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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
30/52

第28話 選択①

 戦える部隊という部隊が出払った聖教騎士団本部は、閑散としていた。

 それでも後に残った兵站部隊の者たちは前線支援のために、物資や兵の供給を行うべく、忙しく立ち働いている。

 セルベク部隊の後方支援を一手に任されているジャイルは特に忙しく、残っている他の部隊の人間からも何かと頼みにされているせいで面倒事も多かった。

「ルダン団長、ようやく出発しましたね」

 中等部時代からの生え抜きの部下であるスタッドが、書類から目を離さずに言った。

 この部屋にはスタッドとジャイルしかいないので、おそらくそれはジャイルに向けられた発言だろう。

 ルダン団長はこのところ、各方面で戦っている部隊の視察と功績の横取りで忙しいのだ。

「おっさんがいないと、仕事がやりやすくて助かる」

 そう言いながら、ジャイルは新しく入ってくる予定の兵士のリストに目を通した。

(これじゃ、少ねぇな……)

 前線では、セルベクが反乱軍相手に奮戦している。

 サンディガ地方でマラエヴァの義勇軍と共闘して以来、行動を共にしている聞いた時には、ジャイルも心底驚いた。

(あのマラエヴァがなあ……)

 中等部時代から既に異彩を放っていたマラエヴァには、ジャイルも一目置いていた。

 それどころか深く関わり合うのは危険な気がして、同じ生徒会に属しながらも距離をとっていたものだ。

(奴は生粋の貴族で、君主だ)

 セルベクにはまんまと巻き込まれてしまったが、今はそれなりにやっている。

 彼は腹黒く冷淡だが、部下をうまく使う。

 だが、マラエヴァは自分の取り巻きすら信用してないような、孤高の強さや酷薄さのようなものが感じられた。

 そもそも貴族ですらないジャイルのことなど、眼中になかっただろう。

 そんなマラエヴァと共闘するセルベクの心中など、ジャイルにはさっぱり理解できなかった。

「――しかし、おい。これだと兵士の数が足りねぇな」

 ジャイルが声をかけると、スタッドはようやく書類から顔を上げた。

「仕方無いんですよ。今、国全体が兵士を募ってますからね。それでも結構かき集めたんですよ。義勇軍に入ろうとしている人間には片っ端から声かけさせてますし」

「何のために予算まわしてるんだ? 数が集まらなきゃ、意味ねぇぞ」

「それはそうですが……」

「仕方ねぇなあ。――おい、スタッド。団長のおっさんも出払ったことだし、今日は久しぶりに飲みに行くぞ」

 聖職者の中でも、ジャイルをはじめとした兵站部の人間は修道士だ。

 他の聖職者と違って、戒律はかなり緩く、飲酒や結婚に関しての縛りはない。

 そして、この“飲み”には別の目的があった。

 それを知っているスタッドは、ジャイルの言葉に苦笑する。

「最後の切り札ってやつですか」

「そこまでじゃあないな。まあ、なるべく正規ルートがいいんだが」

 ジャイルが“飲み”に行くのは、馴染みの店でハンの部下と連絡をとり、兵を融通してもらうためだ。

 ハンの部下に兵を融通してもらうのはこれで数度目だが、いつも彼の仕事は早い。

 しかしそれには余分に金がかかるので、あまり頻繁には使いたくない手ではあった。

「了解しました。でも、とりあえず目の前の仕事が山積みですよ。他の部隊の奴らもジャイルさんをアテにしてますからね。さっきも物資をどうにかまわしてくれって懇願されて」

 スタッドの言葉に、ジャイルは渋い顔をする。

 戦争慣れしていないのはジャイルも同じだが、兵站部に残っている人間も皆が皆、優秀なわけはではない。

 各地で反乱軍との戦闘があるせいで、国内でまとまった物資を安定的に入手することは次第に難しくなってきていた。

 ジャイルはこれまでに培ってきたそれなりのルートがあるので問題なかったが、他部隊の兵站部はいつも苦慮している。

「他部隊の面倒まで見てられるか。助言ぐらいはしてやってもいいが、物資は一つたりともまわすなよ。一度そんなことをしたら、奴らアテにするからな」

「分かってますよ。物資は情報と引き換えってことにしてますから」

 そう言ってさらりと笑うスタッドは、ジャイルの考えをよく理解してくれている優秀な部下だった。

「それにしても、団長もマメですよね。わざわざ転戦する部隊に足を運んで、そんなに功績が欲しいんですかね」

 スタッドは再び書類に目を戻すと、少し声のトーンを落としながら言った。

「燃えかすに火がついたんだろ。欲深いおっさんだからこそ、平民出身でも上まで食い込んだんだろうし」

「英雄の名が泣きますよ。同じ平民出身者として、オレ、ちょっと憧れてたのになあ……」

「清廉潔白な英雄なんているもんか。現実なんてそんなもんだ」

 セルベクの腹黒さに比べれば、ルダン団長などむしろ分かりやすくて可愛いものだ。

 この反乱が鎮圧されればルダン団長は助祭枢機卿に、セルベクは大司教に任命されるという噂が、騎士団本部だけでなく、中央でもささやかれている。

(そうなると、ルダン団長はセルベクが邪魔になるだろうな)

 今は功績をあげてくれるいい駒だが、その後はどうするのか。

(まあ、オレがあれこれ考えることじゃねえか)

 ひとまずは目の前の仕事を片づけてしまわなければならない。

 ジャイルは再び山のような書類に意識を戻した。




 サンディガ地方を出てからもマラエヴァと行動を共にし続けた俺は、各地で転戦し、戦果をあげた。

 その頃には俺も、過去の軍人としての勘と知識的な戦術を、自分のものとしてうまく活用することができるようになっていた。

 しかも、マラエヴァと俺は戦闘において、まるで双子のように呼吸が合う。

 それは奇妙な感覚ではあったが、ごく自然な流れでもあるように思えた。

 作戦だけでなく、戦闘中の突発的な行動においても即座に互いの状況を理解し、挟撃戦、夜襲戦、包囲戦、迎撃戦――、すべてが怖いぐらいに上手くいく。

 大きな戦になるとルダン団長が来て手柄を奪っていくが、その際、マラエヴァは後方に回っていかにも俺の部隊が単独で戦っているかのように見せてくれた。

 もちろん、王の派遣する監察が来たときは、俺が逆のことをしたが。

 それでもそうやって転戦して行くうち、反乱軍は次第にその勢力を失い、追い詰められていた。

「相変わらず面の皮の厚い男だな」

 マラエヴァの言葉に、俺は苦笑する。

 先日まで視察に来ていたルダン団長は、「期待しているぞ」という言葉と共に、ナディム地方にあると言われている中枢の殲滅命令を残して上機嫌で帰っていった。

 マラエヴァ自身はルダン団長に直接面会してはいないが、状況はよく理解している。

「まあ、それもこれで終わりだ」

 ナディム地方は国の北側に広がる山脈に囲まれた地域だ。

 既に反乱軍の本拠地はある程度特定できてはいるが、激しい抵抗が予測される。

 俺の部隊だけでは厳しいだろうが、今まで通りマラエヴァの軍と共闘するのならば問題ないだろう。

 マラエヴァとしても、本拠地を叩けばかなりの功績になる。

「動くなら早い方がいい。他の軍も我先にと向かうだろうからな」

「ああ」

 今いる場所からナディム地方までは数日かかる。

 表向きはまるで心から通じ合った戦友のように、腹の底では互いを利用しようという思惑で結ばれたマラエヴァと俺の共闘も、ついにナディム地方で終わりの時を迎えようとしていた。



 ナディム地方の手前、ケシュニ地方の町を出立して二日。

 ケシュニ地方も山脈が多く、大軍を動かすにはかなりルートが絞られた。

 反乱軍もそれを見越した上で、そこに本拠地を置いたのだろう。


(それにしても――)


 進軍するにつれ、俺はある男の姿を頭に思い浮かべずにはいられなかった。

 反乱軍からの夜襲、不意打ち、突然の後方からの攻撃。

 本拠地が近いとはいえ、あまりにもこちらの情報が漏れすぎている。

 敵はかなり用意周到に準備しており、時にはこちらの倍はあろうかという大軍での襲撃もあった。

 連携する相手がマラエヴァでなければ、俺は命を落としていたかもしれない。

「出来すぎですね」

 ハンが冷やかに言い放った。

 まもなくナディム地方にさしかかるが、既にこの状態だ。

「厄介だな。ジャイルから何も連絡はないか?」

「今のところは……。しかし、ボスかマラエヴァを疎ましく思う者が情報を流しているとしか思えません」

「どちらだと思う?」

「我々は一人の具体的な人物を思い描くことができますが、マラエヴァの周囲に関してまでは何とも判断しかねます」

「――どちらでも同じことか」

 ルダン団長はよほど俺に散ってもらいたいらしい。

 厄介だが、マラエヴァが王族の強権で周囲の部隊を傘下に収めつつ進撃すれば、何とかなるだろう。

 マラエヴァ自身も利用されるのは承知の上で付いてきていると俺は踏んでいる。

 それからさらに二日後。

 様々な妨害を受けながらも、俺とマラエヴァの軍はなんとか無事にナディム地方に入ることができた。

 だが、そこへ息せき切った男が、予想外の伝令を持って早馬で駆けてきた。

「ボス! 部下からの伝令なのですが……」

 彼は放浪の民であるバザンにつけていた、ハンの部下だった。

「カザール国から異教徒が本土に向かって進軍中とのことです」

「なに……!?」

「おそらくこのままの進路であれば、最初に聖教騎士団本部が襲われるのではないかと」

 俺は一瞬、言葉を失った。


(早い! 早すぎる……!)


 バザンを通し、異国の地にこちらの弱体化した情報を流してはいた。

 あちらの王の性格を分析すると、腰が重く、最低でも攻めるまで、あと数か月は時間がかかるものと思っていた。

 だからこそ、国内の反乱鎮圧後、続けざまに異教徒が攻めて来るよう時期を考えて誘導しているもりだった。

 それらを撃退し、ルダン団長ですらこちらに手出しができない程の功績を上げる予定だったのだが……。

 予想外の事態に俺は唸った。

 これでは早すぎる。

 騎士団本部にはまともに戦える部隊がいない。


(それに、本部にはジャイルがいる……)


 このまま放置すれば、ジャイルは間違いなく異教徒に殺されるだろう。

「団長は帰還しているのか?」

「物資の補給の時の情報では、無事帰って来たとのことです。――ボス、いい機会です。このまま団長には死んでもらいましょう」

 ハンはさらりと言ってのけた。

 そうだ。

 これは邪魔な団長に死んでもらう、いい機会ではある。


(だが……)


「ボス、何を迷われるのです? 兵站部の人間など、代わりは用意できます。本部などどうせ廃墟同然。今さら襲撃されたところで失う物はそれほど大きくはありません」

 ハンはいつもと変わらない表情で、刃物のように冷たい光を目に宿していた。

 合理的に考えれば、ハンの言うとおり悪い話ではない。

 しかし、しかし……。

 俺は再びあの、奇妙な感情に襲われていた。

 これが本来のセルベクという男が持つ性格なのか。

 過去の俺には存在しなかった、厄介な感傷。


(だが、俺はあの日に誓った。後悔はしないと――)


 俺はぐっと拳をにぎりしめた。

「――すぐに帰還するぞ。フェラニカに伝えろ。撤退の準備だ」

「ボス!!」

 ハンは驚きに目を見開く。

「いいか、考えてみろ。このまま進撃したところで、教会の危難を救えなかった汚名は残る。それは宗教裁判になれば破門にすらなりうる事実だ。敵中枢の攻撃は、俺がいなくてもマラエヴァ単独でなんとかなる。教会が手を出さなくても問題ないだろう。ならばあとは何とでも言い訳はできる」

 俺の言葉を黙って聞いていたハンは、半ばあきらめ顔でうなずいた。

「ボスがそうお考えならば」

 俺はマラエヴァに別れを告げ、部隊を反転させて全速力で騎士団本部に向かった。

 騎士団本部から帰還を要請する伝令を受けたのは、それから三日後のことだった。


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