第10話 買収
「首尾よく行きました」
久しぶりに俺のところに報告に来たハンは、慣れない正装に身を包んでいた。
正装すれば、ハンもなかなか見栄えがする。
目つきが悪いのだけはどうしようもないが。
そんなハンが持ってきたのは、地方にある山の権利書だった。
それもひとつではない。
すべての権利書に目を通し、俺は内容を確認した。
俺の名前が出るとまずいので、名義は別人にしてある。
「どうでしょうか?」
「――うん。問題ない」
俺がそう言うと、無表情なハンは、ホッとしたように小さく息を吐く。
「金額は?」
「はい。――それが、まとめて買うと言うと少々足元を見られて。どうしても折り合いがつかなくて、予定の予算を少し超えてしまいました」
そう言ってハンが提示した額は、想定ギリギリの金額だった。
「仕方ない。無価値同然と思っていたものでも、他人が欲しいといえば、勿体ないような気がしてくるんだろう。まあ、想定の範囲内だ。これから元は取れる」
俺の言葉に、ハンもうなずいた。
「なかなか似合っているじゃないか」
にやりと笑って、俺はおもむろにハンの服装を揶揄した。
ハンはすぐに真顔で憤慨する。
「堅苦しくて、性に合いません。今回は必要だから身につけているだけです」
「悪くないと思うが」
俺がまだニヤニヤしているので、ハンはとうとう、襟元のボタンを乱暴に外した。
「仕事が終わったらすぐに着替えます。先に報告をしに来たまでです」
「まあいいさ。これからはこういう仕事も増える。少しは慣れてもらわないと」
「――分かっています。オレはこれで失礼します」
憮然とした顔で一礼し、ハンはそのまま立ち去ろうとした。
「よくやった。次も頼むよ」
俺の声にハンが振り向く。
だが、ハンは無表情のままで、その心情までは読み取れない。
そのまま再び一礼し、足早に去って行った。
俺が二束三文の山を、まとめて手に入れたのには理由がある。
――記憶の中にある、この国の未来の歴史。
そのすべてではないが、俺はその大きな流れを把握している。
未来の記憶を有しているというのも奇妙な感じだが、過去のものと同じように、それは俺の記憶の中にまぎれていた。
そこで知り得た情報の中に、今はまだ未発掘の鉱山の存在があった。
小さな出来事であれば記憶に残っていなかっただろう。
だが、その鉱山は後に、この国をインフレにさせるほど莫大な金、銀を産出し、国の経済を揺るがしたものだった。
できることなら、もう少し手に入れたかったが、"闇くじ"の利益から転用できる予算にも限りがある。
現時点で、知っている山を全て入手するのは不可能だった。
(今はこれで満足するしかない)
そして、これらの山には金を生むだけじゃない、別の使い道もあるのだ。
数日後、俺はある屋敷の前に立っていた。
この辺りでも取り立てて大きく、贅沢な造りの建物だ。
「お前は黙っていればいいから」
髪を撫でつけ、使用人風の装いに仕立てたハンに、俺は声をかけた。
ハンは黙ってうなずく。
「アルザス家のセルベクです。トリニエさんに取次いで下さい」
あらかじめ話は通しておいたので、使用人がすぐに案内してくれる。
書類の入ったカバンを抱えたハンとともに、通されたのは立派な応接室だった。
明らかに値の張るような調度品が、さりげなく配置されており、この家の裕福さを物語っている。
使用人に勧められたソファに腰を沈めると、俺はこの家の主を待った。
するとそこに、足早な足音が聞こえてきた。
無造作に扉が開けられる。
「おま……、いや、セルベク君! そこで何してるんですか!」
ジャイルはつかつかと部屋に入ってきて、俺をにらんだ。
彼の家は裕福だが、貴族ではない。
家柄で言えば俺の方が格段に上なので、ジャイルは形式上、微妙な丁寧語を使う。
「今日は、ジャイルさんのお父上に大事な用事がありまして」
俺はいつもの、取り繕った微笑みを浮かべた。
「大事な用事? 一体、何を考えてるんだ……」
当惑するジャイル。
彼は優秀な会計能力を持っているが、どこか人のいいところがある。
このぐらいの年ならば、本来はこれが普通なのだろうが。
「よろしければ、ご一緒にどうぞ。ジャイルさんにもいてもらった方が、話が早い」
「何を……?」
そこに、ジャイルの父、トリニエが部屋に入ってきた。
「なんだ、ジャイル。いたのか。ああ、君が息子の同級生だとかいう――」
「セルベクです。ジャイルさんには、生徒会でいつもお世話になっております」
俺はさわやかに挨拶をする。
「大事な話とやらがあるそうだが、一体なんだね? このあとまだ仕事があるから、手短に頼むよ」
トリニエは部屋に入ってきたばかりだというのに、時間を気にしながら、ソファに座った。
息子の学友、しかも子爵の息子だから仕方なく時間をとってやっているという感じが、ひしひしと伝わってくる。
「お時間をいただき、ありがとうございます。ですが、これはトリニエさんの経営される商会にとっても、大きな転機になるお話だと思いますよ」
「どういうことだね?」
俺はハンをうながし、書類を取り出させた。
その中にある地図には、いくつか印がつけられている。
それは、以前ハンが買収してきた山の位置を示している。
「これは?」
「僕が所有している鉱山の位置です。金と銀が産出できます」
「鉱山だと? 君が鉱山を?」
「はい。そしてこれら鉱山の開発を、トリニエさんの商会にお願いしたいと思っています」
「ちょ……、ちょっと待て。それは本当か? 本当にここにある山全部が鉱山なのかね?」
「そうです。これが地質調査書。そしてこれが――」
俺は袋に入った小さな包みを、トリニエに差し出す。
中には試験的に採取させた、鉱石が入っていた。
「これがその金鉱石です」
トリニエは、呆けたように口を開けた。
「こ、こんなに大きなものが……」
「僕としては、やはり信用できるところと手を組みたい。そこで、トリニエさん、あなたのお力をお借りしたいというわけです」
だが、トリニエはうますぎる話に警戒したのだろう。
眉を曇らせた。
「失礼だが、これが真実だという根拠は?」
「必要とあらば、山師でも何でも使って、調べてくださって構いませんよ。この地質調査書も本物ですしね」
トリニエは腕組みをして「ううむ」と考え込んだ。
「失礼ですが、こちらの商会には今、莫大な借金がありますよね? この開発に協力していただければ、それぐらいの額、すぐに返済できるようになりますよ」
俺はさりげなさを装って、微笑んでみせる。
だが、トリニエはぎょっとしたような顔をした。
「何を……。何を根拠にそのような」
既に調べはついていた。
俺はジャイルを手中に収めるべく、いろいろ周囲を探っていた。
するとすぐに、ジャイルの父親であるトリニエが、昨年の取引で大失敗し、大きな負債を抱えていることをつきとめたのだ。
そして、その窮地を救ったのが生徒会長マラエヴァの祖父。
彼が保証人兼仲介役になり、他の大店の連中が運転資金を工面してくれているという。
俺はここにつけ込むことに決めた。
「もし協力してくださるのならば、商会の取り分を二割。保証しましょう」
「……だが、鉱山の開発となれば、それなりに元手もかかる。それはどうするつもりだね?」
もはやトリニエは、子どもを相手にしているような顔ではなくなっていた。
すっかり商売人の表情だ。
「最初はこちらがお貸ししましょう。収益があがれば、そこから賄うようにしてもらいたい。それと――」
「それと?」
「ジャイルさんをいただきたい」
俺の言葉に、トリニエはハッとし、ジャイルは困惑した表情で俺を見つめている。
「それは……、どういう意味かね?」
まるで追い詰められた猫のように、トリニエ肩をいからせ、厳しい視線を投げかけてくる。
よほど無謀な要求を想像しているのかもしれなかった。
安心させるように、俺は笑ってみせる。
「そう構えないでください。そのままの意味ですよ。――ジャイルさんは優秀です。この通り、僕はいろいろと手広くやっているのでね。今後、ジャイルさんには、同級生という枠を超えて、一人の人間として僕に協力してもらいたいのです。そうしてもらえるのなら、さらに、そちらの取り分を一割増やしましょう」
「雇いたいということだな」
「まあ、それに近いですね。ですが、僕は実態のある商会などを運営しているわけではないので、雇うというのも少し違うかもしれませんが。ただ、将来的にはそのような形にできるでしょう」
しばらく黙っていたトリニエは、こめかみをさすりながら小さく呟いた。
「怖ろしい……」
俺はそんなトリニエの様子を無表情のまま、見つめる。
トリニエは俺を見返すこともなく、宙を見るようにしてようやく話し出した。
「正直、私は君が恐ろしいよ。その年でこれほどのことをやってのける君がね……。ただ、息子のことは、息子が決めることだ。確かにジャイルは跡取りではない。だが、これでも大事な息子なのでね。――どうする? ジャイル」
両手を組み、どこを見るでもなく、宙をにらみつけるようにして返事を待つトリニエ。
家の状況を考えれば、ジャイルは断れないだろう。
だからこそ、俺はこの提案をしたのだが。
「……受けます。条件がきちんと果たされるのなら、オレはこの話を受けます」
ジャイルは決意したように言った。
それはおそらく、この場にいた全員が予測していた返事だ。
「お聞きの通りだ。ジャイルのことは好きに使ってくれ。だが、約束は守ってもらうぞ?」
「もちろんです。それを証明するのに、それほど時間はかからないと思います。――トリニエさんもお忙しいようですから、詳細はまた後日。こちらからご連絡します」
仕事のあるトリニエはすぐに部屋を出て行ったが、ジャイルはその場に残っていた。
「これから――、オレは何をすれば?」
「細かい話はこのハンと話をして聞いてくれればいい。だけど、ここで知り得たことは絶対に誰にも口外するなよ? そうなれば、この話は全て無しだ」
ジャイルは大きくため息をついた。
「わか――りました……。でも……」
慣れない様子で、ジャイルは俺を下から見るようにボソっと言った。
「驚きましたよ……。学校とは全然違う……」
俺は肩をすくめ、それから軽く笑った。
「すぐに慣れる。――学校は学校。外は外。だろう? 学校では今まで通りでいいからね」
納得いかない顔で、ジャイルは口をもごもごさせたが、それ以上何も言わなかった。
どうせ利害でつながるだけの関係だ。
ジャイルが俺のことをどう思おうとかまわない。
メリットがあるうちは、俺に従うだろうから。




