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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
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第49話 約束

 割れんばかりの歓声を背に、俺はテラスから部屋へゆったりと戻った。

 老いたその瞳に、憎悪とでも呼ぶべき光を宿しながらこちらを睨んでいるソルデ教皇と目が合う。

「このままわしが黙って引き下がると思うなよ……!」

 小さく、しかし、はっきりとソルデ教皇はそう呟いた。

 その言葉に、ハンが冷笑する。

「寝言は寝てから言われるのがよろしいかと。あなたの時代は終わったのですよ」

「なんじゃと……」

 ソルデ教皇は、ハッとしたように部屋の中に視線を走らせる。

 そこにはもはや、彼の知る人間はいない。

 目つきが悪く、暗い雰囲気を持った司祭たち――、暗黒街あがりのハンの部下たちが、いるだけだ。

「貴方の声はもはや、誰にも届かない。誰も聞くことはない。そういうことです」

「わ、わしをどうする気じゃ!?」

「貴方がボスに……セルベク司教枢機卿にされたことと同じことをするだけのことです」

 そう冷たく言い放ち、ハンがあごで軽くソルデ教皇を示すと、彼の部下である司祭たちは、素早い動きでソルデ教皇の腕をねじりあげた。

 半ば恐怖と半ば怨みのこもった目で俺を見るソルデ教皇を、俺は軽い笑みをたたえながら見返した。

 そしてまるで他人事のように言う。

「立場が逆転したようですね、猊下」

 その瞬間、ソルデ教皇の何かが壊れたようだった。

 突如汚い言葉を喚き散らし、暴れだしたが、今の俺にとってはそれすらも爽快だった。

 そこへ、いきなりドアを開けてバザンが入ってくる。

 彼の風貌はこの教皇庁では異質だったが、もはやこの教皇庁内部は俺の支配下にある。

 珍しく動揺した様子なのは、一見してすぐに分かった。

「セルベク、そこにいたのか! すぐに知らせておかなければならぬことがある」

 そう言って、バザンは俺に駆け寄ってきた。

「どうした?」

 バザンがこんなところまでわざわざ報告に来るということは、よほどのことがあったのに違いない。


(カザールがこの国内の情勢を嗅ぎつけて、妙な手でも使ってきたのか……?)


 俺はそんなことを思いながら、バザンの表情を見つめた。

 バザンはやや緊張した面持ちでそのまま俺に近づき、懐に手を入れる。

 キラリと手元が光った。

 長い牢獄生活が俺の判断を鈍らせたのか、それとも、目の前の勝利に酔いすぎていたのか。

 俺はバザンのその手元が光った意味を、咄嗟に理解することができなかった。


 次の瞬間、俺とバザンの間にハンが立ちふさがったかと思うと、腹から真っ赤な血が噴き出していた。

 血の水たまりが床に広がってゆく。

 それでもバザンを睨み、気丈にも仁王立ちしたままのハン。

 俺が呆然としている間に、ハンの部下たちが慌ただしく動き、バザンを抑え込む。

 バザンを取り押さえられる姿を見て安心したのか、急にハンはその場にがくりと崩れ落ちた。


「ハン……!!」


 何が何やら、わけがわからない。

 いや分かってはいるが、理解したくないと頭が拒否している。


(バザンは何をした? そして、ハン……。どういうことだ……!?)


 人を信用しないはずの俺は、いつしか自分でも気づかない間に、心のどこかで信じてしまっていた。

 そして共に戦ってきたと思いこんでいたバザンが裏切ることを、体が、頭が拒否していた。


(なぜ、なぜバザンが裏切る……!? 俺は奴を、奴の一族をまだ裏切ってはいない。契約は続行中のはず……!)


 ハンの部下に取り押さえられたバザンに、俺は動揺を押し隠して近づくと、彼の顔まで屈みこむ。

「なぜ……? なぜ俺を殺そうとした?」

 理由を知ったところで、何がどう変わるわけでもない。

 だが、今の俺は聞かずにはいられなかった。

 お互い利用しあう関係とはいえ、俺は彼にも、友情に似たものを感じていたというのに。

 だが、バザンの瞳はこれまでに見たことがないほど、暗く光っていた。

「はっ! カザール国でロモン教徒にしたことをもう忘れたのか? ……お前は野望のためならなんでもする。利用できるなら虐殺さえな! それは我らケーシュ教徒とて同じこと。今度は我々がその生贄に、いつなってもおかしくないと気づいた」

「馬鹿な! あれは理由があってこそだと、説明したはずだ!」

「そのような言葉、納得できるものか。それに、マラエヴァ様は今やあの地に本物の楽土を築きつつある。どの宗派であろうとも平和に暮らせる楽園を、な。もはやお前は、我ら放浪の民にとって、用済みになったのだ!」

 バザンは吐き捨てるようにそう言いきった。

 彼――、いや、彼らにはこれまで他愛もないことから危険なことまで、数々の仕事を頼んできた。

 しかし、それは互いに合意の上、納得の上での話だったはずだ。

 そして、俺は教会の実権を握った後、ようやくかつて取り決めた約束を守るつもりだった。

 それがそんなに遅かったというのか……?


(いや、違う……)


 結局、バザン達の思考と俺の思考は最後までかみ合うことはなかったのだ。

 目的の為には何でも許されると考え、突っ走ってきた俺。

 バザン達にとっては、例えそれが崇高な目的のためでも、妥協できない点があったということなのだろう。

 それがあの虐殺がきっかけで爆発したのに過ぎない。


(そして、ハンがその犠牲になった……)


 俺は血まみれのハンを抱きかかえた。

 真新しかった服にも、ハンの赤い染みがじんわりと広がった。

「ハン、もう少ししたら医者が来る。そうすれば助かるからな。しばらく待て」

「ボス……。嘘はなしですよ。オレは何度も人の死を見てきた……。これは致命傷ですよ」

「ハン……!」

「そんな情けない顔をしないでください。俺の死など、たかだか駒の一つが消えるだけのこと。……ボス、この機会を利用して、一気に駆け上がってください」

「今そんなことを……」

「バザンの裏切り程度で、そこまで頭がマヒしますか? ボスらしくもない」

 そう言うと、ハンは苦しげな表情に小さく笑みを浮かべた。

「どうやって、バザンはここまで入れたのか。オレの部下が入れるように手は打ちましたが、放浪の民であるバザンが、ここに入ることはまず無理のはず……」

「教会内部に俺を消したい者がいるということか」

 俺は縛りあげられて床に転がっているソルデ教皇にちらりと目をやった。

「……なるほど。集まった暴徒をなだめすかして教会の潔白を証明できれば、俺はもはや不要というわけか」

「放浪の民をこの国でも優遇すると、ボス以上の権力者が囁けば、放浪の民も気持ちが揺らぐ……」

「まさか、五王も一枚かんでいると……?」

「可能性として……、です」

 そこまで言うと、ハンは苦しそうにむせて吐血した。

 それでもなお冷徹な目を光らせながら、ハンは言葉を続ける。

「ボス、オレはあんたに憧れていた。あんたがてっぺんに登りつめる姿を見たかった……。どうか、一片でも俺のことを憐れむ気持ちがあるのなら、最後まで登り切ってください」

 まっすぐに俺を見つめるハン。

 俺は何も言えなかった。

 ハンの気持ちに今まで気づかなかった俺が悔しかった。

 そこまで、俺に託していたハンに。

 利害でのみ結ばれていると思っていた。


 それが……。


 いつかは登るつもりだった階段。

 少しずつ冷静になる俺が、今は時期尚早という。

 しかし、俺の気持ちは同時に、徐々に凍えてくる。


 全てを利用しろ。

 ハンの仇を取れ。

 野望を叶えよ、と。


 俺は言切れたハンの瞼をゆっくりと閉じてやると、そのままそっと体を寝かせてやった。

 そして静かに立ちあがり、部屋を見渡す。

 俺の指示を待つハンの部下たち。

 取り押さえられたバザン。

 ねじ伏せられて床に転がったままのソルデ教皇。


「これより予言を告げる」


 厳かに俺はそう言い放った。

 部屋が奇妙な緊張感で満たされる。


「教皇は階段を踏み外し、死ぬであろう。主席枢機卿は、首を吊って自殺するであろう。次席枢機卿は、馬車にはねられ、命を落とすであろう。法務枢機卿は、ワインの毒にあたって天に召されるであろう。聖務枢機卿は、テラスから飛び降りて、この世から消え去るであろう」


 しんと静まり返る部屋。


「――さあ、行け」


 俺が右手をかざすと、ハンの部下たちは頭を下げ、一斉に動き始めた。

 まるで止まっていた時が、再び動き出したかのように。

 引きずられ、ソルデ教皇は悲鳴をあげたが、すぐに口を塞がれる。

 レヒト枢機卿はその様子を半ば楽しげな様子で一瞥すると、俺に頭を垂れた。

「私にも、ご指示をいただけますか?」

「ゾルニク元帥の娘、フェラニカ大司教に事の次第を伝え、直ちに聖教騎士団を復帰させよ。暗黒街にいるはずのジャイルという男も探し出し、復帰させる。その後は、王家に走り、余を宰相に任じるように動け。余はすでに侯爵。宰相になる資格は十分にある。もし余が宰相に就けなくば、王国の穀物は一片たりとも口に入らぬと予言を伝えよ」

「御意」

 指示を受け、レヒト枢機卿は恭しく一礼すると、すぐさま部屋を出て行った。

 フェラニカと、ジャイルはハンが事前に打ち合わせたとおり、連絡がいけばすぐに動くだろう。

 五王に関しては、こちらの要求を受け入れざるをえまい。

 穀物地帯である、ダガル州とライセル州は既に、我が手にある。

 五王は形だけのつもりだったのだろうが、俺が再び表舞台に立った事で、名実ともに俺の封地になった。


 全ては俺の予言のままに――。


 数日後、教皇が亡くなったことにより、枢機卿による教皇選出が始まった。

 四卿の死も含め、誰が裏で糸を引いていたか薄々気づいていた枢機卿たちは、恐れのあまり、我が身かわいさから俺に投票。

 満場一致で、俺は教皇に選ばれた。

 そして、王家より仰々しい使者が教皇庁に来訪し、俺の宰相就任の報を知らせてきた。


 もはや、この国で神の子である俺に逆らえる者はいなくなったのだ。


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