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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
38/52

第36話 失われた書

 援軍を見て撤退して以降、カザール軍は小規模のものも含め、攻撃を仕掛けてこなくなった。

 諸侯の援軍が動くとなれば、なかなか手だしがしにくくなったのだろう。

 追いうちをかけるように、「諸侯の援軍は未だ動く準備がある」という内容の噂を、カザール国に流すようバザンに頼んでおいた。

 これでカザール軍――、特にあのアメルス王子とやらが、侵攻をあきらめるのかどうかは分からないが、一時的に牽制することは可能だろう。

 長く続いた戦で、騎士団も疲弊してきている。

 兵士や戦力の補充、また本部修復にもある程度時間が必要だった。

「ジャイル。物資補給のついでに、これも手配しておいてくれ」

 俺はそう言って、ジャイルに一枚のメモを渡した。

 受け取ったジャイルは目を通し、怪訝な顔をする。

「こんなもの、何に使うんですか?」

 メモに書いてあるリストは、薬品から書物まで、一見するとあまり関連性が見出されないようなものだ。

「そのうち分かる。――で、揃えられるか?」

「はあ……。そりゃあ、まあ」

「頼んだぞ」



 ジャイルに指示を出した後、俺は外に出た。

 敷地内では、崩れた城壁の修復が行われており、別の場所からは訓練を行う兵士たちの掛け声が聞こえてくる。

 新しい戦力を次々に補充しているので、フェラニカはその調整に忙しいだろう。

 城に巡らされた通路を歩き、さらに歩みを進めるとそこにハンと彼の部下の姿が見えた。

「やはりここにいたか」

 俺が目を細めると、ハンと彼の部下はすっと立ち上がって頭を下げた。

 その場所は、他の者が足を踏み入れることのない場所で、ハンとその部下たちがよく利用しているのを、俺は何度か目にしていた。

 ハンは用は済んだとばかりに素早く部下を下がらせると、俺に向き直った。

「ボス、お呼びいただければ……」

「ああ、たまには体を動かすのも悪くないと思ってな。城にこもってばかりいては、全身が腐りそうだ」

 頭を使うのは嫌いではないが、このところ調べ物をしているせいで長く城にこもることが増えていた。

「ご用件は?」

「アラディス主席枢機卿の今回の動き、やはり気になる。周辺を少し調べてくれ。脅威を感じて俺を切り捨てようとしたにしても、少々短絡的な気がする。免罪符の恩もある。それを反故にして、切り捨てようとしたのは奴一人の判断だったのか――」

「何か他からの圧力か、働きかけがあったのかということですね?」

「そうだ。それがあるとすれば、どこからなのか。前回のような誤算は避けたいからな」

「わかりました」

「それから――。これからしばらく工房室にこもる。その間、騎士団はお前が仕切ってくれ。万が一、カザール軍が侵攻してきた場合には、軍隊指揮をフェラニカに一任する。小規模であれば俺を呼ばなくていい」

「どういうことですか?」

「やらなければならない作業がある。大軍が攻めてきた場合は別だが、しばらくは問題ないだろう」

「この間からされている作業と何か関係があるのですね?」

「そういうことだ。少し作業の方に重点を置く。このまま片手間にやっていては、いつまでたっても終わらないからな」

「わかりました。お任せください」




 工房室と呼ばれるその部屋は、もともとは何もない簡素な空間だったが、今はかき集めた資料が山のように積まれていた。

「こんな作業は、開祖の側近だった頃以来か……」

 そう呟くと、俺は年代の新しい聖典と古い聖典を見比べ始めた。

 時代により加筆修正されて編纂されたものを、どういった意図でそうなったのかを調べる。

 そして、この五王時代に入ってからの二百年の歴史資料を読み漁る。

 聖典、歴史書、天文記録、聖人伝――、ありとあらゆる歴史に関わるものを調べた。

 それに、記憶にある俺の歴史学者としての知識を組み合わせる。

「さて……」

 全ての資料調べが終わると、俺は紙に向かう。

 筋立ては全て頭の中に。

 それから何カ月経過しただろうか。

 ハンは命じた通りにうまくやってくれているようで、俺は作業を邪魔されることなく、ひたすらに書き続けた。

 そうして出来上がったのは、一冊の法規集のように分厚い紙の束。

 表紙は皮で仕上げ、さらに金銀の細工で丁寧に装飾を施した。

「こんなものかな」

 きれいな出来栄えに、我ながら満足する。

 だが、重要なのは中身だ。

 そして、最後の仕上げとして、ジャイルに頼んでいた薬品を化合し、ゆっくりと一ページ一ページ漬けていった。

 陰干しにすること一週間。

 一冊の古ぼけた古書が出来上がった。




 工房室での作業から解放されると、俺は外の空気をいっぱいに吸い込んだ。

 そして、久しぶりに三人を執務室に呼び集める。

「ようやく作業が終わったんですね」

 ジャイルが苦笑いしながら言った。

「何か不都合でもあったのか?」

「そりゃまあ、いろいろと」

 するとそれを聞いていたフェラニカが馬鹿にしたように笑う。

「私の方は問題ない。新しく入れた兵士の鍛錬も、部隊編成も万端だ。いつでも戦えるぞ」

「そうか。御苦労だったな」

 俺はそう言ってフェラニカを労うと、一冊の本を三人の前に置いた。

「これが何か、分かるか?」

「随分と古い本だな……。歴史書か何かか? ――しかし、それにしては装丁が立派だな」

 フェラニカが首をかしげる。

 するとジャイルが本を手に取った。

「少し見せていただけますか?」

 表題に目を通し、恐る恐るページをパラパラとめくる。

「これは……」

 ジャイルが眉間にしわを寄せて、俺の方を見る。

「まさか、これは……」

 そう言いかけたジャイルの言葉を、横からハンが継いだ。

「聖典、第二章……。予言の書ですか?」

 フェラニカもジャイルも、驚いたようにハンを見る。

「まさか……!」

 ラトス教徒ならば誰もが知っている、聖典。

 それは全部で四章――、四冊から成ると言われているが、現在の教会に伝わっているのは『聖典 第一章 導きの書』、ただ一冊のみだ。

 『聖典 第一章 導きの書』は、ラトス教教義の指針であり、現在のラトス教の教えの全てであるといってもいい。

 というのも、残りの三冊は教会も血眼になって捜したが見つからず、亡失したと伝えられているからだ。

 そしてその亡失したと言われる幻の一冊が、ここにある。

 『聖典 第2章 予言の書』――、すべての予言を記したとされる一冊だ。

「まさかとは思いますが、セルベク様……。偽造されたのではないでしょうね?」

 恐る恐るジャイルが尋ねる。

「だとしたら、どうする?」

「さすがにまずいですよ、これは……。もし本物が出て来たらどうするんですか? ばれたら破滅ですよ!」

 まるで既にばれてしまったかのようにうろたえるジャイルを見て、俺は思わず声をあげて笑った。

「笑いごとではないぞ、セルベク。私もこれはまずいと思う」

 フェラニカも深刻な顔で俺を見る。

「本物が出てくれば、問題になるだろうが……。そんなことは絶対に起こらない」

「何故、そう言いきれるのです?」

 ためらいのない俺の言葉に、ハンが目を光らせた。

 俺はにやりと笑う。

「開祖は一冊しか、聖典作りを命じてないからだ」

「え?」

 今度は三人が揃って、驚きの声をあげる。

「どういうことですか?」

「開祖は聖典作りを弟子に命じたが、それは一冊だけだ。他は後日作る予定だった。――当時、開祖としては、教会の礎となる一冊があればそれで良かった。必要になれば残りは状況に合わせて都合の良いモノを作り出せばいい。そのために四冊の聖典があると吹聴してはいたが、実際にはそんなものは存在しない」

 執務室にしばらくの沈黙が訪れる。

「――それは本当なのか? 聖典は最初から、一冊しか存在しなかった……?」

 呆然とつぶやくフェラニカの隣で、ジャイルも首を振っている。

「まさか……。セルベク様の言う通りだとしたら、あまりにもいい加減な話ですね」

 そんな中、ハンだけが俺をじっと見ていた。

「ボスはなぜそれをご存知なのですか? まるで実際に開祖を見て来たかのような……」

 俺は思わず、ハンを見返す。

 自分がセルベクであることを忘れ、かつてのあの、荒んだ過去の自分のように。

「そんなことはお前が知らなくてもいい」

 低く、馴染みのない声が俺の口から飛び出す。

 セルベクでありながら、セルベクでない俺の、声。

 瞬間、場の空気が凍りついた。

 あのハンですらも、それ以上言葉を続けることができずに黙った。

 そして、俺自身もそんな自分に戸惑いを感じる。

 過去の自分と、セルベクである自分。

 それは奇妙に混じり合いながら均衡を保っているが、時にバランスを崩す。

「――ハン。アラディス主席枢機卿の件はどうなっている?」

 俺はその場の空気を誤魔化すように、その話題を持ち出した。

 するとハンがふっと小さく息を吐く。

「ボスの推察通りでした。実はあの時期、マラエヴァの手の者がアラディス主席枢機卿に接触していたという情報があります」

「マラエヴァ……!」

 またしても。

 どこまで俺の邪魔をする気なのだろうか。


(――いや、俺がマラエヴァの出世の邪魔になっているということか)


 これが何を意味するか。

 どうやらマラエヴァはメリッサにもなびくことのなかった俺を、本格的につぶしにかかってきたようだ。

申し訳ないのですが、今週につきましては仕事が多忙のため、木曜日の投稿を休ませていただきます。


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