第31話 切り札
「今、何と?」
目の前に置かれた辞令の紙を見たのにもかかわらず、ジャイルは俺に向かって聞き返してきた。
頬がぴくぴくとひきつっている。
「そこにある通りだ。ヴァルキシュ地方に騎士団本部を移転する」
「そんな馬鹿な……!」
声を荒げたジャイルは、怒りの表情を浮かべている。
俺はその様子を淡々と見ながら、これからのことを思案していた。
男爵の爵位と共に与えられたヴァルキシュ地方という領地。
そして追い討ちをかけるように届いたヴァルキシュ地方への騎士団本部移転と布教の命令。
予想通りの展開とはいえ、それを実行に移すとなると――。
「ジャイル。残りの資産はいくらぐらいだ?」
難しい顔でジャイルは手持ちの書類の中から数枚の紙を取り出し、俺に見せた。
まだ億単位の金は残っている。
だが、移転には莫大な費用がかかる。
移転にかかる費用に加え、今後の騎士団全体の運営費用を考えると、これだけでは全然足りない。
騎士団の運営費用の一部は教会から出てはいるが、それもごく僅か。
しかも、もともと主な収入となっていた鉱山は採掘を再開してはいるものの、内乱でその採掘が停止した為、再び人材を確保しなければならず、その収入はまだ微々たるもの。
とてもではないが師弟制度を利用した多くの兵と、大量の馬まで保有している今の騎士団を維持することはできない。
それらのことをジャイルは誰より良く分かっているだけに、文字通り頭を抱えたのだった。
「断ることはできないんですよね?」
「命令だからな」
そうは言っても、このまま任地に赴いたところで資金はすぐに底を突き、騎士団は事実上分解してしまうだろう。
そして俺には形だけの爵位と危険な封地しか残らない。
そうなれば、邪魔な政敵が一つ減ったとマラエヴァが喜ぶだけだ。
「何か策はあるんですか?」
ジャイルはあまり期待もしてないような顔で俺を見る。
「――ないわけじゃない。だが、確実な方法というわけでもない」
「でも、選択肢はないですよね? おそらく」
「そういうことになるな。これは賭けだ」
しかし、他に思いつく手立てはない。
賭けでも何でも、やってみるしかないのだった。
「ハンを呼んでくれ。頼みたいことがある」
それからしばらく後、俺は教会中央に赴いた。
アラディス主席枢機卿に面談を求め、ようやくそれが許されたのだった。
彼は教皇の第一の側近であり、枢機卿を束ねる立場にある。
俺にちらと視線をやると、そのまま手近な椅子に座るように勧めた。
「私はこれでも多忙でな。今日は君がどうしてもというので特別に時間を割いたのだよ、セルベク大司教。これがどういう意味か、分かっているね?」
勿体ぶった様子で、アラディス主席枢機卿は恰幅の良い体を揺らす。
「はい、アラディス主席枢機卿。ご配慮感謝致します」
本来は俺のような大司教が、主席枢機卿と面談することなど叶わない。
それをハンが、伝から伝を辿って金を握らせ、なんとか面談を実現させてくれたのだった。
アラディス主席枢機卿にたどり着くまでに使われた賄賂は残りの運営資金とも言うべき金であったが、それでもその金額で済んだのは、ハンが要領よくやってくれたお陰だ。
「それで? 用件は」
とっとと話を済ませろと言わんばかりに、アラディス主席枢機卿は俺を促す。
「免罪符を信徒に販売する許可をいただきたいのです」
俺は単刀直入に切り出した。
そして、アラディス主席枢機卿の反応を待つ。
「免罪符……。聞き慣れぬ言葉だが、それはどのようなものだ?」
金が絡むとあって、多少彼の興味を引いたらしい。
アラディス主席枢機卿はその目を光らせた。
「はい。それを買えばその者は罪を免れ、天国へいけるという代物です。免罪符を買うことによって、各人の犯した罪を軽くするのです」
「ふむ。しかし、それは神への冒涜ではないのかね?」
「聖典の一節で、開祖はこうおっしゃっておられます。『信仰深き者、汝の過去の罪を免罪しよう』と」
「なるほど……。つまり、免罪符なるものを買う者はむしろ信仰厚き者である、と。そういうことだな?」
「その通りでございます」
ふむとアラディス主席枢機卿は顎を撫でた。
「――おもしろい。それは民草もさぞかし欲することであろう」
「民だけではございません。貴族、王族もすべて含め、それぞれの身分に見合った免罪符を用意いたします」
それを聞いたアラディス主席枢機卿は、その顔に聖職者らしからぬ笑みを浮かべた。
俺はここぞとばかりに言葉を続ける。
「五年。――この期間、それを私に専売させていただければ、あとはアラディス主席枢機卿にその権利をお譲りします」
「ほほう……。だが、何故五年という期限を切る?」
「既にお聞き及びかもしれませんが、このたび私が団長を務めます聖教騎士団を、ヴァルキシュ地方へ移転させることになっております。その資金源としたいのです。その資金さえ貯まれば、悪戯にその財を独占するつもりはございません」
「なるほど……。そういうことか」
「何卒、猊下にお話しを通していただけませんでしょうか?」
アラディス主席枢機卿は、頭の中で計算をしているのに違いない。
目を閉じてしばらく思案していたが、ふむと頷いた。
「――よかろう。猊下にはわしから話しを通しておく」
「アラディス主席枢機卿の広いお心遣い感謝いたします。それとあともうひとつ」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
強欲は身を滅ぼすぞと言わんばかりに、アラディス主席枢機卿は俺をにらむ。
「この度の移転の件、騎士団は何分にも大所帯であり、すぐに出立することは難しく……。二年ほど猶予をいただきたいのです」
「ふむ、そんなことか。まあよかろう。それも伝えておく」
「ありがとうございます」
俺は丁寧に頭を下げた。
そんな俺を見ながら、アラディス主席枢機卿は何か含みを持たせるような顔をする。
「時にセルベク大司教」
「はい。何でしょうか?」
「これは内々の話だが……。猊下はそなたに良い感情をお持ちでない。此度の叙任承認もそのあたりの経緯が関係しておる。気を付けるが良かろう」
「それはまた……、何故でしょうか?」
思いがけないアラディス主席枢機卿の言葉に、俺は内心首をかしげた。
ソルデ教皇に睨まれるようなことをした覚えがないからだ。
「そなた自身にというより、アルザン家にと言ったほうが良いか。聞いた話ではそなたの祖父に若い頃、苦い思いを何度もさせられたらしい」
(――あのジジイか)
それは予想外の接点だった。
教皇と言えど、聖職者になる前は貴族の一人。
それほど昔であれば、何か確執があった可能性がないわけではない。
あの祖父とソルデ教皇との間に何があったのかは分からないが、どうせあの祖父のことだ。
自己中心的な行動をした結果、教皇が割りを食ったとかそういうところかもしれない。
(全く。どこまで行っても、あのジジイには手を焼かされる)
「まあ、そなたはなかなか世渡り上手なようだ。そうでないような噂も聞いていたが、噂とは当てにならぬものだな」
そう言いながら、アラディス主席枢機卿はさも愉快そうに声をあげて笑う。
だが俺の頭の中は既に、今後のことでいっぱいだった。
アラディス主席枢機卿を通じて教皇から免罪符発行許可をもらった俺は、早速ジャイルに指示して、商会に三種類の免罪符を作らせた。
庶民用には、紙に刷られたものを。
貴族用には、銀を薄い板状にして牌の形にし、綺麗な細工を施した。
さらに王族用には、金を用いて牌の形にし、細工を施した上に宝石を散りばめることにした。
「うまくいきますかね?」
ジャイルはやや不安な表情だ。
「そうでなければ困る」
これで失敗すれば、ヴァルキシュ地方に赴く前に破産する。
机の上に置かれた免罪符のうち王族用の牌を手に取ったフェラニカは、表と裏とをひっくり返しながらしげしげとそれを眺めた。
「確かに綺麗だが、こんなもので本当に罪が軽くなるのか?」
俺はフェラニカの言葉に思わず笑った。
「実際に軽くなるわけじゃない。あくまでもそういう体を装うだけだ。――これを買えば、神の加護を得られ、さらに過去の罪を免れることができる」
「これ一枚で?」
「いや。最低でも十枚で一つの罪が洗われることにする」
「一つの罪に、十枚も必要なのか……」
フェラニカはうんざりしたように、金色に光る綺麗な牌を机に戻した。
大量に作られた免罪符は、教団を通じて国中に販売された。
この世に生まれて、何も罪を犯していない者などいない。
免罪符は面白いほど当たった。
王族用、貴族用は値段が段違いに高いが、王族、貴族たちはその見栄から庶民用がいくら安くても買わない。
また、牌のほうがその出来栄えの良さから人気があり、庶民でも富裕層はわざわざ王族用、貴族用を買う者も出るほどだった。
中には、一度に一人で百枚も買う者がいたとも聞く。
俺の手元には毎日のように莫大な金が集まり、さすがのジャイルもこれには唸った。
「ここまで反響が出るとは、正直思いませんでしたよ。よくこんなこと考え付いたものですね」
感心したようにジャイルが言ったが、正確には俺が考えたわけではない。
過去、開祖の側近であった頃、同僚が考えた手だ。
ゆえに聖典にはアラディス主席枢機卿に語った、『信仰深き者、汝の過去の罪を免罪しよう』というあの一節が載せられたのだ。
当時、教団がもっと大きくなったら使う予定になっていたのだが、その頃の教団はまだそこまで急激に大きくなることはなかったから、使われないままになっていたのにすぎない。
「誰でも思いつくような手だよ」
俺が肩をすくめると、執務室の机に置かれた免罪符を手にとって弄んでいたフェラニカが、顔をあげてこちらを見た。
「こんなあくどい手、誰でも思いつくものか。運営資金のためとはいえ、さすがに踊らされる方が気の毒に思えてくる」
「こう思えばいい。免罪符を買った人間は、それによって心の安らぎを得られる。罪から逃れ、自分は天界に行けるものと心安らかに過ごせるのだから、まるきり無意味な行為というわけではない」
「――そういうものか?」
あまり納得がいかないような顔をしながら、フェラニカは首をかしげている。
「でも、これを五年で主席枢機卿に譲り渡してしまうのは、惜しい気がしますが」
ジャイルが売上の書類をめくりながら、言う。
確かに今の儲けを見れば、そうだろう。
「それはこの売上がずっと続けばの話だ。最初は皆、天界に行きたい一心、地獄に落ちたくない恐怖心でこぞって免罪符を買うだろう。だが、この調子でいってみろ。数年後にはすべての金を吐き出して、手元には何も残らないだろうよ」
それを聞いたフェラニカは、あからさまに嫌そうな顔をした。
「つまり、五年後には皆、払う金もなくなって、免罪符もそれほど売れなくなるということか……」
「そういこうとだ。ならば、そんなものは目的を達した時点でさっさと譲り、恩を売っておくほうがよほど有効だろう?」
「すべては織り込み済みの計画というわけですね。主席枢機卿もいい面の皮だな」
苦笑するジャイルに、俺は改めて問いかける。
「ジャイル。現状から計算して、あとどのくらいで移転可能な額になる?」
「そうですね……。半年後には戦争前の資金まで到達するでしょう。その頃には鉱山からの収入も期待できると思います」
「ならば、ハン」
それまで黙っていたハンは、はたと視線を返してきた。
「なんでしょう?」
「噂を流せ。聖教騎士団の新本部を作るにあたって、無私で手伝った者には名誉聖教騎士団の一員として、名簿に名が乗ると。特に城を作る石工に重点を置いてな」
ジャイルが驚いて「えっ」と声をあげる。
「なんだ?」
「いえ。まさかただ働きさせるそんな手があったとはと思いまして。そうなれば、財政的にかなり助かりますね」
ジャイルの頭の中は今、それでどれくらいの経費が浮くのかでいっぱいだろう。
宗教は時に人の心を大きく鼓舞する。
聖教騎士団は異教徒すら打ち破った教会の騎士団。
それの一員として名乗れることは、かなりの名誉となる。
教会への奉仕、自らの名誉。
二つの無私と欲望からなる相反するものは、原動力となって普段以上の力を出すはず。
フェラニカは呆れたようにため息をついた。
「次から次へとよく、そんな手を思いつくものだ」
「切り取る石は周りにいくらでもある。ヴァルキシュ地方にはそれしか特産品がないからな」
「ジャイル。新しい拠点となる地区に、職人用の食事や短期間でできるような仮の宿泊所施設の建設手配を頼む」
「了解しました」
「フェラニカはゾルニク元帥を通じ、鎮圧後解散になった義勇兵の名簿を手に入れてくれ。そこから新兵を補充する」
「分かった」
俺はあの時、マラエヴァが浮かべたあの笑みを思い出していた。
(――マラエヴァ。見てろよ。お前のやってくれこと、必ず後悔させてやる)
カザール国との最前線に俺を置き、捨て駒にするつもりだったのだろうがそうはいかない。
奴の思惑を覆し、必ず出世への足掛かりにしてやる。
 




