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神文字使いの魔女とゴーレム  作者: killy
出会いは爆風とともに
5/21

05

 二〇〇年前まで異教信仰の砦であったその城に、初めて足を踏み入れたアデリーナは、そのあまりの壮麗さに言葉を失った。

「すご……っ」

 彩色タイルで華麗な文様が描かれた床や壁。緻密な彫刻がされた列柱や、それらが支えるアーチにほどこされた、まるでレースのように繊細な透かし彫り。中庭ではあまい香りを漂わせる秋薔薇が咲き乱れて噴水が清水を放ち、建物をぐるりと囲む地所は整然と区分けされて、それぞれ滴るように濃い緑を茂らせている。

 デルシエロ城は、これまでアデリーナが遠目に外観を眺めて想像していた以上の素晴らしさだった。

「思った通り。神文字知識の宝庫だわ、ここは!」

 一二頭の獅子像の背中に乗った噴水盤が、中空に清水を吹き上げる小さな中庭を取り囲む回廊で、愛用の手帳を取り出したアデリーナは、さっそく壁面の模様の記録に取り掛かりながら、興奮の面持ちでそう叫んだ。

「以前から、訳の判らん装飾でうるさい城だとは思っていたが、そうか、これらは神文字だったのか」

 エンリーケが感心したように、改めて壁面に目を凝らしながら云った。

「全部が全部そうって訳ではないようですけれどもね。とりあえず、この白いタイルで作ってる箇所は、神文字の特徴が顕著に伺えます。どうも複数の神文字を組み合わせているようですね。効果は……神文字のからみ具合が複雑で、今すぐには判りかねますが、神文字を構成するうちの一個は、どうやら何かの音を判別するもののようです」

「音?」

「特定の条件を満たした音を判別したとき、また特定の反応を起こすような、そんな構造なのかなあ。ううん……?」

 尖らせた唇と鼻の間に硬筆を挟んで腕を組んだアデリーナが黙考を始めたのと前後して、皮袋やら手提げ袋やら大判の布にくるまれた何かやらといった彼女の荷物を背中に背負い、両手に抱えたウゴが、よろよろとよろめきながら一行に追いついた。

「どうしてオレがこんなこと……」

 ぶつぶつ呟ききながら、盛大なため息を漏らして、両手にそれぞれ持った大袋を床に下ろした少年をねぎらうでもなく、エンリーケは命じた。

「小僧、アデリーナの部屋を手配しろ。寝室と、神文字の研究室のふたつだ。我々がここに留まっている間は、お前が彼女の世話を焼け。彼女が必要だと云う物は、構わぬから皆揃えてやれよ」

「えっ。オレがですかあ?」

 ウゴは、間違って酸い物を口に含んでしまったときのように顔をしかめてむくれたけれど、エンリーケはいっかな頓着せず、冷たく頷いた。

「そうだ。何度も云わせるな」

「……はい」

 しょせんは、不満も文句も云える立場にないのだ。そのことを思い出したウゴが、がっくりとうな垂れて承知の返事をする前に、エンリーケはさっさと、ウゴ以外の供を引き連れてその場を去っていった。すたすたと歩き去る後姿は、狩りの途中で拾った珍しい特技を持つ小娘や、地元産の小僧に対する興味をすっかりなくしたように冷たく、素っ気無かった。

 広い中庭に面した回廊に、ウゴとアデリーナの二人だけが取り残された。

「……とりあえず、お前が落ち着く部屋を見つけなけりゃいけねーな。南向きがいいとか噴水の側がいいとか、窓は二方向についているほうがいいとか、回廊沿いのほうがいいとか、奥まったところのほうがいいとか、そういった希望はあるか?」

 が、アデリーナは返事をせず、ふらりと中庭に足を踏み入れる。

「……ったく、夢中になってやがる」

 何がそんなに面白いのかと、ウゴが憮然とその姿を睨みつけていると。

 とてとてと、特に目的を感じさせない足取りで歩き回っていた身体が、不意によろけた。

「おい、リーナ!」

 さては強い陽射しに当たって貧血でも起こしたかと、慌てて荷物を置いて駆け寄ったウゴの耳に、能天気な声が届いた。

「あー、なんか、神文字が沢山ありすぎて、目がちかちかする」

「……」

 心配した自分が馬鹿だったと、ウゴは腹の底で悪態をついた。

「ここ、そんなに神文字があるのか?」

「あるある。ありすぎて、どっから目をつけたらいいのか判んなくなるよ」

 ウゴの目には、敷き詰められた石灰岩の微妙な色の違いによって、様々な抽象模様が描き出されているようにしか見えないのだが、話を聞くと、その模様こそが神文字なのだそうだ。それも、視点を置く位置を変えれば、また別の神文字が浮かび上がってくると云うこりようで、一箇所に二つも三つも、意味が籠められてあるのだという。

「さぁて、どこから写そうかなぁ?」

 軽く目を細めて神文字の全体像を探っていたアデリーナに、ウゴはふと思いついて訊ねた。

「なあ、この中庭の模様、本当に全部神文字なのかよ」

「そうよ。装飾の意味もあって、多少変形させてあるのもあるけれど、ほとんどは、そのまま神文字として機能するものだわね」

「じゃあさ、これらをお前の魔法のインクとペンでなぞるとさ、あの魔法がまたぶわーって起こるわけ?」

「魔法じゃなくて、神文字の威力の発現よ。神文字はちゃんと、理に沿った構成をしていて、それが表すとおりの効果を発揮するんだから。魔法のように、訳が判らない不可思議な現象とは区別して頂戴」

「へーへー。んで、その神文字はやっぱ、ぶわーって起こるわけ?」

「発動することは発動するけどね。何が起きるか判らない状態で、そんなことできやしないでしょう。危ないもの。突風くらいなら良いけれど、突然火噴いたり爆発が起きたりしてみなさいよ。あたしが怪我しちゃうじゃない」

「その場合、お前だけじゃなくて、近くにいるモンみんなが巻き添え食うと思うんだけど」

 ぼそりと呟かれた突込みを無視して、アデリーナは「だからね、」と真面目な顔をして続けた。

「神文字の威力を発現させる前には、ちゃんと、それがどんな内容の、どんな力を持ったものなのかってことを把握してなくちゃいけないの。でないとどんな事故が起きるとも限らないでしょう。神文字は、扱いに関しては細心の注意が要る、とても繊細なものなのよ」

「それはまあ、解った。けどさ、ここって、昔も今と同じように、普段から大勢の人間が普通に暮らしてたところだろ。ンなとこで、爆発したり火ィ吹いたりするような、危険な神文字を飾っとくかなあ?」

「そりゃあんた、昔の人間の考えが判らない以上、可能性は無いとは云いきれないでしょう。例えば……そうよ、泥棒避けとかにそんなものを用意してたかも知れない」

「そうかあ?入り込んだ泥棒前にして悠長にお絵かきしてる暇なんか、無いと思うけど」

「あら、慣れれば結構手早くかけるものなのよ、神文字って」

「そうかあ?」

「あら、あたしの云うこと疑うの?」

「だってお前、昔っから不器用だったじゃねーか」

 にやり、とウゴは挑発する嗤いを頬に乗せた。案の定、アデリーナはこれに乗った。

「このヤロっ、云うに事欠いて不器用ですってぇ?」

「事実を正直に云ったまでだよ」

 べーっと舌を出してウゴは逃げ出した。昔はよくしていた、追いかけっこ遊びの開始だ。

「待ちなさい、この男はっ」

「待てと云われて待つ奴がいるかっつーの!」

 赤毛を振り乱してつかみかかってくるアデリーナを、紙一重のところで避けるついでに、その頭をぺしんと叩く。アデリーナの顔が、茹で上げたように真っ赤になった。

「よくもやったわね!」

「てめぇがトロいのが悪いの」

 ウゴは、噴水盤を背負う獅子像のうちの一頭に足を掛けて、水盤の中に降り立ち、さらにアデリーナをあおる。

「ちょっと待ちなさいって、何度云わせるのよ!」

「だーから、待てと云われて待つ奴がいるかって、何度云わせるわけ?」

 ウゴは、けらけら呵いながら噴水口を手でおおって、アデリーナに水を振り掛けた。

「何すんのよっ」

「いや、だいぶ熱くなってるようだから、冷ましてやろうかと思って」

「冷ますべきなのは、あんたのイカレタ頭だ!」

 自分も噴水盤によじ登ろうと、獅子像に手をかけたアデリーナは、そこでぴたりと動きを止めた。そのまま固まってしまったようにじっと、獅子の背中を凝視する。

「おい、どうかしたのか?」

 さすがに心配になったウゴが声をかけると、アデリーナは、目はなおも獅子像を凝視したまま、その後頭部を指差した。

「これ、神文字だ」

「はい?」

 大理石で造られた像のその部分には、なるほど、回廊の壁面や中庭の床を飾っているのと同種の模様が見受けられた。何度も何度も繰り返し、数え切れないほどなぞられたのだろう、歳月の愛撫を受けて滑らかに磨かれた獅子の背は、その文字を表す部分だけ、わずかではあるが、目で見てはっきりそれと判るほど窪んでいた。

「これ、装置を動かすための神文字だよ」

「そうなの?」

「そうだよ。これっ、この像は装置なんだ。他は?他の一一体も全部装置なのかなっ?」

 駆け足で噴水盤の周囲を巡って確かめた結果、神文字が刻まれてあるのは、最初にアデリーナが気がついた一体しかないことが判明した。

「何なんだよ。一二頭全部が装置なら、噴水盤を楽に動かせるとか、そう云う仕組みになるんだろうけれど、一二頭いるうちのたった一頭しか動かないだなんて、何か意味あるわけ?」

 ウゴは首をひねって訊ねたけれど、考えるのに夢中なアデリーナは答えなかった。

「この神文字では、動力装置自身は移動することはできない――はず。できるのは咽喉から頭部にかけての部分を自由にするくらい。それでどうする?並んだこの神文字は……?」

 手帳に神文字を書き付けて、ぶつぶつ呟きながら何事か考えていたアデリーナの目が、ふと、獅子像の視線の先、今はアデリーナの大量の荷物がもたれかかっている壁の、そこに描かれた神文字に向けられた。

 特定の条件を満たした音声を認識して、何らかの反応を見せる神文字。

「もしかして――!」

 溶液壺とペンを取り出したアデリーナは、訝しげに自分を見やるウゴの目を無視して、まず回廊の壁の神文字をなぞり、ついで中庭に駆け戻ると、獅子像の神文字をなぞった。

「もしかすると――?」

 アデリーナのペンが離れたとたん、

『グ、』

 獅子像の目に青い光が宿った。

『グ、ググ』

 永年の沈黙に硬直した咽喉をならすように、数度短く唸った獅子像は、そしてやおら、首を振り回して一声、

『グワァオ!』

 吠え立てた。

 肚を揺さぶるような低いその声に、壁面の神文字が反応して、やはり蒼い光を発する。

「うおっ、何だ何だ?」

 驚くウゴの見つめる中、皮袋や大判の布にくるまれた荷物の山の背後にある壁面がぱっくり割れ、中から下り階段が現れた。

 そして、支えをなくしてバランスを崩した荷物の山が、ゆっくりと崩れ始める。

「あー……」

「……ーあ」

 二人が見つめる中、アデリーナの私物はばらばらと、暗闇のかなたへと転げ落ちていった。

「……あたしのノート」

 何もなくなった空間を呆然と見つめながら、アデリーナが呟いた。

「この五年間の研究成果を書き連ねたノート。予備の溶液、ペン軸、ペン先、苦労して掘り出した貴重な文献資料……」

 呆然と、血の気の落ちた青白い顔でウゴを振り仰いだアデリーナは、そして彼の胸元をつかんで揺さぶった。

「何てことをしてくれたのよ、あんたはぁあ!」

「何をしたも何も、やったのはお前だろうがっ」

「あんなところに荷物を置いていたあんたが悪い!」

「はぁあ?何も考えずに神文字を動かしたお前が、そもそもの原因だろうが!」

「う」

 痛いところを突かれたアデリーナが手の力を緩めた。その隙を見逃さず、シャツを取り返したウゴは、しわの寄ったそれを引っ張って治しながらふふんと鼻を鳴らした。

「そもそもお前、あの壁の神文字がどんな反応見せるか判って動かしたわけ?」

「それは……だってそんなの、発動させてみれば一目瞭然じゃないの!」

「お前さっき、云ってたよな。神文字の威力を発現させる前には、それがどんな内容の、どんな力を持ったものなのかってことを把握してなくちゃいけないってさ」

「ぐ」

「そんな偉そうなこと云った口の舌の根も乾かないうちに、お前、何やってるわけ?」

「ぐ、ぐ、ぐ……」

 ウゴを睨み上げる大きな目に、涙が盛り上がった。

(あ。ちょっと調子に乗って、つつきすぎたかな?)

 ウゴの胸にちらりと、半年とはいえ年下の女の子を泣かせてしまうのかと云う罪悪感がよぎった。昔一緒に遊んでいたころは、こんなになる前に、アデリーナの兄が二人の間に入って、なだめてくれたのだ。だからウゴは、アデリーナの泣き顔をこれまで見たことがなかった。

 思わず固唾を飲んだウゴが見つめる中、アデリーナはつっと俯いて唇をかみ締め……

「くやし~いっ!よりによってウゴなんかに云い負かされるだなんてぇええ!」

 地団太踏んで悔しがった。

「……そっちかよ」

 何となくほっとしつつ突っ込むウゴの目の前で、ぐしぐしと乱暴に顔をぬぐって涙を払ったアデリーナは一転、強気の表情でウゴに向き直った。

「じゃあ、行くわよ」

「行くって、どこへ?」

「決まってるでしょ、落ちちゃった荷物を拾いに行かなきゃ」

「お前一人で行けよ」

「あたし一人であの大荷物を全部回収できるわけがないでしょうが」

「だってさぁ……なんでオレが――」

「うるさい。男がぐだぐだ云うな」

 それ以上の口論が面倒だったのだろう、アデリーナはウゴの襟首をつかんで引っ張る形で強引に歩き始めた。

「……ったく、……」

 何でオレがとなおも呟きながら、しようがない、ウゴも壁面にぽっかり開いた暗闇の口の中へと足を踏み入れた。

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