第11話 亡失の錬金術
「紅茶です。どうぞ」
生徒会ですることのない俺は、自主的にお茶係をやっている。
まるで奉仕することが嬉しいような微笑みをはりつけ、生徒会三役だけでなく、書記としてついている生徒も含め、全員に配る。
彼らは礼を言うことはなかったが、それを拒むこともなかった。
あくまで、俺が下位の存在であると認識しているからだろう。
これまではそうだった。
しかし、俺の本性を垣間見、さらに雇われの身となったジャイルは、さすがにこれまでと同じ態度はとれなくなったらしい。
その日、会長のマラエヴァと副会長のフェラニカはまだ生徒会室に現れていなかった。
そこで、俺は先にジャイルと彼の書記たちに紅茶を運ぶことにした
俺はこの役割を結構楽しんでやっているのだが、その日は格別楽しかった。
入れた手の紅茶を、ジャイルの机の空いたスペースにそっとのせる。
すると、彼は何とも言えないような奇妙な表情を浮かべ、「ありがとうございます」と小さく言った。
どうやらジャイルはあまり、演技が得意ではないらしい。
「学校ではこれまで通りに」と言ってあるのだが、どうしても顔や態度に出てしまうようだった。
これには周囲にいたジャイルの書記たちも、驚きの表情を浮かべる。
「どういたしまして」
俺はにっこり微笑み、何食わぬ顔でジャイルの書記たちにも紅茶を出す。
すると、彼らはジャイルが俺に礼を言って、書記の自分たちが言わないわけにはいかないと判断したらしく、困惑した表情で小さく礼の言葉を言った。
俺もさりげない仕草でそれを受けたのだった。
このお茶係というのは、単に暇だからという理由だけでやっているわけではない。
生徒会三役はいつも書記に囲まれていて、俺が用もなく近づくことはできない。
しかし、お茶となれば別だ。
紅茶を運ぶことで声をかける機会を得、さらには彼らの手元の書類などを目にする機会を得ることができる。
これも一つの手段なのだった。
実際に、これまでにも書記の何人かとは言葉を交わし、目にした書類について、時にはさりげなくアドバイスしたこともある。
ようやく副会長のフェラニカが部屋に入ってきたのは、ジャイルの手元の書類が一枚仕上がる頃だった。
いつもより足音を立てて部屋に入ってきて、乱暴に席に着く。
あとからついてくる書記たちも、困ったように身を縮めながら、遠慮気味に彼女に従っていた。
「全くあの、頑固親父め……!」
フェラニカが吐き捨てるように小さく言った。
「フェラニカ様……」
憤慨しているフェラニカに何を言っていいものかと、書記たちはただオロオロしている。
俺はその様子を興味深く横目で見ながら、新しい紅茶を注いだ。
まもなく最終学年になる俺たちは、このところ、進路についての話し合いが順番に行われている。
それで今日は遅かったのだろうが、そのことと、フェラニカの憤慨ぶりは何か関係があるのだろうか?
在学期間はまだ一年と少し残っているが、それぞれ教師たちの思惑もあり、早い者などは既に進路が決まっていたりする。
「どうかされたんですか?」
俺はにやつきそうな口元をきゅっと引き締め、心配そうな顔を作って紅茶を差し出した。
「親父の奴め、教師どもにまで手をまわして……。私をよほど軍人にさせたくないらしい」
フェラニカは、俺を俺とも思わず、ポロリとそんなことを言った。
そもそも、今の時代、女性が軍人になるなど聞いたことがない。
俺の記憶にある別の世界ならまだしも、フェラニカほどの家柄の娘なら、政略結婚をさせられ、家庭に入るのが一般的だろう。
軍人になるためには、一兵卒として軍に入隊するか、通常の高等部にあたる下士官学校に入るしか道はない。
さらに優秀であれば、その先の士官学校で将校を目指す――。
それが順当な流れだ。
しかし、どちらにしろ、女性が入った前例はない。
入ってはならないという禁止事項はないはずだが、入ったという前例もないのだった。
「フェラニカさんは、軍人になりたいのですか?」
紅茶に手をのばしたフェラニカは、自分が話していた相手が俺だと気づくと、一瞬気まずそうな顔をしたが、そのまま言葉を続けた。
「前例がないというだけのことだ。――なんとか手を尽くして、下士官学校に入ってやる」
なるほど。
下士官学校に彼女が入学することができれば、彼女に恩を売ることができるというわけか。
俺がいいことを聞いたと思っているところへ、マラエヴァの入室を告げる声が響いたので、話はそこで途切れた。
だが、それだけ聞ければ十分だ。
それが、その日一番の収穫だった。
俺はハンを使って、下士官学校の校長の周辺を探らせることにした。
しかし、それで見えてきたのは、校長バルデンの清廉潔白な人柄だった。
賄賂が平然と横行する腐敗したこの国で、賄賂を受け取ったことがない堅物だという。
(厄介だな……)
賄賂さえつかませればと思っていたが、事はそう簡単にいきそうになかった。
そこで、さらに手を広げてバルデンの周辺を探らせる。
家族、親戚――、さらには交友関係。
探らせていくうちに、俺はあるひとつの報告を受け、思わず口元を緩めた。
ようやく突破口が見えたからだ。
郊外にある、古びた一軒家。
古いが良く手入れは行き届いているようだった。
周囲は山に囲まれ、家の横には畑が散在している。
風情があると言えば聞こえはいいが、要するに何もない田舎だった。
求める人物が本当にこんな所に住んでいるのだろうか?
俺ならこんな生活は、ごめんだと思った。
「バザン、本当にここで間違いないのか?」
先頭を歩く放浪の民バザンは、振り返って憎々しげに俺をにらんだ。
「偉そうな口をきくな。この異教徒が」
その言葉に、俺の後ろをついてきていたハンが、いきり立つ。
「貴様……、ボスに向かって、なんだその口のきき方は!?」
「――言っておく。お前にとってはボスでも、俺にとっては単なる異教徒にすぎん。長老の命令がなければ、貴様らとは口すら聞く気にならん。覚えておけ」
冷やかにハンを見下ろすバザンに、ハンも負けてはいなかった。
「いい気になるなよ……! 放浪の民の分際で」
「貴様らはいつもそれだ。俺たちをそうやって見下す。お前らはそんなに偉いのか? 腐った国に根をおろしていることが、そんなに嬉しいか」
「なんっ…だと……! この……!」
腰に手をかけたハンを、俺は手で制した。
「そこまでだ、ハン。――バザンはあくまで協力者にすぎない。バザンの言うとおり、彼は俺の部下じゃないんだ」
「ですが……」
渋るハンを、俺は厳しい視線で抑えつけた。
「――分かりました」
心なしか肩を落とすハンを、バザンがせせら笑う。
これからもバザンとは長く付き合っていかなければならないというのに、これでは先が思いやられる。
「行くぞ」
二人を促すと、俺は家に向かって歩き出した。
ドアの前まで行くと、バザンがノックする。
「ベシュヌ様。バザンです。長老からの言付を持ってまいりました」
しばらくの沈黙の後、床がギシギシと軋む音が聞こえた。
「あの青二才から? ――入るがいい」
しわがれた老婆の声。
バザンが扉を開け、彼の後に俺とハンが続いた。
そこにいたのは、薄汚れたローブをまとい、頭に深くフードをかぶった老婆。
俺たち二人を目にし、老婆はまるで汚らわしいものでも見てしまったかのような顔をした。
「青二才の使いは、まだくちばしの青いひよこと、異教徒か。ひどい組み合わせだね?」
老婆は、放浪の民の長老ヴァーリンのことを"青二才"と呼ばわっているらしい。
くちばしの青いひよことはもちろん、バザンのことだ。
「ベシュヌ様。ひよこはともかく、こいつら異教徒と一緒にまとめないでください」
バザンは憤然とする。
「アルザス家の二男、セルベクと申します。こっちはハン。以後、お見知り置きを」
そう言って俺が頭を下げると、ベシュヌは無遠慮に鼻を鳴らした。
「ふん。偉そうな口をたたいても、家の名前を出すあたりが頭の悪い貴族そのものだね。私はそれぐらいで恐れ入らないよ」
俺はその言葉に苦笑する。
「別に恐れ入っていただく必要はないですよ。――実は、薬剤師として高名なあなたに、お願いがあって参りました」
ベシュヌはちらりと俺の方を見て、また「ふん」と鼻を鳴らした。
「話だけは聞いてやるよ。ヴァーリンが寄こした者を、そのまま返しちゃ寝覚めが悪いからね」
ピクリとハンの頬が動く。
ハンは思いのほか、気が短い。
これが治れば、人と交渉する時の主導権も握りやすくなるのだろうが――、所詮はまだまだだ。
その辺は顔役の下で鍛えてもらうしかない。
件のベシュヌだが、彼女は放浪の民の間では高名な薬剤師だった。
彼女にかかればどんな薬も思いのままに作れ、腕の良い医者と組めば、治らぬ病などないというほどの腕前。
その名はこの国でも知られ、知る人ぞ知る存在だ。
そして、俺が彼女を訪ねた理由はただ一つ。
「霊薬ダルカス。――これを調合していただきたい」
その言葉に、しわの間にうずもれた彼女の目が、大きく見開かれる。
「ダルカスだと!?」
そう言ったかと思うと、老婆ベシュヌは口を広げて大笑いした。
一通り笑うと、目に涙を浮かべながら、ベシュヌは口を開く。
「お前さん、自分が何を言っているのか分かっているのかい? 霊薬とは、神薬と同義語。所詮は人が夢見て、幻想の中で生み出した幻の薬にすぎないのだよ。不治の病すら治す薬など、この世にはない」
小馬鹿にするようにベシュヌは吐き捨てたが、俺はその様子を冷やかに見ていた。
「自分の知らないことは、全て幻か。哀れな老婆だな」
「何を……!?」
気色ばんだベシュヌを無視するように、俺は言葉を続ける。
「現代の医学、化学の祖とされる大錬金術師ダルカスが、生涯を賭けて作ったと言われるのが"霊薬ダルカス"だ。当初は"霊薬"と呼ばれていたが、彼の死後、弟子がその偉業を称え、その名を付けた……。それが幻だと?」
ベシュヌは黙って俺の話を聞いていたが、すぐに視線をそらした。
「私を担ごうったって無駄だよ。どうせ何かくだらない薬でも私に調合させて、霊薬ダルカスの名前で売るつもりなんだろ? その手には乗らないからね」
なるほど。
それはそれで面白いが、今回はそんなことのために来たのではない。
「俺はこう見えても、今は失われた錬金術の知識を持っていてね。師はダルカス直系の流れをくむ錬金術師だった。色々と世間様が知らない知識も、俺は受け継いでいる」
「お前がダルカスの直系だと……!?」
記憶にあるかつての俺は、大錬金術師ダルカスに仕えた錬金術師だったこともあった。
その偉業を継ぎ、第二のダルカスと言われるほどの偉業も成した。
ダルカスの名をその霊薬に冠したのは、他でもない、俺自身だったのだ。
師であるダルカスの残した功績で、知らないことはない。
今は失われてしまっているこの秘伝の霊薬も、俺にのみ、師は口伝で伝えてくれた。
「それが本当なら、自分で調合すればよいではないか。この婆を捕まえて、何をからかうつもりなんじゃ」
そう。自分で調合できるのなら話は早い。
わざわざこんなところまで来て、卑屈な婆に頭を下げる必要などないのだが。
「知識は持ってるよ。だけど、調合するには繊細な技術と経験が必要だ。特に、効果が高いとされる複数の薬草を微妙な割合で調合する複雑な薬となれば、なおさらね。今の僕にはそこまでの技術はない」
俺には師ほどの調合能力がなく、知識は持っていても、結局その薬を再現することはできなかったのだ。
「――なるほど。そこで、私のところに来たというわけか」
老婆はため息をひとつついた。
「そういうことなら調合してやってもいいが、それは私に霊薬のレシピを教えると受け取っていいんだね?」
「教えないと作れないだろう? もちろんだよ。ただし、誰にも教えず、秘密は墓場まで持って行ってもらう」
しばらく老婆は考えていたが、ゆっくりとうなずいた。
「よかろう。伝説とまで言われた霊薬ダルカス。それをこの手で調合できるなら、薬剤師冥利に尽きると言うもの」
「ベシュヌ様……!?」
バザンはまさか、交渉が成立するとは思っていなかったらしい。
驚いた顔で俺と彼女を見比べていた。
俺はハンに持ってこさせた材料をベシュヌに渡し、その詳しい調合方法を伝える。
そんな俺を、ハンは得体のしれないものでも見るかのように、見ていた。




