第46話 主の不在
『守護聖人セルベクは、奪還した聖地より帰還する際、異教徒に襲撃され、果敢に戦うも異教徒指揮官の命と引き換えに、自らもその命を落とした――。』
教皇庁が民衆に流布した筋書きは大体にしてそんな内容だったが、もちろん、ハンはそれを素直に受け取りはしなかった。
陳腐な筋書きだ。
セルベクが命を落としたという話を聞いた瞬間、ハンの直感はそれが嘘だと告げていた。
(杞憂が現実になった……)
セルベクが発ってしばらく後、マラエヴァは今回聖地奪還で制圧した旧カザール国領土一帯を王として支配することを命じられていた。
土地としてはかなりの広さになるとはいえ、未だ制圧されていないカザール国領土と隣接している上、領地は制圧したばかりで不安定なばかり。
その地の王といえば聞こえはいいが、今後、カザール国内のロモン教徒たちからの巻き返しがあることは必至で、要はマラエヴァもまた、五王や重臣たちに疎まれ、事実上、厄介払いをされたのだった。
セルベクは教会にとって出る杭であり、マラエヴァは五王にとってそうであったということだ。
そして、制圧した領土一帯の支配者がマラエヴァに決まったことにより、聖教騎士団はそこにとどまる理由がなくなり、セルベク不在のまま、ヴァルキシュ地方に引き上げざるを得なくなった。
しかし、このままではすまないのは明白だった。
聖教騎士団の兵のほとんどが、セルベクの徒弟として増強された者で構成されていたため、手を打たなければ、彼らを全て教会側に横取りされてしまう可能性がある。
ハンは自らの部下たちが持ち寄ってきた情報を照合しながら、次に打つべき手を思案していた。
そこへ足音高く、誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。
(面倒なのが来たな……)
足音の調子から、ハンはその人物が誰であるのか、すぐに分かった。
そして、開かれた扉から現われたのは、予想通りの人物。
「おい、ハン! どうなっている!?」
そう声をあげたフェラニカの顔は、怒りに満ちている。
うんざりした気持ちを表情に出さず、ハンは無表情のままフェラニカの方を見た。
「何のことだ?」
「とぼけるな! セルベクのことに決まっている。王都ではセルベクは死んだという話が流れていると聞いた。一体、どういうなっている!?」
「今、そのための策を講じているところだ。今回のことは全て、教皇側の謀。ボスが聖地を出るときに乗っていた悪趣味な馬車も、無傷で見つかっている。国境付近で乗り換えたようだが、ボスの乗っていた馬車が襲撃に遭ったこと自体が虚偽だ」
「では、セルベクは……?」
「ボスは生きている。今、教皇庁内部の人間と接触を図っているところだ。所在もじきに分かる」
「そうか……」
ホッとした表情を見せたのも束の間、フェラニカはまたすぐに顔をあげて、ハンに詰め寄った。
「しかし、急がなければ殺されるのではないのか?」
「ボスが事前に手を打っている。当面は問題ないはずだ。それよりも、自分の役割を果たせ。――ボスが戻るまでは、オレの指示に従ってもらう。いいな?」
ハンが念を押すと、嫌なことを聞いたと言わんばかりにフェラニカは顔をしかめたが、渋々頷いた。
「ああ、分かっている」
フェラニカは易々とセルベク以外の人間の命令に従うような人間ではないが、有事の際、セルベクが不在の場合にはハンが全権を任されていることは、彼女もよく知っていた。
彼女はハンを嫌っていることは明白なのだが、セルベクの指示には従う。
「これから旗下の聖教騎士団員全員を連れて、還俗しろ。そしてそのまま、ゾルニク元帥の傘下に入れ」
「馬鹿な! そんなにすぐに還俗できるものか!」
「少しは黙って聞け。――通常の手続きで還俗する必要はない。正規に手続きを踏んで還俗したという証拠があればいい。従軍しているそこらの司祭を脅してでも、還俗の証拠を作れ。元帥の傘下に入るのも同じことだ」
不服そうなフェラニカの顔を見ていると次第に苛々してくるが、ハンはそれも表情には出さないようにした。
(ボスはよくもこの女を部下として使っているものだ)
以前からハンはフェラニカとそりが合わないと気づいていたが、セルベクがいる間は、それでも調和が保たれていた。
「言われた通りに動け。でなければ、聖教騎士団は丸ごと教会側の手に落ちる。どんな手を使うかぐらいは、自分で考えろ」
「ちっ……! 言われなくてもそうする! 話はそれだけか!?」
「ジャイルには聖教騎士団の全財産と、金山の権利書を持って隠れるように言ってある。奴に話があるなら、先につけておくことだ」
「だが、教会の眼が届かぬ地などないぞ?」
(ちっ! これだから貴族のお嬢様は……)
内心舌打ちしながらも、ハンは辛抱強く話を続けた。
「裏の世界にはいくらでも身を隠す場所がある。そんな心配は無用だ。……用がすんだらさっさと行け。万が一、段取り通りにいかなければ、すぐに連絡をしろ」
フェラニカは鋭い表情でハンをにらみ、そして吐き捨てた。
「お前に頼るぐらいなら、地獄の死神に頼った方がまだマシだな。――自分の役割ぐらいはちゃんと果たす。心配無用だ」
言うなり身を翻し、フェラニカはまた足音高く部屋を出て行った。
(やれやれ、だ)
そして、彼女と入れ違いに、腰を曲げた司祭の男がするりと部屋に入ってきた。
ハンはその司祭の男にちらりと視線をやる。
腰を曲げ、鬚を蓄えた男は一見初老のように見えるが、よくよく観察していれば、彼の眼光の鋭さ、そしてうつむき加減にして隠しているその肌の張りから、彼がまだ若いことに気付くだろう。
「お呼びで?」
奇妙にしわがれた声で、男はそう言った。
「ああ。――ここには誰もいない。楽にしていいぞ」
ハンがそう言うと、男は「ううむ」と唸って曲げていた腰を伸ばすと、ハンと同じぐらいの目線の高さになった。
「あー……。ようやく私の出番というわけですか?」
「そうだ、ゼシュラム」
すると、司祭姿に付け髭姿のゼシュラムは、にやりと笑みを浮かべた。
ゼシュラム。
彼は農民たちを扇動し、ライツア五王国内に反乱を引き起こした、あの革命家だ。
巷では死亡説が流れ、この世からいなくなったような扱いを受けていたが、国から正式に死亡が発表されてはいない。
反乱の後、ハンが裏社会に潜んでいた彼を見つけ、セルベクの指示で長らく彼を匿っていたのだった。
「これからお前にはまた革命を起こしてもらう」
ハンの言葉に、ゼシュラムは嬉しげに笑みを浮かべた。
「ほほう……」
下級貴族、そして農民から支持を受けた革命家ゼシュラム。
だが、彼と話すうち、その本質はそれほど崇高なものではなかったことに、ハンもセルベクも気付いた。
弁が立ち、思想を語ってはいたが、彼は国を根底から変えることを目的としていたのではない。
彼は革命を起こすこと、革命を成功させること自体に酔っている男だった。
しかも、本人にその自覚は薄い。
本当にこの国を変えたいのならば、俺の下に来ればいい――と、セルベクがゼシュラムを誘い、行き場を失っていたゼシュラムもそれに従った。
「予言の書には、教会の崇高な者が各地に起こる暴動を治める、とある。どうとでも取れる一文だが、これを利用する」
「それはまた……。私は予言の書に登場できるというわけですか」
「そう思いたければ、思えばいい。守護聖人である我らがボスは、腐敗した教会を憂いていた。教会の清浄化を図ろうとしたボスを目障りだと考えた教皇以下教会の主だった者たちが、ボスを暗殺。今回の守護聖人の死は全て腐敗しきった教皇派の陰謀だった……という筋書きで、民衆を誘導してもらいたい」
「なるほど……。今、巷では守護聖人セルベク様の死を悼む声が多い。それでなくとも、彼は今やこの国の英雄となりつつありましたからね。それを利用するというわけですか」
ゼシュラムは立派な付け髭を撫でながら、ふむふむと半ば恍惚の表情で何度もうなずいた。
「いや、これは面白いな……。こう言ってはなんですが、セルベク様は良い素材だ。名を出せば、扇動はこの上なく容易い。これで国も教会も、大きく揺さぶられるというわけですな?」
「そうだ。お前の望むところだろう?」
「ふふふ……、確かに。貴方に……、いや、セルベク様に付いてきて良かった。――お任せあれ。私が見事、この反乱を成功させて見せましょう」
「最終的に成功はしない。いずれ鎮圧されなければ、予言の書とのつじつまが合わなくなる。ひとまずは教会に脅しがかけられればいい」
「――そうでした。いや、でも、それでもかまいませんよ。一度勢いのついた火は、なかなか消せませんからね」
薄ら笑いを浮かべながら、ゼシュラムはそう請け合って部屋を出て行った。
彼のゼシュラムの人心掌握の能力と、先の内乱で築き上げた人脈――、それらを活用すれば、彼の言う通り、この国で再び反乱を起こすことは難しくないだろう。
セルベクは最初からそういう彼に、利用価値があると見ていた。
今回のこの筋書きについても、ハンが考えたわけではない。
いずれ、こんなことが起こりうるということは、セルベクも覚悟していた。
その時のためにとセルベクがいくつかの策を、ハンに指示していたのだ。
ハンはそれを選ぶだけで良かった。
そして、この反乱の先にはまだ、ゼシュラムにも伝えていない筋書きが残っている。
(こんなことは――、ボス以外には思いつかないだろう)
セルベクが提示した策は、それほど大胆なものだった。
彼には少年時代から驚かされてばかりで、それは大人になった今も変わらない。
最初は彼を越えてやるつもりで、色々と無茶もやってきたものだが、指示が出るたびに、それはハンの予想を超えるものばかりだった。
そして、この人には到底勝てないとわかった時、ハンは彼の補佐に徹しようと心に誓った。
情を捨て、セルベクに見合うだけの人間になるために、走り続けてきた。
だが、セルベクの方は逆に、年を経るごとに情を見せるようになったが、それは周囲の人間を惹きつけるカリスマとなった。
彼がいればこその連帯感。
ハン、フェラニカ、ジャイルの連携は、セルベクという軸を中心に回っており、それは政敵であるはずのマラエヴァにも通じていた。
時には甘いと思うこともあったが、彼はその自らの情すら利用する狡猾さがある。
だからこそ、これまでの行為にも何らかの打算があるのだと考え、従ってきた。
(オレは、ボスの期待に応えなければならない……)
セルベクが唯一心から信頼しているのは、ただ一人。
だからこそ、今回のこの計画もハン一人が知っているのだ。
そう考えると、ハンの胸は震えた。




