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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
34/52

第32話 儚き花

 反乱鎮圧から一年が過ぎ、国内はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。

 農民の数は激減し、農業はかなりの打撃を受けたが、それも徐々に回復しつつある。

 一方的に抑圧するばかりだった貴族側も、国の方針で一時的な譲歩を見せ、農民の機嫌をとるような政策を打ち出すようになった。

 それもいつまで続くかは分らないが。

 国の政策に平行する形で、俺もハンとジャイルのルートを使い情報操作を始めた。

 このまま農民たちに恨まれていたのでは、後々何があるか分からない。

 そこで、俺が農民に対して理解があることや、教会の命令で渋々鎮圧に参加したという話を農民たちの間に流布させるようにした。

 定着するにはしばらく時間がかかるだろうが、それは仕方あるまい。


 俺はヴァルキシュ地方での段取りを部下に任せ、単身王都に入った。

 ヴァルキシュ地方に建設を開始した騎士団本部は、完成するまでしばらく時間がかかる。

 そこで王都の教会で行われるミサに顔を出し、大司教として平民富裕層や貴族たちに顔を売っておこうと思ったのだ。

 夜は夜で司教たちの会合に顔を出し、意見交換にも参加して下級聖職者たちともつながりを作るよう心がける。

 ソルデ教皇の力は絶大だが、こうした地道な活動がやがて役に立つこともあるだろう。

 王都には数多くの教会がある。

 それをひとつひとつ回っていくと、様々な出会いがあった。

 熱心な貴族信者から声をかけられることもあったし、時には俺の教義に感動したとわざわざ挨拶にくる老人もいた。

 俺はそれをにこやかに受け流し、もっともらしい言葉を並べて彼らに応える。

 まるで、誰よりも信心深い人間であるかのように。


(――おかしなものだ)


 ラトス教の神を信じてもいない俺の教義を聞いて、人は感動する。

 俺自身が信じていないからこそ、むしろ信じさせるような教義を行おうと考えるからだろうか。

 そういう信者が増えれば増えるほど、俺にとっては好都合なわけなのだが。



 その日、俺は王都にある教会の中でもかなり小さな部類に入る教会に足を運んだ。

 石畳の続く緩い坂の上に、その教会はあった。

 入口は凝った装飾のアーチになっており、屋根は黄金色に鈍く輝いている。

 中もそれほど広くはなかったが、大司教が来るとあって小さな教会は人でいっぱいになっていた。

 いつものように祭壇の前に立ち、聖典の教義を説こうとした、その時。

 俺は参列者の中に混じっていた一人の女性に目を奪われた。

 教会の中の前方にある貴族用の席に、彼女は静かに座っていた。

 どこか他の者と違う気品を漂わせる彼女は、白い百合の花のように楚々としている。

 気づけば俺の目は、吸い込まれるように彼女の姿を追っていた。

「セルベク大司教?」

 教会の司教の声で、俺はハッと我に返る。

「――失礼。教義を……、始めましょうか」

 俺はかき乱されるような心中を押し殺し、何食わぬ顔で口を開く。

 それが彼女との初めての出会いだった。



 それから俺は毎週決まった曜日にその教会を訪れ、教義をするようになった。

 自分を衝き動かすその感情をはっきりと認識しながらも、それに名前をつけることはせずに。

「いつも熱心に教義を聞きにいらしてますね」

 微笑みをたたえながら、俺はある日彼女にそう声をかけた。

 彼女は驚いたように目を見開き、頬を染める。

「セルベク大司教様……」

 その声は麗らかな風のように柔らかく、鈴のように軽やかだった。

「お名前を伺ってもよろしいですか?」

 彼女の澄んだ瞳がまっすぐに見返してきた瞬間、体中の血が熱くなる。

「メリッサと……。メリッサと申します」

「何か悩んでいることでもあるのですか?」

 その問いに、メリッサはハッとした表情を浮かべ、そして俯く。

 俺は教義の間、熱心に話を聞いている彼女が、何か思い詰めている様子であることに気づいていた。

 メリッサは何度か口を開きかけては、閉じる。

 そして、近くにいた付き人らしき年配の女性を見た。


(他人に聞かれたくないことなのか……)


 それに気づいた俺は、彼女を教会の外にあった小さなベンチへと誘った。

 付き人の女性には、少し離れたところで待っていてくれるように言うと、彼女は素直にそれに従った。

「これでどうです? 少しは気が楽になりませんか?」

 俺はなるべく彼女の気持ちをほぐそうと、微笑みかける。

 そんな俺を、メリッサはまぶしそうに見た。

「ありがとうございます」

 彼女はそう言ったものの、それでもまだ少しためらっている様子だった。

 俺はそんな彼女を辛抱強く待つ。

 しばらくすると、ようやく話す覚悟を決めたようにメリッサは顔をあげる。

「こんなことを申し上げると頭がおかしいと思われるかもしれませんが……」

 そんな風に彼女は話を切り出した。

 自分はどこかの家に嫁ぐことでしか存在価値がないということ。

 女として貴族の家に生まれたからにはそれが当たり前であるのに、素直にそれを受け入れることができないでいること。

 大人しく家族の言うことに従っているのは、それが自分に与えられた役割だと分かっているからで、本当の彼女の望みではなく、そんな苦悩を家族は分かってくれないと思ってしまうこと。

 そして、そんな風に考えてしまう自分自身が罪深く思え、哀しいのだと彼女は語った。

 俺は彼女のその告白に、思わず過去の記憶を宿す前の自分を重ねていた。

 抗わず、家族の望むままに生きていた抜け殻のような自分の姿を。

「罪深く思う必要はありません」

 俺が思わずそう言うと、メリッサはすがるように俺を見つめた。

 ラトス教の教えの中から彼女が満足できそうな言葉を選んで、それをいくつか語って聞かせる。

 いつもと同じように。

 すると、メリッサは涙を流して頷いた。

「ありがとうございます……」

 見慣れた反応であるはずなのに、ラトス教の言葉を素直に信じて涙を流す彼女を見て、俺は罪悪感を覚えた。

 他の者がそうであったなら、いつものことと冷めた気持ちで眺めていたことだろう。

 それなのに、相手がメリッサだというだけで、俺の思考はおかしくなってしまったようだ。


 ――涙を流す彼女が純粋で、愛おしく思えてしまったのだから。


 それから俺とメリッサは、教義の後、必ず教会の木陰にあるベンチで言葉を交わすようになった。

 だが、彼女は決して自分の身の上を話そうとはしない。

「私は私。それ以上の意味など無い方が良いのです」

 いつもそう言って、儚げに微笑むのだ。

 零落した貴族が、虚勢を張って生活していることはそれほど珍しいことではない。

 彼女といつも一緒にいる付き人にしても、どこか出かける時にだけ雇う臨時の者ということもある。

 俺はそんなことはどうでもよかったが、彼女がそういった零落ぶりを恥じているのかもしれないと思うと、あまり深く聞くことはできなかった。

 それどころか俺は、そんな彼女を一層可愛く、愛おしく思った。

 そして二人で過ごすこの時間が、永遠に続けば良いとさえ思い始めていた。



 俺が王都での生活を続けて、一年が過ぎた頃。

 久しぶりにハンが俺の元に顔を出した。

「ヴァルキシュ地方の移転先もかなり形になりました。完成というわけではないですが、本部を移しても問題ないかと」

 ハンの言葉は、メリッサにうつつを抜かしていた俺の心を現実へと引き戻す。

「そうか……。だが、まだ早いんじゃないのか?」

 思わず俺がそう言うと、ハンは眉間にしわを寄せた。

 ヴァルキシュ地方の騎士団本部が完成してしまえば、俺は王都を去らなければならない。

 いつまでも彼女と共に曖昧な時間を過ごすことは許されないと分かってはいた。

 しかしそれでもなお、王都を離れたくないという強い思いが、俺の中にはあった。

 そんな俺の心情を見透かすかのように、ハンは鋭い視線を投げかけてくる。

「ある程度器ができた以上、移転は早い方がいいかと存じますが」

 カザール国の動きはバザンを通じてある程度把握しているものの、騎士団の移転はそれなりの日数を要する。

 ハンの言っていることはよく分かっていたが、俺はその時、何も言えずにいた。

「ボス。ヴァルキシュ地方での指揮をお願いします」

 念を押すようにそう言って、ハンは今後の移転のことについて話し始める。

 俺はただ、そんなハンの話に頷くだけだった。




 王都を離れる前、出発の門出にとマラエヴァが俺の為と称してパーティーを開いた。

 そもそも俺を僻地へ追いやるよう仕組んだマラエヴァが開くパーティーなど行きたくはなかったが、マラエヴァは仮にも王族の末端にいる者。

 招待されれば断ることはできなかった。

 招待客は名のある貴族、高位な爵位を持つ者など、今のマラエヴァの人脈と権威を表すような、そうそうたる顔ぶれだった。

 その一人ひとりを、マラエヴァは俺に紹介する。

 紹介される者たちは皆、俺に笑顔で挨拶し、好意的な言葉を発していく。

 だが招待客にしても、マラエヴァの機嫌をとろうとしているのが、彼らの言葉の端々に見え隠れする。

 思っていた以上に、マラエヴァは貴族院での影響力を強めていると感じざるを得なかった。


(――とんだ茶番だな)


 不快なことこの上なかったが、俺のためと称したパーティーを途中で抜け出すわけにはいかない。

 幾人かの招待客を紹介した後、マラエヴァはふっと目を細めた。

「折角の機会だ。オレの妹も紹介しておこう」

「妹? 妹がいたのか」

 マラエヴァに妹がいたとは初耳だった。

「ああ。あまり表には出してないからな。むしろフェラニカのような女は特別だろう」

 そう言って軽く笑うと、マラエヴァは視線を巡らせた。

 俺はそれほど興味も抱かず、手にしていたグラスの飲み物を軽く口に含む。

 マラエヴァの妹を紹介されたところで、これから接点があるとは思えない。

 それでなくても貴族の娘たちから様々なアピールを受けている俺としては、そういう女がまた一人増えるかもしれないというだけのことだった。

 適当にあしらってはいるが、先日などはあのソルデ教皇の娘からも恋文のようなものを受け取った。

 さすがにあからさまに邪険にすることもできず、かといってそれを受ける気もなく、聖職者であることを理由にうまくはぐらかした返事を送っておいた。

「――セルベク」

 声をかけられ、俺は顔をあげる。

 その瞬間の驚きを、俺は生涯忘れることができないだろう。


(メリッサ――!)


 何度も見つめた深い藍の瞳。

 ふんわりとした水色のドレスに身を包んだ彼女は、その色白の肌をほんのりとピンク色に染めていた。

 淡い金色の髪を豪華な髪留めでまとめ、誰もが見惚れてしまうような美しさと輝きを放っている。

 彼女は瞳に哀しげな色を湛えたまま、何も言わずに貴族の淑女らしい会釈をした。

 あまりのことに驚きを隠せないでいる俺の様子を見ていたマラエヴァが、にやりと笑う。

「そうか。このところ妹が熱心に教会に通っていると話には聞いていたが、そういうことか」

「お、お兄様――!」

 慌てたようにメリッサが声をあげる。

 何度も聞き、いつまでも聞いていたいと願った彼女の声。

 だが、教会の木陰でいつも耳にしていたそれとは、何かが違う気がした。

 この場所のせいだろうか。

 それとも、彼女がマラエヴァの妹だと知ってしまったせいか。

「セルベク。還俗してオレの元に来ないか? そうすれば妹はお前にくれてやる」

「お兄様、何を……!」

「お前は黙っていろ。オレは今、セルベクと話をしている」

 冷やかにメリッサを制したマラエヴァは、俺の方に向き直る。

「悪い話ではないと思うが? オレはお前のことを十分に認めている。お前が来てくれるのならオレの右腕として、存分に腕を振るえる場を用意しよう。爵位も出世も約束する」

 自分の妹さえも交渉の材料にして、マラエヴァは俺をひざまずかせるつもりなのだ。

 俺が逆の立場でも、同じことをしたかもしれない。

 そして、マラエヴァなら迷うことなく断るだろう。


(俺とて、マラエヴァの妹がメリッサでなければ――)


 メリッサでなければ。

 だが、メリッサはマラエヴァの妹なのだ。

 おそらくメリッサも俺のことを知っていて、自分の身の上を隠していたのだろう。

 マラエヴァの口調から、彼女が命じられて俺に近づいたわけではないことは分かったが、俺の話ぐらいは聞いていてもおかしくない。


(何故……)


 戸惑う俺の心を見透かすかのように、メリッサが悲しげな瞳で俺を見つめていた。

「まあ、今すぐに返事をする必要はない。だが、我が妹ながらメリッサはどこに出しても恥ずかしくない女だ。求婚の話もそれなりにある。お前がメリッサを望まないというのなら、嫁ぎ先はいくらでもある。それは忘れないでおいてくれ」

 そう言うなりマラエヴァは、俺と彼女を残し、その場を離れた。

「セルベク様……」

 メリッサが小さく俺の名を呼ぶ。

 彼女は俺を求めている。

 それは俺も同じだった。

「何故、黙っていたのですか?」

 俺は誰にともなくこみ上げる怒りを抑え込みながら、彼女に問いかけた。

「言えば、セルベク様は二度と私に声をかけて下さらないと……。それが私自身の自分勝手な思いだと分かってはいました。それでも……。それでも、どうしても言いだすことができませんでした」

 彼女は震える声でそう言って、目を伏せた。

 長い睫毛に雫が光る。

 メリッサは口数も少なく控えめだが、聡明な女性だ。

 自分がマラエヴァの妹だと知られれば、ライバル関係にある俺は彼女から手を引くものと考えたのだろう。


(彼女がマラエヴァの妹だと最初から分かっていたら、俺はどうしただろうか?)


 だが、そんなことを今さら考えたところで無意味なことだ。

 俺は彼女の柔らかい手に触れて慰めてやりたい衝動をぐっとこらえ、彼女に背を向けた。




 俺はパーティーを辞すると、すぐにハンに詰め寄った。

「ハン……! お前、知っていたな?」

 怒りを押し殺し、ハンをにらむ。

「何についてですか?」

「メリッサが、マラエヴァの妹だったということだ!!」

 抑えきれない感情を、俺は思わずむき出しにする。

 だが、ハンの冷やかな態度はいつもと変わらなかった。

「それが、どうかしましたか?」

「く……っ」

 俺は唇をかんだ。

 メリッサの哀しげな顔が、そしてマラエヴァの含みのある笑みが頭をよぎる。

 湧き上がる怒りに、俺は拳を握った。

 ハンが小さく息を吐き、俺をまっすぐに見た。

「――ボスは何をお望みですか? 一人の女を手に入れるために、奴の風下に立つと?」

 マラエヴァに膝を屈するなど、ありえない。

 だが俺はまだ、メリッサを手に入れたいという感情を、どうしても捨てきれないでいた。

「野望に向かって駆けることをあきらめ、平穏な人生を選ばれるとおっしゃるのですか?」

 ハンの言葉がぐさりと胸に刺さる。

 過去の俺は、いつも非業の死を遂げていた。

 いつも野望に達する一歩手前で、嵌められ、殺された。

 仲間に、上司に、部下に、恋人に。

 そんな無駄にも思える人生はもう御免だ。

「俺は……。俺が野望を捨てることなどない。この国の仕組みを――、五王の理念を追求することは、これからも変わらない」

 それが俺の望み。

「ならば、答えはお決まりでしょう」

 恋は一時の気の迷い――、そんな思いが頭をよぎる。

 どんなことがあろうと、俺が野望をあきらめることは絶対にない。

 ならば。

「――明日、夜明け前には出立する」

 俺は断腸の思いで、そう決断した。

「それでこそ、我らがボス」

 そう言ったハンは目を細め、微かに嬉しそうな表情を浮かべていた。


人物紹介にメリッサを追加しました。

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