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第1話 シンデレラ、ありのままに生きる

 むかしむかし、真面目を装った、それはそれはクズな町娘がいました。


(はあ、何かの拍子で姉たちが他界しないかしら)


 町娘――シンデレラが物憂げに殺意を送るのも無理からぬ話であります。

 早くに両親を亡くしたシンデレラは、折り合いの悪い二人の姉との毎日を送っていました。一度は家を飛び出そうとしたものの、両親の財産を食いつぶすことに慣れたシンデレラは、どうにも外へ足が向きません。お家がぬくぬく気持ちいいのです。


 姉たちさえいなければ、幸せな日々なのに。

 シンデレラが四六時中考えているのは常にそんなことばかりです。家事手伝いの身で有り余る時間は、もっぱら密室殺人の立案にふけるなど乙なことをしています。

 口元をゆるめてはニヤニヤ。シンデレラは姉の不幸でバターロールを一バケットは食べられる、心豊かな町娘でした。


「おーおー、姉様のお帰りだぜぇ、シンデレラちゃあん」


 しかし、楽しいシンデレラのぼっち充の時間も終わりです。


 ――山。

 それはそびえる二つの大きな双子山。

 標高2メートルになる、険しい筋肉の山道がつくるフォルムを見まがうわけがありません。シンデレラの二人の姉である、アナスィとドリスタのご帰宅でした。


「……お、お帰りなさいお姉さまがた」


 腰を曲げた次女のドリスタが眼をつけると、シンデレラはぎこちなく二人を迎えます。いくら姉といえども、筋肉の塊に威圧されてはたまったものではありません。

 今日も殴られやしないかと、緊張を走らせていたシンデレラの背筋が震えます。もう一人の姉である長女アナスィが冷静に責め立てる声が耳に入ったのです。


「……シンデレラ、丸窓に埃が積もっているが、これは何だ」

「なあにい? やっちまったなシンデレラ。ロクに掃除も出来やしないのかい、この脛かじりが。二度と人様の脛をかじれないように、その綺麗な歯をガッタガタに歯列矯正してやろうか」


「きゃあ」


 次女ドリスタの放つ左フックが、シンデレラの頬をかすめます。その巨体に似合わず、腰の動きで打つ実にコンパクトな打撃でした。

 シンデレラは床の上を転がり、つぎ当てだらけの服が汚れます。シンデレラの掃除は実にてきとうだからです。


「こっちはなあ……汗水垂らして仕事してんだよ、シンデレラあ」


 言い捨てると、ドリスタは親指と人差し指でシンデレラを摘み上げます。夕飯を与えずに外へ投げ捨てる寸法です。

 その非人道的な行いを前に、シンデレラは手足をジタバタさせて暴れます。

 必死です。夕飯がかかっているので本気です。


「ごめんなさい、ドリスタ姉さま。ごめんなさいごめんなさい。謝りますから謝りますから夕飯だけは。後生です、夕飯だけは」


 昼ごろに起きて朝昼兼用のご飯しかとっていないシンデレラは、死に物狂いで訴えます。人間生きていればお腹がすくものです。


「お願いしますお願いします……パンだけでも、できれば温かいスープも」


 すがりつくシンデレラが放り出されるのも時間の問題でしたが、長女アナスィの言葉でドリスタは玄関へと向かう足を止めました。


「止めろ、ドリスタ。遊んでいる時間はない」

「……アナスィ姉の言うとおりだな」


 この日はお城の王子様がお嫁さんを選ぶ一大イベント、舞踏会の日でした。国一番の強い女が王子にめとられると聞いては、筋肉山脈のアナスィとドリスタも、いや国中の女傑が黙ってはいません。

 戦闘装束でオシャレを済ませて、女たちは向かいます。

 ――いざ決戦の地、白亜の城へ。


「準備はできたかい、ドリスタ」

「ああできたぜ、アナスィ姉。頂点に立つ覚悟ってやつがな」


 アナスィは桃色の、ドリスタは若草色の戦闘礼服(バトルクロス)に身を包み、いざ出陣します。


「待って、アナスィ姉さま、ドリスタ姉さま!」


 シンデレラは二人を追って慌てて外に出ます。

 しかし、名残惜しげに手を伸ばすシンデレラに二人が振り返ることはありません。

 "死か姫かデッド・オア・ブライド"――二人はすでに片道きっぷを切ったのです。


「無駄だ、シンデレラ。お前はここにいろ」


 ――ここから先は筋肉がものを言う世界だ。


 残されたシンデレラは人目をはばかることなく、外で泣き崩れます。

 夕飯を作る前に旅立たれたからです。シンデレラは生まれてこの方16年、人がつくった料理以外のものを食べたことがありませんでした。


 失意と空腹の底で絶望するシンデレラでしたが、神は彼女を見捨てませんでした。


「ひひひ。お前さんがあの筋肉山脈の三女かい」


 シンデレラの前には、深緑のローブをまとったかぎ鼻の老婆がいました。何の前触れもなくボウフラみたいに湧き出た老婆は、杖をつきながら近寄ります。


「きゃあ、変質者!」


 シンデレラはとっさに前足を突き出し、老婆のかぎ鼻めがけてヤクザキックを叩き込みました。あらぬ方向に鼻を曲げて倒れた老婆には動きがありません。

 不幸にも心臓麻痺で亡くなったのかと、シンデレラが名も知らぬ老婆の死を悼みながら、今後の生活の足しにしようと身包みを剥ごうとしたときです。


 ぽわんと柔らかい光が老婆を包みます。


「まったく、恐ろしい女だな……お前さんは」


 立ち上がった老婆は無傷でした。かぎ鼻も健在です。


「まさか……老婆様は魔法使いなの」


 老婆に利用価値があると知るやいなや、シンデレラは態度を改めます。ああ、今までの私はなんて愚かだったのでしょうか、きっと悪魔が憑いていたに違いありませんと。

 その変わり身の早さに一瞬呆気にとられた老婆ではありましたが、不気味に笑います。


「ひひひ。それでこそ頼りがいがあるというものよ」


 老婆はとつとつとシンデレラの元を訪れた理由を語ります。

 舞踏会の開催の報を聞いた老婆でしたが、後80年は早くなければ参加資格はありません。王家に入れるこの機会を逃してなるものかと考えた老婆は、自分の息がかかった別の者を推挙して妃様にすることに決めました。


「それで選んだのが……わたし」

「そうじゃ、筋肉山脈と名高きアナスィとドリスタの妹であるシンデレラよ。お前こそが我が大願を成就してくれる存在じゃ」


 自分の秘めたる才能を信じて止まないシンデレラは、老婆の慧眼には感服したものの、その申し出に応えることはできませんでした。


「……魔法使いさま、とてもありがたい申し出だけど、それは無理よ」


 才能あふれるシンデレラといっても、すべてを持ち合わせてはいません。具体的には筋肉とか根気とかがないのです。才能という言葉を愛するあまり、悲劇的にもその対極にある努力という言葉をシンデレラは愛せませんでした。


「というわけでして、修行という苦しくも無駄な過程を飛ばして、三秒ぐらいでノーリスクで強くなれない以上は、とてもじゃないけど私は舞踏会には参加する気はないの。王宮での贅沢暮らしは惜しいけれど、命がなければダラダラもできないもの」

「それがあるんじゃよ」

「なら、乗ったわ」


 即断即決。

 その速度たるや雷雲から降る稲光より早いものでした。


 あとは涙ながらに姉どもを葬り去り、悲劇のヒロインを気取るだけだと息巻くシンデレラでしたが、老婆にはひとつだけ言わなければいけないことがありました。


「ただし、完全にリスクがないわけではない」

「なによババア、嘘じゃない。人はそれを詐欺と呼ぶのよ」

「……人を値踏みするのは、最後まで話を聞いてからにせい」


 気を取り直して、老婆は秘術のリスクについて説明を始めます。

 魔術の道を深淵へまで進めた老婆は、人の潜在能力と才能を開花させる秘術の完成にいたりましたが、この術はひとつの危険をはらんでいました。代価として、人が持つ建前がなくなるのです。それは人として生きる上で大切な歯車であり、歯止めでもあります。


「しかし、お前さんの場合は違う。のうお前さん、人として取りつくろうのが辛いと思ったことはないかのう。性根のままに生きてみたいと考えたことはないかのう」


 ――その身に巣食う獣を解き放つ気はないかのう。


 それは聞けば聞くほど、シンデレラの心を揺さぶるお誘いでした。


「ふーん。ありのままに……Let It Goってことね」


 シンデレラのなかで暴れ狂う獣は、すでに理性の檻に身体を叩きつけていました。


「いいわね。最高にうずくじゃない」


 ノーリスクハイリターンのお誘いを断る理由もなく、シンデレラは老婆の秘術を受け入れることにしました。

 契約成立です。


 足元から沸き上がる黒。そこから無数にしなる黒の手がシンデレラの身体を覆い尽くします。無痛の何かが体内を探る奇妙な感覚に戸惑う時間も数秒のことでした。


 ポキリと、まるで細い枝を折るように理性の檻が崩れました。

 建前崩壊、ぶっちゃけ人間シンデレラの誕生です。


「……楽して」


 沸き上がる情動は、口元から絶叫となって解き放たれます。


「――生きてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」


 筋肉山脈の三女シンデレラ。

 埋もれていたダイヤの原石が輝きを放ちます。

 あて布だらけのボロ服を破り捨てて、精神だけでなく体までもが生まれたあの日のままでLet It Goです。あわや放送事故ものの絵でしたが、そこは女としての色気が皆無だったことが幸いしました。はちきれんばかりに膨張した筋肉は乙女の秘部すら覆い隠しています。

 女というかもはや益荒男(ますらお)です。


 人間としてありえない速度で全身の細胞の世代交代を繰り返した結果、シンデレラは生まれ変わったのです。


 全身を筋肉の岩石で構成した黒い身体は全長3メートルを超え、変色した真っ赤な髪は天へとさかのぼります。筋肉山脈を超えた、筋肉ボルケーノの誕生の瞬間でした。

 そのあまりにも、あんまりな進化に一度は言葉を亡くした老婆も喉を鳴らします。


「ひひひ。人間を辞めた気分はどうだい、シンデレラ」

「ああ、まるで何億光年もの倦怠から開放されたようだ」


 大きなお手手を結んでは開き、グーパーグーパーします。

 そしてシンデレラは確信するのです。


「――最高の気分だ」


 恍惚の笑みを浮かべるシンデレラに老婆は魔法をかけます。いくら王子様が豪傑を好む酔狂とはいえ、裸のまま未来の花嫁を差し出すわけにはいきません。

 筋肉にも衣装と、純白の戦闘礼服(バトルクロス)がシンデレラを包んでいきます。

 そして足元には。


「なんだこの靴は」

「ひひひ。踊るのであれば、オシャレの一つも必要さ」


 シンデレラは透き通るガラスの靴を履いていました。40cmを超えたシンデレラの足にもフィットする不思議な履物でしたが、ガラスの輝きなど人間を辞めたシンデレラはさして気にしません。履けて蹴れれば靴など十分なのです。


「さあ餞別じゃ。馬車の一つもなければ格好がつかんじゃろうて」


 チンカラホイと、老婆が杖を振ると、輝く霧が前方にかかります。

 風が吹き、霧が払われていくとそこには一台の馬車がありました。まあなんて素敵なのでしょう。


「これは南方から仕入れた特別製さ。そうさねえ、名前をつけるのであれば」


 荒々しい二頭立ての黒馬が引くのは、単なる移動用車両ではありません。前方に無骨な鉄の盾を備え付けた、実にロマンあふれる古代の戦闘車両でした。


南瓜(かぼちゃ)のチャリオット――お前さんと私を覇道にみちびく乗り物さ。当然乗って行くだろう?」


 その餞別の品にありがたく足を踏み入れる手前で、シンデレラは思い留まります。白亜の城の舞踏会に向かう前に、ひとつやり残しがあることに気づいたのです。全身これ筋肉のシンデレラではありますが、こう見えてもうっかりさんなのでした。


「どうした? 忘れものか」

「そうだな。ときに老婆よ、今日が何曜日か知っているか」

「火曜日だが、それがどうかしたか」

「なら今日は――燃えるゴミの日だな」


 益荒男の風が去ったときには、老婆の心臓はえぐられ、握り潰されていました。


「覇道は狭い。しわがれたババアを隣に連れては歩けねえ」


 大事な心をぬかれた老婆が崩折れます。

 ゴミ出しを終えたシンデレラは南瓜のチャリオットに乗り込み、白亜の城へカチコミに入ります。もう枯れ木など死に絶えたと勘違いしていたのです。


「このガキャああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 鬼の形相で、老婆が血染めの咆哮をあげました。

 さあ大変です。

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