第7話 迫害の民
スラムの顔役、ルバールは約束を守った。
放浪の民と会えるよう、段取りを整えてくれたのだ。
定住せず、滞在する地域に溶け込むこともなく、独自の宗教と文化を固持する彼らは、この国でも迫害の対象になっている。
友好的とはお世辞にも言えないような人々だ。
その上、この国では宗教教育が徹底しているせいで、彼らの宗教は全否定されてしまう。
対立する要素は多くあるが、融和する要素はほとんどない。
そんな彼らとつながりを作ること――、そもそも対面すること自体、容易なことではなかった。
裏社会で力を持つルバールだからこそ、実現した。
「お目通りいただきましたこと、感謝いたします」
俺は知りうる限りの知識をもって、放浪の民の長老である、ヴァーリンに礼を尽くした。
彼の肌は浅黒く皺だらけで、頭にはターバンを巻いている。
放浪の民は全財産を装飾品にして身につけるという。
長老ヴァーリンもまた、質素な服装をしているのにも関わらず、不釣合なほど豪奢な装飾品を身につけていた。
「貴方は"神童"と呼ばれているそうですな? 我らが神の祝福を受けぬ"教会"とやらで」
開口一番、彼はそう言った。
彼の細い眼は開いているのか閉じているのか、俺の場所からははっきり分からない。
どこか漂々としていて、何を考えているのか読みづらかった。
だが、必要なのは取引だ。
宗教も文化も価値観も違う相手を説得するつもりなど、毛頭ない。
「"神童"というのは、例えです。私は少々記憶力がいいだけのこと……。教会の者たちが、大袈裟に騒ぎ立てているだけです」
「ほう……」
長老ヴァーリンは、タバコのような細い草のようなものを口にくわえ、燻らせていた。
そして、それをこちらに差し出す。
「これは……?」
俺が戸惑ってそれを手に受け取ると、案内してきた男が小さく言った。
「受けるのが礼儀だ」
一瞬ためらったのち、俺はそれを受け入れることにした。
受け取ったそれを口に軽くくわえ、息を吸う。
今まで嗅いだ事のないような香りが鼻をつき、俺は一瞬むせて、咳きこんだ。
だが、長老ヴァーリンは表情を変えない。
黙ったまま、それを再び受け取り、燻らせた。
「我々のたしなみだ。お前はわしと同じ呼気を吸い、今、我らが神の身元にその身を預けている」
(俺を試しているのか――)
普通の王都の人間であれば、"異教徒の神の身元に自身を預ける"などと言われたら、言語道断だと怒りだすだろう。
それで交渉は決裂、対話は不可能となるわけだ。
だが、あいにくと俺は神を信じてさえいない。
「あなた方、ケーシュ教の神の身元に私のこの身を預かっていただいているのならば、私の話も聞いてくださいますね?」
その言葉を聞いて、長老ヴァーリンは眉をあげた。
俺がこの場所に来て初めて、彼がようやく表情を動かした瞬間だった。
彼の心を多少は動かすことができたと見える。
一呼吸置いて、彼はゆっくりと口を開いた。
「良かろう。話してみるがいい」
これでようやく、本題に入れる。
俺はぐっと顎を引き、なるべく余裕があるように見せるために、口元に笑みを浮かべた。
「世界の各地からあなたが集めている情報の一部を、私にも教えていただきたい」
(さて、彼はどう応える? 俺を門前払いするか?)
長老ヴァーリンの目が少し開いた。
「――情報? はて。確かに我々はあちこちを放浪しておる。それぞれの場所で見聞きしたことは確かに、分かるが、そんなものがお前さんの役に立つとも思えんが?」
(とりあえず、こちらの腹を探りにきたか。だが、裏は取れている)
「あなた方はただ、漠然と放浪しているのではないはずです。伝書鳩の飛んだ先はどこですか? 各地に独自のつながりがあり、そのやり取りで、あなた方は移住先を決めているのでは?」
長老ヴァーリンは黙って細い目を閉じた。
そして、俺の言葉を肯定も否定もしないまま、言葉を続けた。
「――なるほど、それで? 我々がお前の欲する情報を得ていたとして、お前はそれを我々からどうやって引き出すつもりだね」
「金ではあなた方は動かないのでしょうね?」
俺はそう言って長老ヴァーリンの顔色をうかがったが、――やはり。
否定もしないが、肯定もしない。
(やはり、金で彼らを動かすことはできない)
金でどうにかできるなら、教会も早々に手を打っていただろう。
動かないからこそ、彼らは厄介な存在であり、そして独立した存在なのだ。
俺は自分が切れる唯一のカードを切ることにした。
「私は、我が国が掲げるラトス教の神を信じていません」
俺の言葉に、今度こそ長老ヴァーリンは驚いたようだった。
なかなか表情を変えないこの老人を驚かせたことに、俺は少なからず心地よさを覚えた。
「我が国の掲げる神とは、民衆を支配するための手段として生まれたものであり、本質的に民を救うようなものではありません。支配者の都合の良いように生み出された"道具"にすぎません」
「――言いきったな」
「はい。事実ですから」
俺の中には、我が国の国教であるラトス教が誕生した頃の記憶もある。
また、それがどのようにして生まれたのかも、俺は知っていた。
その記憶を得てしまった時点で、俺はラトス教を信仰することができなくなったのだ。
ここからが本題だ。
俺は一呼吸置いて、長老ヴァーリンを見据えた。
「私は数年後、教会を支配する人間になります。そして、主導権を握った暁には、ケーシュ教を信ずる民が迫害されることのないよう、国内を改革してみせましょう。それは、我が国の掲げる神を信じていない俺だからこそ、できることです。今後、俺のような者は二度と現われないでしょう。――これがいただく情報の代わりに、私があなた方に差し出せる唯一のものです」
長老ヴァーリンは黙って、俺の目を見ていた。
沈黙が訪れる。
俺が長老に言った言葉を実現できるかどうかは別にして、言った言葉に嘘偽りはない。
それは少し前から考えていたことだった。
この国の宗教に関わらざるを得ないのならば、むしろそれを変えてみせる。
不遇な死を遂げたいくつもの俺の記憶が、今のこの状況を変えろと――変えるべしと俺をつき動かしているのだ。
俺はぐっと膝をつめ、長老ヴァーリンの反応を待った。
すると彼は、急に口の右端を持ち上げた。
俺はそれが笑っている形になっていることに、しばらく気がつかなかった。
「――面白い。先行投資せよとか? 異教徒は信用ならんが――、お前は我が神の身元にその身を預けた者。良かろう。確かに、伝書鳩は各地との連絡用に使っておるものだ。詳細ではないが、我々に必要な最低限の情報は我が手元にあると言ってよい。お前が必要とするような情報があれば、提供してやろう」
「ちょ、長老! こんな子どもと……異教徒と組むとおっしゃるのですか――!?」
周囲にいた青年たちがとうとう耐えきれなくなったらしく、声をあげた。
騒然とし、俺もさすがに身を固くしたが、長老ヴァーリンはそれを一喝した。
「黙らんか!!」
一瞬の沈黙が流れる。
「信仰を守ることと、頑なな心でいることは違う。我らとて、今の境遇に満足しているわけではないはずだ」
長老ヴァーリンは青年たちを睨むように言い放った。
「しかし、異教徒と手を組むなど――」
言い募った青年の一人に、長老ヴァーリンは静かに問うた。
「どこに異教の神がおるというのだ?」
「――!?」
「先ほど、この者自身も言っておったではないか。『我らが神は、支配者の道具にすぎぬ』と。この者は異教の神を信じる者ではない。異教徒でも何でもない。ただの子供だ。ただの人間だ。神の加護を持たぬ、孤独な子よ。道具に仕える者が、異教徒か? 単なる愚か者であろう。神は愚か者と付き合うなとおっしゃっておられたか?」
「いえ、その様なことは……」
だが、彼らはまだ、釈然としない様子だった。
「現実を見よ。このまま迫害され続け、女子供につらい思いをさせるつもりか? 異教を信じろというのではない。単なる取引だ」
妻や子供のこととなると、彼らの反論の声は急激にしぼんだ。
しかしその時、一人の青年が長老の前に進み出る。
「お待ちください。私は納得ができません。神を信じることのできない者を、おいそれと信頼することはできません。こんな者に我々の命運を託すとおっしゃるのですか?」
一瞬こちらを見たその男と目があった。
鋭い目つき――そして、油断のならない顔つきだと俺は思った。
この男を説得するのは難しいかもしれない。
理屈で言えば、この男の言っていることは正しい。
俺の話は机上の空論でしかない。
それを信頼しろという方が、無茶な話だ。
だが、こういう話だからこそ、金で動かない彼らを動かせると俺は踏んだのだが――。
今の俺に提示できる者は全て提示した。
これで断られたら、この交渉に持ち出せるような条件はもう無いに等しい。
長老ヴァーリンは、その青年を指名して言った。
「――バザン、お前が連絡役をやるがいい」
バザン。
その名には聞き覚えがある。
次期、指導者と目されている男だ。
だが、バザンは信じられないというように声をあげた。
「長老!」
長老ヴァーリンは手にしていたタバコのような草を掲げ、バザンの動きを制する。
「これはわしの命令だ。そして、お前のその目で見極めるがいい。その少年の本質をな」
バザンは俺をちらりと見、そして、しぶしぶ頷いた。
長老の命令。
それは一族にとって絶対なのだろう。
バザンとやりとりしていくのは少々面倒そうだが、それはこれから考えればいい。
ひとまずこの交渉が無事に成立したことに、俺は胸をなでおろした。