第42話 ギシャル城塞都市②
バルディル州を制圧したフェラニカは、事後処理を部下に任せ、五万の軍勢を率いてバルディル州を出立。
セルベク率いる本体部隊が辿ったのとは別ルートを使って、ヴァルゼ州にあるギシャル城塞都市を目指した。
心のどこかでフェラニカはずっと、セルベクがマラエヴァを見捨てるのではないかと疑っていた。
見捨てても当然なだけの理由は、あるといえばある。
中等部からマラエヴァを知っているフェラニカでさえ、長くセルベクの傍にいすぎたせいで、マラエヴァに対して敵愾心が芽生えている。
それでも――。
(それでも、セルベクはマラエヴァを見殺しにするべきではない)
マラエヴァを政敵とみなすことと、彼を見殺しにすることは、フェラニカの中では同じではなかった。
セルベクにそんな統治者にはなってもらいたくないという思いもある。
ふと、ハンの冷たい表情がフェラニカの頭をよぎった。
(ハンの奴――!)
ハンがセルベクを信奉しているのは、よく分かっている。
どういう経緯でセルベクが暗黒街の頂点に立つハンと知り合ったのかは知らないが、ハンはどこまでもセルベクに心酔し、彼の補佐に徹している。
しかし、フェラニカは心のどこかでずっと、ハンとは相容れないものがあると気づいていた。
マラエヴァのことで天幕を訪れた時、フェラニカは二人を見た瞬間、彼らがマラエヴァを見捨てようと考えているのではないかと直感的に思った。
セルベクは肯定しなかったが、ハンの表情は明らかに――いつもと変わらない無表情ではあったが――、どこか満足気でもあった。
それはマラエヴァを見捨てようとしているからではないかと思ったのだが――。
(杞憂に終わって良かった。マラエヴァはいずれ追い落せばいい。今、マラエヴァをこんな形で失うべきじゃない)
フェラニカは、セルベクの決断を思って、一人微笑んだ。
セルベクとて、悩んだのに違いないと思いながら。
珍しくフェラニカが思いを巡らせているところへ、先遣隊の伝令が戻って来る。
「フェラニカ大司教! 先遣隊より伝令です! レジェール州の州兵が、ギシャル城塞都市目指して進軍中とのことです!!」
それを聞いたフェラニカは思わず舌打ちする。
レジェール州はギシャル城塞都市のあるヴァルゼ州の隣にある。
ヴァルゼ州から出される救援要請は、ハンの指示の下、潰す手筈になっていたはずだが、どうやらうまくいかなかったらしい。
「ハンの奴め。大事なところで、し損じたな……!」
皮肉気に一人小さく呟くと、フェラニカは伝令兵を見据えた。
「規模は?」
「それが、およそ六万……!」
このまま進軍すれば、敵の援軍と正面からぶつかるのは避けられない。
しかも、この辺りは見渡す限り枯れた平地が続いており、奇襲のしようもなかった。
このまま援軍を見逃したとしても、セルベク率いる本隊は背後を突かれる。
ならば、到着は少し遅れるが、戦わざるを得まい。
「――面白いじゃないか」
緊張する伝令兵を前に、フェラニカは不敵に笑ってみせた。
ギシャル城塞都市を睨みながら、俺は伝令兵を今か今かと待っていた。
フェラニカ率いる軍の到着が遅すぎる。
もうそろそろヴァルゼ州周辺に到着していてもおかしくないはず――。
これ以上到着が遅れるようならば、フェラニカの軍を待たずにギシャル城塞都市の攻略に入らなければならないと俺は秘かに腹を決めていた。
本来ならば、東西の門を本体部隊で攻撃し、そこにカザール兵を集中させ、ハンが北門を開けやすい状況を作り、空いた北門から、フェラニカの軍勢が城塞内に入り、あとは一気に兵力差で叩きつぶすつもりだった。
しかし、これ以上待っていてはマラエヴァの処刑の日に間に合わないかもしれない。
(限界だな……)
そう思っていたところに、ようやくフェラニカ率いる軍から伝令兵が来た。
「申し上げます! 只今、フェラニカ大司教率いる軍はヴァルゼ州東部、カルス平原にてレジェール州の州兵と交戦中! 撃破次第、こちらに向かうとのことです!」
(援軍か――!)
ヴァルゼ州太守フェルダンから出された援軍要請はハン経由で全て潰したつもりでいたが、どうやら漏れがあったらしい。
予定が狂った。
しかも、別の伝令兵がさらに追い打ちをかける報告をもたらした。
「放浪の民より、たった今、知らせがありました。カザール国アメルス王太子が、挙兵したとのことです……!」
俺は今度こそ舌打ちした。
奴らはマラエヴァを囮に、こちらを叩くつもりだ。
(一度、引くか……? しかし、今引けば、マラエヴァは確実に助からない。――ならば、フェラニカの軍を待たずに、本隊だけでギシャル城塞都市を叩くしかない、か)
伝令によれば、王太子の軍はまだ王都を出立していないという。
とすれば、数週間は猶予があるだろう。
それまでに何としてでもギシャル城塞都市を陥落させる。
「すぐに総攻撃を開始する! 西門攻略にディング! 東門にメルズを指揮官として部隊を編成しろ!」
ディングもメルズも、マラエヴァ筆頭家臣だ。
マラエヴァを誰よりも奪還したい彼らの軍を先頭に立て、その指揮下に諸侯の軍をつかせる。
聖教騎士団はさらにその後方で待機。
そうして総攻撃が始まった。
マラエヴァを救うため、東西に振り分けられた二つの軍は懸命にギシャル城塞都市の東西門を攻め立てる。
ディングとメルズが抱く“マラエヴァ救出”に対する強い思いに、諸侯の軍も感化されていく。
マラエヴァという同胞であり英雄を救うと言う使命感、異教徒を倒すという強い信仰心――、そんなものが彼らを執念のように衝き動かし、猛攻撃を実現させていた。
兵数はこちらが圧倒的に多い。
しかし、執念で攻め落とせるほどギシャル城塞都市は脆くはなかった。
城壁から降り注ぐ大量の矢。
それにも負けず、攻め立てる聖地奪回軍。
これだけの大量の軍勢で攻め続けたが、ギシャル城塞都市は三日間経っても、その綻びが見えてこなかった。
(やはり、それほど甘くはないか――)
被害もそろそろ、全体の一割に到達しようとしている。
こうなると、やはり打開策としてフェラニカの軍の到着が待たれた。
ここで総兵力の半数を握っているフェラニカの軍がレジェール州からの援軍に負ければ、もはや後はない。
情報によれば、アメルス王太子率いる国軍はようやく王都を出立したという。
しかし、この情報をそのまま信じていいものかどうか。
ゆったりと準備をしていると偽装し、実は彼の本隊は既に出立している可能性もある。
アメルス王太子ならば、そのぐらいの工作をしていても不思議ではない。
そのことは考慮しておくべきだろう。
そうなると、さらに時間的な猶予はない。
「おい! カルス平原での戦況はどうなっている!」
「わ、わかりません! まだ報告は入っていません……!」
ハンはまだギシャル城塞都市の中に潜入したまま動かせない。
前線で戦っているマラエヴァの軍が消耗するのは悪いことではないが、しかし、これ以上の犠牲は今後の戦況にも影響する。
翌日の夜明け前。
城塞都市を超えた遠方から、待ちわびた一筋の狼煙があがるのが見えた。
「狼煙があがりました!!」
物見の兵士の声に、周囲がわっと湧く。
(来たか――!!)
それはフェラニカからの合図だった。
彼女がようやく到着したのだ。
対峙したレジェール州兵の規模を考えると、撃破したとしても、もっと日数がかかるかと思っていた。
だが、フェラニカは俺の予想を上回る速さで、ここまでたどり着いてくれた。
遥か遠方で、進軍のラッパが鳴り響く。
「東西両軍に合図を送れ! ここが勝負どころだ!」
「はっ!!」
東門西門に敵を引きつけなければ、さすがにハンの部隊も動けない。
そして、しばらく後、遠目から見ても一気に城塞内外の空気が変わるのが分かった。
とうとうハンの手引きにより、北門からフェラニカの軍勢が一気に城塞都市内へと流れ込んだのだ。
こうなると東西の門からの反撃もまばらになる。
この混乱に乗じて、既にハンはマラエヴァ救出に向かっているはず。
まだ混乱の渦にあるギシャル城塞都市内から、救出完了の合図である狼煙があがると、俺はすぐ様次の指示を出した。
「ギシャル城塞都市にいる異教徒全てを、抹殺せよ。――異教徒一人の死が、天界への階段一つになるのだと、そう伝えろ!」
伝令を受けた部下は黙って頭を垂れ、すぐに身を翻して走り去った。
まもなく兵士たちを制圧した聖地奪還軍の殲滅作戦が開始された。
女も子どもも、老人も――。
病人も怪我人も関係なく、この都市にすむ全ての人間が反乱を起こしたが故に“異教徒”であるという名目で、命を奪われていく。
そして、アメルス王太子率いる国軍が到着するより前に、ギシャル城塞都市は壊滅、あとに残されたのは血と死体が転がるだけの抜け殻の都市。
(これで予定通り……。全ては計画通りに戻る)
マラエヴァを救出して、奴に貸しを作り、諸侯へ実力を示すこともできた。
指揮権は手中に収まり、ギシャル城塞都市は壊滅。
アメルス王太子の国軍がここに到着する前にここを離れれば、問題ない。
そのはずだった。
しかし、再び胸に痛みが広がっていく。
(ギシャル城塞都市にいた市民を皆殺しにしたせいか)
俺は思わず、自分を嘲笑った。
なぜこれほどまでに、セルベクという人間は、情に流されようとするのか?
昔の方がよほど非情に、冷酷に自分を制御することができたというのに、近頃はどうも勝手が違う。
やるべきことをやったまで……と、そう頭では理解しているはずなのに。
そしてふと、忘れたはずのメリッサの面影を思い出す。
(メリッサ……、君が傍にいれば、この痛みは消えるのだろうか……?)
しかし、マラエヴァいる限り、それは叶わぬ夢だ。
それでもなお、俺の胸は軋み続けていた。
 




