第14話 恩と打算②
生徒会室にあった机を重ね、天井までの階段を作ると、俺と副会長のフェラニカは天井裏に入り込んだ。
手をつくとほこりが舞う。
それを見たフェラニカが、眉をひそめた。
「本当にこんなところから行けるのか?」
「王都の地図は全て頭に入っています。地下通路も含めてね」
「さすが。神童様は言うことが大きいな」
半ば馬鹿にしたように言いながら、フェラニカは周囲に視線を走らせた。
俺は持っていたハンカチで口元を覆うと、ほこりの積もった天井裏を進んで行く。
フェラニカもそれにならい、同じようにハンカチを口元にあて、軽くせき込みながら俺の後に付いてきた。
この暴動が起こった細かい日時までは把握していなかったが、俺が在学中であることは分かっていた。
そこで、時間があれば図書館に行って使えそうな資料をあさり、事前に頭に叩き込んでおいたのだった。
天井裏がどこにつながっているのか。
なるべく人目につかないようにするには、どの経路を辿ればいいのか。
天井裏から建物の非常階段に抜けると、隣接した屋根が連なって見える。
振り返ると、ほこりを払うフェラニカが「次はどこへ行くんだ」と言わんばかりにあごでしゃくって先を促した。
屋根と屋根の間隔は狭く、それほど距離はない。
俺は勢いをつけ、屋上から屋上へと飛び移った。
天使だ、神童だともてはやされていた頃なら、それも難しかったかもしれないが、過去の記憶と融合して以降、俺は軍隊式のカリキュラムを応用し、自分でこっそり体を鍛えていた。
基礎体力がなければ、いくら過去に体得した技術があったところで役に立たないからだ。
外見はひ弱そうに見える俺の、そんな身体能力が意外だったのだろう。
フェラニカは驚いたような顔をした。
が、すぐに俺の後を追って、屋上を飛び移る。
そのまま予定していた通路を速足で駆け抜け、さらに飛び移れる場所から渡って行くと、ようやく学園内にある修道院の裏まで出た。
「ここから降ります」
俺は小さな声でそう言って、そこにあった大きなマンホールを指した。
暴動の喧騒がそれほど遠くない場所から聞こえてくる。
だが、目視で確認できる辺りには人気はない。
フェラニカは眉をひそめた。
そのマンホールの下には、王都を縦横無尽に貫く下水道が広がっている。
ただ、王都の下水道はかなり複雑に入り組んでおり、知識のない者が入るのはかなり危険だった。
予備知識もなく、いずれどこかに出られるものと安易に下降り、実際にそこで餓死している者が見つかったケースもある。
それほど複雑で、広いのだった。
「――大丈夫なのか? 王都の下水道は複雑で……」
「問題ありません。全て頭に入っていると言ったでしょう?」
眉間にしわを寄せるフェラニカをよそに、俺はマンホールのふたを開けた。
下水道独特のにおいが、鼻をつく。
「行きますよ」
俺がはしごに手をかけて降り始めると、仕方なくフェラニカもそれに続いた。
次第に暗くなっていく中を、半ば手さぐりで慎重に降りていく。
闇に目を凝らしながら、下に着くとすぐ、俺はくぼみに隠しておいた物を探った。
人目につかず、なおかつ湿気ないように注意して保管しておいた、たいまつの材料だった。
そこから道具を取り出し、手早くたいまつを作る。
火を灯すと、ぱっと視界が開けた。
すると、明かりに驚いた大きなねずみが足元を走り抜けていく。
「なんだ。そんなものがあったかのか? えらく手際がいいな」
フェラニカの驚きと不審に満ちた顔が照らし出された。
「最近は不穏な空気が校内に漂っていたからね。もしものために準備しておいただけだよ」
「もしもって、お前……」
まあ確かに、少々不自然だろう。
歴史を知っているからこそ、あらかじめ準備をしておいたのだが、知らなければこれほどの下準備はしていなかったはずだ。
そこはうまくはぐらかすしかない。
ここだけではなく、他の分岐点にあたるいくつかの場所にも同じようなものが隠してある。
それほど大量のたいまつが必要だとは思えないが、もし何かの拍子に道を間違えそうになったら、それを目印にすることもできる。
「急ごう」
俺はフェラニカを促すと、彼女は少し戸惑ったように周囲を見回した。
「地図はないのか? 本当に大丈夫なのだろうな?」
「問題ない。頭にちゃんと入っているから心配しないで」
いつの間にか俺の口調が変わっていることにフェラニカは気づいていなかったが、俺は半ば解放されたような気分で、通路を速足で歩き始めた。
「こっちに明かりが見えるぞ!」
「逃がすな! 追え!!」
下水道にこだます複数の声と足音。
俺とフェラニカは、その声から遠ざかるべく、走り続けていた。
迷路のような下水道は、道を見失ってしまえば、二度と出られない。
俺は自分の現在地を頭で必死にたどりながらも、追手を振り切ろうと走り続けた。
(まさか、こんなところで人に出くわすとはな)
それは学生ではなかった。
進んでいるうちに俺とフェラニカは、武装した集団がたくさんの武器を運んでいるところに遭遇してしまったのだ。
彼らは明らかに、学院の方向に向かっていて、反対方向に進んでいた俺たちは、正面から彼らと鉢合わせしてしまった。
今回の暴動に参加した多くの学生たちは、武器を所持していた。
学生の身分でありながら、どうやって彼らがそんなものを入手したのかずっと疑問だったのだが、どうやらその答えが、彼らということらしい。
たいまつを消せば闇に紛れることはできるが、そうすれば、この深い迷宮を一生さまようことになってしまう。
明かりを灯したまま、俺とフェラニカは逃げ続けた。
足音が反響し、通路に響く。
しかし、そんな状態はいつまでも続かなかった。
(しまった!)
この先は袋小路だと、気づいたときには既に遅かった。
現在地を把握することに夢中で、逃げる先までなかなか頭が回らなかった。
引き返せば脇道はあるが、追っ手はすぐそこまで来ている。
「だめだ、この先は行き止まりだ」
「良いように追い詰められたか……。地図が頭に入っていると豪語したわりには、お粗末だな」
「それはどうも。――覚悟を決めて、一戦交えるか」
「だが、こちらは素手だぞ? 相手は人数も多い……。二人だけでやれるか?」
「やるしかない。――少し下がっていてくれ。俺が先に攻撃をしかける。相手がひるんだすきに、武器を奪う」
「わかった。――まあ、うまくいけば、の話だが」
軽口を叩くフェラニカの表情にも、さすがに緊張の色が浮かんでいる。
素手で、大の大人を相手にするのだ。
しかも相手は遊びではなく、彼らは俺たちを始末する気でかかってくる。
それでも皮肉っぽく笑ってみせるところが、彼女の彼女たるところだろう。
たいまつを壁のくぼみに立てかけ、影になる場所に身をひそめる。
だがこの暗闇では、どう隠したところで光が漏れるのはどうしようもない。
足音が近付いてきた。
「来るぞ」
俺は小さくつぶやいた。
背後でフェラニカがうなずく気配がする。
耳を澄まし、足音で距離を測る。
三、二、一……。
男の顔が見えた瞬間に、地面を強くけり、男の懐に入り込んだ。
ガッと踏みだした足で男の足を踏みつけ、すかさず掌底であごを砕く。
あごの砕ける鈍い音が聞こえ、男の口から大量の血が噴きこぼれた。
のけぞった男が無防備になったところで、金的を蹴りあげると、男はそのままその場に崩れ落ちた。
落ちた剣をそのまま足でフェラニカの方に滑らせ、背後を見ることなく、俺は続けざまに来た男に攻撃を加えた。
フェラニカも剣を拾い、あとから来た別の男と剣を交える。
剣がぶつかる高い音が、響きわたった。
事切れた二人目の男から剣を奪うと、俺も剣を構え、次に走り出てきた男の脇腹を、ためらうことなくひと突きにした。
「ぐっ……!」
男が断末魔をあげ、崩れ落ちる。
俺は返り血を浴びながら、素早く剣を引き抜く。
「いたぞ! こっちだ!」
さらに追っ手の声が響く。
背後で打ち合いをしていたフェラニカも、とうとう男を切り伏せた。
だが、さすがに人を殺すのは初めてだったのだろう。
半ば呆然とするフェラニカに、俺は声をかけた。
「お見事」
すると、すぐにフェラニカの瞳に光が戻ってくる。
「……当然だ」
初めてにしては上等だ。
「お前も……。天使が聞いてあきれるな」
そう言って、フェラニカはにやりと笑う。
「来るぞ」
さっきは一人ずつだったが、今度は複数の足音が聞こえる。
「おい! 何をやっている!? 捕まえたか!?」
低い男の声が聞こえてきた。
まさか殺されたとは思っていないらしい。
様子をうかがいながらやってきた先頭の男に、俺は切りかかった。
脇腹を刺し、そのまま剣を滑らせ、後ろに続いた男を肩から切り落とす。
「ぐはあっ……!」
そのまま何人もの男たちを相手に、夢中で剣をぶつけ、切り倒した。
「くそっ……。もういい! 引き上げだ!」
予想外の抵抗に、追手のリーダーらしき男が見切りをつけたらしい。
「しかし……!」
「いいから引け! 深追いしてこれ以上人手が減っちまったら仕事ができねえ!」
部下たちは渋々剣を引き、元来た道を走り去っていた。
あとには返り血をあびた俺とフェラニカ、そして切り殺された死体が残された。
「終わったのか……?」
そう言って、フェラニカは顔の血を手でぬぐった。
「見逃してくれたようだね。武器の輸送を優先したんだろう」
俺もハンカチで顔をぬぐうが、制服についてしまった鮮血はどうしようもない。
「こいつらは何だ? なぜこんなところから校内に武器を持ち込んでいる?」
「もしかしたら、この暴動は学生から自発的に起こったものじゃないのかもしれないな……。おそらく裏で糸を引いている人間がいるということだろう。それも、これだけの武器を調達できる規模の、おそらくは組織だ」
それは俺も知らなかった事実だった。
歴史上、この暴動は学生間で自然に発生したものとされていた。
しかし、それは誤りだったのかもしれない。
死体の腕に巻かれた赤い布。
それには俺も心当たりがあった。
近い将来、この腕に赤い布を巻いた者たちの集う組織が、大規模な反乱を起こす。
だが、それはまだ少し先のことだったので、まさかこの時代から既に、こんな形で学生の暴動と関わりあっていたとは思いもよらなかった。
「――行こう。出口まではもうすぐだ」
「道は分かるのか?」
「逃げながら頭でたどっていたからね。そのせいでちょっと、追いこまれたけど」
「全くだ。――だが、お前の腕がこれほどたつとは思わなかったよ。普段は猫をかぶっていたのか?」
フェラニカの言葉に、俺は肩をすくめ、あいまいに笑った。
「先を急ごう」
納得いかないような顔をしながらも、フェラニカはうなずき、俺の言葉に従った。
そのあとは追っ手に遭遇することもなく、俺たちは無事、王城にたどり着いた。
血まみれの俺たちはさぞ怪しかっただろうが、そこはフェラニカの出自が効果を発揮した。
軍の派遣要請は受け入れられ、軍は俺たちが辿ってきた地下道を使って、学院に侵入。
その結果、最小限の被害でこの暴動の幕を閉じることに成功した。
今回、派遣要請を指揮したとことになっている生徒会長のマラエヴァと、それに従う形のフェラニカ、ジャイル、そして俺の四人は、数日後、秘かに王城に呼ばれ、"五王より特別にお言葉をいただく"機会を得た。
一般に公表することができない事件だけに、俺たちへの報償も下手に行えなかったのだろう。
緊張で体を固くするフェラニカとジャイルとは対照的に、マラエヴァは堂々としたものだった。
今回の働きで、今後のマラエヴァの一族の立場はかなり変わっただろう。
そしてそれを、マラエヴァがどう受け取るか。
俺はそんな思いを胸に、冷やかな気持ちで頭を垂れていた。
(ただ王家に生まれたというだけで、ありがたがるようなものでもない)
この時代、王は神聖視されているが、所詮は王も人間にすぎない。
だが、あのマラエヴァでさえ、少しほおが紅潮しているのが見てとれた。
それほどこの時代での王は、特別な存在なのだ。
こうして事件は静かに幕を閉じ、俺が知る時代まで、それは歴史の表舞台から隠蔽されたのだった。




