08
その後。
どこをどうやって帰り着いたものやら、気がつくとウゴは、涙と洟交じりに、事の次第をアデリーナに訴えていた。
「はあぁ?人が死んでるぅ?」
読書を中断させられたからか、はたまたウゴの説明をでまかせと受け止めたのか、それともウゴの説明とともに飛んでくる唾液や洟の飛沫を嫌がったのか、アデリーナはウゴから本を自分の身体で庇うように角度をとりながら、不機嫌そうに目じりを吊り上げた。
「嘘じゃねーって。本当に死んでたんだ!他人の頭蓋骨を胸に抱きしめてさ、死んでるんだよぉ!」
ウゴは無我夢中で云い張った。
やっぱりここは呪われた場所だったんだ、ここに入った人間はみんな死ぬんだなどと惑乱してわめき散らすウゴを、アデリーナは少しの間睨みつけ。
「仕方がないわね」
膝に乗せていた本を、ページは開いたまま、傍らの本の山の頂上にそっと乗せ、やれやれとため息をついて立ち上がった。
「じゃあ、行ってみますか」
そのまま自分の脇をすり抜けて歩き始めたアデリーナを、ウゴは慌てて呼びとめた。
「どどど、どこに行くんだよっ!?」
おびえを隠さないウゴにそう訊ねられたアデリーナは、足を止めて振り返ると、華奢な肩をすくめた。
「あんたの云う死体とやらを見てくるのよ」
「な、なんで!?」
涙も忘れて絶句したウゴに、
「理由は二つあるわ」
アデリーナは右手の指を二本立てて胸を張る。「ひとつ目、他人の云うことを鵜呑みにするんじゃなく、自分の目でちゃんと確かめないと、本当かどうかは判らないし、」
「オレは嘘は云ってない!」
涙交じりのウゴの絶叫を、アデリーナはあっさり無視して続ける。
「二つ目。本当に死体だったら、死因を確かめておくべきじゃない?」
「なんで?」
「もし他殺だった場合、犯人がまだここにいる可能性も、ゼロじゃないでしょ」
警戒すべきかどうかとか、対応策を練っておくべきかどうかとか、それによってこれからすべきことも違ってくるのよと云いながら、アデリーナはウゴに聞いた読書室目指してすたすた歩き去ってゆく。
一人残されたウゴは、その後姿を少し呆然と見送り……恐る恐る、周囲に視線を巡らせた。
「殺人犯が、ここにいる……?」
そんな空間に一人でいることに改めて恐怖を覚え、慌ててアデリーナの後を追った。
「これがそれ?」
アデリーナは、ウゴが指し示した「死体」を一目見るなり、呆れた表情になった。
「馬鹿ね。これは死体でも何でもない、ゴーレムじゃない!」
「ごーれむ?」
「前に云ったでしょ。神文字で動く人形よ」
「えっ?こいつが人形なのか!? けど、こんなに人間にそっくりじゃねーか!」
「そうね、こんなすごいもの、いったい誰が……」
素っ気無く頷いたアデリーナは、驚愕と感心と感動が入り混じった目で、目の前に座るゴーレムを検分し始めた。
「あら、このゴーレム、頭蓋骨だけじゃなくて、肋骨背骨腰骨上腕……人一人分の骨が寄り添ってる。この格好から見ると……この人は、このゴーレムが抱きしめる形で死んだみたいね」
「そうなのか?」
人間の骨に触るなんてもちろんのこと、見るのも厭なウゴは、手近な机の影に隠れて、恐る恐るそんなアデリーナの様子をうかがう。
そんなウゴのことなど構わず、アデリーナはゴーレムの上から人骨をのかしがてら、その一本一本を検分してゆく。
「肋骨に大きな傷があるから、たぶん胸を刺されて死んだんだと思う。ずいぶん小柄な……子どもかな?」
「誰が刺したんだ?」
「そんなこと、あたしには判らないわよ」
目は人骨から離さないまま、アデリーナは素っ気なく答える。
「何で判らないんだよ」
ウゴがイライラと八つ当たり交じりに続けて尋ねても、
「透視能力を持ってるわけでもない、ただ人のあたしに何を期待しているのよ」
と、取り合わない。
見終えた肋骨をぽいっと、無造作に脇に放るアデリーナに、ウゴは思わず眉をひそめた。
「おい、もうちょっと丁寧に扱えよ」
「何を?」
本気で判らないらしい、アデリーナはきょとんと軽く目を見開いた。
ウゴは、そんなアデリーナに頭蓋骨を指差して云った。
「その人を、だよ」
云われたアデリーナは、盛大にぱちぱちと瞬きをした。
「人?だってこれは、単なる骨じゃない」
「骨になる以前は、人間だっただろう!?」
「けれど、死ねばたんなる骨、物質よ。それも、生前の姿を全く知らない、交流だってしたことが無い赤の他人のね。そりゃあたしだって、これが父さんや母さんとか、見知った身近な人だったらもうちょっと気を遣うわよ。けれど、この骨の状態から見ても、骨の持ち主は、ざっと見でも数十年は前に死んでるのよ。そんな、あたしたちが生まれる以前に死んだ人間に、何か特別な思いを持てって方が無理じゃない」
「無理じゃない!お前も一応人間なら、自分の同胞の亡骸に対してある程度の敬意を持って接しろよ!」
「持ってるわよ。だから、足で払ったりしないで、一個一個手でどかしてるんじゃない」
「オレの眼からは、敬意がまったく感じられねぇ!」
「それは、主観と客観の違いでしょ。あたしは、あたしにできる範囲できちんとしてるつもりだもの」
「……(ダメだこいつ)」
人間として、最も大事なものが欠けている。
頭を抱えて黙りこんだウゴを見て、議論がひとまず終了したと判断したらしい、アデリーナはゴーレムに視線を戻した。
「そんなことよりも、この肝要のゴーレムだけど。見たところ大した破損は無いようだし、単に動くための神字の効力が切れただけかしら。
……ああ、それにしてもこれは素晴らしい出来だわ。ゴーレムや神字の知識がないウゴが間違えたもの無理は無いかも」
「悪かったな、間違えて」
憮然と呟くウゴと対照的に、アデリーナは陶然と、ゴーレムを撫でまわしながらささやく。
「見てよこの造作。骨格や筋や血管が伺える首筋や肩や腕の見事さはどう?これはたぶん、人間とまったく変わらない骨格や筋肉、血管と云った身体構造を備えているに違いないわ。ほら、指なんか、爪はもちろん、指紋までついてるじゃないの。加えて皮膚のこの質感。人間の肌とほとんど変わりが無いわ!」
「誰が造ったんだ?」
うっとりとゴーレムの腕を撫でさすっていたアデリーナは、ウゴの問いを聞いてさあ、と小さく首を振った。
「識らない。けれど、現在の技術力では、ここまで人間に近しい姿をしたゴーレムを作り出すのは、無理かも知れない」
「じゃあ……解放大戦以前のものか」
「そうかも。けれど、それにしたっても、これを造った人はまず間違いなく、天才だわ。もしその人がまだ生きているのなら、是非とも師事したいものだわね!」
浮かされたような、陶酔した口調でそう答えたアデリーナは、ついで、やおらゴーレムの手から骨を取り上げて脇にのけると、その胸にまとわりついていたボロ布を取り払う。神字の作り出す蒼い光に照らされて、しなやかな筋肉に覆われた、肌理細やかに輝く胸板が現れた。
「だーあ!何するんだ、いきなりっ!!」
愕きのあまり、それまでの恐怖も混乱も全て忘れ去ったウゴが赤面して叫ぶと、アデリーナは、何故そんなに騒ぐのか理解できないと云った表情で彼を振り返った。
「何するって、検査。このボロ布に隠れた箇所に、何かおおきな破損が無いとも限らないでしょ?神字を描いてあげる前に、ちゃんと調べとかないと、後々が大変だわ」
「検査って……お前、判ってるのか?このゴーレムは男の形してんだぞっ。ンでもってお前は女だろうがっ!」
「んなの、あたしにだって判ってるわよ」
ぼろ布を通してもそれと判る鼠蹊部の形状にちらりと目をやったアデリーナが肩をすくめる。
ウゴはますますいきり立った。
「だったら少しゃ恥らうとか躊躇うとか遠慮するとかしないのかっ。いい年した女が、男剥いてんじゃないっ」
「これは男じゃなくて、ゴーレムでしょ」
「……」
ウゴは頭を抱えてしゃがみこんだ。
(ダメだ。やっぱこいつ、ズレてる。今さっき自分で、この「ゴーレム」は、人間と同じ身体特徴を全て備えている可能性があるって、そう云ったばっかじゃねーか!だのに服剥くか!?)
ついてたらどうするんだとか、生えてたらどうしようとか、胸の中で突っ込みを入れたウゴだったが、考えるまでもなく、ついてようが生えてようが、嬉々としてそれらを弄くるアデリーナの姿が想像できて、げんなりする。
(それはヤバいだろ。どう考えても)
アデリーナ本人がどう云おうが思おうが、それは、花も恥らうお年頃な乙女の末端に、一応、名を連ねることを許されている生物としては、激しく間違った態度と行動だろうとウゴは思う。
と云うか、そんな光景を強制的に見せられる自分が厭だ。
強烈な徒労感に教われて口を噤んだウゴを、アデリーナは、不可解なものを見る目で見やったが、彼に対する心配心よりも、ゴーレムに対する好奇心――もとい、研究心のほうが勝ったらしい、ゴーレムの検査を再開した。
「……よしっ。頭部および上半身には、特に損傷は見られないわね」
虚ろな目をしてぶつぶつ呟くウゴの手を借りて、背中の方まで確認し終えたアデリーナは、ついで残った下半身へと手を伸ば――
「だーあっ!」
――そうとしたところを、必死の形相で割り込んできたウゴに止められた。
「ダメだっ!それはダメっ。男の代表として、オレが絶対に許さんぞっ!」
ゴーレムを自分の背中に隠し、涙目で絶叫するウゴの勢いに呆気に取られたアデリーナは、
「ま、いっか」
肩をすくめてそうごちた。
「股関節の具合とか見ておきたかったんだけど、ま、歩けなかった場合には、ウゴ、あんたが責任持って背負って運べば良いだけの話だもんね」
「はいはい。仰せの通りに働きましょう」
沈痛な表情で頷くウゴの内心などまったく悟らず、アデリーナは、やおら、神字用のペンと溶剤を取り出した。
「んじゃ、今は名前も判らないこのゴーレム君に、再度の命を吹き込みましょうか」
「こいつ、動くのか?」
何とか自分の精神的安泰を防御することに成功したウゴが、ほっと安堵しつつ訊ねると、アデリーナは、たぶん、と小さくうなずいた。
「たぶん。外見的に目立った損傷は無いから、神文字で動力源を注入してあげれば、すぐ動くと思う」
「ふぅん……」
アデリーナの言に頷きながら、ウゴは改めてゴーレムを見やった。作り物だと知れた今では、その整った容貌も不思議なものではなくなった。が、彫像のようなその造作がかえって想像力を呪縛したのだろう、これが人間のように動く場面が、どうしても想像できなかった。
(今は閉じてるあの眼が開くだなんて、ちょっと信じられないなあ)
ウゴと違ってその造作の美しさに特に感銘を受けていアデリーナは、まずその額に、ついで胸に、腹に、両腕、両足に、さらさらとペンを走らせた。浅黒い皮膚に描かれた複雑な文様は、完成した瞬間に蒼白い光をぱあと放ったのち、その内部に吸い込まれるように消えてゆく。
「……よしっと。これで動くわよぉ!」
満足そうに、期待に満ちた表情で立ち上がったアデリーナは、じっと、ゴーレムを見つめ、それが動き出す瞬間を待った。
その隣で、ウゴも不安をにじませた眼でゴーレムを見つめる。
それぞれ期待や恐怖やその他もろもろの感情を浮かべた二対の目がじっと見守るなか。
目を閉ざしたゴーレムの、長いまつ毛の下に、透明な液体が盛り上がった。
「……涙?」
直観でひらめいたウゴの言葉を聞いたアデリーナが、手を叩いてはしゃいだ。
「すごい!涙を流す機能があるだなんて!本当に人間みたいだわ!」
すごいすごいとはしゃぐアデリーナを、ウゴはしっと鋭く息を吐いて制した。
「待て、何か云ってないか?」
ゴーレムの、薄く整った唇が小さく動き、かすかな、ため息にも似た声が紡ぎだされた。
『何故、私を起こすのですか?』
閉ざした目蓋からはらはらと涙をこぼしながら、ゴーレムは、アデリーナたちには判らない言葉でそう呟いた。
『眠らせておいてください。朽ちて死ぬことも、忘却の大河に記憶を流すことも許されないこの身には、眠りだけが唯一許された救いなのですから……』
「なんだ、これ?」
耳を澄ませてゴーレムの声を聞いていたウゴがアデリーナを振り返って訊ねた。
「さあ?寝ボケてるんじゃない?」
「寝ボケって……ゴーレムが寝ボケるのかよっ?」
「だって、これほどに高性能なやつなら、夢を見たり寝ぼけたりすることもできるんじゃないの?」
「ホントかよ」
「そんなの、たたき起こして本人に訊いてみれば良いだけのことじゃない」
胸を張ってそう云ったアデリーナは、ウゴに止める隙を与えず、ゴーレムの肩に手を置いて揺さぶり始めた。
「こらっ!ちょっと!起きろ。起きろって!」
自分の想像の範囲を超えた、あまりに傍若無人なアデリーナのこの行動に、一瞬呆然となったウゴは、次の瞬間はっと我に返って、慌てて彼女を止めようとした。
「おい、あんまり無茶するなって!」
「大丈夫よ。ほら、起きなさいって」
その容赦ない命令に、
ぴくり、と。
ゴーレムの目蓋が慄えた。