第12話 借り
俺は再びハンを使用人風に仕立てると、一軒の豪邸を訪れた。
ハンは小さな包みを両手で大事そうに抱えている。
中にはベシュヌに調合させた、例の薬が入っていた。
その価値はと問われれば、値段のつけようもないほどだ。
何しろ不治の病を治す薬であり、調合したのは、あのベシュヌなのだから。
豪邸の前に立つと、ハンが呼び鈴を鳴らす。
現われたのは、立派なひげを生やした家令だった。
「セルベク様、ですね?」
「――そうだ。主人への取り次ぎを頼む」
「ご案内します。ひとまず中へどうぞ」
家令はひとつうなずくと、俺たちを中へ招き入れた。
全ては段取り通りだった。
通常はよほど親しい間柄でもなければ、書簡を送り、今日訪ねることを前もって知らせる。
それに初対面であれば、何かしら身分を証明できる品を持っていくのが普通だ。
例えば、家紋の入った指輪など。
だが、この家の主と俺とは、本来何のつながりもない上、俺は子供だ。
下手をすれば、門前払いされるのが目に見えていた。
そこで、スムーズに話が進むよう、前もって家令を金で手懐けておいたのだった。
俺とハンはそのまま、豪華な応接間へと通された。
俺はソファーに腰掛けるが、ハンは薬の入った包みを持ったまま、そばに控える。
しばらく待たされた後、ようやくこの家の主が部屋に入ってきた。
見たところまだ若いが、ある人物と面差しがよく似ている。
――そう、下士官学校の校長バルデンを若くすれば、丁度こんな感じであろう。
この家の主であるラークは、あの下士官学校の校長バルデンの息子なのだった。
「私には貴方のような年ごろの子どもに知り合いはいなかったと思うが。――何用ですかな?」
家令に説き伏せられ、仕方なくといった体で現われたラークは、胡散臭そうに俺を見た。
「私は、アルザス子爵家の二男、セルベクと申します。本日は、息子さんの病気を治したく、参上いたしました」
俺の言葉に、ラークはさらに不審そうな顔をする。
しかし、貴族を名乗られた手前、下手な扱いはできないと判断したのだろう。
「息子の病気はもうあきらめている。都で高名な医者という医者全てに看てもらったが、治る見込みはないそうだ。――そもそも、なぜ君が息子の病気のことを知っているのかね?」
俺はその問いには答えず、ハンに薬を出すよう指示した。
ハンが包みを解くと、美しい細工の施された小箱が現れる。
ラークは警戒するように、俺と小箱とを見比べた。
「それは何だね?」
「これは薬ですよ。息子さんの病気を治すことのできる唯一の」
俺はそう言って、小箱から綺麗なガラスの瓶を取り出した。
しかし、ラークはそれを鼻で一蹴した。
「息子の病気なもう治らんと医者が言ったんだ。それこそ、目が飛び出るほど高価な薬もいろいろ試した。だが、どれも無駄だった……。それを、君たちのような子どもが持っている薬で、どうにかなるとは思えん」
にっこりと微笑んで、俺は目の前で薬の入った瓶を掲げて見せる。
「例えそれが霊薬ダルカスであっても――、ですか?」
「馬鹿な! 話には聞いたことがあるが、そんなものは存在しないと医者に聞かされた。そんな霊薬など、物語の中だけの存在だとな!」
ラークは半ば怒ったようにそう言った。
これまでにも彼なりにいろいろ手を尽くし、かなりの人間に騙されてきたのに違いない。
もはや話を聞く余地もないと言った様子で、ラークは立ちあがろうとする。
だが、ここでこれを受け取ってもらわなければ困る。
「嘘だと思うのなら、試してみて下さい。効かなければ、私はこれ以上何も申しません」
「しかし……」
「私はアルザス家の名に賭けて、絶対に嘘は申しません」
真剣な表情で、俺はラークに迫る。
貴族が家名を賭けるのは、一族の首を差し出すのに等しい行為だ。
俺は自身の言葉に、一族全ての首を賭けると、暗に言いきったのだった。
これには、さすがのラークの心も揺らいだ。
ためらう様子だったが、それでもようやく薬の瓶に手をかけた。
「……わかった。試してみよう」
俺はその言葉にほっとして、うなずく。
「薬は一度に飲むのではなく、その瓶にあるものを、十日に分けて飲んで下さい」
「なぜこれを、息子に?」
彼の瞳にはまだ、不審そうな色が浮かんでいる。
「――私にも助けて欲しい人がいるからですよ。ですが、その話はご子息が回復してからでかまいません」
「なるほど……そういうことか。ならば承知した」
「それと。その薬は私が家からこっそり持ち出したもの。家の者には絶対に知らせないでください」
ここで家の者に話されては、俺が用意したことがばれてしまう。
そうなると根掘り葉掘り聞かれ、詮索されたくないことまで詮索されることになるだろう。
それは避けたい。
「分かった。ともかく、息子が助かるのなら、君の言う通りにしよう」
ラークは同意し、誰にも言わないことを約束した。
彼が薬を持って部屋を出ると、俺もゆっくりと立ち上がり、ハンを連れて屋敷を後にした。
それからも、俺の生徒会での立場は相変わらずだった。
会長マラエヴァの書記という肩書があるのにもかかわらず、なんらかの役割を求められることは一切なく、ひたすらお茶係に徹する日々。
ジャイルと俺の関係が微妙に変化したことには、さすがにマラエヴァも薄々気づいているようだったが、特に何か言われることはなかった。
ジャイルには既に、"闇くじ"や鉱山から発生する資金の運用を任せ始めている。
その日、生徒会での仕事を終え、マラエヴァが退席したのを見計らい、俺は副会長のフェラニカに近づいた。
「少しお時間、よろしいですか?」
満面に天使の笑みを浮かべてみせる。
さすがにこの頃になると、フェラニカの書記たちも俺を邪険に追い払うようなことはなかった。
「なんだ? くだらない用事だったら、ただじゃすまないぞ」
ギラリと睨みつけてくるフェラニカの迫力は、女とは到底思えないものがある。
「これを。喜んでいただけると思います」
手渡された書簡を手に、フェラニカは俺をまたギロリとにらみつけた。
「なんだこれは?」
「良い知らせですよ」
勿体ぶった俺の様子に耐えかねたのか、フェラニカはその場で書簡を取り出し、ざっと目を通した。
「これ……は……」
しばらく言葉を失うフェラニカ。
次に喜ぶのかと思いきや、いきなり俺の胸ぐらをつかんだ。
「なぜ、お前がこんなものを持っている!?」
「いたたた……。苦しいですよ」
ハッと気づいて俺から手を放した彼女は、書記たちから遠ざけるようにして、声を殺して俺に迫った。
「なぜお前が、下士官学校長からの書簡を持っているんだ……!?」
「以前に言っていたでしょう? 下士官学校に入りたいって」
「そうだが……。まさか、賄賂でも積んだのか!?」
「違いますよ。現学校長は清廉潔白で有名な人ですよ。賄賂なんてとんでもない」
下士官学校長のバルデンは賄賂を受け取らない清廉潔白な人物。
バルデンは賄賂を受け取らないが、息子ラークはどうか?
霊薬ダルカスは劇的な効果を発揮し、彼の息子は、不治と言われた病から全快した。
大事な跡取りである孫の、命の恩人。
しかも、先に"命"という恩を受けてしまったら、もはや突き返すことはできない。
俺が頼んだのはもちろん、フェラニカの下士官学校入学の許可だった。
堅物の学校長バルデンは、息子ラークに説得され、しぶしぶその話を承諾したという。
フェラニカがゾルニク元帥の娘だということも、効いただろう。
「どうやって――」
そう言いかけて、フェラニカは止めた。
「まあいい。これは受け取っておく」
のどから手が出るほど欲しかったものだ。
事情はどうあれ、彼女は受け取らざるを得ないだろう。
「お父上の方は、ご自身で説得してください」
「無論。――だが、お前には借りができたな」
そう。
その"借り"こそ、俺が欲しかったものだ。
「僕が本当に困って、フェラニカさんの力が必要になったとき、その借りを返していただければ結構です」
俺はさりげなさを装って言うと、フェラニカは神妙にうなずいた。
「――わかった。その時には力になろう」
おそらくフェラニカは、漠然と"借り"を返すつもりでいるだろう。
だが、俺の中には既に、明確なビジョンが見えていた。
フェラニカの下士官学校入学は、その足掛かりのひとつでもある。
実力のある彼女のことだ。
一度下士官学校に入学してしまえば、士官学校へステップアップするのも、そう問題ではないだろう。
男顔負けの威風堂々とした軍人の彼女が、目に浮かぶようだった。




