第50話 黒き聖伝
絢爛豪華たる教皇の間に、俺はいた。
広間の最も奥にある玉座は、細やかな黄金の細工が施されたもの。
純白のゆったりとした教皇服に身を包み、頭には冠を、そして右手にはまばゆいばかりに宝石が散りばめられた象牙の笏を手に、俺はその玉座に腰をおろしていた。
階下には、主席枢機卿に就任したフェラニカ、次席枢機卿ジャイル、聖務枢機卿ゼシュラム、そして法務枢機卿のレヒトが居並ぶ。
ラトス教のシンボルマークに象徴された、まさにそれである。
王冠に見立てられた教皇と、それを支える四匹の孔雀ならぬ四名の側近――。
そこには恐怖という名の重石の下に、側近からなる盤石の態勢が敷かれたのだ。
さらにその四卿の先には、俺達を恐れおののく目で伏せがちに見る、整然と並んだ百名の枢機卿の姿があった。
そんな枢機卿たちを上から見下ろしながら、俺はすっと息を吸った。
ついにここまできた。
この場所まで。
主席枢機卿であるフェラニカに目をやり、俺は笏で床を軽くコンと軽く小突く。
するとフェラニカは重々しく頷いた。
「法王猊下より、御言葉がある! 皆、心して聞くがよい!」
万の軍勢を指揮するかのような彼女のよく通る声が、広間中に響いた。
「御意……」
恐れを含んだ声で、枢機卿たちが返事をする。
そして俺はゆったりと、そして重々しく威厳のある声で語り始めた。
「余が教皇の座について、ひと月。折に触れ、対話の間において父なる神と語りあってきた。そのたび重なる語り合いの中で、どうしても見過ごすことのできぬ言葉を、父なる神は申された」
しんと静まり返る広間。
今度は何が語られるのかと、枢機卿たちの目には怯えが浮かんでいる。
「今、聖地を治め、王と騙っているマラエヴァには逆心有り、と」
その一言で、ため息とも息をのむ音とも知れない音が、広間にさざ波のように広がった。
遠慮がちに、だが、信じられないというように顔を見合わせる枢機卿たち。
マラエヴァは王までのし上がったが、教会の教えに背くようなことはせず、行動を起こすにしても、常に正道に見せかけた政治を行っている。
そこに隙はなく、神が逆心と言っても、彼らは俄かには受け入れ難いだろう。
様々な声が教皇の間を錯綜する。
もう一度俺が笏で床を鳴らすと、ハッと我に返った枢機卿たちは俺の存在を思い出し、一斉に水を打ったように静かになった。
「マラエヴァは彼の地で、『人心が収まるまで』と言いながら、ラトス教以外の教えを容認している。我々が奪還したあの聖なる地で、だ。――枢機卿諸君。ラトス教とは何ぞや」
俺の静かな問いに、戸惑ったように枢機卿たちは顔を見合わせる。
そして、汚職にまみれ、腐敗していた彼らは、次第にその問いの意味を必死に考え始めた。
ラトス教の原点を。
「ラトス教の教えとは、何ぞや」
俺は再び問う。
すると、今度は小さいながらも、唱和した答えが返ってきた。
『唯一絶対の、神の教えなり……!』
俺はその答えに目を細める。
そして再び俺は問いかける。
教皇である、俺が。
「我らが神の教えは、他の教えと交えることができるものか?」
すると今度は、しっかりとした唱和が返ってきた。
『否! 神の教えは一つであればこそ、絶対なり!!』
さらに、神の子である俺は問いかける。
「我が父なる神以外に、この世に神はいるであろうか?」
その問いに、強い調子で枢機卿たちは答える。
『神はこの世にただ御一柱!他は神を自称する偶像なり!!』
神の教えを示す立場にいる俺は、問い続ける。
「ならば、神を自称する者を信じる者、容認する者は如何に?」
『愚か者であり、真なる神を恐れぬ不届き者なり!!』
次第に枢機卿たちの表情が、口調が、高揚してくるのが分かる。
そこへ守護聖人として人々にその道を示した俺が、問いかける。
「不届き者に対して、どのようにせよと開祖は示されたか?」
『異教の者は、討ち滅ぼすべし!!』
『異教の者は、討ち滅ぼすべし!!』
その場に集まった枢機卿たちの目にもはや怯えはなく、高揚し、一体となり、声高々に応える姿だけがあった。
信じるものは、ただひとつ。
俺はその様子を高みから見下ろしながら、愉悦を覚えた。
そして初めて、その場を打ち破るように声を張りあげる。
「これより聖戦を発令する。敵は堕落し、ラトス教の教えを忘れたマラエヴァ以下、彼の地に王国を築かんとする異教徒共である! 全ての逆徒を殲滅し、正しき神の教えのみが伝わる世界を神の身元に捧げるのだ!!」
「御意!」
枢機卿たちは浮かれたように答える。
俺はすぐ階下を見下ろす。
「レヒト聖務枢機卿よ。王宮に行き、カムル宰相代理に申し伝えよ。『聖戦は発動された。五王は全軍を率い参戦せよ』とな」
「ハッ!! お任せください」
威勢よく答え、レヒト聖務枢機卿はニヤリと笑う。
「フェラニカ主席枢機卿。そなたには、聖教騎士団を中心とする教会の軍勢と王軍、両軍の総指揮官を命じる」
それは彼女の父、ゾルニク元帥ですら成し遂げられなかった、この国全ての軍を率いるということ。
「承知した」
フェラニカは目を輝かせてうなずいた。
「ジャイル次席枢機卿。聖戦の兵站、フェラニカ主席枢機卿の後方支援はそなたに任せる。良いな?」
「お任せあれ!」
ジャイルは力強く答えた。
「最後に、ゼシュラム法務枢機卿。そなたにも重要な任を与える。全ての国民が聖戦に参戦できる聖法を発表し、民衆に知らしめよ。――そして、志願する者は卿が指揮を執ることを許す」
無辜なる民は、聖戦と言う言葉を信じ、無力なまま戦い、果てるであろう。
しかし、どんなに無力であろうと、数がいれば盾ぐらいにはなる。
役には立つのだ。
「はっ! ありがたき幸せ!」
不敵に目を光らせるゼシュラム。
彼にとっても、新しい世が来ればよいだけの話で、そこにいくら犠牲がつきようがかまわないはずだ。
彼はそういう男だ。
そして、この俺も……。
「さあ、諸君。時は来た。今こそ神が示された、神の理想とする地を、この世に造る時ぞ!!」
『御意!!』
熱に浮かされた枢機卿たち。
彼らもいつしか、俺が神の子であることを信じ始めている――、いや、信じなければ殺されると思っているのかもしれない。
これからさらに、儀式の名のもとにゼシュラムが数々の洗脳を施し、いつしか完全に信じるようになる。
(ハンがいなくても、組織は回る……)
俺はそんな風に考えるようになっていた。
抜けた穴は、誰かが埋める。
ハンも、メリッサの顔でさえも、いつしか浮かばなくなっていた。
そして、胸の痛みも……。
共和二百二十七年。
神の子率いるライツア王朝とマラエヴァを始祖とするトラント王朝が激突。
激戦の末、ライツア王朝が勝利する。
そしてそれは国内の革命の始まりを意味し、教会主導の下、血による粛清が始まった。
ライツア王朝は大量に流される鮮血の上に、新たな血を入れ替えることに見事成功。
こうしてライツア王朝は、黄金期を迎える。
血塗られた聖人の足跡を、当時の者はたくさんの記録に残した。
中には書物に記されていないものもある。
各地に伝わる口伝、伝承からは、彼が正しき世を作るために、心を殺して事にあたったと伝えられている。
ただ、理想の世に彼が満足したのかどうか、それを何も伝えるものは残っていない。
彼の功績を記した書物を、後世の者は総じて『黒き聖伝』と呼んだ。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
この作品が皆様にとってどの程度だったのか知りたく、評価をしていただけると大変嬉しく思います。
約半年という短い期間ではありましたが、この作品を読んでくれたこと、感謝しています。
ありがとうございました。




