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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【少年編】
3/52

第2話 反転

 子爵の二男セルベク――、それが今の俺の名前であり、身分だ。

 厳格な祖父と、貴族然とした両親、そして優秀な兄が一人。

 飛びぬけて裕福というわけではないが、貧しくもない。中流貴族の家庭だ。

 平日は近くの学校へ通い、休日は教会のミサに行くというのが、俺の世界の全て。


 今考えると、なんと狭い世界であることか。


 しかし、その習慣を突然変えてしまったら、家族や知人たちは驚いてしまうだろう。

 俺はひとまずその生活を、表向きは慎ましやかに続けることにした。

 病気が快復して初めて、俺が向かったのは教会のミサだった。

 それが俺の義務だから。

 ここ、王都にあるラトス教の教会は、王都にある教会の中でも一番豪華な教会だ。

 ステンドグラスや金細工、立派な彫刻をふんだんに使い、その威光を示さんとするばかりだ。

 見慣れたこの豪奢な教会も、今の俺にとって、目新しいものに見えた。

「やあ、セルベク。ようやく病気が治ったのだね。心配したよ」

 そう言って神父のひとりがにこやかに俺の肩を叩いた。

 俺は黙って微笑み返し、うなずいてそれに応えた。

 俺は記憶力が良いせいで、教会では“神童”ともてはやされていた。

 一度読んだ聖典をすべてそらんじ、“将来は宗教界を背負って立つ人物”とまで言われた。

 白い肌、淡い金髪、微笑めば天使と例えられるほど人より愛された容姿。

 一度聞けば何でも覚えた、秀でた記憶力。


 ――だが、それだけだ。


 俺は所詮、可愛い容姿をした記憶力が良いだけの子供だ。

 一度読んだ聖典をそらんじる程度の者でしかなく、それはつまり、大人になれば唯の凡人。

 教会も物珍しさにちやほやしているだけで、いずれはそこそこの地位について、そこそこの人生で終わるような人間なのだ。


 吐き捨てるほど、つまらない人生だ。


 そんな俺の心変わりに気づきもしないで、神父はいつものように、ミサのあと、俺を皆の前に立たせ、聖典の一部をそらんじるように言った。

 なるべくこれまでと同じそぶりを装って、俺がそれに従うと、神父は満足げな顔をして、いつもの決まり文句を述べる。

 神の愛がある限り、この神がつかわした天使のような子セルベクのように、皆にも加護があります、と。

 冷めきった気持ちで、俺は周囲を見渡した。

 そこで、教会の隅っこで固まっている、スラムの少年たちと目が合う。


(やつらか――)


 以前の俺が恐れ、逃げ回っていた相手。


 身につけた服は、薄汚れていて粗末なもの。顔も同じだ。

 だが、彼らの目はまるで蛇か鷹のように鋭く、爛々と光っている。

 俺を睨んでいるのだ。

 まるで俺の方が汚れた者であるかのように。

 彼らはいつも神父に特別扱いされる俺を、よく思っていないのだ。

 俺の気が弱いのをいいことに、いつも集団で脅しに来る。

 そしてそれは、いつも決まって家族がいないとき、俺と使用人しかいない時を狙ってくるのだった。


(今日もあいつら、ちょっかいを出してくるんだろうな……)


 妙に落ち着いた心持ちで、俺はそう思った。

 使用人もそれを分かっていて、彼らを避けるようにするのだが、それがうまくいくことは少なかった。

 案の定、俺と使用人は、ミサが終わり教会を出ると、人影が少ないところを見計らったかのように彼らに取り囲まれた。

「よう、セルベク。この前のミサの時にはいなかったじゃねーか」

 リーダーの少年ハンが、ニヤニヤしながら、俺の肩に手をかけた。


 まるでカミソリだな。


 俺はハンを見ながら、そう思った。

 今までは怖いばかりだったが、今は冷静に観察するだけの度胸と確たる自信があった。

 彼らは使用人から俺を引き離すように、人通りのない、教会の裏へと連れ込む。

 使用人といっても別に腕に自信があるわけじゃない。彼も怖いのだ。

 俺は逆らうことなく、彼らに従った。

 彼らは人気のないところまで俺をひっぱりこむと、突如リーダーのハンが、俺の背中をどんと突き飛ばした。

「いい気になってんじゃねーぞ。この頭でっかち野郎」

 ハンがそう言うと、一緒にいた部下の少年たちも口々に言う。

「そろそろ教会に来るの、やめろよ。お前のその勘違いしたツラを見てるとイライラする」

「調子に乗りすぎなんだよ」

「神父様が持ち上げるからって本気にしてんじゃねーよ。お前みたいなクズが天使なわけねぇ。浮かれんじゃねーぞ」

 少年たちは、俺を取り囲んだ。

 集団で。

 俺が何もできないと、そう判断した上で。


――ばかばかしい。


 今の俺ならそう思える。

 ハンに、どんなに迫力があろうとそれが何だというのだ。

 所詮、彼らは子供でしかなく、子供が小さな世界の権力に酔って、弱い者いじめしているにすぎない。

 俺が鼻で笑った。

 すると、今までのおどおどした態度と違うのが気に入らなかったのだろう。

 彼らは烈火のごとく怒った。

「そんなに気に入らないのなら、お前たちが来なければいい。くだらないことで、いちいち俺を呼び出すなよ」

 俺は肩をすくめ、彼らの輪からするりと抜けだした。

「生意気な口ききやがって! やっちまえ!!」

 ハンが叫ぶ。

 怒りにまかせて殴りかかってくる部下の少年たち。

 顔面めがけて、勢いよく拳が飛んできた。

 彼らは恐ろしくケンカ慣れしている。

 だが、軍人だった記憶を持つ俺にとって、それは所詮子供のお遊びにすぎなかった。

 素早く身をひるがえし、突き出された拳を軽く避ける。

 続けざまに肘鉄をみぞおちに食らわせた。

 反撃された少年は、口から胃液を吐き出す。

 そのまま裏拳をかませて、鼻血が噴き出るままに、地面にたたき伏せると、極め技に入る。

 ハンがあわてたように、他の少年たちにも声をかけ、集団で襲うように指示した。

 俺は身動きが取れないように技を決めていた少年から手を放すと、周辺の石をざっと拾う。

 そして、それを特殊な技を使って飛ばしてやった。

 ただの石ころが、すさまじい勢いで少年たちの眉間に当たる。

 額から血が流れ、バタバタと少年たちは倒れこんだ。

 さすがのハンも、真っ青になって震えだす。

 ハンには分からなかっただろう。

 俺がどうやって石ころを強力な武器にしたのかが。

「な、なんだよ、これ……」

 ハンはようやく、俺がいつもの俺ではないと気づいたようだった。

 目を見開いたまま、信じられないといったように、首を振る。

「お前、一体何を……」

 俺はリーダーに向き直り、無表情のまま静かに言った。

「俺がお前たちの存在を消すことは造作もない。もう分かったと思うけど。それとも……、俺に土下座してでも、生きたかったりする?」

 ハンもようやく俺の怖さが分かったのか、小刻みに震えながら小さく「ああ」とつぶやく。

「どうしようかなあ? ――なんてね。これから俺の手下になると約束するなら、今までのことは大目に見てやるよ。まあ……、どうしてもここで死にたいって言うのなら、無理にとは言わないけど」

 俺は冷ややかな目で、少年たちを見下ろした。

 幾十の戦場を乗り越え、血の洗礼を浴び、普通の感覚がマヒしていたあの頃の目で。

「わかった。セルベク、お前の――、俺たちの負けだ。だから、これで勘弁してくれ」

 ハンは思ったよりも潔く、膝をついた。

 目に見えるはっきりとした弱肉強食の世界で生きてきた彼らは、誰よりもそういったルールに敏感なのかもしれない。

 もし、どこかで逆らうようなそぶりを見せるようなら、始末してしまってもいい。

 どうせ、こいつらはスラム街の住人。

 一人や二人……、親のない孤児たちが消えたところで、誰も騒ぎはしない。

 以前の俺は、それすら恐れていた。

 祖父に言いつけて、彼等がどうにかなってしまったら、と。

 だが、今はそういうためらいは、まるでない。

 弱者が強者の前に命を落とすのは、自然の摂理だ。

 こいつらが生きようが死のうが、俺にとっては、もはやどうでもいいことなのだった。



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