01
その日は快晴だった。
夏らしい、強い陽光がさんさんと降り注ぐ青空には雲ひとつなく、白茶けて乾いた大地と強いコントラストを見せている。
丈の低い草が生えるほかは、野生のオリーブやコルク樫の高い幹、白い小花をつけたギンバイカの低木がところどころに見えるだけの、果てしもなくびょうびょうと広がる平原を、十余の騎馬が疾駆していた。
徒歩の共回りや猟犬を大勢従えて、ときにちらばり、ときに集まり、平野を気ままに走り回る彼らは、どうやら狩をしているらしい。先行きしている部下たちから獲物の情報が届くごとに、口々に歓声をあげてそちらへと追い込みにかかる。
彼らに見込まれた獲物は、素早いノウサギであれシカであれずるがしこいキツネであれ、一匹たりとものがれることは出来なかった。
それが起きたのは、正午も間近い頃合いのときのことだった。
疾駆していた十余の騎馬が、一斉に足を止めたのだ。
「どうかしたのか?」
見るからに毛並みのよい、漆黒の一頭にまたがった主が、いくら急かしても怯えたように竦んで動こうとしない愛馬に声をかけた、そのとき。
ズン――っ
と、凄まじい地響きがして、地面が大きく波打った。二拍ほど遅れて遠く丘陵のかなたから、きのこに似た形の黒煙が一筋、こんもりと立ち上る。
更に遅れて、生温かな風が、肉の厚い彼の肩まで伸びた艶やかな黒い巻き毛をふわりと揺らして通り過ぎて行く。
安息日の礼拝の開始を告げる教会の鐘の音が遠く、なごやかに聞こえるなか、その景色はひどく異様に見えた。
「エンリーケ閣下、危ない!」
徒歩で狩りにしたがっていた少年が、揺れる地面に怯えた馬たちが棹立ちになるのを見て、そのうちの一頭に素早く身軽に駆け寄った。少年は暴れる馬の手綱を器用につかみ、首筋を叩いてなだめにかかる。よほど少年の腕が良いのか、馬はほどなく落ち着きを取り戻した。
「ご苦労、小僧」
危うく地面に叩きつけられることを免れたエンリーケが、肩からずり落ちかけた弓を抱えなおしつつ、地面に立つウゴをちろりと見下ろして云った。「お前の名前は?」
「はい、ウゴと云います!」
少年――ウゴは、主人の目に留まったことが嬉しくて、思わずにんまり莞った。が、そんなウゴから素っ気無く目を外したエンリーケは、青空に一筋墨を流したように立ち上る黒煙に訝しげな眼をくれる。
「何ごとだ?」
それが自分に向けて発せられた問いではないのだと知っていたウゴは、未だ興奮冷めやらず、蹄で土をかいている馬をなだめつつ、沈黙を守った。
周囲の地形に明るいからと云う理由で特に今回の狩りに同行を許された地方の小地主の三男――それも十年前の土地争いで父親を亡くすと同時に家財のほとんども失った貧乏一家の子どもは、都で王の信任も篤いカンガス伯爵エンリーケと、対等に会話できる身分ではないのだ。今年一五になるウゴには、そんなこともそろそろ判りかけていた。
が、ここで伯爵の目に留まれば、もしかしたら都に連れていってもらえるかも知れない。それは出世の糸口だ。だから今日のウゴはひそかに張り切っていた。
一方、対等ではないにしろ、エンリーケと会話できる権利を持っているはずの側づきたちは、落馬して腰や背中を打ってうめいていたり、逃げ出した馬を追いかけるのに手一杯で、この問いに気づいた様子もない。もっとも、返事ができたところで、エンリーケと同じくほとんど情報を得ていない彼らには、「さあ?」と首をひねる以外にできたとも思えなかったが。
「……ふむ、」
返事を得られなかったエンリーケは、そして、足元に立つウゴがこの地方の出身であることを思い出したらしい、乗馬鞭で煙を指し示して訊ねた。
「小僧、あの方角には何がある?」
名指しで訊かれたからには答えなくてはならない。が、ウゴは躊躇った。
「あっちにはええと、……」
「知らぬのか」
猛禽類のそれににたエンリーケの鋭い眼がウゴを睨みつける。
ウゴはおびえたように顔をゆがめてかぶりを振った。
「いいえ。知ってます。知ってはいますが……」
云っていいのかなぁと後頭部をがりがりかきむしって言葉をにごらせるウゴを、エンリーケは苛苛と急かした。
「知っているのならば早く云え」
ウゴは諦めたようにため息をつき、ぽそぽそとつぶやくように答えた。
「はぁ。……その、……魔女がいます」
「魔女?」
エンリーケの濃い眉がきゅっと寄った。それを不機嫌の表れと受け取ったウゴは、慌てて、口早に言葉を継いだ。
「あ、魔法を使えるかどうかは解らないんっすよ。ただ、この辺りの人間はみんなあいつのことをそう云ってるんです。ほら、教会が学ぶことも使用することも禁じている悪魔の字、ありますよね。あれを研究しているとかで、あの館の周囲では毎日のように気味の悪い、妙なことが起きるんです。だから、悪魔の文字使いの魔女って、みんなそんな風に字してるんです」
「妙なこと?」
例えばどんなことだと問われたウゴは、指を折々数え上げた。
「えっと……闇夜に、蝋燭や灯明が作るのとは全く違う、瞬きもしない強い光がよろい戸の合わせ目から煌々と漏れ出していたとか、あいつの目の前で、大の男が三人がかりでも担ぎ上げられないような大岩が宙に浮いていたとか、あとは……あいつは、早くに母親が死んで、四人いる兄は、みんな都の大学で法律を勉強中で、四人いた姉貴は全員どっかに嫁いでて、今は父親と二人暮らしのはずなんですが、そのわりに家の中で動き回るものの気配が多いとか、夜中に百人はくだらない大勢の笑い声が聞こえたとか、不気味な話が色々あるんです」
くくくっと、低い笑い声がウゴの耳朶を打った。
「面白い」
「はい、おもしろい……んですかっ?ええっ?!」
機械的に相槌を打ちかけたウゴは、はっと我に返って思わず聞き返した。
「実に興味深い」
ウゴの戸惑いを意に介さず、そう笑ったエンリーケは、そして呆然とする彼に命じた。
「小僧、その魔女の館とやらへ案内しろ」
魔女とやらを見てみたいぞ、と不敵に笑うエンリーケに、ウゴは戸惑いを濃くした顔で頷くほかなかった。