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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
49/52

第47話 暴徒の矛先

 異教徒から聖地を奪還した英雄、守護聖人セルベクの死は、当初深い悲しみを以て国内に受け入れられていた。

 しかし、時がたつにつれ、次第にそれが教会上層部の勢力争いによるものであるという話が広まるようになる。


 曰く『守護聖人セルベクは、教会の税金を下げる提案をしていたが、教皇以下聖職者が全員反対し、殺された』

 曰く『守護聖人セルベクの、民衆からなる絶大な人気に恐れ、教会が彼を抹消した』

 曰く『還俗を考えた守護聖人セルベクに、同じ貴族として政界入りを恐れた貴族院が暴走した』

 曰く『王をも凌ぐ人気に、五王が怒りを覚え、教会と手を組んで謀殺した』


 民衆たちは誰からとなく聞きつけ、その不条理に憤った。

 一度、蜂起という形でその反発を伝えるやり方を覚えた民衆たちは、再び立ち上がった。

 中にはかつて反乱を主導したゼシュラムの亡霊を見たという者もいたが、それは定かではない――。

「あの革命家ゼシュラムが実は生きてたって、本当ですかね?」

 部下のスタッドが書類から顔をあげて、いつもと変わらない調子でジャイルの方を見たが、ジャイルはとぼけて見せた。

「さあな」

 部下たちとの呑気なやりとりはいつもと変わらないが、彼らが今いる場所は聖教騎士団本部ではない。

 教会に全てを奪われる前にというハンの指示で、ジャイルとその側近の部下たちは、ハンが用意した隠れ家に隠し財産と重要な帳簿等を持って潜んでいた。

「怪しいなあ……。ハン大司教は、絶対何か知ってそうですけどね」

 スタッドがそう言うのを聞いて、ジャイルは苦笑した。

 実際のところ、ジャイルもゼシュラムがどこにかくまわれていたのかは知らないが、生きていたことは知っている。

 まさかこんなところで彼を使うとは思いもよらなかったが。

 それも以前は鎮圧する側だったのが、今度はそれを煽る側になっている。


(運命とは皮肉なものだ……。いや、違うか。これもセルベクやハンの思惑のうちなのだから)


「それにしても――。莫大な財産があるって言ったって、近頃は穀物の原価も馬鹿にならなくなっていますが……」

 このところ、ジャイルは食料の買占めを徐々に進めていた。

 小麦など主食になるものを優先に、それは穀物全般に及んでいる。

 今まで鉱山で稼いだ資金はかなりのものになっている。

 それでも十分にまだ、余剰はあった。

「そろそろ見極め時だな。これからは買えるだけ全て、買い尽くす」

「全て……ですか? これから凄まじい速さで価格高騰が始まるでしょうね……」

 事の大きさに、スタッドの笑いがひきつっている。

 ジャイルはセルベクやフェラニカのように表舞台に立つことはないが、例え表に立たなくとも、経済への影響力、その一点で比較するならばその手腕は彼らに勝るとも劣らない。

「これからは農民だけじゃない。買占めで価格高騰が進めば、金を持っている人間でさえ、毎日の食料に事欠くようになる。そして、その不満の矛先はどこに向けられるか……」

「我々の動きを知らない者たちは、暴動のせいだと考え、国や教会の上層部が下手を打ったからだと考えるでしょうね……。不満が不満を呼んで、負の連鎖が始まるというわけですか」

 そのためにも、買占めは足がつかないよう、聖地奪還軍の補給を担うために裏から支配していた国内大手の商会を使い、大規模な投資を装って行っていた。

 国は揺れ動く。

 表面上、今回の暴動は自然発生的なものを装っているが、実際にはゼシュラム、そしてハンの部下たちがその動きに深く関わっていることをジャイルは知っている。

 そしてその全ての策が、セルベクが事前に用意していたものであることも。


(やっぱりお前は怖いな、セルベク……。事は、お前の思惑通りに進んでいるよ。だから、無事に帰って来い。お前が帰って来なきゃ、全てのことに意味がなくなるからな)


 ジャイルは手にした書類を握り締めながら、そう祈った。

 今や捕らわれの身となっているであろう、策略家の彼を想って。




 地方から次々と入ってくる応援要請に、王城では宰相以下、大臣たちが慌てふためいていた。

「ですから! 役所だけに飽き足らず、彼らは各地の駐屯地を襲撃、武器の略奪が横行! 武装した彼らは既に、地方にある教会や貴族の屋敷を襲撃しているのです! 町では食料の略奪が起きており、商人たちからも国軍の派遣依頼がきております!」

 報告を聞きながら、大臣たちは怒りに顔を白黒させている。

「ううむ。一度ならず、二度までも……! やはり前回の内乱で、もっと徹底的にやっておくべきだったのだ。奴らに甘い顔をしてはならぬ」

「そうだ。やはり民は無能。甘やかせば甘やかすほどつけあがるのだ。ここは我々の力を見せつけて、徹底的に叩いておくべきであろう」

「地方の国軍は一体に何をしているのだ!? 数は多いとはいえ、所詮は農民どもの集まりであろうが! 鍛えられた軍隊がそれに負け、武器を奪われるなど、けしからん!」

「やはり援軍を出すべきだ。このままでは、地方の要所にある王家の所領や穀物庫が全て略奪されてしまう」

「所詮は農民。国軍の強さを見せつければ、奴らもその無力さを思い知るであろう……!」

 そんな好き勝手に発言する大臣たちの面持ちを、ゾルニク元帥は冷やかに見守っていた。

 中央にいる大臣たちは知らないのだ。

 数に物をいわせた暴徒たちの力を。

 地方にいる国軍といっても、その数はごく僅か。

 そこを数で襲撃されれば、よほどの指揮官でもいない限り、守り切ることは難しいだろう。

 内乱では聖教騎士団と国中からかき集められた諸侯の軍が活躍したが、今やそれも不在。

 そういった軍のほとんどは旧カザール国領、現在はマラエヴァ王の所領へとなっている領土にいる。


(そして今や、あの聖教騎士団すら、もぬけの殻だ)


 過日、大司教まで上り詰めていた娘のフェラニカは還俗した上、聖教騎士団の兵を連れて元帥の元に身を寄せてきた。

 教会の搾取から身を守るために。

 フェラニカは頑強に口を割らなかったが、そもそも彼女はセルベク司教枢機卿に従っていた。

 それがこの絶妙なタイミングでわざわざ元帥の元に身を寄せてくることを思えば、やはり裏に何かがあるとしか考えられない。

 そしてこの暴動すら誰かが意図したものであるならば、そう簡単に鎮圧することはできないだろう。

「ゾルニク元帥! ここは急を要する。直ちに王家の所領に軍を派遣し、守り抜け!」

 宰相は立ち上がると、喚くようにそう言い放った。

 ゾルニク元帥はそのヒステリックな声を耳障りに思いながらも、顔色一つ変えず、静かに応える。

「お待ちください、閣下。もう少し冷静になるべきです。暴徒と化した民衆はあまりに多い。各地に援軍を派遣したところで焼け石に水でしょう。それでは兵を無駄死にさせるだけです。派遣にあたっては、王都に通じる要所のみに限定するべきです」

 しかし、宰相はといえば、ゾルニク元帥のように冷静には現状を受け止めていないようだった。

「元帥! 地方の軍が弱すぎた、そなたの責任もあるのだぞ!? たかだか農民ごときにいいようにやられるとは、軍人として恥ずべきことだと自覚しろ! 王家の所領は何としてでも守らなければならん! 何の為の国軍だ! 王家の財産をひとつでも多く守るのが、そなたらの務めであろうが!」

 そもそもお前たちのやり方が間違っているのだ――、とゾルニク元帥は腹の中でそう思ったが、反論はしなかった。

「これはワシの意見だけではない。五王様の御意志でもある。これに逆らうのは王命に逆らうのと同じぞ!」

 ゾルニク元帥は忌々しそうに宰相を睨んだ。

「王命なれば致し方なし。……ただし、これだけは言っておく。今回の命令、意味はないぞ」

 その言葉に他の大臣たちは顔を見合わせ、不安そうな表情を浮かべる。

 ゾルニク元帥は武人故に政治的発言権はないが、こと軍事に関しては外れた事が無い。

 先の内乱でも手腕を発揮し、領土こそ荒廃したが、最終的に国軍は維持、武力を増した貴族達に睨みを利すことができ、王政の維持に貢献した。

 それを他の大臣たちはよく知っていたのだ。

 だが、宰相だけはそんなことに頓着する人物ではなかった。

「元帥は命令を聞くだけで良い。意見は聞いておらぬ」

 冷やかに言い放った宰相をギロリと睨むと、ゾルニク元帥は身を翻し、会議の間を立ち去った。




 そこは窓の少ない部屋だった。

 広く簡素な部屋に集まった、怪しげな男たちの視線を一身に浴びながら、ハンは佇んでいた。

 地方で武器の略奪に成功した暴徒は、今や武装して教会や貴族の館を襲撃し始めている。

 国軍は愚かにも地方へと分散して援軍を送ったが、それはゼシュラムに指示して、潰させた。

 ただ民衆たちが起こした反乱であったのなら、その援軍も多少は役に立ったのかもしれないが、ハンは常に情報を入手し、先手を打っておいた。

 ゼシュラムも嬉々としてそれに従う。

 時として彼は、その援軍に訪れた国軍を、彼らの仲間として引き入れることまでやってのけた。

 ハンは暗に報告をしろと無言で部下に促す。

 部下達はその刃物のような視線に、内心冷や汗を流すがハンに選ばれた者達だけあって、おくびにも出さず報告を始める。

「ようやく国軍は各地に援軍を送ることを諦めたようです」

 おそらく今回のことは、ゾルニク元帥の意見ではないとハンは見ていた。

 ゾルニク元帥はそれなりに状況が読める人物だ。


(愚かなのは、宰相か、五王か……)


 ようやく国軍は、もはや手遅れとなった地方を切り捨て、王族の護衛に専念することにしたのだろう。

 フェラニカ率いる元聖教騎士団の万の軍勢はといえば、元帥の指示の下、教皇庁である本山の護衛に回されたらしいが、それはこちらにとってむしろ好都合だった。

 護衛という名目で、教皇庁内部の人間を逃亡させないように監視でき、教皇庁を頼ってきた聖職者たちを「外は危険だから」と、その場所へ封じ込める。

 暴徒からしてみれば寄り道せずにそこを目指せばいいのだから、逃げ場所だと思っている場所へ、彼らを封じ込めたのも同然だった。

「貴族院の貴族たちの間でも、さすがに教皇庁や五王に対する不満が高まっており、とうとう五王は非難の矛先逸らすため、死んだセルベク様に侯爵位を贈る手筈を進めていると」

 これにはハンも内心苦笑した。

 もはや国も手段は選んでいられなくなったのだろう。

「それだけではありません。一大穀物地域であるダガル州、ライゼル州を下賜すると大々的に吹聴しております」


(苦肉の策というやつか)


 セルベクの封地であったヴァルキシュ地方と実家であるアルザスは、その襲撃から外すように誘導してある。

 彼らもそこに目を付けたのだ。

 穀物地帯が狙われれば、国全体が食糧危機に陥りかねないが、下賜したとなれば、暴徒もそれを襲わなくなるかもしれない――と、彼らも知恵を絞ったのだろう。

「奴らの小細工にのってやれ。全ては予定通りだ」

「はっ」

 すべてが順調だった。


(もうしばらく……。もうしばらくで、ボスの思った通りになる)


 ハンは一人、既に自分の中の未来を思い描いていた。




 教皇庁では、ソルデ教皇が憔悴しきっていた。

 ソルデ教皇だけではない。

 アラディス主席枢機卿以下、四卿も打つ手を失って呆然としていた。


(なぜこのようなことになったのか……)


 セルベクを幽閉したまでは良かった。

 まさか暴動が起こるなどとは思いもしなかったが、そのうち国軍が収めてくれるものと高を括っていた。

 そのうちにセルベクが観念して、聖典の在処を吐けば良し。

 そうでなくても、放置しておけば良いぐらいの気持ちでいたのだ。


(五王は我々を見捨ておった……!)


 国がセルベクに対して爵位を贈り、穀物地域を下賜した頃から状況が変わってきた。

 国は爵位を贈っただけで、穀物地域には今まで通り国の役人が取り仕切り、“守護聖人セルベクの墓地管理費”という名目の下、すべての穀物はこれまで通り、王家に入るように仕向けていたものの、それでも二州には暴徒が一切入らなくなった。

 この民衆の動きに貴族院の貴族たちも目をつけ、自家の二男三男を、もはや死んでいるはずのセルベクの弟子という形で、教会に申し入れ、師弟制度を利用し始めた。

 すると、これもまた効果的で、民衆は貴族の館を襲わなくなり、商人や教会以外は、襲わなくなった。

 こうなると商人たちが黙っておらず、少なくない金額をアルザン家を通して亡きセルベクに寄進して、自分たちは敵ではないと必死にアピールする。

 そして遂に暴徒の矛先は、教会に絞られてしまったのである。

 暴徒の波は各地の教会を破壊し、ますます地方の聖職者達は追われ、助けを求めに来た聖職者で、教皇庁は既にあふれ返っている。

 だが、表面上は助けを求めに来た彼らもまた、巷に流れている噂のせいで、教皇たちを内心恨んでいるのは明白であった。

 既に、ソルデ教皇は恐慌にきたしつつあった。

 なぜこうなったのか、何を間違えたのか、どうすればよかったのか、そればかりが頭を駆け巡り、憔悴してゆく。

 自慢であった白いひげに艶はなく、眼の下には黒い隈ができていた。

「猊下。恐れながら……」

 そう言って傍に来た枢機卿の一人に見覚えはなかったが、もはやソルデ教皇はそんな彼を遮る気力すら残っていなかった。

「暴徒と化した民衆が合流し、矛先をここに押し寄せるのは時間の問題です。国軍が防衛しているとはいえ、彼らの一部もいつ寝返るとも限りません。こうなっては、我々の命すらあやういのです。そうなる前に、セルベクの幽閉を解いてはいかがでしょうか?」

 彼の発言を一度で理解できなかったソルデ教皇は、首を横に振った。

「何を愚かなことを……。奴は死んだのだぞ? それを嘘だったと自ら公表するのか? さらなる反感を買うだけではないか」

「神の御慈悲により、復活したことにすれば良いのです。もともと奴は守護聖人……。そのような奇跡があっても民衆は素直に受け入れるでしょう」

「奇跡か……。しかし、それでこれほどまでに図に乗った暴徒どもは、手を引くだろうか?」

「そもそもの発端はそこなのです。納得しないのであれば、セルベク自ら矢面に立たせれば良いではありませんか。これまでの暴徒の動きをご存じでしょう? セルベクが関わるものを支持すれば、暴徒はそれには手を出さなかった。だからこそ今、教会に非難が集中しているのです。そこにセルベク本人が現れれば、効果がないはずがありません」

「なるほど……。良かろう。卿に任せる。うまくやってみせろ」

「御意!」

 憔悴しきったソルデ教皇は深く考えず、言質を与える。

 そしてその時、彼に進言したその枢機卿の眼が暗く光るのを、ソルデ教皇は見落としていた。


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