第23話 カキュラム鎮圧戦①
山から吹き下ろす緩やかな風が木々を揺らす。
王都南部に位置するセブラム地方は温暖な気候で、特にこの時期、豊かな緑が心を和ませる。
そんな穏やかな光景が広がる小高い平地に、部隊は天幕を張って駐留していた。
眼下に見える集落はのどかな佇まいのまま、遠目から見るとまるで何事もなかったかのように見える。
しかし、数日前までそこにいた住人たちの姿はなく、ひっそりと静まり返っていた。
俺の中にあったあの奇妙な感傷も、今はきれいさっぱりなくなっている。
広がる景色から目を転じると、部隊はその日届いたばかりの補給物資を前に、久しぶりの賑わいを見せていた。
物資を運んできた兵士の一部はそのまま部隊へ組み込んでもらっていいと、補給物資とともに届いたジャイルの手紙にはあった。
俺はジャイルの顔を思い浮かべて苦笑する。
(なかなかやってくれる)
兵士の補充もジャイルに任せてあったのだが、これほど早く集まるとは。
本部を出立して六日。
ここでの戦いはそれほど苦しいものではなかったが、騎士団本部からここまで馬を飛ばしてきた上、部隊として初めての実戦経験でもあったので、急いで本部に戻ることはせず、俺は兵士に十分な休息をとらせるつもりだった。
ジャイルからの手紙をしまい、ふと視線を転じると、騒ぐ兵士たちの少し後ろで、腰に手をあてて冷やかにその様子を見守るフェラニカの姿が見えた。
どうやらまだ、彼女の機嫌はあまりよくないようだ。
苦々しく思いながら彼女に近づく。
するとフェラニカはつと顔をあげ、俺にだけ聞こえるような控えめな声で不満そうに言った。
「あとは本部に戻るだけだというのに、なぜ兵の補充を?」
俺は彼女の問いには答えず、新しく来た兵士たちの方を見た。
「それも含めて話がある。あとで天幕まで来てくれ」
そう言って彼女の肩を軽く叩くと、彼女は眉間にしわを寄せてうなずいた。
さらに俺はもう一人の人影を目で探す。
ハンは盛り上がりを見せている兵士たちとは離れた一角で、彼の部下と話し込んでいた。
声をかけようかと思った瞬間、ハンは不意に顔をあげ、俺に気づいた。
軽く手で合図を送るとハンはうなずき、さらに部下に一言二言かけて、こちらに向かって歩き始める。
俺はその様子を目の端で確認し、自分も天幕へと足を向けた。
天幕に入ると、外のにぎやかさがわずかに薄らぐ。
先に天幕に来ていたフェラニカは、まるでこの場の主のようにどっかりと椅子に座り込んでいた。
「ジャイルはどういうつもりなんだ? お前が何か指示をしたのか」
相変わらずの態度に、俺は苦笑する。
「それは今から話す」
そう言ったところに、ハンが静かに天幕に入ってきた。
俺に軽く頭をさげ、そしてフェラニカをじろりと睨む。
「始めよう。いいか?」
そう言って俺は二人の前に地図を広げた。
「状況が変わった。ジャイルからの情報だ。俺たちが本部を出た後、カキュラム地方でも暴動が起きたらしい」
「動きだしましたか。タイミングとしては、悪くないですね」
ハンは目を細めて静かに言う。
「まだ正式な命令は出ていないが、本部よりここからの方がカキュラム地方まで近い。あの団長のことだ。おそらく俺たちに向かえと命令するだろう」
今回の戦果報告に伝令を出したのが、一昨日。
伝令から報告を受けた団長が次の命令書を寄こすとしても、それほど長くはかかるまい。
「ここでの蜂起が、セブラムにも伝播したのだろうか」
フェラニカが地図を見ながらつぶやく。
「それはないな。それほど早く伝わらないだろう」
「所詮は戦い慣れない農民の反乱。一か所だけではすぐ鎮圧されてしまうと踏んで、結社がわざと同時期に起こるよう計画していたと考える方が自然ですね」
ハンの説明に、俺もうなずいて同意する。
「ゼブラムに結社の人間がいなかった理由は、そういうことだろう」
「武器の補給に、戦いの指導……。奴らは裏方で動くのに忙しいのでしょう。結社の人間にも限りがありますからね」
「各地で農民をたきつけて回っているのか」
フェラニカの表情は複雑だが、俺としては連鎖的に起こる暴動は望むところだった。
暴動が激しくなればなるほど、それに対する貴族たちの反感も高くなり、功績も得やすくなるだろう。
今回の戦果はルダン団長とは別に、兄のカムルやゾルニク元帥に対しても報告するよう伝令に託してある。
そちらに連絡が届くには一週間ほどかかるだろうが、ルダン団長が戦果を握りつぶさないようにするための、あくまで予防措置だ。
ルダン団長ならば、俺の戦果を自分の物にしかねない。
「カキュラム地方か……。セブラムよりかなり範囲が広くなるな」
フェラニカの呟きに、俺は広げた地図に視線を落とした。
カキュラム地方は国の西方に位置する比較的肥沃な地域で、集落の数も多い。
その全てが動いたわけではないにしろ、それなりの規模になっていることが想定される。
「どちらにしても、急いで本部に戻る必要はない。ジャイルはそのつもりで物資と一緒に兵士も寄こしてきている。しばらく兵に休息を取らせて、態勢を整える」
「ハン。カキュラム地方に送る先遣隊を編成してくれ。詳細が知りたい」
「わかりました」
「フェラニカは部隊が転戦できるよう準備を。次は規模が大きくなる可能性がある。今回ほど簡単にはいかないだろう」
「わかった」
俺は再び流れ始めた時間に、胸を躍らせた。
それから数日後。
予想通り、ルダン団長から「カキュラム地方で起きた暴動を鎮圧せよ」という内容の命令書が届いた。
俺はすぐさまここを発つ準備を始めるよう、指示を出す。
それを受けたフェラニカの指示の下、撤収作業が始められた。
天幕などが兵士たちによって手際よく片づけられていく。
彼女を怒らせると大変なことになるのは既に周知の事実なので、彼らは実にきびきびと無駄なく動き回っている。
そんな様子を横目に見ながら、俺とハンは二人で今後のことについて話していた。
「市街地まで早くて六日……。その間になるべく各個撃破できれば理想だな」
先遣隊の報告では、暴徒はカキュラム中心部ルベリにある市街地までは達していないが、それぞれの集落から市街地に向かってその歩みを進めているという。
おそらくは結社の人間の手引きだろう。
「南東で結集している者を潰していくにしても、北から中心部を目指してくるものに関してはどう考えても間に合いませんね」
カキュラム地方の中心部から南にある集落のうち、蜂起し、移動しているものを全て撃破するとしても、北側にある集落まではさすがに手が及ばない。
となれば、北側から集まってくる暴徒がほぼ全て中心部に集結すると見ていいだろう。
「カキュラムは豊かな地域だ。市街地にはある程度貴族の私兵もいるだろう」
そうは言ってみたものの、それは希望的観測にすぎない。
最悪の場合、カキュラム地方の中心部が結社を中心にした暴徒に落とされる可能性もある。
そうなると暴徒はさらに勢いづいてしまう。
勢いに乗った集団というのは、存外厄介なものだ。
理想としては、兵力を温存しつつ、暴徒を確実に叩きながら、なるべく早く市街地まで到達するのが一番いい。
しかし、通常に行軍してもカキュラムまで六日はかかる。
暴徒を叩きながらとなれば、さらに日数がかかるだろう。
それからようやくセブラム地方を出立し、部隊が最初の暴徒に行き当たったのは、二日後のことだった。
手前の集落にあった小さな教会と役所は既に襲撃された後で、彼らはその勢いに乗って北上していた。
「規模は二百名程。そのうち結社の人間が十名、案内役として彼らを率いているようです。あとは武装した農民ばかりで統率はそれほど取れているようには見えませんでしたが、士気は高いとの報告です」
敵数は倍近いとはいえ、その中身は訓練されていない農民。
それほど恐れることは無いだろう。
それよりも大事なことは、部隊に経験を積ませることだ。
これまで百年以上戦争をしてこなかったこの国の国民には、戦闘意識が薄い。
それは訓練された下士官学校、士官学校あがりの自部隊においてもそれは同じことが言える。
セブラムでの作戦で人を殺すことに対する兵士たちの意識は変わっただろうが、それでも訓練で培った能力を発揮するにはまだ程遠い。
俺も記憶の中に実戦経験に加え、士官学校で習ったことは頭にあるが、まだそれを十分に発揮できるほどこの世界での戦闘に慣れているわけではない。
ちょうど良い肩慣らしになるだろう。
俺はハンの報告を聞きながら、暴徒と部隊との距離を確認する。
結社の人間は騎乗しているが、それ以外は徒歩。
このままいけば今日中に追いつくだろう。
小休止を入れるために部隊を一時停止させ、俺とハン、フェラニカは木陰に集まった。
「奴らがルベリの市街地に向かっているのなら、ルートは限られるな」
「近くに集落があります。そこで合流する可能性が高いでしょう」
ハンが、地図上に描かれた小さな点を指さす。
そのまま背後から急襲することも考えたが、俺としてはできるだけ兵の損失を少なくしたい。
幸い距離的に見て、彼らが今日中に次の集落までたどりつくのは難しいと思われた。
ならば、彼らが集落で合流する前に叩いた方が賢明だ。
「伏兵できる場所はありそうか?」
「それも確認させておきました」
ハンは地図上のルートを指で辿りながら、説明する。
「部隊の現在地はここです。今敵が進んでいるのがこのあたりになります。この先しばらく行ったところに大きく道が交差する場所がありますが、それより手前に北へ抜ける脇道があります。この道を行けば、少し迂回することにはなりますが、相手は徒歩なので十分先回りできるかと」
「騎馬で進んで問題はないのか?」
フェラニカの問いに、ハンが冷やかに応える。
「悪路ではないことは確認済みだ。問題ない」
「よし。では休憩が終わったら、この先北へ進路を変える」
「分かった」
部隊は小休止を終えると、騎馬を頼みに北の脇道を目標地点に定めた場所まで一気に進軍した。
暴徒の集団は北西に抜ける道を北上してくる。
脇道を抜け、北東側の道へと迂回した部隊がたどり着いた時、太陽は既に傾きかけていた。
左右は背の高い木々が生い茂った小高い森が広がっている。
さらに道は鋭角に交わっているので、互いの様子はこの位置から全く確認することはできない。
東西に向かってごくわずかに傾斜した道に部隊は待機し、その向かい側に生い茂る木々の陰に物見の兵を潜ませた。
(日暮れまでには方を付けたいところだな)
風が緩やかに流れ、はるか上空で甲高く鳴く鳥の声が聞こえる。
しばらく待機の後、ようやく斥候が暴徒の一団の接近を伝えてきた。
(来たか……)
俺はフェラニカにうなずくと、彼女は無言で部隊に合図を送る。
その場の空気は一気に緊張感に包まれ、馬の吐息が耳を覆った。
ほどなく遠くからガラガラという荷車の大きな車輪の音が聞こえてくる。
それは次第に大きくなり、そこに馬蹄の音が混じった。
俺は近づく音に耳をそばだてながら、物見の兵を注視する。
物見の兵が指で合図を送ってきた。
(掛かった!)
俺は掲げた手を振り下ろし、静かに突撃の指示を下した。
それとほぼ同時に、俺の目にも暴徒たちを先導する赤い布を巻いた男の姿が見えた。
部隊は引き絞った弓から矢が放たれるかのように、大きな雄叫びを挙げて一気に暴徒集団の側面へと突っ込んだ。
わずかな傾斜がさらに、騎馬に勢いをつける。
幾つもの馬蹄が地面を揺らし、土煙をあげた。
突然側面から現れた騎馬の群れに、暴徒の集団は立ち止まることもできず、戦い慣れない農民たちは一瞬で恐慌に陥った。
わああっという悲鳴とも怒声ともつかない声があがる。
狙うのは腕に赤い布を巻いた、結社の人間。
逃げ惑う暴徒たちの悲鳴が響き、それを引き留めようと結社の指揮官が必死に声を荒げる。
激しく馬が嘶き、右往左往する暴徒たちを弾き飛ばしていく。
そんな逃げ崩れる農民兵たちを振り払い、馬で蹴散らしながら、フェラニカは先頭を進んでいた結社の人間の姿を追う。
追ってきたフェラニカに対峙する形で、結社の男は振り向いた。
手には剣を持っている。
しかし、目に飛び込んできた瓦解して行く暴徒たちの姿に、どうにもならないと思ったらしい。
再び素早く馬首を転じると、フェラニカに背を向けた。
「待て! 逃げる気か……!」
フェラニカの怒号が飛び、次の瞬間、彼女は手にしていた槍を勢いよく男の背中に向かって投げた。
「ぐはぁっ……!」
背中を一突きにされた男はぐらりと馬から転げ落ちる。
それに続くように、他の結社の人間も次々に討ち取られていく。
なんとか戦おうとしていた農民たちもそれを見ると、武器を放り投げて来た道を転げるように逃げ始めた。
「深追いはするな!」
馬首を向ける兵士に俺は怒鳴る。
完全に戦意を喪失した彼らを追ったところで、益はない。
あとに残されたのは主を失った馬が数匹と、息絶えた者たちの亡骸ばかりだった。
近くにいたハンが、部下に結社の者たちの死体を探るよう指示する。
何か結社に関する情報が得られればと思ったのだろう。
しかし、転がる死体の持ち物の中から出てきたのは、カキュラム地方の主な道と集落を示した地図。
「奇妙な文字列ですね」
そう言ってハンが差し出した地図には少し血がついていたが、見るのに困るほどではなかった。
それよりも目を引いたのは、それぞれの集落の下に書かれた文字。
一見すると何かの文章のようにも見えるが、その並びはまるででたらめで、言葉としての意味を成していない。
「暗号文か……? 他に何か持っていなかったか?」
「それだけです」
何か意味があるはずだ。
だが、解読できるようなものを一緒に所持していないのならば、それほど複雑ではないのかもしれない。
俺はふと、先遣隊からもたらされた情報を思い出した。
蜂起した集落の場所は、俺の頭の中にしっかり記憶されている。
(それをこの地図を重ね合わせたとしたら、何が見える――?)
適当に羅列されていると見せかけた文字。
そこに見える共通点は……。
蜂起した集落に共通している文字が、それぞれ同じ場所にひとつある。
(これは蜂起する集落の場所――だな)
そう考えると、先遣隊の情報にはなかった集落もいくつか浮かび上がってきた。
(先遣隊の報告より若干、数が多いな)
そしてカキュラム地方の中心地ルベリの下に書かれた文字列にだけ、その文字が二つ並んでいる。
「やはり、ここに暴徒を集めるつもりか……」
市街地に集まるのは、どれほどの数になるか。
今戦った限りでは武装しているとはいえ、やはり農民は農民でしかなかったが……。
カキュラム地方まで、早くてあと四日。
俺が北の空に目をやると、高く飛ぶ鳥の姿が上空に小さく見えた。




