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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
37/52

第35話 聖人

 ジャイルが運んだ恋文は教皇の娘ザーラに無事に届けられ、教皇の号令の下、諸侯の軍が援軍として、ヴァルキシュ地方へと派遣されることとなった。

 取り囲んでいたカザール軍は、彼らの倍はある援軍の数に包囲を解いて撤退し、派遣された諸侯の軍はそのまま追撃することなくカザール軍を見送った。

 追撃したところで戦利品を得られるわけでも領地が増えるわけでもないからだ。

 そして、侯爵たちはそのまま騎士団本部の敷地に入り、俺に軽い挨拶をすると、用は済んだとばかりに軍を率いて帰って行った。

「ようやく援軍全てが引き上げました」

 ハンが苦々しげに報告する。

 城の中はカザール軍の攻撃であちこち被害が出ている。

 修復を急がなければならないが、それは彼らが帰った後だ。

「ああ。ソルデ教皇にはひとつ大きな借りができたな」

 アルザン家を嫌っているソルデ教皇が動くかどうかはひとつの賭けだったが、彼が娘を溺愛しているのは有名な話だ。

「教皇と姻戚関係を結ぶのであれば、それほど大きな障害にはならないのではないですか?」

「まあ、これからはお互いに利用し合う仲になるな」

 しかし、事はそれほどうまくいくかどうか。

 意図的にとはいえ、ハンとバザンが振りまいた噂のお陰で、聖教騎士団に対する民衆の期待と評価は高い。

 異教徒から国を守っている聖教騎士団。

 そして、既に民衆の間では、俺は英雄視すらされているらしい。

「ひとまず修復を急がせろ。それから、教会中央の動きを探ってくれ。教皇の動きが知りたい」

「わかりました」

 今回の援軍要請は予想外のものとなったが、これまでの異教徒撃退の功績は大きい。

 教会中央はそれを無視することはできないだろう。

 教皇やアラディス枢機卿がどう動くか――。

 そろそろ次の手を打たなければならないと、俺は頭を巡らせていた。




 カザール軍が撤退した後、教会中央では、聖教騎士団団長であるセルベク大司教に褒賞を与える話が進められていたが、アラディス主席枢機卿は内心苦々しい思いでいっぱいだった。


(奴は、危険だ)


 当初はそれほど評価していなかったが、免罪符の一件で、アラディス主席枢機卿の中でのセルベク大司教の評価は変わった。

 国中のラトス教徒が免罪符を買い求め、それは予想をはるかに超える莫大な金を生んだ。

 二年後にその権利を譲り受けた時、その売り上げは当初の十分の一以下ほどに落ち込んでいたが、それでもその金額はアラディス主席枢機卿を満足させるほどのものだった。

 だからこそ、セルベク大司教は危険なのだ。

 このまま彼を野放しにしておけば、いずれ自らの立場を脅かす存在になる――。

 アラディス主席枢機卿はそう判断し、彼の援軍要請を無視して見殺しにしようとした。

 結果的には、教皇の娘というカードを使ったセルベク大司教が教皇自身を動かして援軍を派遣させたのだが、それを聞いた時には、ますます油断ならない男だと思った。

 しかし、聖教騎士団は度重なる異教徒侵攻を食い止めており、民衆からの関心も高い。

 何らかの形でそれに応えなければ、教会に対する不信の声があがるのは目に見えていた。

 教皇自身もセルベク大司教に対して良い思いを抱いてはいないものの、愛娘ザーラに押し切られる形で、最近ではかなり彼に肩入れするようになってきている。

「――面倒なことだ」

 アラディス主席枢機卿が思わず吐き捨てるように言うと、そばにいた大司教が畏まって頭を垂れた。

 それを侮蔑の表情で見たアラディス枢機卿は、鼻を鳴らす。

「騎士団本部への通達は済んだのか?」

「は。それはもうつつがなく。式典の準備もしておくようにと申してあります」

「ふんっ」

 式典――、それはセルベク大司教を守護聖人に認定する式典だ。

 それは教会にとって苦肉の策だった。

 功績を考えれば、セルベク大司教を枢機卿あたりに格上げにしても、おかしくはない。

 しかし、それでは急速に権力を持ちすぎるというのが教会中枢の総意でもあった。

 何か他に策はないのかと上層部で頭を突き合わせた結果、彼を聖人にしてはどうかという話になったのだった。


(聖人、か……)


 それは教会にとって多大な功績を遺した者に送られる称号なのだが、本来は当人が死んで四、五十年ほどたってから厳しい審査の上に認定されるものだ。

 奇跡を起こした聖職者という扱いになるので、本来ならば、生きているうちに認定されることなどない。

 それを彼に与えようと言ったのは、教皇自身だった。

 初めはそんな無茶なという声もあがったが、枢機卿になって権力を持たれるよりは、中身のない外面のいい報償を与えておけというのが、教皇の腹積もりのようだった。


(うまいこと、考えるものだ)


 生きている間に聖人認定となれば、破格の待遇であることは間違いないし、民衆も納得するだろう。

 そして、その聖人には何の権限も付随しない。

「異教徒どもを撃退したぐらいで、いい気になってもらっては困る。教会中央の威信を示すいい機会だ。本当の権力者が誰なのかを民衆にも見せつけてやらねばならん。道中もなるべく華々しくなるよう、支度しておけよ」

「はい。それはもう。お任せくださいませ」

 セルベク大司教に中枢に入られては、せっかく調和している教会内の勢力図がかき乱される。

 ここは教会中央の威信を示しつつ、民衆も納得する形で彼を祭りあげるのが妥当な策だった。

「若造が……。調子に乗るなよ」

 今度こそ誰も聞こえない声でそう呟くと、アラディス主席枢機卿は上納された煙草をパイプに詰め、火を付けた。




「聖人認定、ですか……」

 ジャイルの困惑した声に、フェラニカが顔をあげる。

 ハンは黙って座っていた。

 教会中央からの通達で、俺は聖人に認定されることになったという。

 そして、その式典も騎士団本部のあるこの大聖堂で行うと言うのだった。

「褒賞を受けるのに、こちらが式典を準備するんですか?」

 納得がいかないとばかりに眉をひそめるジャイルに、珍しくフェラニカも同意して頷いた。

「そもそも、なぜ教会中央で式典を行わない? 功績を認めて褒賞を与えるのなら、中央の方がいいだろう?」

「人目に触れさせたくないんだろう」

 俺がそう答えると、フェラニカが首をかしげた。

「どういうことだ?」

「教会中央で式典を行えば、否が応でも盛り上がる。王都での話題にものぼる。そうなれば、ますます俺を英雄視する風潮が強まってしまう。奴らはそれを避けたいんだろう」

「くだらん嫉妬だな」

 フェラニカはそう吐き捨てたが、俺は首を横に振った。

「そう簡単な話でもない。教皇やアラディス主席枢機卿は、俺が中央で権力を持つのを警戒しているんだ」

「しかし……。ただでさえ補修費がかさんでいるのに、さらに式典までここで……」

 眉間を指で押さえながら頭を振るジャイルを見て、俺は軽く笑った。

「こちらで準備しろというのなら、好き勝手にできてむしろいいだろう。せっかくだから派手にやろう」

「ええ!?」

 そこにハンが口を挟んだ。

「ついでに騎士団本部に多額の寄付をしている者に知らせて、招待する形にしてはいかがでしょう?」

「――そうだな。奴らも、こんな僻地にそれほど人が集まるとも思っていないだろう。奴らの鼻を明かしてやるのも一興か」

「ならばついでに、騎士団の兵を使って、奴らをビビらせてやってはどうだ?」

 そう言ってにやりと笑うフェラニカは、既にかなり乗り気なようだった。

「まあ、そうだな。やりすぎない程度にな」

「また予算が……」

 渋るジャイルに俺は笑いかける。

「心配するな。人が集まれば、ついでにお布施も集まる」

「そうですかねえ……?」

 それから俺は三人と、今回の式典のために教会中央から派遣されてくるアラディス主席枢機卿の出迎えについて話し合った。




 アラディス主席枢機卿は、大司教たちを引き連れ、立派な馬車で騎士団本部へとやってきた。

 騎士団本部前の城門には整然と屈強な兵士たちが並び、敬礼する。

 無言で威容を放つ彼らの間を、馬車は所在なげに進んだ。

 ようやく馬車が止まると、俺は自ら彼らを出迎えた。

 馬車から降りる付き人の大司教たちは半ば怯えたように兵士たちの列を見、アラディス枢機卿はといえば、苦々しい顔をしていた。

「ようこそ、おいでくださいました」

 俺は自ら一行を出迎える。

「セルベク大司教。久しぶりだな」

 アラディス主席枢機卿は鷹揚にそう言いながらも、視線は忙しく動いている。

「ここが聖教騎士団本部か……」

「はい。アラディス主席枢機卿のお陰で、無事に完成いたしました。その節は便宜を図っていただき、感謝いたしております。我々が異教徒を撃退し続けることができたのも、アラディス主席枢機卿のお心遣いがあってのこと」

 俺はそうにこやかに応じる。

 アラディス主席枢機卿に付いてきた大司教たちはといえば、彼ほど体裁を気にしていないらしく、周囲の様子を物珍しげに眺めていた。

「救援には応えられんで、すまなかったな。こちらにもいろいろ障害があってな」

「主席枢機卿ともなれば、いろいろご事情もおありでしょう。――教皇のご配慮には感謝いたしております」

 そう言うと、アラディス主席枢機卿は苦い顔をした。

「ああ……」

 俺と教皇の娘ザーラの話が、既に耳に入っているのだろう。

「こんなところでは、なんですからひとまずこちらへ。長旅お疲れ様でした。式典は明日になりますから、どうぞこちらでお休みになってください」

 俺はそう言うと、彼らを中へと案内した。



 翌日。

 聖教騎士団本部の大聖堂は人という人で埋め尽くされた。

 所属する騎士団員を中心に、大修道院作りに協力して名誉騎士団員となった多くの庶民達。

 それに、招待された貴族や平民達も混じっている。

 大聖堂どころか敷地外にまで溢れんばかりに集まった人の多さと熱気に、アラディス主席枢機卿に付いてきた大司教たちは呆気にとられていた。

 ヴァルキシュ地方といえば、人のいない地域。

 さびれたこの場所に、それほど人などいないと思っていたのだろう。

 だが、アラディス主席枢機卿はさすがに表情を変えなかった。

 胸を張り、ゆったりと俺を見ている。

「度重なる異教徒の撃退の功績を認め、大司教セルベクを守護聖人と認定する。これからも異教徒から国土を守る守護者として励むように」

 それは暗に、俺をこの地へと封じることを意味する言葉でもあった。

 だが、俺は何食わぬ顔でそれを受ける。

「ありがたきお言葉。これからもラトス教の教えに忠実に、尽くしてまいります」

「よろしい」

 俺もアラディス主席枢機卿も互いにそれが本心ではないことを知りながら、神妙に儀礼をこなした。

 ラトス教儀礼に則り、派手派手しい演出が行われる。

 そして俺は生者として初の聖人に列せられた。

 大聖堂には厳粛な音楽が鳴り響き、聖なる鐘が打ち鳴らされる。

 同時に列席していた者たちから大きな歓声が沸き起こった。

 そのあまりの熱気に、大司教たちも、そしてアラディス主席枢機卿でさえも、驚きを隠せないでいた。


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