第26話 邂逅②
サンディガ地方の町ザルツから南に下ったその場所で、俺はそこで思いがけない再会を果たすこととなった。
「マラエヴァ……」
「久しぶりだな、セルベク。――いや、今はセルベク司教と呼んだ方が正しいか」
金色の鎧を身にまとい、貴族の子弟らしき者たちを従えるマラエヴァは、堂々たる風格を漂わせている。
噂こそ耳にしてはいたが、実際に彼に会うのは中等部以来だ。
当時から既にその片鱗はあったが、成人した彼はさらに精悍な顔つきになり、まるでどこかの君主さながらの風貌になっていた。
互いの部隊を一時駐留させ、俺とマラエヴァは久しぶりの言葉を交わす機会を得た。
「大学院に行っているのではなかったのですか?」
中等部の頃を彷彿とさせるような穏やかな口調で俺が話しかけると、マラエヴァは首を横に振った。
「この未曾有の国難に黙っていられる貴族がいるか? 国を守護してこその貴族。その誇りがない者は、貴族を名乗る資格はない」
静かな口調の中に、確固たる意志を感じるそれは、貴族として高い矜持を持つ彼らしい答えだった。
すると突然、マラエヴァが小さく笑う。
「どうかしましたか?」
「いや……。そんな話し方は、よしてくれ」
マラエヴァは俺を手で制し、そしてその鋭い眼光で俺を見据えた。
「――お前にはまんまと騙されたよ。神童だのともてはやされているだけの大人しい男だと思っていたが、中等部での暴動鎮圧。あの頃から俺はお前への見方を少し変えた。だがそれでも、お前がこれほどの人間だとは正直思っていなかったよ。噂は聞いているぞ。今や軍人顔負けの戦果をあげているというではないか。今さら俺にへりくだる必要はない。もうそんな態度はやめてくれ」
口調こそ冗談のようだったが、その鋭い目は笑っていなかった。
「そういうことなら、遠慮はしないが」
俺は静かに微笑み返す。
いつか対面するとは思っていたが、まさかこんな場所で、こんな形でマラエヴァと会うことになるとは。
彼は貴族院で政治家になるとばかり思っていたが、彼の中には、それ以上の何かが眠っていたらしい。
彼の血統と実力があれば、こんなところで泥にまみれて剣を交えなくとも、十分貴族院でのし上がって行けただろうに。
「マラエヴァは後方でかまえて指示を出す――、そんな政治家になると思っていたよ。まさか、こんな前線にまで自ら乗り出してくるとはな」
俺の指摘に、マラエヴァは苦笑する。
それはかつて、あの暴動の時に俺が彼に与えた配役そのままだったからだろう。
だが、マラエヴァはそれを良しとして受け入れるような男ではなかったのだ。
「後方で構えているのは俺の性には会わん。立つべき時には立つ」
マラエヴァは志願兵としてこの義勇軍に参加したが、彼はその家柄と経歴から、部隊の長に任じられたのだと話した。
彼が立つのならばと協力を申し出た若手貴族が彼の下につき従い、さらに資金援助を申し出る貴族たちもそれなりの数にのぼったという。
「この国の貴族にも、まだまだ国を思い、国を憂う者がいるということだ」
そう言って、マラエヴァは皮肉っぽい笑みを浮かべる。
おそらく国を憂いてというよりは、マラエヴァの今後に期待した先行投資というところだろうと俺は推測した。
彼の家は確かに王族につながる名家だが、裕福ではない。
だが、マラエヴァもそれが分かった上で、彼らを利用しているのだ。
「セルベク。お前はこれからどうするつもりだ?」
ふと改まったようにマラエヴァが言った。
「俺はサンディガ地方鎮圧のために来ている。教会からの命令で動いているからな」
その為には、あの反乱軍をどうにかしなくてはならない。
「そうか。――ならばザルツ奪還だな」
「やはりあそこは反乱軍に落ちていたのか」
俺の言葉にマラエヴァは頷く。
「救援を求められてここまで来たが、一足遅かった。今部下に探らせてはいるが――」
「ザルツには既に、他の義勇軍が入っていたんだったな。率いていた貴族は無事なのか?」
「それも今、調べさせているところだ」
先ほどは奇襲によって撃退できたが、いくら反乱軍の装備が粗末で、指揮官も成り上がりの者とはいえ、さすがにあの数で来られれば無策では厳しいだろう。
「――セルベク。一緒にザルツを攻略しないか?」
思いがけないマラエヴァの提案に、俺は思わず眉をあげた。
マラエヴァは部下を利用しても、頼みにはしない人間だと知っていたからだ。
中等部の頃は漠然としか分からなかったが、今思えばその態度や行動の端々に、彼のそういう考えがにじみ出ていた。
あれだけの取り巻きがいても彼が信じるのは己のみであり、だからこそ俺がジャイルやフェラニカを取り込んでも、顔色一つ変えなかったのはそのせいだったのだと後で思ったものだ。
確かに今の俺は部下ではないが……。
(だが、悪くない話だ)
俺とマラエヴァの兵数を合わせても、三千。
先程撃退した反乱軍も多少その数は減らしているが、それでもザルツに駐留する反乱軍が三千を下ることはないだろう。
それに、マラエヴァの実力を間近で見られるということにも、多少興味をそそられる。
「聖教騎士団と義勇軍の共闘か……。おもしろい。だが、それでいいのか?」
「我々は正規兵ではない。反乱軍さえ鎮圧できれば、どこへ行って誰と手を組もうと、問題はない」
俺は彼の提案を承諾した。
それは俺とマラエヴァが初めて、同じ場所に立った瞬間だった。
マラエヴァに救援を求めた貴族は、既に戦死していたことが分かった。
離散した兵をかき集め、マラエヴァの軍はさらに膨らむ。
だが、それでもマラエヴァの義勇軍は二千弱に、俺の部隊は約千。
マラエヴァの情報では、ザルツにいる反乱軍はおよそ四千という話だった。
ハンからの報告もほぼ同じ。
「マラエヴァの軍と合わせても、この数で市街戦をするのは厳しいな」
ハンの報告を聞きながら、俺は眉をひそめた。
策を弄せば、勝てなくはないだろう。
だが、致命傷を負えば、この先転戦を続けることは厳しくなる。
思案しているところに、部下がマラエヴァからの使者の来訪を告げた。
「セルベク司教。マラエヴァ様からお話したいことがあると」
やってきた若者は見るからに貴族らしい男だった。
「分かった」
俺はハンを連れ、天幕を出た。
案内されるまま、俺はマラエヴァの天幕に向かう。
天幕の前には別の部下と見られる男が待っていた。
「お連れの方はここで……」
そう言って、男はハンを制した。
ハンはその男を冷やかに見返す。
「彼は腹心だ。問題ない」
俺がそう言うと、中からマラエヴァが出てきた。
「来たか、セルベク。入ってくれ。――そこの彼も一緒で構わない」
すると、マラエヴァの一言で部下の貴族たちは一斉に頭を垂れ、道を開けた。
(こういうところは中等部の頃と変わらないな……)
マラエヴァの相変わらずの君主ぶりに、俺は心の中で失笑しつつも彼の後に従う。
天幕の中には男が一人いたが、俺の姿を見ると一礼して天幕を出て行った。
俺は出て行った男を目で追う。
彼もそれなりの貴族だろう。
無骨そうではあるが、どことなく品の良さが感じられた。
「いいのか?」
「何がだ?」
マラエヴァは出て行った部下をまるで気にする様子もない。
「いや……」
置かれた簡易テーブルの上には、ザルツの町とその周辺が描かれた地図が広げられていた。
「ザルツを探っているうちに、おもしろいものを手に入れてな」
そう言うと、マラエヴァはにやりと笑った。
「なんだ?」
「ザルツ手前でうろついていた結社の男を部下が捕まえたんだが、そいつがどうやら伝令兵のようでな。南東にあるクレヒムから来たらしいんだが、どうやらザルツにいる反乱軍に援軍を求めに来たらしい」
「結社の男がしゃべったのか?」
俺は思わず声を上げた。
農民出身の者たちはそれほどでもないが、結社の人間同士の結束は異様に固い。
俺自身、これまでも何度か捕まえて情報を吐かせようとしたことがあるが、ことごとく自害された。
俺の驚きの意味をすぐに理解したのだろう、マラエヴァは目を細める。
「やり方はいろいろある。――まあ、それはいい。ザルツ攻略にその伝令を利用する」
そこでマラエヴァはハンに視線をやる。
「その男はもちろん、使えるのだろうな?」
俺はマラエヴァの言わんとすることを理解し、うなずく。
作戦を伝えるのに、外部に漏れては困るからだ。
「問題ない。信用してくれていい」
「では、こちらの案を伝えよう」
そう言って、マラエヴァは今回の作戦を話し始めた。
マラエヴァとの長い話し合いを終え、天幕を出ると外は既に闇だった。
「そちらにはフェラニカもいるのだろう?」
見送りに出たマラエヴァがぽつりと言う。
「――ああ。ジャイルは本部に置いてきた」
するとマラエヴァは、くつくつと笑った。
「お前は見事に生徒会の人間を引き抜いて行ったな」
「マラエヴァは必要としてはいなかっただろう?」
俺がそう返すと、マラエヴァは首をかしげた。
「さあ、どうかな。――まあ、お前の言う通りかもしれんな」
どこまでが本心なのか、彼の表情からそれを読み取ることはできない。
マラエヴァの天幕を後にし、周囲に人影がなくなると、ハンが静かに話しかけてきた。
「なかなか食えない人物ですね」
ハンもマラエヴァのことを知ってはいたが、直接会うのは初めてだった。
ふっと夜風が頬を撫でていく。
「油断した隙に、背後から食われるかもしれないな」
軽口を叩くと思いがけずハンが真に受けたような顔をするので、俺は笑った。
「俺を潰す気なら、堂々と潰しに来るさ」
するとハンは不信感もあらわに呟く。
「そうでしょうか? オレはそこまで信用できないような気がしますが」
「それが奴の面白いところだ。毒を飲みながら、妙な矜持も持ち合わせている。――だが、奴を出し抜くのは至難の業だな」
ひとまずは手を組もう。
手を組むことはマラエヴァにとっても、俺にとっても益がある。
だが、この共闘は長く続くものではないことは、マラエヴァにも分かっているだろう。
いや、最初からそのつもりのはずだ。
俺はマラエヴァとの間に、再びそういう駆け引きが始まってしまったことを感じていた。




