第9話 選挙
その日の朝、俺は学校の廊下で通りすがりに、知らない奴に嬉しげに肩を叩かれた。
級友だとは分かるが、これまで話したことのない奴で、あまり記憶に残っていない。
今まで小馬鹿にされたように見られることはあったが、そんな風に肩を叩かれたことなどなかったので、俺は少し首をかしげた。
しかし、教室に近づいていくと、ケラーニの得意げな声が聞こえてきて、俺はようやく、事態をなんとなく理解した。
生徒会立候補の話に違いない。
教室から出てきた生徒の一人が俺を見つけ、慌てたようにまた教室に戻って行く。
「おい! セルベクが来たぞ!」
わあっと教室で歓声があがった。
(結構な騒ぎになってるな……)
俺は少しうんざりした気分になったが、何食わぬ顔を作り、教室に入っていった。
案の定、ケラーニを中心とした一部の生徒たちに取り囲まれる。
「生徒会に立候補したんだってな!?」
「え……ああ、うん。先生に勧められて……」
するとまた歓声があがる。
「職員室は大騒ぎだったぜ? 呼び出された現生徒会のメンバーと喧々諤々。今やお前は渦中の人物ってわけだ」
ケラーニが嬉しそうに俺の肩に手をかけた。
「なんでそんな大騒ぎになってるの?」
俺がとぼけてみせると、取り囲んでいる者たちは一斉にあきれた顔で俺を見る。
「何言ってるんだよ。生徒会だぜ? 教師推薦なんて、ここ何年もなかったらしいのに。生徒会黄金期って呼ばれるほど、今は優秀なメンバーがそろってる。そこにお前が立候補するっていうんだからな」
優秀なメンバーとはもちろん、マラエヴァ、フェラニカ、ジャイルの三人のことだ。
だからこそ、俺は立候補するのだが。
「僕は、先生に勧められたんだ……」
そう言うと、ケラーニはニヤニヤとしてうなずいた。
ケラーニも、俺の親がコネか金を使って、教師を動かしたのだと推測しているのに違いない。
「そうだろうなあ。お前が自分から立候補するわけないよなあ? 先生たちもよっぽどお前を推したいらしい。生徒会の選挙はいつも出来レースだけど、そこにお前を入れろって、結構強引にねじ込んでたぞ?」
すると、別の生徒が面白半分に言った。
「どうなるのかねえ? 生徒会は先生たちの言うことを聞くのかな?」
「そりゃそうだろ?」
「いや、でも生徒会の権力も強いからなあ……」
皆、好き放題に話し始める。
要するに今、俺を取り囲んでいる生徒たちは、このネタを面白がっているだけなのだ。
教室の別の場所では、この様子を冷やかに見つめる生徒のグループがいくつかある。
各派閥の影響力を強く受けている生徒たちだ。
派閥の末端に位置する者たちは、このネタを面白がって眺めているだけだが、派閥の上位者に近い生徒ともなれば、生徒会の動向次第で今後の進学や進級に影響が出ると考える。
俺の立候補を煙たく思っているだろう。
そこで、俺はわざと悲しそうな表情を作ってうつむき加減に、でも、はっきりと聞き取れる声で言った。
「先生方は熱心に進めてくれたけど、僕、自信なくなってきちゃったよ。僕のせいで、生徒会と先生がもめているなんて……」
奴らはきっと、俺の言葉を注意深く聞いているはずだ。
「今さら何言ってるんだよ? 先生がそう言ってるんだから、お前は黙って従ってればいいんだよ」
一見すると優しさを装った、だが、見下した言葉。
せいぜい、"セルベクは、お人好しの馬鹿野郎だ"という噂を、ケラーニに流してもらうとしよう。
そうすることで、多少は風当たりも弱くなるだろう。
俺を無能な奴だと周囲が判断すれば、派閥主義の強い生徒たちも、"危険視する者"から自然と除外してくれるはずだ。
「――うん。ありがとう、ケラーニ」
にっこり微笑んでみせると、ケラーニもまんざらでもない表情をする。
どこまでも親友ごっこ気どりだ。
「気にしすぎなんだよ、セルベクは。何かあったら、いつでも言ってくれよ? 相談ぐらいのるからさ」
そして、その話をネタにして、また楽しむというわけだ。
だが、俺もケラー二の演技に素直にうなずく。
それですべて、うまくいくから。
選挙は実にシンプルだった。
唯一、俺が教師推薦で立候補したことが話題になったが、あとはいつもと変わりのない選挙だった。
マラエヴァ、フェラニカ、ジャイルの三人は、対抗馬のいないまま無投票で当選。
残りは書記だが、会計に二人、副会長に二人、そして会長に三人、――計七名。
それぞれ専任の書記が選ばれる。
六名は各派閥から選出され、俺は一応、会長の書記の一人という役割を無事に得ることができた。
もはや全く選挙の体を成していないが、それでも"選挙"と銘打ってるところに、この学校の異常さが伺える。
初めての集まりで、俺が生徒会室に足を踏み入れると、針のような視線に出迎えられた。
その中の一人の生徒が、俺の顔を見て歩み寄ってくる。
「生徒会へようこそ。セルベク君だね? 僕はマラエヴァ様の書記の一人だ。君とは同じ立場を有しているわけだけど――」
冷やかな視線を浴びせながら、生徒は言葉を続ける。
「勘違いしないでほしい。君はあくまで先生たちのゴリ押しで生徒会に入ったんだ。正直、僕たちは君を歓迎していない。君が生徒会の立場を利用するのは自由だけど、生徒会の中のことに口を出させるつもりはない。会長もお忙しい。邪魔だけはしないでくれ。書記の仕事は二人でもなんとかなるから、君は何もしなくていい」
周囲にいた他の書記の生徒たちがクスクスと小さく笑う。
すると部屋の隅にいた会計のジャイルが、ちらりとこちらに視線をやった。
「何をやっている? もうすぐ会長がいらっしゃる。早く席について」
ジャイルは部屋の隅で何やら書類をまとめているようだった。
これから新しい学期が始まるので、何かと忙しいのだろう。
そこへ副会長のフェラニカが足音高く、部屋に入ってきた。
「必要な書類は揃っているか? 今日はやることが多いぞ」
生徒会でも、フェラニカは紅一点だ。
女性は適齢期になれば結婚するか、修道院に入るぐらいしかないようなこの世界で、生徒会にまで入っている彼女は、かなり異質だと言える。
しかも、見た目は美人だが、言葉も所作も、まるで女だということを感じさせない。
「見慣れない顔がいるな」
ふとこちらを見た彼女は、俺を見て言った。
あれだけ騒ぎになっていたのに、俺のことを知らなかったらしい。
「例の教師推薦の……」
そばにいた彼女の書記らしき生徒が、彼女に説明する。
「ああ……。会長の書記か」
フェラニカは正体が分かると、途端に興味を失ったような顔になる。
俺はチャンスと見て、頭を下げて見せた。
「セルベクです。よろしくお願いします」
だが、フェラニカは俺を見ることもなく、彼女の書記から書類を受け取った。
「まあ、邪魔にならないようにしていてくれ」
素気ない。
だが、こんなものだろう。
「さあ、早く席に着け。会長が間もなく来られるぞ」
フェラニカの言葉に、書記たちは三々五々、席に着き始める。
俺も末端の席についた。
なるほど。
生徒会として集っているとはいえ、全員仲が良いというわけではないようだ。
ジャイルもフェラニカも、一度も目を合わせようとはしない。
書類を手に、それぞれの書記と話をしている。
書記たちも同様。
必要最低限のつながりはあるようだが、仲良く談笑する様子はまるでない。
(うまく立ち回れば、付け入る隙はありそうだ)
俺は漠然とそう感じた。
そこに、マラエヴァが書記の一人を伴って入って来る。
それと同時に全員が起立した。
俺もあわてて、それに倣う。
頭を下げ、マラエヴァが席に着くまでその姿勢で待ち、彼が席に着くと同時に、全員が着席した。
――まるで獅子だな。
それが初めてマラエヴァを間近で見た印象だった。
この年にして、早くも周囲を圧倒するだけの威厳が、マラエヴァにはあった。
遠目からは何度もその姿を目にしているが、これほど間近で接したことは今までない。
マラエヴァの祖父は王孫だという。
血統から言えばかなり高貴な血筋なのだが、家はかなり傾いていると聞く。
そんな彼が、中等部に入学してすぐ生徒会に入ったのは、ひとえに彼の実力と言えるだろう。
「選挙後初めての集まりとなるが……。一応紹介しておくべきだな。――セルベク君」
突然マラエヴァに声をかけられ、俺は立ち上がった。
「はい」
「先生方の強い要望で書記になった、セルベク君だ。――教会で神童と名高いそうだが、生徒会に聖典などは必要ない」
マラエヴァがそう言うと、書記の数人が嘲笑を浮かべた。
「あまり君にできることはないと思うが、せいぜい頑張ってくれたまえ。我々は君を歓迎する」
歓迎されていないのは明らかだったが、さすがに会長ともなれば、それなりの言葉を使うらしい。
俺はマラエヴァに一礼した。
「ありがとうございます。これから皆様のお役にたてるよう、頑張ります」
神童と謳われた微笑みで応えて見せる。
冷やかな空気がその場を包んだ。
「これだけ言ってもわからないのか」という侮蔑の表情を浮かべる者。
「使えない奴だ」とそっぽをむく者。
まるで興味を持たず、ただ書類に目を通す者。
マラエヴァはただ、眉ひとつ動かさずにうなずいただけだった。
こうして、俺の孤独な生徒会生活が幕を開けたのだった。




