第44話 聖地奪還②
発端は宗教的意義を持つ戦争だった聖地奪還ではあるが、それは既に国同士の戦争へと発展していた。
宗教的観点からすれば、聖地のみ奪還すればいいだけの話なのだが、実際はそんなことができるはずもない。
聖地までの道のりにあたる州を制圧し、その地域を支配しなければならず、それは領土の争奪と何ら変わることはないのだから。
だからこそ俺は、制圧後に再び反旗を翻してきたギシャル城塞都市を除いて、制圧した州では、異教徒であるにも関わらず、寛大な処置で済ませてきた。
制圧後の支配をしやすくするために。
ドールン王という切札を手にして提案した会戦に、アメルス王太子は応じる姿勢を見せてきた。
「やはり乗ってきたな」
ここでドールン王を見殺しにすれば、彼の信用は地に落ちる。
「だが、本当にいいのか? ドールン王を返してしまっても。本国に送って、さらに利用するという手もある」
マラエヴァの問いかけに、俺は首を横に振った。
ドールン王は、開戦前にアメルス王太子側に丁重に送り返す手筈になっている。
「欲をかくと足元をすくわれる。今回はあくまで会戦交渉のためのカードだからな」
「そうか。――今の指揮官はお前だ。好きにすると良い」
ドールン王だけではない。
既にカザール国太守たちの間では、まことしやかにこんな噂が流れているはずだ。
『アメルス王太子は各州兵を動員して国を守るように動いているが、それは次への布石にすぎないのだ。王太子の本当の目的は、各州の州兵を国軍として召し上げて自治権を弱め、さらにはその権限の大半を王に戻すことにある』
もっともらしい噂。
真実であってもおかしくはないが、アメルス王太子の心中までは俺には分からない。
どちらにせよ、これで各州の太守がアメルス王太子に非協力的になればそれでいい。
各州の太守が州兵をこぞって動員すれば、さすがに勝ち目がないからだ。
「聖地奪還――。これを成せば、お前もこの国の宗教史に名が残るな」
マラエヴァが冗談か本気かわからないような表情で言った。
「名を残したいとは思っていない。そんなことのためにやっているわけじゃない。それはマラエヴァも同じだろう?」
「それはそうだな。俺もそんなことに興味はない」
マラエヴァにとって意味があるのは覇王になること――ではないだろうか?
俺はふとそう思った。
「どうだ? 本気でメリッサを娶る気はないのか?」
俺は思わずマラエヴァを見た。
大事な会戦を前に、そんなことは頭の片隅にもなかったからだ。
「無理だ。この戦争が終われば、猊下の御息女を娶る話が既に決まっている」
「教皇の娘か」
もう、この道を戻ることはできない。
メリッサと共に歩む未来など、俺にはないのだ。
「お前が望むなら、妾でもかまわんぞ?」
自分の妹すら政略の駒扱いをするマラエヴァの、その真意はどこにある?
ソルデ教皇の娘を娶った上で、王族の血筋にあたるメリッサも引き取ればどうなるか。
それはどちらも強力なパイプとなるだろうが、そんな俺を配下に入れ、マラエヴァは教会とも王族とも張り合える、第三勢力を築くつもりでいるのかもしれない。
「遠慮しておく。ようやく彼女とは縁がなかったと諦めたところなんだ」
俺はまるで政略的な意味を解さない様子で言ってやった。
それをマラエヴァが気づいていないとは思わないが。
「無理に勧めたところで、無駄か」
マラエヴァはそっけなくそう言う――、まるでどこにでもある結婚話のように。
しかし、その頭の中には既に、戦後の政略が渦巻いていることだろう。
「まずはこの戦いで勝つことだ」
俺がそう言うと、マラエヴァも重々しくうなずいた。
マラエヴァにはいろいろと嵌められたが、ここまでの予想以上の速さでの侵攻も、彼がいたからこそ実現できた。
俺一人の力では諸侯を纏めきることはできなかっただろうが、マラエヴァ救出を機に、聖地奪還軍が一つにまとまった。
そういう意味でも、マラエヴァを救ったことは間違いではなかったのだ。
アメルス王太子は、この会戦に二十万の軍を引き連れてきた。
聖地奪還軍が十万の軍であることを思えば倍の数にあたる大軍だが、それでもカザール国内の州兵の数を考えれば、その数は異様に少ないと言える。
思った以上に例の噂の効果が出ていた。
カザール軍の浮沈は太守や州兵を取りまとめているアメルス王太子の手腕ひとつにかかっている。
逆に言えば、彼さえ取り除けば、烏合の衆となり果てる可能性が高い。
そこが狙い目だった。
「正面はマラエヴァに任せる。俺は聖教騎士団を率いて側面に回る」
「お前が中央の指揮をとらなくていいのか?」
「他軍に比べて聖教騎士団は機動力が高い。側面から回って王太子のいる本陣に迫るつもりだ。――諸侯の取りまとめはマラエヴァの方がいいだろう」
「――なるほど。まあ、お前にはまた借りを作ってしまったからな。ここで返しておくか」
マラエヴァは俺の意図に気づいてうなずいたが、実際はそう簡単にはいかないはずだ。
今や聖地奪還軍は幾多の戦いを経て成長し、かなり精強な軍隊になっているとはいえ、敵の数は我が軍の二倍。
正面からぶつかれば、明らかに劣勢となる。
「本陣を叩くまで敵軍を引きつけておけばよいのだろう? それぐらいの時間は稼げるだろう。――お前が失敗しない限りは」
「ならば問題はないな」
俺が間髪入れずにそう言うと、マラエヴァは珍しく口元に笑みを浮かべて拳を握った。
その拳に、俺は軽く自分の拳をぶつける。
奇妙な感覚だった。
国に帰れば政敵だが、今は共闘する戦友でもある。
あれほど互いに足を引っ張り合っても、それでもマラエヴァと俺はどこかでつながっているのかもしれない――、そんな錯覚を覚えさえした。
だが、そんなものが幻想にすぎないことは、マラエヴァも俺もよく分かっていた。
マラエヴァの家臣ディングは、躍動する心臓の音を感じながら、目の前に布陣する大軍を眺めていた。
翻る赤きラトス教の旗。
鉄製の鎧を身に纏った聖地奪還軍は、太陽の光をあびて銀色に光輝いている。
対するカザールの軍勢は色とりどりの州の旗を翻してはいるものの、皮鎧であるために、遠目から見れば蟻の群れのようだった。
それはとてつもなく数の多い、厄介な蟻の群れではあるが。
「さすがにここからでは、王太子の旗は見えませんな」
ディングは振り返って、馬上のマラエヴァに声をかけた。
金の鎧姿のマラエヴァは、どんな時でも威風堂々とあり、ディングの心を鼓舞する。
彼を非情だという者もいるが、ディングは、それも必要なことだと思っている。
むしろ誰よりもマラエヴァの傍で、その非情さを目の当たりにしてきたのはディング自身であった。
高貴でありながら、時に非情であらねばならないのは、王たるものの常ではないのか?
ディングはいずれ、マラエヴァがその地位に立つことを、他の誰よりも望んでいた。
「奴はやると言ったらやるだろう。お前が心配することではない」
マラエヴァは静かにそう応えた。
奴とは、セルベク枢機卿のことだ。
「――見捨てられても文句は言えない状況ではあった。それを救われたのだから、今回は俺の負けだ」
マラエヴァの言葉に、ディングは思わず目を見開く。
矜持の強いマラエヴァが自ら負けを認めるとは、ディングにとっては天地が逆転するほどの驚きだった。
セルベク枢機卿とは反目しながらも、共闘してきた――、不思議な関係だとディングは思いを巡らせる。
「それにしても、危険な役回りをお受けになられましたな」
「奴には借りがある。……それに、聖教騎士団を別動に回すのであれば、我々が正面を引き受けるしかあるまい? 聖教騎士団は今や聖地奪還軍の中で最も精強な部隊であるのは紛れもない事実だ。これを敵中枢にぶつけるのは理に適っている」
「よろしかったのですか? 功績が……」
「ここで王太子の首級を挙げることだけが、功績ではない。無駄話はそのくらいにしておけ、ディング。諸侯の兵を率いて、前に出ろ。兵に疲れが見えたら直ちに後方と入れ替え、敵を引きつけて時間を稼ぐ。兵の負担を軽くしておけよ」
「お任せください」
「メルズ! 状況を見て、別動隊を率いて両翼を攻撃。深追いはしなくていい。側面に向かっている聖教騎士団が突撃した時に敵が油断するよう、あらかじめ布石をしておく。何度もやれば多少は陣形も崩れるだろう」
「はっ!」
マラエヴァは悠然としながらも、精神力の全てを目の前の敵に集中しているように見えた。
「余計なことは考えるな。この戦いに勝たなければ、あとには何も残らん」
その時、開戦のラッパが鳴り響き、乾いた風が砂埃を巻き上げていく。
やがて敵の大軍が地響きを立てて進軍を始める様子が見て取れた。
巨大な蟻の群れ。
ディングは腹の底に力をこめて、馬首を部隊の方へと向けた。
あちこちで聞こえる剣戟の音。
罵声、怒号……、そして、神への言葉。
一進一退の激戦が続いた。
敵がしびれを切らして、両脇から攻め入ろうと陣を広げた時。
俺は瞬時にこれが転換点になると睨み、後方に控えていた俺はフェラニカに指示を出した。
「フェラニカ! 聖教騎士団は、これより全力をもって敵の側面をつく! この一戦がすべてだ! 皆、命を惜しむなと伝えろ!!」
「おう!」
命には惜しむべき時と、捨てる覚悟で臨まなければならない時がある。
今はそういう時だ。
ここで倒れるようならば、所詮はその程度の運命であったということ。
俺は自ら先陣を切るべく、馬を駆けさせた。
守護聖人である俺が先頭に立つことで、聖教騎士団の士気はかつてないほどに高まる。
王太子がいる国軍を示す旗を目指し、聖教騎士団は敵側面へ突撃を開始した。
降り注ぐ雨のような矢。
鎧が矢を弾く金属音が響くが、俺は必死に手綱を握る。
カザール兵は列を揃え、円形の盾を押し立てているのが見えた。
俺は馬を叱咤し、一段と速度を上げ、強引に敵の盾に馬をぶつけると敵兵はよろめく。
楯の間から次々と槍が突き出されたが、旗下の兵たちも同様に次々と敵兵に衝突して、雪崩のように側面の一角を崩した。
それを突破口にし、聖教騎士団は中へと突き進む。
一切のためらいもなく俺を信じ、強い絆で結ばれた聖教騎士団は怯むことを知らない。
そういった兵は強い。
マラエヴァ旗下の部隊が何度も軽い攻撃を加えていたお陰で、突然犠牲を顧みずに深部にまで突撃を始めた精鋭に、敵軍は隊列を乱し、統一した反撃が繰り出せなくなった。
(最初で最後のチャンスだ――!)
付き従う聖教騎士団の兵が次々と倒れて行くのを目の端に捉えながらも、俺はさらに奥へ奥へと突き進んだ。
目指すはアメルス王太子の首のみ。
これで一気に流れが変わる――、いや、変えなければならない。
隊列を乱す兵たちの中で、俺はふと堅固に整列した集団を見つけた。
(あれに違いない……!)
むしろ隊列を乱していないからこそ、彼らが精鋭であり、部隊の中枢であることを物語っていた。
「あれを狙うぞ! ついて来い!」
腕を振り、馬首を転じると、いつの間にか左右にはフェラニカ率いる精鋭の姿があった。
もはや言葉は必要なく、そのまま速度を落とさずに隊列を組むと、アメルス王太子を守る兵を踏み倒す勢いで突き進んだ。
すると敵も即座に大盾を並び立てる。
後続の兵が馬で体当たりを食らわせるが、多少態勢を崩しただけで、彼らも堅固だった。
だが、二波、三波と怒涛のようにぶつかり続けると、ついに突破口が開ける。
(あの男か!!)
体格のいい側近の兵が取り囲む中心に佇む、どこか気品を感じさせる精悍な面立ちの男。
腰の剣に手をかけた彼の細身の体躯がゆらと揺れる。
「アメルス王太子……! その首、貰い受ける!!」
俺は剣を構え、遮ろうとした側近の兵士二人を切り払い、さらにアメルス王太子に迫った。
「貴様――!!」
俺の剣を受けたアメルス王太子は、必死の形相で俺を睨んだ。
王子を助けようと動くカザールの側近兵たちと、それを食い止めようとするフェラニカを筆頭とする聖教騎士団の精鋭部隊の者たちとが交える剣戟の音が響く。
その中にあって、ひたすら攻め続ける俺の剣を、アメルス王太子は必死の形相で耐え凌ぐ。
「筋はいいが、脆弱な剣だな」
悔しげに顔を歪めるアメルス王太子の顔の横を、俺の剣がかすめた。
「く……!」
アメルス王太子の剣筋は綺麗だが、戦場で命のやりとりを繰り返した剣ではない。
宮廷用の洗練された剣技――、そんな印象を受けた。
息のあがったアメルス王太子に、とどめを刺すべく、俺は一歩また一歩と彼との間を縮めた。
「私は……、私は王の剣となる人間だ……! 貴様らごとき異教徒に屈するなど……!」
俺はその言葉を聞いて、思わず彼を嘲った。
「王の剣、か。お前には王として全てを背負う気概というものが感じられない」
「何を……!」
反撃してきたアメルス王太子の剣を避け、俺は彼の利き腕を斬り落とした。
「うぐあ……!!」
アメルス王太子の腕から鮮血がほとばしり、返り血が俺の鎧を赤く染める。
王の剣――、それはつまり、父王の補佐になろうという程度の気概でしかないということだ。
それは明らかに、覇者足ろうとするマラエヴァや俺とは、一線を画すもの。
「その程度の覚悟では、俺の剣には勝てん」
彼の目には、ただ悔しさと苦痛しか映っていなかった。
「これで終わりだ」
未だ自分の最期を信じられないといった表情のアメルス王太子の首を、俺は迷わず切り落とした。
先程まで言葉を発していた彼の首がごろりと落ち、赤い血の噴水が辺りを染めた。
「アメルス王太子の首級を挙げたぞ――!」
背後でフェラニカの声が響く。
すると、周囲にどよめきが広まった。
州兵率いる太守たちの楔の役割を担っていたアメルス王太子を失ったカザール軍は瓦解、やがて敗走した。
カザール国全体の指揮系統も混乱。
国王は太守たちをまとめきれず、総力をあげて聖地奪還軍に立ち向こうことができないまま、聖地はライツア五王国の手に落ちたのであった。




