛べなくても、温かい翼が。
星は瞬く。
月は輝く。
唄は優しく響く。
時間がゆっくりと過ぎていく。
唄に聞き惚れて、ゆっくりと――。
六、
ここで待つのは、何回目だろう。
今日も、彼は帰って来るから私は彼を見送る。
もう諦めたりなんかしない。
元々、人間と暮らすなんて馬鹿げてるとは思う。
けど、馬鹿げてていいとも思う。
今日も彼からプレゼントしてもらった指輪をはめて、彼から送ってもらった唄、「ハーピーの恋唄」を唄う。
私は彼が大好きだ。
どうしようもないくらい。
だからこそ、私は――
私を好きでいたいと今日も思うのだ。
~Fin~
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