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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【少年編】
16/52

第15話 決意

 もはや、あまり先には延ばせない時期まで来ていた。

 中等部最終学年となった俺は、ついに両親と向き合うことを決めた。

 覚醒してから後、それはずっと頭の中にはあったこととはいえ、いざ家族と対決するとなると少々面倒だった。

 彼らは俺が神学学校に進むことを望んでおり、そして、その通りに俺が進むと信じて疑っていない。

 使用人に聞き耳を立てられて騒ぎが大きくならないよう、俺は、両親と兄の三人を普段は使用しない部屋へと誘った。

「セルベク、一体何なの?」

 母親は不安げな顔だ。

「よほど重大な話と見えるな」

 手近にあった一番大きなソファに腰をかけると、父親は鷹揚にそう言った。

 その余裕ある態度を俺の発言の後まで続けてくれると、話も多少スムーズに進むのだが。

 皆がソファに腰を沈めたのを確認し、俺は静かに口を開いた。


「父さん、母さん。僕は神学学校には行きません」


 すると一瞬、父も母も呆けた顔をしたが、その意味を理解すると、それぞれ正反対に顔色を変えた。

 父親の顔は怒りに赤くなり、母親は震える手を口元にあて、青くなっている。

 兄だけが、落ち着いた様子で俺の方を見つめていた。

「神学学校に行かないで、どこに行くというんだ!? カムルと同じように、高等部にでも行きたいのか!?」

 父親はぐっと拳をにぎり、声を震わせる。

「いえ。下士官学校に行きます」

 「行きたい」ではなく、「行く」と言っている俺の言葉の意味に、両親はおそらく気づいていないだろう。

「ばかな……っ。おい、御祖父様おじいさまを呼んできなさい」

 父親は母親にあごで命令する。

 母親もコクコクとうなずいて、おぼつかない足取りで部屋を出て行った。

 普段は物静かな母親が、足音を立てて廊下を走って行く音がする。

 部屋に沈黙が流れた。


 アルザス家の歴史はそれなりに長い。

 とはいえ、最初から子爵だったわけではなく、子爵を名乗るようになったのは祖父の父、つまり曾祖父の代からだという。

 それは曾祖父の手柄であって、祖父には全く関係のないことなのだが、祖父はまるでそれを自分の手柄のように自慢げに話すのが好きだった。

 記憶力のいい俺としては、何度もその話を聞かされるのが大嫌いだった。

 自分の機嫌のいい時だけ孫を甘やかし、気に入らないとすぐに怒鳴る。

 そんな祖父をよく思っていないことだけは、覚醒前から変わらない。


 しばらくして、ようやく祖父の足音が近づいてくるのに気づいた。

 杖を鳴らして歩いてくるので、祖父が歩いているとすぐにわかる。

「セルベク! 神学学校に行かんなどと……、どういうことだ!!」

 母親が祖父のために開けたドアを蹴り飛ばすような勢いで、祖父がずかずかと部屋に入ってきた。

 気が弱かった頃の俺ならば、もうそれだけで震えあがって、すぐに前言撤回したことだろう。

 だが、俺は表情を変えず、静かにそれを見守っていた。

 いつもと様子の違う俺に、祖父は一瞬「おや」という顔をする。

 いつもならここで半泣きになるところだ、とでも思ったのだろう。

 そこで、さらに脅すように、ドンっと大きな音を立てて、杖で床を鳴らす。

「セルベク! 自分勝手は許さんぞ。お前にはお前の立場というものがある。カムルにはカムルの立場があるようにな! お前はこの家の次男だ。高等部に入っても役に立たん! 大人しく神学学校に行け」

 どうやら母親は「セルベクが神学学校に行かないと言っている」とだけ、祖父に告げたらしい。

 それで祖父も、俺が次男という身の程をわきまえず、高等部に進学したがっていると勘違いしたのだろう。

「いえ、御祖父様。高等部ではなく、下士官学校です」

 すると、みるみる祖父の顔が赤くなった。

 祖父の血管がこのまま切れてしまうのではないかと、俺は少し心配になった。

 祖父のことは好きではないが、こんなことで死なれるのは本意ではない。

「か、か、下士官学校だと……!?」

「はい」

「お前はぁ……っ! お前は、下士官学校がどんなところか知っておるのかぁっ!」

 祖父は怒りにまかせ、近くにあった机に、杖を強く打ち付けた。

 床よりもさらに大きな音が部屋中に響き、母親が首をすくめる。

 大きな音を立てれば、怖気づくとでも思っているのだろうか?

「御祖父様、少し落ち着いて」

 さすがのことに、父親が祖父に声をかけるが、祖父がそんな言葉を聞くはずもない。

「はい。下士官学校に進み、腕を磨きたいと思います」

 怯えることもなく、冷静に言葉を続ける俺に、さすがの父親も何か感じたらしい。

「御祖父様、少しセルベクの話を聞いてやりましょう」

 先ほど怒っていたのが嘘のように、今度は父親が祖父を諭している。

 だが、祖父は吐き捨てるように言った。

「何を馬鹿なことをっ! 下士官学校などとっ……! あんな学校、仮にも貴族が行くところではないわ! 士官学校というのならまだしも、下士官学校……!? 馬鹿にもほどがある!」

 本来、貴族の家柄である俺が行くには、軍の幹部を育てる士官学校に行く方がふさわしい。

 下士官学校というのは、貴族ではない裕福な平民や、軍人の子弟が行くものであり、俺のような家柄ならば、ひとつ上の士官学校に入学できる。

 フェラニカなども、男であればすんなり士官学校に入れただろうが、そもそも女である彼女の入学自体が異例のことなので、下士官学校に進学するしかなかったというだけのことだ。

「下士官学校には、下士官学校でしか学べないこともあります。もちろん、下士官学校を卒業したら、士官学校に行きます」

「馬鹿らしい! そんなものが、貴族の役に立つものかっ! ええ、おい!?」

 祖父は父親に同意を求めたが、父親は困惑した顔で、俺を見るだけだった。

 母親はただ、部屋の入口あたりで青い顔をしたまま、事の成り行きを見守っている。

 すると、今まで黙っていた兄が口を開いた。

「御祖父様。僕は良いんじゃないかと思います。セルベクは今まで、父さんや御祖父様の言うことを黙って素直に聞いてきました。そのセルベクが、自分からどうしても行きたいと言っているんです。それほど強い思いがあるんですから、セルベクはきっと立派にやり遂げますよ」

 だが祖父は、兄の言葉に唇を震わせた。

「カムル、お前まで……! お前までこの馬鹿げた話にうなずけと言うのか? セルベクが教会に入れば、お前とて――!」

 俺が大人しく教会に入り出世すれば、将来政治家を目指している兄の役に立つのだと言いたいのだろう。

「僕は構いません。セルベクの人生はセルベクのものです。僕は兄として、セルベクを応援したいのです」

「兄弟そろって、愚かな……! お前の育て方が悪いからこんなことになるんじゃ! わしはもう知らん!」

 ついには両親までおとしめて、祖父は足音高く部屋を出て行った。

 部屋にようやく静けさが戻る。

 しばらくの沈黙の後、父親がゆっくりと俺の方に近づいてきた。

 その顔にもう、怒りの色はない。

「――あの御祖父様相手に、よく言ったものだ。以前はあんなにびくびくしていたのに……。成長したな、セルベク」

 俺は父親の言葉に黙ってうなずいた。

「カムルも賛成だと言うのなら、もう何も言うまい。だが、本当に後悔しないな?」

「後悔なら過去にたくさんしました。もう後悔するのはうんざりです」

 俺はこれまでの記憶を思い出し、思わずそう言った。

 だが、父親はその言葉を、教会へ無理やり行かされていたことと考えたようで、納得したようにうなずく。

「なら好きにするといい」

 そう言って、父親は静かに部屋を出て行った。

 母親もその後に続く。

 すると兄もほっとしたような顔をして、「あとで部屋に来いよ」と小さく言い残し、部屋を出て行った。

 部屋にひとり残された俺は、小さくため息をつき、祖父が叩いた机の方に目をやった。

 杖の痕がくっきりと残っている。

 面倒な人だと思いながら、肩をすくめ、俺も部屋を後にした。



 家の者に見つからないよう、俺はこっそりと兄の部屋に向かった。

 兄の部屋に行くのを見られでもしたら、今日のことは前もって二人で示し合わせていたのではないか――と、あらぬ疑いをかけられそうだったからだ。

 痛くもない腹を探られたくはない。

 兄は俺を静かに部屋に招き入れると、手ずから紅茶を入れてくれ、俺に席を勧めた。

 不意に、向かいの椅子に腰を下ろそうとする兄の肩が揺れたかと思うと、突然兄はもう耐えられないとばかりに、大笑いを始めた。

「に、兄さん?」

 笑いのあまり、目に涙まで浮かべている。

「いや……。何かしでかすだろうなとは思っていたけど、まさか下士官学校とはね。お前が軍人になりたいとは思いもよらなかった」

「別に、下士官学校に行くからといって、必ずしも軍人になるとは限りませんよ」

 俺の言葉に兄は笑うのをやめ、意外そうな顔をする。

「どういうことだ?」

「下士官学校、士官学校はあくまでも、僕の将来のために必要な準備期間にすぎません。卒業したら、ちゃんと教会に入るつもりですよ」

「それなら、神学学校の方がよかったんじゃないのか?」

「兄さん。普通にやっていたら、普通の結果しか得られません」

「まあ確かに、それは一理あるが」

 そう言って兄は思案深げに紅茶を口に含み、肩をすくめる。

「兄さんにはこれからもお世話になります」

 俺はぺこりと兄に頭を下げて見せる。

 だが、それは決して演技などではない。

 他人を全く信用してない俺だったが、血族であるこの兄だけには、絶対的な信頼をおいていた。

 それは長年共に育ってきて、ずっとそばでその存在を見つめてきた、兄カムルという人間への信頼でもあった。

「なんだよ、改まって。――前にも言っただろう? オレとお前は兄弟だ。オレができる限りのことは、お前にしてやるつもりだよ」

「ありがとう……、兄さん」

 兄はただ、にっこり笑って「気にするな」と言った。

 そして、ふと遠い目になる。

「昔はよく、二人でやんちゃしたよな? 尻拭いしてくれた父さんには悪いけど、貴族なのにただ謝るだけの父さんと、ただ怒るだけの御祖父様……。あれほど家族が情けないと思ったことはなかった」

 確かに当時の俺も、「親はあてにならないものなのだ」と、幼心に失望したものだ。

「でも、あれは兄さんが僕をあちこちひっぱりまわしたんですよ」

 活発な兄に、大人しい弟。

 どこにでもある話だ。

「そうだったか? オレはてっきりお前も楽しんでるものだとばかり思っていたよ」

 そう言って笑う兄につられ、俺も軽く笑った。

「どうだったかな……? あまり覚えてないけど。僕は兄さんの後ろにいれば安全だと信じきっていたのは覚えています。兄さんなら必ず僕を守ってくれると」

 俺の言葉に、兄は心底嬉しそうな顔をした。

「オレもオレなりに考えていたんだよ。親はあてにならない。ならせめて、兄弟で力を合わせて、何事も乗りきってやろうと決めていた」

 兄がそんなことを考えていたとは、俺も知らなかったことだった。

 年が離れているとはいえ、それでもまだ子どもだったはずの、兄カムルの決意。

 それは今も兄の中で生き続けているのだろう。

「兄さん……」

 俺は思わず、言葉に詰まった。

「これはオレの勝手な思いだ。お前は気にせず、好きなようにやればいい。オレはいつも、お前の後ろについていてやるから」

 兄は少し照れくさそうに、そう言葉を続けた。

 そんな姿に、オレは本来の父とでもいうべき姿を見た気がした。

 兄は兄でありながら、俺の父であろうとしていたのかもしれない。

 胸に熱いものがこみあげてくる。

 ただ、嬉しかった。

 俺は何があっても、兄だけは裏切るまいと固く心に誓ったのだった。


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