15
アデリーナと顔を合わせる気にならなかったウゴは、ズフラの墓前から立ち上がった後も、彼女の部屋の辺りには近寄らず、それまで自分に課していた仕事も放棄した。
食事を運ばず、就寝時間が来ても知らんぷりする。
しかしそうしてアデリーナの世話焼きを熄めてみると、ちゃんと食事はしているのだろうかとか、風呂は入っただろうかとか、そんな心配ばかりが沸いてきて、ウゴはそんな自分にちょっとイライラした。
(大丈夫。人間、一日くらい食わないでも死なないし、それにあいつの側にはファハドがいるじゃないか)
一度アデリーナの気ままにさせた挙句、彼女の身体に多大な負担を与えてしまったことを気に病んでいるファハドは、それ以来、アデリーナの休息と食事に関しては神経質に気を配るようになっていた。だから、規定の時間にウゴが来なければ、彼が食事や入浴、就寝の手配をしてくれるはずだ。
(だから大丈夫。あいつはちゃんと飯食って、時間になれば風呂入って、きれいな寝巻に着かえて髪梳いて、んで寝るはずだ)
そう、ほっと感じている自分に気づいたウゴは、次の瞬間、酸いものを含んだように顔をしかめた。
(何で、このオレが、あんな生活破綻者の心配をしてやらにゃあならないんだ!?)
イライラは、翌朝目覚めたときもまだ、後を引いていた。むすっとしたまま、自分に割り振られた城の仕事をこなし、昼食の時間が近づいてくると、ここしばらくの習慣に従って二人分の食事を小鍋に分けてよそおい、食器とスプーンを用意して……
「止めた」
未だ怒りが身体の芯でくすぶっているこの状態でアデリーナの顔を見たら、食事をするどころか、またぞろ喧嘩になりかねない。アデリーナは自分が何故怒っているのか、彼女がゴーレムを作ることを何故嫌がっているのか理解できないし、自分も彼女の考えを改めさせることはできそうにない。口舌はどこまで続けても延々と平行線を描くばかりで、後には砂を舐めているようなざらざらした嫌な思いだけが残るのだ。
「今日もファハドに任せればいいさ」
今日も一日、アデリーナのところに行くのはやめようと、そう決めたウゴは、用意した盆はそのまま、手ぶらで厨房を出た。
アデリーナと一緒に食べないからといって、何故自分が絶食しなければいけないのかと、そんな疑問が沸いたのは、それから二時間ほどが過ぎた後のことだった。
「腹減ったなぁ……」
後悔先立たず。空腹であまり動いてくれない頭のなかを、そんな言葉がよぎっていった。
食事の時間が不規則で、一食二食抜いたところで別段構わないアデリーナと違って、毎日毎食きちんと食べていた、それも育ちざかりの年代であるウゴにとって、その絶食はかなりきついものだった。
「つか、誰の罰だよこれ……?」
普段云いつけられているような力仕事はできそうにないし、かと云ってアデリーナの部屋に詰めて時間をつぶしつつ怠けることもしたくなかったウゴは、だからまたズフラの墓の辺りにぐったり座り込んで時間をつぶしていた。
彼女の墓ができて初めて知ったのだが、ここは風の通りが良くて、人通りがあまりない、絶好のサボりポイントなのだ。
「ウゴ様……?」
日課の墓参りだろう、下草を踏みしめて現れたファハドは、手足を投げ出した格好で植木にもたれて座り込むウゴを見つけた瞬間、驚いたように軽く目を瞠った。
「どうされたのですか?どこかお怪我でも?」
慌てて駆け寄ってきた彼に、ウゴは苦笑しつつゆるゆるとかぶりを振った。
「違うよ。ちょっと動きたくないだけ」
「はぁ、……」
「平気平気。だからお前はズフラさんとお話してな。邪魔はしないから、あんまり気にしないでくれな」
「はい」
墓の前で跪いて、長い間目を閉じていたファハドは、やがてふっと顔をもち上げると、改めてウゴの脇に膝をついて話しかけた。
「今日は、いらっしゃいませんでしたね」
「どこへ――って、ああ、リーナのところにか。リーナは何か云ってたか?」
ファハドはウゴに気遣うような表情を浮かべて、少し逡巡の気色を見せた。恐らくは、ウゴがどのような返答を期待しているのか、つかみかねたのだろう。やがて切れ長のその目にためらいの光をともして、小さくかぶりを振った。
「いいえ。特に何も」
「そうだろうな。あいつはそう云うヤツだし」
苦笑したウゴは、そして改めて真面目な顔をファハドに向けた。
「ファハドは、嫌じゃないのか?」
「嫌とは……何がでしょうか?」
「だってあいつ――リーナは戦争の片棒を担ごうとしてるんだぞ。お前だって、戦争は嫌だろう?戦争がなければ、お前の大事なズフラさんだって死なずにすんだんだから」
問いながら、残酷なことを聞いていると、ウゴは内心ほぞを噛んだ。しかもこれは、誘導尋問だ。自分に都合がよい答えを引き出そうと、ファハドの事情を利用しているのだ。
ファハドは、そんなウゴの後悔までもを読み取っているような、優しい微笑をたたえた目で、穏やかに頷いた。
「さようですね。戦さがなければ――と云うよりも北の蛮族が我々の都市に攻め込んでこなければ、ズフラ様も状況を悲観して、自ら命を断ったりはされなかったでしょう」
思ってもみなかった返答に、ウゴは一瞬言葉に詰まった。
「ズフラさんは、自殺したのか?」
「正確には、命を断ってくれと云う哀願を受けて、私がその胸に刃を突き立てました」
「なんでそんな……」
壮絶な告白に絶句したウゴに、ファハドは穏やかな、憐れむような、悲しそうな眼をくれる。
「戦さに敗れた国の女たちが辿る運命を、ウゴ様はご存知ですか?」
「それは、――」
ウゴははっと、顔色を変えた。
異教徒を追い払った半島に王国が建国されて早数百年。その間各地で価値のある土地や鉱山などのの所有権をめぐり、地主や領主たちが小競り合いを重ねることはあっても、一方が他方を徹底的に蹂躙する戦争を、王国民たちは経験していなかった。
だから、ウゴもそれに関しては古い歴史書で読んだだけだ。知識としてしか知らない。
が、それでもはっきりと口に出すことははばかられて、ウゴは口をつぐむ。ファハドは、ウゴのそうした心情を、彼の顔色から読み取ったのだろう、話を続けた。
「ズフラ様は、そうした過酷な運命に自らをさらすことが耐えられなかったのです。ですから、そうしたことになる前に死なせてくれと、私に懇願されました。そうして、私はそれを受けました」
「なんてこと……」
ウゴは言葉を失った。
何に対してだろう。自ら命を絶つ決意をしたズフラに対してなのか、それとも彼女にそんな決意を強いた自分たちの遠い祖先の所業に対してなのか、はたまた敬愛する主人を自ら殺めざるを得なかったファハドの胸中を慮ってのことなのか。とにかくウゴは呆然と呟いた。
言葉を失ったウゴをよそに、ファハドはゆっくりと続ける。
「それに、あの戦さでは、私の兄弟たちも大勢死にました」
過去のここ、イアマール都市では、人間は武器を手にせず、戦さはゴーレムに任せていましたから、とファハドは静かに淡々と説明する。
「蛮族が攻め入ってきたときも、我々の兄弟が応戦に駆り出されました。まず戦闘型が。状況が劣勢になるにつれて、非戦闘型も。私は――ズフラ様が領主の娘で、法的にはそのズフラ様の個人所有となっていたおかげもあって、戦場には出なかったのですが。他の兄弟たちは圧倒的な数の兵力に押し包まれて、一体、また一体と破壊され、砕かれてゆきました。あの戦いがなければ、彼らは今も作動していたでしょうにね。私のように」
ですから私も、戦さは嫌いですとファハドは云う。
「できることならそんなことはせずに済ませたい。見ずにすむならそうしたい。関わるだなんてもっての他です」
ですが、と寂しそうな笑いがその唇から零れ落ちた。
「ですが私は同時に、アデリーナ様のお気持ちも、解ってしまうのですよ」
「何であんなやつの気持ちが解るんだ!?」
思わず声を荒げたウゴをなだめるように、その肩を軽くさすりながら、ファハドは云った。
「とてもよく似た方を、過去に存じておりました。私を造ってくださった博士――アブド・アル=アリーム博士が、ちょうどそんな方だったのです」
「その人も、非常識な傍若無人だったのか?」
ウゴが思わず云うと、ファハドは小さく笑った。その目が、過去を懐かしむような光を帯びる。
「さようですね。表に出る形はいささか異なっておりましたが、あの方も、ご自身の望みに忠実な方でいらっしゃいました」
ああ云った方々は、純粋なのですよというファハドの言葉に、ウゴは顔をしかめた。
「純粋?単に自分の欲望を突き進めてるだけじゃないの?」
「そうとも申せますね。あの方々は、知りたいと云う欲求がとても強いのです。世の中に存在するあまたの叡智全てを己のものにしたいと望んでいて、そのチャンスがめぐって来ると、ほかの事は一切目に入らなくなってしまう。
今度のことだって、アデリーナ様は、戦争のことなんて全く頭にないはずですよ。ただ、ゴーレムと神文字の新しい組み合わせの可能性を知って、それが今現在のご自身の力量で実現可能かどうか、試してみたいだけなのです。ご本人もおっしゃっていらしたでしょう。悪気は全く無いのです」
「けど、自分が造る物がどんな使われ方をするのか、リーナは考えてみるべきだし、その結果に責任を持つべきだと思う。悪気が無いだけでは済まされないよ。その影響が大きければ大きいほど。なおさらに。それを作った奴は、それが引き起こす結果に対して責任を持たなければいけない」
ウゴの言葉にファハドは同意も否定もせず、ただ目の前で膝を抱えて座り込むウゴを見守るような、優しい目をくれた。千の言葉よりも万の説得よりも、その眼差しは雄弁だった。
「ええと、……」
云いかけたウゴの声をさえぎるようにそのとき、
「見つけた!やっぱりここにいたんだ!」
いきなりそんな大声が響いて、興奮に頬を上気させたアデリーナが現れた。
「リーナ?」
「あ、ウゴもいたんだ。やっほー!今日もいい天気ね!」
昨日の云い争いなど全く忘れた明るい声で挨拶するアデリーナに、ウゴは脱力を禁じえなかった。
「そうだよ。こいつはこう云うヤツだったんだ……!」
基本的に、自分に興味のあること以外は記憶にとどめず、もちろん他人に何を云われても気にしない。それは昔から変わらないアデリーナの性格だった。
激情に駆られて叩いてしまったこととか、かなりひどい台詞を投げつけたこととか、色々悩んで、はては昼食まで抜いた自分がバカに思えて、ウゴはがっくりうな垂れた。
手元の草をむしってぶつぶつ小さく愚痴り始めたウゴのことはもはや構わず、ファハドの前にずかずかと歩いていったアデリーナは、腕に抱えていた金属製の小箱を、彼の目の前にずいと突き出した。
「これ、さっき地下で見つけたのよ。たぶんあんたの時代の道具だと思うんだけれど、使い方、解る?」
「これはまた、懐かしいものですね」
経てきたはずの年月を感じさせない、艶やかな光沢を放つ青味を帯びた銀色の直方体を手のひらに乗せたファハドは、うっすらとその口元をほころばせた。
その様子を見たアデリーナが更に興奮を募らせる。
「何、何?何なの?何に使うの!?どうやって使うの!?」
ぴょんぴょん、自分の周囲を跳ねまわるアデリーナとは対照的に静かな口吻で、ファハドは答えた。
「これは、通信端末です。一定距離内に存在する本体と、無線連絡をとるための道具です」
「つーしんたんまつ、むせんれんらく……?」
アデリーナがきょとんとする。
新しい情報単語を脳内で咀嚼した彼女が「何それ、どういうもの!?」と、更なる情報を求めて質問を重ねる一瞬前に、ファハドがその勢いをそぐ絶妙のタイミングで説明しなおした。
「つまり、離れた場所にいるひとと、じかに声を交わすための機械です」
どうやら彼も、アデリーナの扱いにだいぶん慣れたらしいと、ウゴはその様子を見てそう思った。
「それってむちゃくちゃ便利じゃない。どうやって使うの?原理は知ってる?」
興奮して、矢継ぎ早に質問を繰り出してくるアデリーナに苦笑しつつ、ファハドはゆっくりと答えた。
「はい、便利ですよ。音声を、目に見えなくて手でも触れられない、云ってみれば空気のような符号――確か、人はそれを波とか信号と云っていました――に換えて、宙を飛ばすのです。どこぞに設置してある本体が、宙を走るその符号を受け止めると、もとの音声に戻して再生してくれるのです。ただし、これが今現在も使えるかどうかは、疑問ですが」
「あらどうして?見たところ、壊れているようには思えないけれど?神文字で動力を注入してあげたら、動くんじゃないの?」
「確かに、これ自体の破損は無いようですが、これは、こちらの発する信号を受け止める本体があって初めて活用できるものなのです。端末機械一個では、いたずらに信号を放つだけで、話はできません」
「使えないの~?」
至極不服そうに唇を尖らせて落胆するアデリーナに、ファハドは提案してみた。
「とは謂え、その本体がどこにあるとも判りませんし、一度試してみましょうか」
「うん!」
両目をきらきらきらめかせて頷くアデリーナに優しい目をくれたファハドは、そうして直方体の一部を開いて内部に神文字を描き込むと、蓋を開いて、並ぶ釦の幾つかを適当に捺してみた。アデリーナと、そしてこのやり取りを訊いて多少の好奇心を覚えたウゴは、その機械を覗き込むように、互いの額を突き合わせた。
「……」
「……」
「何も聞こえない」
アデリーナが、期待はずれだと唇を尖らせた。
「やっぱり駄目だったのかなぁ……。残念」
いっそのこと、本体とやらを造れないかしらと云いだしたアデリーナを、ウゴは「しっ」と制した。
「ちょっと待て。今何か音が聞こえなかったか?」
「お二方とも、お静かに」
ファハドが、唇に指を当てて二人を制止した。
耳を澄ましてじっと待つ。
やがて、ざーっと、砂が流れるような耳障りな音に混じって、幽かにではあるけれど、確かに、人が話す声がした。
「――た――すか。――――は?この――」
作動しているうちに機械が慣れたのか、時が過ぎるにつれて声はどんどん明瞭に、大きくなっていった。
「どなたですか。この、人間の世から忘れ去られた機械を使って、私と連絡を取ろうと試みておられるのは。どちらにいらっしゃる、どなたですか」
年齢を感じさせない、落ち着いた男の声は、静かにそう呼びかけていた。
(これは……答えて良いのかな。応じるとしても、なんて答えるべきなんだろう)
ウゴが躊躇いの目でファハドを見ると、明らかにこのような返答が来るとは考えていなかったらしい彼もまた、戸惑った表情で手の中の機械を見つめていた。
(ここはやっぱ、呼びかけを無視して一度止めるべき、だよな)
考えてみれば、神文字知識の習得を禁止されているこの国で、二〇〇年も昔の、神文字を動力に使った装置の呼びかけに応える相手は、かなり得体が知れない。
(絶対怪しい)
そのことをファハドに小声で提案しようとウゴが口を開いた、そのとき。
「はーい。ここはトシーノ地方のデルシエロ城。その地下に落ちてた端末機械を使ってみましたーあ!」
アデリーナが、嬉々とした口調で説明し出した。
ウゴは、この危険生物の口を塞いでおかなかった自分の迂闊さを、真剣に呪った。
「トシーノ地方、デルシエロ城」
機械の向こう側、男は考え込むような口調で呟いた。
「うん、そう。ねえ、そっちはどこ?こっちの端末の呼びかけに応えたったってことは、そっちは本体なのよね?もしかして、この端末機械みたいな昔の便利な道具が、沢山あったりするわけ?しかも今もこうして現役で使ってるってことは、あんたか、もしくはあんたの周囲に、それら機械原理に通じて、かつ神文字の知識も持った人がいるってことよね?ね、ね?そっちはどこ?ねえ、あたしも行きたいんだけど」
「なるほど。かなりの技術知識を溜め込んでおられるようですな、あなたは」
「けど、まだ足りないのよ。勉強したいの。知りたいの。ねえ、教えて。あんたは誰?どこにいるの?」
「――すぐに」
「え?」
「すぐに、そちらへ参りますよ。あなたのその、魅力的なお声をじかに聞きに」
クククッっと、低い嗤いを交えながらそう云うと、通信は一方的に切られた。
あとにはただ、ざーっと、砂を撫でるような雑音が響くだけ。
「こっちに来るって。迎えに来てくれるんだ。うわあお。なんて親切な人なんだろう!」
はしゃぐアデリーナを、ウゴは渋い顔で眺めた。
「だったら良い、がな……」
「悪い予感がします」
ファハドが、やはり暗い顔で頷いた。




