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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
47/52

第45話 使者

 ラトス教の聖地とされた場所は、ただ広大な大地が広がり、丘の麓に小さな町があるだけの場所だった。

 なだらかな丘が延々と連なり、大地は白く乾いている。

 これといって何があるわけでもない。

 この大地を得るために、幾万もの兵が倒れ、息絶えた。

 そのきっかけを作ったのは俺自身。

 犠牲となった兵士たちは崇高な野望達成のために命を賭したのであり、後悔はしていない。

 だが、そう考えたとたんに、胸がまた痛む。


(彼らの死は、決して無駄にはならない……)


 俺は、開祖の生まれた地を眺めながらそう自分に言い聞かせた。

 世の中とは、大勢の弱者の上に、一握りの強者が立つことによって成り立っている。

 俺は強者となり、今のライツア五王国の在り方を根底から変えてやるのだ。


(――二度と後悔をしないために)


 ぐっと右の拳を握り締めると、爪が手のひらに食い込んだ。

 これでいい。

 間違いではない。

 そう心の中で繰り返す俺の頬を、乾いた風がなでていく。

 その時、遠方で砂埃を巻きあげて、こちらに向かってくる何ものかが見えた。


(馬……? 馬車だな。こんなところに……)


 だんだんと近づくにつれ、その馬車はこの国のものではないことが分かった。

 比較的実用的な馬車が多いカザール国ではお目にかからないような、派手な装飾が施されているからだ。

 俺は馬首を巡らせ、見晴らしのいいその場所をあとにした。



 数刻の後、俺が遠目に見たあの馬車は、本隊が駐留する場所までやって来た。

「教皇庁からの御使者だそうです。セルベク枢機卿に火急の用向きがあると」

「――分かった。すぐに行く」

 俺は服装を整え、使者が待たされている天幕へ向かったが、その途中、少し離れた場所に四頭立ての立派な馬車が止まっているのが見えた。

 この場所に不釣り合いな、装飾過剰の派手な馬車。

 カザール国内を往来するには目立ちすぎる気がするが、国内で安穏としている教皇庁の人間たちは、そんなことまで思いもしなかったのだろう。

 どうせ「制圧された道を辿るのだから、問題ない」とでも言ったのに違いない。

 天幕に入ると見慣れない司教の男が二人、待ち構えていた。

 俺の姿を見るなり、立ち上がって慇懃に頭を下げる。

「セルベク枢機卿……! この度は聖地奪還、誠におめでたく存じます! 教会だけでなく、国全体がこの度の偉業に沸き立っております!」

 追従なのか、本心なのか、使者の一人はやや疲れた表情ながらも、興奮気味にそう言った。

 さらに、もう一人の使者も負けじと口を開く。

「特に、民衆は開祖生誕の日のように祝杯を挙げております。王都に限らず、王都から遠く離れた辺境の小さな町に至るまで、聖誕日さながらですよ!」

 俺はそれを冷めた気持ちで眺めていた。

「――そうか。で、用件は?」

「は……! では、その、少し人払いを願えませんか?」

 男は周囲に立つ俺の護衛の者たちをちらちらと見て言った。

 こんなところまでわざわざ教皇庁が人を寄こすといえば、やはりまともな用向きではないらしい。

「良かろう」

 俺が合図をすると、護衛の者たちはぞろぞろと天幕を出て行く。

 そんな彼らに使者の男二人は、丁寧に頭を下げていた。

「お心遣い、痛み入ります」

 そして俺の背後にはいつの間に来たのか、ハンだけが静かに立っていた。

「あのう……」

「気にすることはない。彼は俺の腹心だ。秘密は外部には漏れん」

「はあ……」

 困った様子で顔を見合わせた二人の使者は、俺が譲らないのを見てとったのか、諦めたようにうなずき合った。

「実は……、これは内々のお話ですので他言無用に願いたいのですが、猊下がお倒れになりまして」

「何……!?」


(ソルデ教皇が倒れた……)


 それは予想外の出来事だ。

「医者の見立てでは、お命に別条はないということなのですが、未だ意識が戻らず、また、意識が戻ったとしても、教皇というお立場で激務をこなされることはもはや難しいと」


(あの教皇が……。分からないものだ)


 こうなってくると、教皇の娘ザーラとの婚姻自体、考えなおさなければならないかもしれない。

 退位するソルデ教皇にどれだけの価値が残っているか。

「それで?」

「……はい。それを受けて、まもなく枢機院で大会議が開かれることになりました」

 枢機院の大会議とは、枢機院に所属する全ての枢機卿が集まる大々的な会議のことだ。

 教皇庁内には位階とは別に様々な役職があり、それを決めるのに通常は大会議まで開く必要はない。

 だが、今回は教皇という地位が関わっている性質上、他の役職についている人間も大幅に移動させるつもりだろう。

 誰の主導かまでは分からないが、誰もがその権力拡大を狙っているはずだ。

「猊下は、ご自身に何かあった時にはセルベク枢機卿を後任に推すようにと我々に申しつけておりましたので、こうしてお迎えにあがった次第なのです」

「猊下が、私を?」

「はい。将来の娘婿となるお人であるから、と」

 要するに、彼らは教皇庁からの使者というわけではなく、教皇自身の個人的な使者ということか。


(あのソルデ教皇が、俺を後任に推すとは……。俄かに受け入れ難いが、やはり娘ザーラの影響が大きいのか?)


 しかし、これはかなりの幸運だ。

 ここでソルデ教皇の派閥全てを取り込み、上にのし上がることができれば一気に道は短縮される。

「分かった。だが、駐留している軍はどうする?」

「それはどなたかにお任せください。軍全体が引き上げるのを待っていては、大会議に到底間に合いません。他の枢機卿たちは待ってくれないでしょうから」

 指揮官となる自分がこの場を離れることには抵抗を感じるが、この際仕方がない。

 既に聖地は奪還し、功績はあげた。

 事後処理は残っているが、それはマラエヴァに任せれば問題ないだろう。

 聖教騎士団はハンかフェラニカに任せればいい。

「いつ発つ?」

「できましたら、すぐにでも」

「部下に事後処理を託さなければならない。出発は明朝。それまでに準備をすませる」

「分かりました。ではそのように。……ただ、くれぐれも猊下の病状のことはご内密に願います。混乱を招きかねませんので」



 使者を別の天幕で休ませ、俺はフェラニカを呼んだ。

「教皇庁からの使者――?」

「正確には、ソルデ教皇の使者だ。正式な使者ではない。他の枢機卿たちは、功績をあげた俺抜きで話を進めたいだろうからな」

「いよいよ機会が巡って来たってわけだな」

 フェラニカはにやりと笑った。

「下準備がない現状で、教皇の派閥の人間を取りこめたとしても、どこまでやれるかは分らないが、やれるだけの手は打とうと思う」

「では、オレも一緒に行きましょう」

 それまで黙っていたハンが、きっぱりと言った。

「いや……。ハンには事後処理を頼みたい。聖教騎士団はフェラニカに任せるが、マラエヴァや諸侯との調整が必要になってくる。明朝出発となれば、俺はそこまでのことができない。俺の代わりに、しばらく残って後を頼む。それがひと段落したら、王都へ来てくれ」

「分かりました」

 すると、ふとフェラニカが眉をひそめた。

「奴ら、よりによって派手な馬車で来ている。制圧した地域を通るとはいえ、道中、気を抜くなよ?」

「ああ――。だが、もし何かあった場合は、頼む」

 マラエヴァの時のように。

「カザールも今や骨抜きだが、もしも何かあった場合は、私が助けに行ってやる。心配するな」

 フェラニカはいつまでたっても変わらない――。

 俺はそんな彼女の態度に、軽く笑った。




 翌朝、馬車はかなりの速度で、制圧した州を通りながら王都への道のりを進んだ。

 制圧は順調に進んだとはいえ、進軍する時はかなり時間をかけていたのが、馬車で通過するとなると、それはあっという間のことのように思えた。

 カザール国とライツア五王国の国境近くの町に来ると、別の馬車が待ち構えていた。

「こちらの馬車に乗り換えてください」

 それは、今まで乗ってきた馬車とは違い、地味な一般的な馬車だった。

「どういうことだ?」

「他の派閥の者たちに、セルベク枢機卿の御帰還を悟られれば、どんな妨害を受けるとも限りません。お倒れになる前、猊下はセルベク枢機卿を娘婿に迎えると周囲にも漏らしておられましたから。ここまでは、聖地奪還軍の制圧した地域を通りやすくするために教会の馬車を使って参りましたが、これからは国内に入ります。ひとまず猊下のお屋敷に向かいますが、どうかお顔をお出しになりませんように」

「分かった」

 簡素ではあったが、造りはしっかりした馬車だった。

 窓を閉め切った馬車はそのまま、王都へと向かう。

 今回の段取りを誰が決めたのか、使者たちは具体的には知らないと言ったが、ソルデ教皇の下にもそれなりの人物がいるらしい。

 さすがに教皇の派閥の人間ともなると、他の枢機卿たちを出し抜く術も考えるものだ。

 大会議の前に、俺はその人物に会ってみようと考えた。

 これほど目端が利く人物ならば、多少役には立つだろう。




 王都に着いた俺は、使者と共に教皇庁へと向かった。

 ソルデ教皇の住まいは教皇庁内部にあり、それに従う者たちもそこに集まっているのだろう。

 馬車は人目を避け、特別な経路を辿って教皇庁の敷地へと滑りこんだ。


(ここは、教皇専用の裏道だな……)


 教皇庁内の図面は随分前に頭に入れてはいたが、実際に足を踏み入れるのは初めてだった。

「こちらから、どうぞ」

 使者が馬車の扉を開く。

 建物の入り口付近には別の司教が一人、待っていた。

「私がご案内致します。人目を避けて参りますので、多少ご不便をおかけいたしますが、ご容赦下さい」

 低い声でそう言った案内の司教に頷き、俺は後に従った。

 案内の司教は慣れた足取りで廊下を歩いて行く。

 そこは普段通ることのない通路で、その通路上、人とすれ違うことはなかった。

 しかし、歩いているうちに俺はふと気付く。

 てっきり教皇の私室に案内されるものと思っていたのだが、このまま進んで行けば――。

「どうぞ。皆様、こちらでお待ちでございます」

 そこは教皇が謁見を行う“教皇の間”の前だった。

 俺の警戒心は一気に高まったが、既に遅かった。

 背後には複数の衛兵が控え、扉は既にゆっくりと開かれようとしていた。

 そして、開かれた扉の向こうで、百を数える枢機卿たちが一斉に振り返り、割れんばかりの拍手が起きた。


(これは一体どういうことだ……!?)


 居並ぶ枢機卿たちは笑みを浮かべている者もいれば、やや困惑したような顔、厳しい表情を浮かべる者や、憐みのような表情も見えたが、皆一様に拍手をしている。

 俺は困惑する気持ちを押し隠し、ただ目の前に延びた赤い絨毯の上をゆっくりと歩き始めた。

 部屋に入った瞬間、その視線の先にソルデ教皇の姿が見えた。


(病に臥せっていたのではなかったのか……?)


 ソルデ教皇の左右には、主席枢機卿を筆頭に教皇を補佐する次席枢機卿、法務枢機卿、聖務枢機卿が控えている。

 俺は立ち止まることもできず、そのまま教皇の近くまで歩み進めた。

 ソルデ教皇は、黄金と宝石に彩られた、象牙の白い笏を振りかざすと、厳かに口を開く。

「セルベク助祭枢機卿よ。よくぞ聖地を奪還し、また数多いる異教徒どもを征伐してきた。その功により、司教枢機卿に任ずる」

「ありがたきお言葉……」

 そう答えながらも、俺は目の前にいるソルデ教皇に病気の兆候を探したが、以前と何ら変わりのないように見えた。

 すると、白い立派なひげを生やした法務枢機卿が口を開く。

「五王もそなたの偉業を湛え、子爵の位を与えると言っておる」

「は……」

「もっと喜べ。そなたは聖地を奪還した英雄。司祭枢機卿の位階を飛ばし、司教枢機卿になるのだぞ? それだけではない。国内では既に、そこいらの民草までもがそなたを称えておる。そなたの偉業をな。それらを祝い、数日後には祝いの聖祭を行ってやろう」

 教皇の言葉に、異議を唱える者はおろか、ざわめきすらあがらない。

 しかし、集まった枢機卿たちが俺と教皇のやりとりを注視している気配だけは、はっきりと感じられた。

「それは……、恐縮です、猊下。しかし、猊下。私は猊下がご病気と伺い、聖地奪還軍を置いて、急ぎここまで戻って参りました。ですが、猊下はお元気そうにお見受けします。これは一体どういうことでしょうか?」

 そうだ。

 病気と偽って俺を呼び寄せた理由。

 それは――。

 ソルデ教皇はにやりと笑った。

「のう、セルベク枢機卿よ。時に、他の聖典はどこにある?」

 柔和な表情を浮かべたソルデ教皇が身を乗り出すように、俺に向かって言った。

 だが、俺はもう、半ば状況を把握しつつあった。

 嵌められた――。

「何のことでしょうか?」

 俺は肝が冷えるのを感じながら、静かにそう応えた。

 腕には自信があるが、数で押されては、一人でどこまで抵抗できるか……。

 するとソルデ教皇は声を落し、俺だけに聞こえるように囁いた。

「――セルベク枢機卿よ。外には衛兵が山ほどおる。そなたは容姿に見合わず、腕が立つと聞いたからの。無駄な抵抗はしないことだ。……そなたは少しばかり目立ちすぎたのだ。なに、心配しなくても卿は本日より死者となる。聖人は死者と決まっておるからな」

「く……!!」

「道中、そなたに死んでもらっても良かったのだ……。しかし、そなたが他の聖典の在処を知っていると耳にしてな。教えるのならば、命だけは助けてやっても良い」

 他の聖典は無論、存在しない。

 それはもしものために、俺があらかじめ打っておいた布石だった。

 俺が目障りになった場合、なんらかの形で教会側は俺を消そうとする可能性を考えて、他の聖典の存在をそれとなくほのめかしておいたのだ。

 他の聖典が存在するとなれば、彼らはそれを欲する。


(しかし、それを今、教えるべきじゃない)


 俺は直感的にそう思った。

 偽造はできる。

 だが、それをソルデ教皇が手にすれば、俺は間違いなく消されるだろう。

「仮に知っていたとして、それを今お前たちに教えるほど、俺も愚かじゃない」

 俺の態度に、ソルデ教皇の顔は一気に険しくなった。

「恩知らずめが! 教皇庁を敵に回すつもりか!」

 今度はアラディス主席枢機卿が怒鳴る。

「――空気の読めぬ男よ。聖典の在処を素直に吐けば、それなりの位階をやるというのに」

 果たして、本当にそうだろうか?

 俺の直感は否と言っていた。

 ソルデ教皇は大仰にため息をつくと、憎々しげに俺を見る。

「祖父が祖父なら、孫も孫よな。……話す気がないのなら、良い。教皇庁の牢獄の中で、ゆっくりと頭を冷やせ。――そなたはこれより死者となる。王都に帰還する途中、異教徒に襲われ、命を落とした。守護聖人にふさわしい筋書きであろう? 故に、そなたはこの地上に存在せぬ偽者よ。偽者に憐れみをかける者などおらぬ。朽ち果てるまで牢獄で暮らすか、聖典の在処を素直に吐くか……。なに、時間はたっぷりとある。存分に頭を悩ますが良いぞ」

 そう言うと教皇は顔をぐっとあげ、集まった枢機卿たちに向かって宣言を始めた。

「セルベク枢機卿は守護聖人として、国と教会の為に殉死し、神のもとに身を捧げた!」

「御意!!」

 こだまする枢機卿の声。

「セルベク枢機卿は最早、地上にはおらぬ! ここにおるのはセルベク枢機卿を名乗る偽物よ!」

 すると心得たように、アラディス主席枢機卿が声をあげた。

「誰かおらぬか! ここに別人の名を語る不届き者がおる! 聖人を騙る偽物は“嘆きの監獄行き”と決まっておる。捕え、監獄へ放り込んでおけ!」

 すると、廊下からばらばらと兵たちが入りこんできた。

 目の前にはソルデ教皇がいる。

 一瞬、彼を人質にとって抵抗することも考えたが、それでは一時的に優位になれても、これまでの全てが無駄になる。

 俺は黙って、彼らのなすがままになった。

 ソルデ教皇は先程まで一切見せなかった冷酷な表情で、静かに言った。

「……偽物を連れて行け」

「はっ!!」


(読み誤ったか……)


 教皇庁にある“嘆きの監獄”と呼ばれる冷たい石の塔に、俺は幽閉された。


(枢機卿たち全てが、今回のことに完全に賛同したというわけではないはずだ……)


 それは部屋に入って来た時の表情で分かった。

 教皇派以外の派閥の者たちもそれなりの人数がいるはずだが、しかし、その反対派閥の枢機卿ですら、俺を幽閉することに異を唱えなかったということは、それだけ教皇の権力と根回しがあったということだろう。

 俺は少し、教皇を甘く見すぎていたようだ。

 だが――。

 例え民衆や下位の聖職者たちが俺の死を信じたとしても、ハンは真実に気づくだろう。

 打てる手はすべて打ってきた。

 あとは……。


(ハン、お前の手腕に期待しているぞ)


 そして、必ず報復してやる。

 それがたとえ教皇であっても、だ。

 俺は牢獄の中で一人、不敵な笑みを浮かべていた。


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