第21話 慈悲なき戦い①
夜の闇が落ちた聖教騎士団の敷地内。
室内で兄からの手紙に目を通していた俺は、ふと窓越しに階下を見降ろした。
敷地内はどこまでも闇が広がっているが、小隊の建物からわずかに離れた場所。
ぼんやりと光が届くその場所に、ハンと彼の部下の姿があった。
何事か話しこんでいる。
ハンの部下と言っても、この小隊にいる人間ではない。
(このところよく見かける男だな……)
そう思いながら見ていると、話はついたらしい。
男は周囲に視線を走らせてから、素早く身を翻し、暗闇の中に消えていった。
なかなかいい身のこなしだ。
俺はそれを目で追いながら、ハンがこの小隊に連れてきた部下のことを思った。
彼らは軍隊経験こそなく粗削りだったが、いつも油断なく、軍隊式の訓練も驚くべきスピードで吸収していった。
生来、身体的能力の高い者たちなのだろう。
どことなく翳のある者ばかりで、なかなか小隊にはなじまないが、それはハンも同じだ。
部下と別れたハンはさっと周囲を確認し、そのまま俺のいる窓辺を見上げた。
俺が見ていることに最初から気づいていたのか、それとも今気づいたのか。
こちらに向かってひとつうなずくと、ハンも建物の方へと消える。
この後、ここに報告に来るつもりだろう。
俺は兄からの手紙を、誰にも目につかない場所に素早くしまいこみ、鍵をかけた。
兄の手紙には、近頃、重税に対する農民の不満の声が高まっていることに、国の高官たちがいらだちを見せていると書かれてあった。
民衆は、貴族や王族たちの贅沢な生活を支えるための税金とは別に、教会に対しても宗教的な税金を納めている。
つまり二重の税金を払っているのだ。
さらには宗教者たちが善意という名のもとに集める寄付、地方によって勝手に上乗せされる税金。
民の中でも最下層にある農民たちは、国内で占める人口の割合こそ多いが、最も搾取されている者たちでもある。
豊作の時期でも苦しい生活を強いられていると聞くが、今年は特に不作で、生活はかなり困窮していると聞く。
しかし、彼らは土地に縛られ、町に住む商人たちのように移住することすら許されないのだった。
俺が思案していると、部屋の扉が小さくノックされた。
「ボス、よろしいですか」
控えめだが、低く響くハンの声に、俺は入るよう応えた。
するりと音もなく部屋に入ってきたハンは、その身に聖職者の衣服をまとっている。
彼ほど聖職者然とした装いが似合わない人間も珍しいだろう。
彼の面立ちは、一般的な聖職者とは対極の位置にある。
「最近頻繁に連絡を取り合っているようだな。――何か動きはあったか?」
俺が尋ねると、珍しくハンが視線を一瞬そらした。
そして、曖昧な表情を浮かべる。
「農民の動きは逐次報告させています。――が、今日は別の件で」
「別の件?」
「スラム内部のことです。あらかじめ手は打ってあるので、問題はありません」
ハンのその言葉に、俺はふと思い当った。
俺が聖教騎士団に入ってから、ハンもかなりの時間をこの小隊で過ごしている。
普段それほどここでの用事があるわけではないが、ハンにはその他でもいろいろ立ち回ってもらっている。
スラム上層部の人間からしてみれば、ハンは半ば不在だと言ってもいい状態だろう。
「とうとう下からの突上げが来たか」
「――ご明察。ですが、そのような動きは日常的で、今回に限ったことではありません。オレが席を空けているのを好機と勘違いして、奴らが活発に動き始めただけのこと。むしろあぶりだして、一気に始末するいい機会だと思っています」
「それは頼もしいことだな」
「恐れ入ります」
頬に残るハンの傷痕。
彼は俺の知らないところで、数多くの修羅場を潜り抜けてきている。
ここにも彼自身の部下を連れてきているが、それとは別に、スラムの方にも使える駒をかなり残してきたのだろう。
「兄から連絡がきたよ。各地で農民が不穏な動きをしているのを、国も気付いてはいるらしい。だが、所詮は力のない者の足掻きと高を括っているんだろう。高官たちも煩わしく思ってはいるが、今のところ手を打つつもりはないようだ」
「いい兆候ですね。近頃は武器輸送に、スラムの人間が雇われることも多い。他国からかなりの量の武器が密輸されてきています。スラム底辺も喜んで関わっていますよ」
以前、俺が学生の頃に経験した暴動では、武器の数もそれほどではなかった。
その当時、スラムの人間が武器輸送に関わっている話はなかったが、今はその規模も内容も、かなり大胆なものになってきている。
それだけ、暴動を裏で操っている組織の力が強くなってきているのだ。
「結社『朱の夜明け』だな」
赤い布を腕に巻き、反政府の志を掲げた集団。
「はい。頭首ゼシュラムは、意外にも貴族出身だそうですよ。男爵家の三男だとか」
「貴族にもいろいろあるからな。爵位はあっても、貧乏貴族は下手な商人より貧しい」
「農民からの人気はまだそれほどでもないようですが、組織内の結束はかなり固いようです。彼の演説はなかなか、人の心を打つそうです」
ハンのような人間が「心を打つ演説」と褒めても、ただ馬鹿にしているようにしか聞こえないが、彼は彼なりに、ゼシュラムの演説を評価しているようだった。
「ゼシュラムには頑張って働いてもらわないとな」
俺の歴史認識では、国内で農民の反乱をきっかけに、次々に国内で暴動が起こり、その為、国は軍を出動させざるをえなくなる。
それには聖教騎士団も、軍のひとつとして駆り出されるはずだった。
彼らの言い分は確か、こうだ。
『農民は税金の支払いを拒否している。それは国に支払う税金だけではない。教会に支払う金までも同様に拒否している。それはすなわち、教会に刃向かう反逆者でもあるということだ』
初期の暴動に対しては、『国は軍を派遣し、鎮圧した』としか歴史的な記述は残っていなかったため、俺も細かいことまでは把握していないが、このあと連鎖的に起こる暴動には間違いなく聖教騎士団も駆り出される。
さらにこの暴動は勲功をあげるだけでなく、部隊に実戦経験を積ませる良い機会でもあった。
「兵站も滞りなくいくよう、準備しておいてくれ。たとえ命令が来たとしても、ルダンは俺たちに物資も兵もまわそうとはしないだろうからな」
「またジャイルが不平を言います」
「言わせておけ。いつものことだ」
「確かに」
資金は潤沢にあるが、兵は何かと金を食う。
ジャイルは指示には従うが、何かとぶつぶつ文句を言うことが多い。
俺はつと、外の闇に視線を移した。
「――バザンの方は調整がついたか?」
放浪の民、バザン。
彼は国外の情報をもたらしてくれる。
だが、さすがに聖教騎士団にいる俺が放浪の民であるバザンに直接会うことは難しくなっていた。
今はハンの部下の一人が、彼との連絡役に入っている。
相手があのバザンだけに、接触する部下の人選もかなり難航したと聞くが、なんとかうまく立ち回れる人間が見つかり、今は彼が一手にバザンとの連絡役を請け負っている。
「はい。例の情報の流布に関しては、既に承諾を得ています。暴動とその鎮圧の動きに応じて、"ライツア国は暴徒鎮圧に手をこまねいている"と隣国カザールに噂を流してもらう手筈になっています」
隣国カザールは、ライツア国の東に位置する国だ。
規模で言えば、この国よりやや大きい国土を持つ。
近年争いはないが、隣国カザールではロモン教を国教としており、我が国と宗教が異なる。
そのカザールへ噂を流すのは、異教徒による国境の侵犯を狙っているからだ。
国内の暴動はいずれ鎮圧される。
歴史的にはその後、異教徒が動くことにはなっているのだが、それはある程度派手な方がいい。
聖教騎士団で唯一まともな兵団を持つ俺が、暴動鎮圧に続いて独占的に勲功をあげることができるからだ。
俺の狙いはそこにあった。
「放浪の民がどの程度動いてくれるか……」
「初めは情報供与以外の行動は渋っていましたが、内容が内容ですからね」
「彼らにとって利があるからな。異教徒同士が争うのは歓迎なはずだ」
「ですが、カザールの国王はかなり腰が重いと聞きました。簡単には動かないのでは?」
「まあ、それも計算のうちだ。カザールは地方自治権が強い。――動かないようなら、また別の手を打つ」
「承知しました」
ハンの黒い瞳が鈍く光る。
そして夜の闇はなお深く、窓の外を満たしていた。
それから程無く、暴動は実際に発生した。
南部のセブラム地方で、農民が武器を携え蜂起。
表向き明確な証拠はなかったが、ゼシュラムの反政府組織が関わっているのは武装した農民を見れば明らかだ。
農民蜂起の情報を得てしばらく後、俺は中隊長ではなく、さらにもうひとつ上の上司にあたるレント大隊長に呼び出された。
レント大隊長はルダン団長と違い、金周りのいい俺に目をかけてくれている、お人よしだ。
「セブラム地方での暴徒の件、国から教会へ要請が来たそうだ」
どことなくのんびりした体で、レント大隊長が言う。
俺は内心首をかしげた。
今回の反乱は初期のものであり、歴史的に見れば、俺は国が小規模の軍を派遣するものと解釈していた。
「農民の反乱であれば、国王軍が鎮圧に向かうのでは?」
「オレもそう思うんだが、国の見解は違うらしい。奴らは教会に払う宗教税の軽減を求めている。それはつまり教会に対する反逆なんだと」
「教会がそれを言うならともかく、国がそう言ってきているのですか?」
「さあな。その辺はよく分からんが。どちらにしても国は面倒事に金を使いたくないんだろ。――で、教会に話がきたわけだが、騎士団でまともに動かせる部隊と言えば、お前の小隊ぐらいしかない」
俺は肩をすくめた。
まさか初動から派遣されることになるとは。
それが吉と出るか、凶と出るか。
暴徒とはいえ、農民ばかり。
それを鎮圧となれば、農民に対する俺の印象は悪くなる。
暴動が激化した時期ならともかく、初動であれば多少目を引くのは避けられない。
「教会中央からの命令は、"逆徒を殲滅せよ"ということだ」
殲滅。
それはまた、極端な命令だ。
「――見せしめ、ですか?」
「だろうな。農民たちもそこまで深く考えて事を起こしているかどうか……。だが、一方的に叩けば、奴らも黙ると踏んだんだろう」
俺は静かにうなずいた。
「――分かりました。小隊を率い、暴徒鎮圧に向かいます」
「すまんな。貧乏くじをひかせることになってしまって。お前たちばかりに押し付けるのもどうかと団長には意見したんだが、戦争ごっこはセルベク小隊にさせろと団長が譲らなくてな」
大隊長レントはどこまで本心かはわからないが、すまなそうに言った。
いかにも団長ルダンが言いそうなことだ。
そもそも目の敵にされていたのだから、教会に話が来ればこうなることは自然の流れだったわけだが。
俺は一礼して、部屋を辞した。
鎮圧するとなれば、相手が農民であろうと全力で叩く。
小隊の強さをここで示し、次への足掛かりにするのだ。
俺は小隊の入る建物へ続く廊下を足早に歩き始めた。




