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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
39/52

第37話 帰郷

 祖父、危篤。

 その知らせを聞き、俺は思わず目を細めた。

「ボス。どうされますか?」

「ここから離れるのに、良い口実ができた」

 ハンは黙ってうなずく。

 現在の俺は、教会の任務と王から任命されたこの場所を、さしたる理由もなく離れることができないでいた。

 このヴァルキシュ地方を離れること――、それはすなわち教会からの職務放棄と王命に逆らうことを意味する。

 ただ、冠婚葬祭――、身内の不幸となれば別だ。

「面倒事ばかり引き起こしてきた祖父のことだ。これぐらいは役に立ってもらってもいいだろう。兄とも話したいことがある」

「ご出立は?」

「出来次第、すぐにでも。俺が不在の間は、お前に全権を任せる。部下を何人か連れて行くぞ。馬車などを使っていたら、あの老いぼれは待ち切れずに死んでしまうかもしれん」

「分かりました。では馬をすぐに用意させます」

 ほどなくして、俺はハンの部下である司祭たちを引き連れ、騎士団本部を出た。

 生家を離れて、もう随分になる。

 久しぶりに王都に入り、生家を見た途端、俺は奇妙な感覚に包まれた。

 懐かしさはない。

 感傷もない。

 ただ、かつてここで暮らしていた現実があったことが、今の俺にとっては不思議な感覚を抱かせるだけだ。

 何か古臭く、そしてあまり好ましくない、ここにいたいとは思わせない感覚。

 聖職者の服を着た一団が馬車にも乗らず、馬で突然家の前に現れたので、家令は驚いた顔をした。

 しかし、馬から降りた俺の顔を見ると、すぐに祖父の元へと案内した。

 部屋に入ると兄が黙ってうなずき、俺を迎え入れてくれる。

 両親も既にその部屋におり、祖父の様子を心配そうに見守っていた。

 祖父の前に座っていた年配の医師が、俺の姿を見て場所をあける。

「御祖父様、ただ今戻りました」

 ひとまわりは小さくなったのではないかと思えるほど、祖父は痩せて別人のようになっていた。

 かつてのような気迫はどこにもなかったが、その目だけは、以前のように気難しい祖父のままだ。

 祖父は俺を見るなり、自慢の玩具が手元に戻ってきたかのように、嬉しそうに手を取ろうとする。

 しかしそれを、暗黒街上がりの目つきの鋭い司祭達が、俺を守るように遮った。

「失礼ですが、もはやセルベク大司教は聖人になられたお方。俗世の者がみだりに触れることはお控えください」

 こんな場においても冷やかに言い放つ司祭たちに俺は思わず苦笑したが、部屋の空気は一気に悪くなった。

「なん……じゃと……! セルベクは、セルベクは……、わしの孫じゃぞ……!」

 苦しそうな声で懸命に訴える祖父を、俺は憐みを込めた目で見つめた。

 両親が不安げな表情で俺を見る。

 それでも司祭たちは容赦なく言葉を続けた。

「セルベク様は、国、そして信徒をお守りになっている守護聖人様であらせられます。いかに御祖父様の御身内であろうとも、例外はございません」

「な……!?」

 かつての祖父であれば、ここで激昂してたところだが、もはやその気力もないのだろう。

 祖父はただ、がっくりと手を落とし、目を閉じる。

 一見すれば哀れな老人だが、俺はそんな様子を見ても、心動かされることはなかった。

 祖父はやはり、祖父なのだ。

 老いたからといっても、過去は消えない。

 だが、この場を取り繕い、家族の一員として演じるぐらいのことはしておいた方が良いだろう。

「良い、控えよ。今この場にいる私は聖人ではなく、アルザス家の息子、セルベク。そう思ってくれ」

 ゆったりと言う俺の言葉に、司祭たちは頭を下げて後ろに下がった。

「セルベク……! わしの自慢の孫よ」

 嬉しそうに言う祖父に、俺は心中ではうんざりしながらも、それを顔には出さずに微笑んだ。

「御祖父様。長らくご無沙汰しておりました」

「そなたは忙しい身じゃ……。仕方あるまい。――今まで、わしのわがままでお前を振り回して、悪かったの」

 いつになくしおらしい祖父の言葉を、俺は冷めた気持ちで聞いていた。


(全く、その言う通りだ)


 子どもの頃だけではない。

 大人になっても、この祖父には迷惑しかかけられたことがない。

 しかし、そんな祖父でも死を迎えるとなると、多少は過去の行為を反省する気になったらしい。

「御祖父様がいてくれたからこそ、今の私があります。家族の期待を裏切り続けて生きた私を、御祖父様はこうして迎えてくださったではないですか」

 我ながら空々しいとも思えるが、俺の言葉に祖父は満足したようだった。

「そうか、そうか。――なあ、セルベクよ。わしは天界に行けるのかの……?」

 祖父のその一言で、俺は全てを悟った。

 聖人になった俺の邪魔をしたこと――過去にしたことで、自分は天界に行けないのではないかと、祖父は心配していただけなのだ。


(天界など存在するとも思っていないが、例えあったとしても、こんな人間がどうして行けるものか)


 だが、俺が選んだのは、優しく祖父を慰める孫の言葉。

「無論です。御祖父様が天界に行けなくて、他に誰が行けましょうか? このセルベクが保証します」

 すると安心したように祖父は安心したように何度もうなずいた。

 俺を握っていた皺だらけの手に、一瞬ぐっと力がこもったかと思うと、今度は次第に力が抜けていき、やがてするりと下へ滑り落ちた。

 長らく周囲の人間に悪影響をもたらしてきた人物の、死。

 それは歓迎すべきことだが、両親は嗚咽し、兄はうなだれていた。

 そして俺もまた、悲しげにうなだれ、その死を悼んでいるようなふりを、した。




 祖父の葬儀には、アラディス主席枢機卿がわざわざ来訪し、彼が聖典を唱えることとなった。

 表面上は関係を修復したいのだろう。

 王家からは王の代理として、マラエヴァも顔を出した。

 マラエヴァの姿を見れば、思わず彼女を思い出さずにはいられなかったが、それを振り払い、何事もなかったかのように彼に礼を言う。

 これは子爵の家柄にしてはあり得ない厚遇だったが、それも全て、俺の立場があるからこそだ。

 葬儀は滞りなく行われた。



 そして葬儀の後、俺はようやく兄とゆっくり話をする時間を持つことができた。

 葬儀などはその付属品にすぎない。

「ようやく終わったな」

 兄は肩をすくめてそう言った。

「派手なものになりましたからね」

「全くだ。アラディス主席枢機卿に聖典を読んでいただけるとはな。――祖父も本望だろう。それもこれも、お前の権威のお陰だが」

 兄の胸中までは分からないが、俺同様、兄ももはや祖父の死を悲しむそぶりすら見せない。

「あの人は、権力や権威といったものが好きでしたからね」

 そう言って俺も苦笑する。

「まあ、死んだ人間のことをどうこう言うものではないな」

 大きなソファに座ると、久しぶりに兄の顔をじっくりと見る。

 お互いに年を経た。

「マラエヴァに会いましたか?」

「ん? ああ。軽く言葉を交わしただけだが……」

「最近の貴族院での動きは、どうですか?」

「もはや手出しができないほどの勢いだな。あの年で貴族院の三分の一は握っている。王族だということもあるんだろうが、それ以上に剛腕だ」

 兄は弟である俺から見ても、有能な人物だ。

 しかし、王族であるマラエヴァはその血筋に加えて、能力の高さが際立っている。

 さらに俺の兄であることも影響しているだろう。

 兄が出世すれば、俺の利にもなる。

 それを分かった上で、マラエヴァが兄を要職から遠ざけるように仕向けていることも十分考えられた。

「兄さん……。あいつを一緒に出し抜いてやりませんか?」

「マラエヴァを、か?」

「これから俺は、聖地奪還の軍勢を召集しようと思っています」

 俺の言葉に、兄は珍しく首をかしげた。

「聖地奪還……? それは何のことだ?」

「謎に包まれたラトス教開祖は、実は異国カザールの出身。従って、聖地はこの国にあらず……。異国カザールにこそ存在するのです」

「それは本当なのか!?」

 兄は目を向いて立ちあがった。

 そう――、それはラトス教教徒にとっては大きな衝撃となる。

 なにせ、自分たちの信じる神の教えを説いた人間が、異教徒の国で生まれたのだから。

「開祖はラトス教の教えを信じない民に見切りをつけ、この地まで放浪したのです。そして今がある」

「お前はなぜ、そんなことを知っている?」

 驚きのあまり、まだ驚愕の表情を浮かべる兄を静かに見据え、俺は口を開いた。

「予言の書が見つかったのです。聖典、第二章。そこには、その事実も書かれています」

「驚いたな……」

 立ったままの兄に座るよう促し、俺は兄の前に例の聖典を差し出した。

 偽造したあの、聖典だ。

「これが聖典の第二章、予言の書です」

「こんなものが本当に……」

 震える手を伸ばし、兄はそれをめくった。

「この聖典は、明日にでも教皇に進呈しようと思っています。だけど、これが事実と認定されればどうなるとお考えになりますか?」

 本のページに夢中で目を走らせていた兄は、ふと顔をあげた。

「それは――。それは、間違いなく揉めるだろうな。それに開祖がお生まれになった地が異教徒に支配されたままということも、物議を醸しだすだろうよ」

「それだけですか?」

 俺はまるで生徒に教えを施すかのように、兄の思考をゆったりと待った。

「聖地を奪回せよと……。おそらく強硬派はそう唱えるだろうな」

 そこまで言って、兄は目を見開いた。

「お前の狙いはそこか……!」

「聖地を奪回したい。しかし兵を率いることができる聖職者は今、俺しかいない。当然、俺に指名がかかる。しかも、本気で奪回を目指すなら兵力が足りないから、教会は王国にも支援を頼むしかない」

「なるほど……。聖職者としてはお前の一人勝ちになるが、マラエヴァが王国から派遣されれば、むしろ奴の手柄になる可能性が高い」

「そうです。王国の軍をまとめず、俺が指揮をとる形にしたいのです。ですから、騎士団本部救援の折りのように、諸侯がばらばらに召集に応じる形をとり、なおかつ、マラエヴァが手出しできないよう、『異教徒の地は危険であるから、王族は召集に応ずることを禁じる』といったような法案を通してもらいたいのです」

「理屈は通っているな……。悪くはない。貴族院の中にはマラエヴァの台頭を苦々しく思っている者も少なくない。うまく手を回せば実現できるだろう」

 兄は頼もしくうなずいた。

「頼りにしてます、兄さん」

「しかし、カザールへ遠征となれば、国の大事だぞ? 指揮をとる、お前の身も危険にさらされる」

「分かっています。でも、これまでも反乱軍と戦い、異教徒と戦ってきました」

「そうだったな……。お前の姿を見るとつい、そういう感覚が薄れてしまう。――だが、生きて帰ってこいよ。そうでなければ、何の意味もない」

「ありがとう、兄さん。必ず」

 うなずくと、兄は部屋の奥から高価な年代物の酒瓶を持ち出してきた。

 それは大量にある祖父のコレクションのひとつだったものだ。

「もう持ち主もいない。高価な酒など、大量に取っておく必要もないだろう」

 兄が頓着もせず瓶のふたを開けると、芳醇な果物の香りが部屋いっぱいに広がった。

 まるでこれからの俺の未来が、再び解放されていくのを象徴するかのように。


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