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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
40/52

第38話 予言の書

 教皇庁、謁見の間。

 ラトス教の真髄を象徴するかのように、豪華で贅沢な造りになっているこの場所に、ずらりと居並ぶのは助祭枢機卿を始めとする司祭枢機卿、司教枢機卿ら、百名程。

 彼らは教皇を補佐する立場にあり、四卿を筆頭に、教会の中枢を担う者たちだ。

 そんな彼らの視線を一身に浴びながら、俺は広間の奥へと続く赤い絨毯の敷かれた通路を、奥へと進んだ。

 広間の一番奥に鎮座する、宝石が散りばめられた黄金に輝く豪奢な椅子。

 そこに泰然と座っているのが、現在の教会で一番の権力を握るソルデ教皇だった。

 白髪に口ひげを蓄え、ラトス教最高位者にしか身につけることの許されない教皇服に身を包んでいる。

 その手にはきらびやかな黄金と宝石に彩られた象牙の笏が握られていた。

「教皇猊下におかれましては、神の祝福を受け、いまだご健勝のこと、何よりと存じ上げます」

 俺はひざまずき、追従にしかならない前口上を述べた。

「良い。それよりも、聖典第二章が見つかったというのは誠か?」

 半ば前のめりになるように、教皇は話を急いた。

「御意。教皇猊下にお目にかけるべく、ここにお持ちしました」

 俺が聖典の入った包みを掲げると、教皇の左右に控えていた法務枢機卿と聖務枢機卿が、丁寧な手つきでそれを受け取った。

 包みから聖典を取り出すと、厳かにそれを教皇へと差し出す。

 広間の空気は緊張でぴんと張り詰めている。

 この場にいる誰もが、その聖典へと視線を送っていた。

 “新たに見つかった聖典”というだけではない、その聖典の性質ゆえに。

 聖典の第二章は“予言の書”。

 そこに書かれているのは、ラトス教開祖が指し示した未来なのだ。

 ラトス教開祖が言ったとされるこの国の予言に、興味を抱かない者が、このライツア五王国にいるはずがない。

 教皇は聖典の表紙を興味深げに指でなぞり、そしてそのページをめくった。


 予言の書の内容は、開祖の過去から始まる。

 開祖の生まれが、異教徒の地であるカザールであり、そこから、放浪してこの国にたどり着いた経緯。

 さらに今までこのライツア五王国で起こった教会絡みの過去の出来事を、さも未来を予見するかのような形式で記している。

 そして現代と未来。

 重要なのは、現在の教会が行うであろう現代だ。

 現代の記述には、教皇に代わる枢機卿が、国土のすべての貴族に招集をかけて異教徒を討伐し、聖地を奪還する、とある。

 異教徒の討伐と聖地奪還――、それはつまり隣国カザールへの侵攻に他ならない。

 しかも前回のような一時的な救援要請ならまだしも、今回は教会が諸侯を率いて戦争をするというもの。

 これは五王をないがしろにする越権行為に等しい内容だった。


 ソルデ教皇の顔がみるみる青くなる。

 だがこれだけ衆目がある中、今さらこの聖典をなかったことにはできないだろう。

「――お前はこれに目を通したのか」

 顔を歪め、ソルデ教皇は俺に尋ねた。

 そこで、俺はその場にいる者たちにはっきりと聞こえるよう、あえて声を張り上げる。

「もちろんでございます。手にした時には真偽のほども定かではありませんでしたから。目を通し、全ての内容を記憶致しました」

 俺がこの予言の書を発見したのは、“ヴァルキシュ地方にある地下の聖堂”ということにしてある。

 今まで見つからなかったものが何故、今になって発見できたのか――という疑問は無論あがるだろうが、ヴァルキシュ地方は辺境で不毛の土地であるため、これまでほとんど人の手が入っていない。

 そのため、ヴァルキシュ地方には世間的に未発見の遺跡がいくつか残っていた。

 それは実際にはラトス教以前のものではあったが、過去に開祖と共にラトス教のものとして内部を作り変えた記憶のものもあった。

 それを利用したのである。

 ソルデ教皇は小さく唸り、アラディス主席枢機卿を手招きして、開いたページに目を通すように言った。

 恐縮する様子を見せながらアラディス主席枢機卿は聖典を受け取ると、文面に目を走らせて蒼白になる。

 ソルデ教皇がアラディス主席枢機卿を呼び寄せてその部分を見せたのには理由があった。

 異教徒討伐と聖地奪還の指揮を執るのは“教皇に変わる枢機卿”。

 それは順当に考えれば、教皇の代理人であるアラディス主席枢機卿を指示しているともとれる。

 しかし、彼はそれを受け入れないだろう。

 いつも後ろで言いたいことだけ口を挟み、指示していたアラディス主席枢機卿にとっては、地獄への片道切符と何ら変わりがないからだ。

 軍を指揮できる高位にある聖職者など、俺ぐらいのものだ。

 しかし、適任者である俺は、聖人に認定されたとはいえ、その位階は枢機卿ではなく一段下の大司教。

 このままでは俺にその役を押し付けることもできない。

 事態は紛糾し、謁見の間は教皇を中心とした枢機卿達の議論の場となっていた。

 俺はその様子を他人事のように眺め、許可を得て静かにその場を辞した。




 俺が再び教皇庁に呼び出された時、謁見の間には同じ顔ぶれが並んではいたが、皆、疲労を隠せない顔つきだった。

 どうやら予言の書が本物であるという結論に達し、それから延々、予言の書の内容についての議論が続いたのだろう。

 ご苦労なことだ。

 アラディス主席枢機卿が俺の名を呼んだので、俺は畏まってソルデ教皇の前に進み出た。

 ソルデ教皇の顔つきは険しいが、しかし、俺がここに呼ばれたということは、他に選択肢がなかったということだろう。

 手にした書状を広げ、アラディス主席枢機卿はその内容を読み上げた。

「大司教セルベクは本日をもって助祭枢機卿へ昇任とする。また、それに伴い聖地奪還の任を与える。諸侯を率い、開祖生誕の地を取り戻すよう。これは教会の総意であり、教皇のご意思である」


(やはり、な……)


 教会の高位にある者、誰もが戦場になど行きたくないのだ。

 たとえそれが功績につながるとしても、そこで命を落とすかもしれないと思えば、軍人でもない彼らがそんなことを選ぶはずもない。

 異国の戦場に赴くぐらいならば、賄賂を工面し、上司に追従を述べている方がマシだと彼らは判断したのだ。

 全てが予定通り。

 広間は集まった者たちの割れんばかりの拍手に包まれた。

 それは自分がその任を引き受けることにならなくて良かったという、安堵の拍手にも聞こえる。

 俺が任を受けるため、前に進み出ると教皇の顔が歪んだ。

「セルベク助祭枢機卿よ、困難はあろうが、見事神の与えし苦難を乗り越えよ」

 ソルデ教皇がそう言い放つと、広間は再び拍手に包まれた。

 その音にまぎれるようにして、彼は小声で言葉を加えた。

「――成功した暁には、我が愛娘、ザーラとの婚約を認めてやろう」

 思わぬ一言だったが、俺はそれに対して目でうなずいた。

 教皇にしてみれば、これが成功さえすれば、異教徒討伐、聖地奪還の二つの偉業を成し遂げた教皇として、間違いなく歴史に名が残る。

 そしてそれを成し遂げた俺には褒美として愛娘を与え、つながりをつくっておく。

 だが、失敗した場合には、その責を全て俺に押し付け、聖典は偽物だったと言い切ればよい。

 そういう腹積もりだろう。

 とはいえ、俺にとってもソルデ教皇の後ろ盾ができるのは大きい。

 俺もゆったりと笑みを浮かべ、この役を演じることにした。

「教皇猊下、そしてこのラトス教の名誉と威信にかけて、必ずや成し遂げてご覧に入れます」



 貴族院においても、異教徒討伐と聖地奪還の話は大紛糾を巻き起こした。

 教会からは五王に宛て、招集要請が出された。

 それを受けて、貴族院ではそもそもカザールという大国にこちらから遠征するのはいかがなものかと、議論が紛糾したが、しかし、それはすぐに打ち消された。

 ラトス教はこの国の政治にまで深く関わっている。

 国の背骨とも言うべきラトス教の聖典に、こうなると記されているのだ。

 それに反する行為は神への反抗に等しく、それはラトス教を国教としているこの国においては、根幹を揺るがすものとなる。

 遠征への参加が決まっても、またどこから軍を出すのかということで話はもめたが、結局は次男、三男からなる軍勢を差し出すことで収まった。

「では、王族の出征停止案は、これにて可決とする」

 遠征の内容について紛糾する貴族院の中で、カムルが紛れ込ませたその案は比較的すんなりと承認された。

 カムルは口元に控えめな笑みを浮かべる。

 弟であるセルベクから今回の話を事前に聞いていたカムルは、今回のことではかなり優位に立ちまわっていた。

 貴族院に所属する者誰もが、降ってわいたような遠征話に右往左往する中で、カムルは一人冷静に、セルベクとの約束を果たすべく根回しを続けた。

 そしてそれが功を奏し、王族の出征停止――すなわち、マラエヴァが今回の遠征に参加することを阻止する法案を通すことができたのである。

 それでなくても今回の遠征においては、例がなく、様々な取り決めをしなくてはならない。

 皆、少しでも自分に有利なように進めようと必死なのだった。

 議題は次の話題に移っていたが、浮ついた感は否めない。

 そんな中、カムルがふと視線を感じて顔をあげると、マラエヴァと目が合った。


(気づいているだろうな、やはり)


 これがマラエヴァの動きを封じるための法案だということは、他の誰よりも、本人がよく分かっていることだろう。

 だが、それが分かったところでどうにもなるまい。

 カムルは今日の成果に満足し、マラエヴァの視線を振りきった。

 長く続いた議論が終わると、カムルは同じ派閥の者たちと共に席を立つ。

 まだ議論は全て終わってはいないが、続きは明日に持ち越される。

 ふと視線を転じると、威風堂々たるマラエヴァがまっすぐカムルの方に歩いてくるのが見えた。

 およそ軍人である方が向いているのではないのかと思えるほどの体格の好さ。

 しかしその頭脳が明晰で、根回しがうまく、弁も立つことはカムルもよく承知している。

「少しよろしいか」

 位はあくまでマラエヴァの方が上だが、一応は年上であるカムルに、彼は丁寧な言葉をかけてきた。

「何か?」

 そう応えたカムルだったが、内心は何を言われるのかと腹に力を入れる必要があった。

 周囲の者たちも、好機の目で二人を見ながらも、誰もが遠慮をして離れていく。

 そしてその場にはカムルとマラエヴァ、二人だけが残った。

「時にセルベク大司教とは近頃連絡を?」

「ああ……、祖父の葬儀の際に顔を合わせただけです。我が弟ながら、彼も忙しい。身内とはいえ、なかなかゆっくりと話す機会も持てずにおりますよ」

「しかし、この度の遠征では、教会側の軍の指揮は彼が執るそうですね?」

「――助祭枢機卿という位階を受け、そうなったようですね」

「なるほど……」

 マラエヴァは含みのある様子でうなずいた。

 これ以上マラエヴァに何か打つ手があるとは思えなかったが、カムルはそれでも薄ら寒さを覚えた。

「これはどうも、長く引きとめて失礼した。セルベク大司教……、いや、助祭枢機卿によろしくお伝えください。またいつか共に戦いたいものだと私が言っていたと」

 そう言ってマラエヴァはカムルの前を颯爽と立ち去っていた。


(嫌な予感しかしないな……)


 そして、それは一ヶ月後、現実のものとなった。

 マラエヴァが王族の一員であることを返上して、臣下に下ったのだ。

 末席とはいえ、王籍を捨て臣籍に下ったということは、今回の聖地奪回軍に入るために打った策に他ならないだろう。

 カムルは弟セルベクにそのことを伝えると、彼はしばらく言葉を失っていた。

 心の中では相当腹を立てているのに違いない。

 カムルですら、してやられたという気持ちでいっぱいだったのだから。

 まさか、マラエヴァが今回の遠征に対してそこまでの行動をとるとは、カムルにとっても想定の範囲外だった。

 マラエヴァの影響力を考えると、軍の中心は間違いなく彼に移るだろう。

 それは弟セルベクが一転して、聖地奪回軍を指揮する立場から、教会から送られた監察に近い立場になったということを意味していた。


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