衝突
密度の高い風がぶつかってきて、思わず目を瞑る。次の瞬間、バリバリと音がして目を開ければ薄紫色の稲妻が加代子を囲うように半球状に広がっていた。
「雅・・・・・・?」
いつの間にか亨と自分の間には雅が立っていて、その手には人の背丈ほどもある大鎌が握られている。
「加代子を連れ歩いていたのは、貴様であったか。」
よく見れば、亨の右肩はざっくりと切られていて、その傷口からは黒い靄のようなものが、ゆらゆらと立ち上っている。
「先程の一撃で斃れないのですから、かなり《名のある方》とお見受けしますが、今回はこれで手を引いてくださいませんか?」
雅の声は口調の割にかなり殺気立っている。それに呼応するように加代子を守るように覆っている薄紫色の稲妻もバチバチと爆ぜていた。
「手を引け、とはおかしな事を言う。加代子は初めから我がモノ。」
黒い靄は一層濃くなって亨を包みこみ、やがてその靄が晴れると、亨は長い銀髪に赤い瞳の男に変わっていた。
「しかし、仮の器とはいえ、我が身に手傷を負わせられる者が高天原にいたとはな。」
そして、腰に佩いた剣を抜くと、雅に「お前に一つ、褒美をくれてやろう」という。
「貴様は直接殺してくれる。我が剣の錆となることを誇りに思うが良い。」
雅は手を引いてくれそうにない目の前の男の様子に、ギリリと奥歯を噛み締めて大鎌を構えると「加代子さん、何があってもそこから動かないでくださいッ!」と怒鳴った。
そして、次の瞬間、疾風のように駆け出すと、大鎌を横一閃に振り抜く。
しかし、亨だった男は細い直刃の剣一本でそれを受けると軽くいなした。
一合、二合、三合――。
雅が再び袈裟斬りに斬ろうとすると、距離をとるために亨は後ろへと跳躍する。一方、雅はそれを追うため、さらに一歩前へとこちらも跳躍した。
何もない空間で、びょうっと風が巻き起こる――。
加代子は紫色の雷に守られて、ネックレスを握りこんだまま、固唾を飲んで二人のやり取りを見守った。
「何故、加代子さんを狙うのです?」
雅が訊ねれば、亨は「それはこちらの台詞だ」と返される。
「あの娘は我のモノぞ。あの娘の魂は高皇産霊神の手に落ちた死神如きに狩らせぬ。」
二人の攻撃は緩む気配がなく、十合近く得物をぶつけ合う中で激しさを増していく。加代子は二人の戦いを見ているだけしか出来ない事にもどかしさを感じていた。
自分にもっと力があったなら――。
それは「無いもの強請り」とは分かっていたものの、願わずにはいられない。
「亨ッ! もう、止めて――ッ!」
加代子が叫んでも、耳を貸す気配はないようで、代わりに「少し大人しくしていろ」と言われる。途端に首元が刺すように痛くなり、加代子は苦悶の表情になった。
(さ、むい・・・・・・?)
春のはずなのに、自分のあたりだけ、まるで凍てつく冬に包まれたように気温が下がり、紫の雷で作られたドームが凍っていく。
「加代子さん・・・・・・ッ!」
雅は大鎌にも薄紫色の雷を纏うと、亨を目掛けて薙ぎ払った。雷は大蛇のように収斂し、亨へと向かうと、轟音を立てて直撃する。
雅は加代子のすぐ傍に降り立つと、踞る加代子に「大丈夫ですか?」と訊ねた。
「さ・・・・・・むいの・・・・・・。」
眉根を寄せ、唇を青くしている加代子の様子に「早くこの空間から出ましょう」と懐の呪符を探る。しかし、次の瞬間、強い風に巻き起こり、強い衝撃と共に砕け散った氷の残骸が足下に落ちると、雅は言葉を失った。
(護符が・・・・・・、働いた・・・・・・?)
確かに直撃させたはずなのに、ドライアイスが昇華する時のような白い靄の真ん中で、長い銀髪が見え、赤い燃えるような瞳と目が合う。
(そんな・・・・・・、馬鹿な・・・・・・。)
あれだけの攻撃を受けて立っていられる《魔縁の者》など聞いたことがない。雅は静かに近付いてくる赤目の男の姿に総毛立ち、自分が彼を畏怖ているのだと感じた。
目の前の男は《魔縁の者》などではない。
何か、もっと畏れ多い《神》だ――。
だとすれば、この空間は目の前の男の神域であり、この中にあっては相手の意のままであろう。
「加代子さん、この空間を出られたら、斎を頼ってください。」
小声でそう話して、懐の呪符を取り出すと気を通し始める。歯の根が合わないのかガタガタと震えている加代子は、雅の覚悟を決めた様な表情に不安になった。
「み、やび・・・・・・?」
「大丈夫ですよ。きっと現世にお戻ししますから。」
加代子は「そうじゃないの」と言いたかったが、寒さに口が上手く動かなかった。
「今のでその忌々しい首を取れたように思ったが、相変わらず、なかなかにしぶとい奴だな・・・・・・。」
亨からの挑発に乗らないように気をつけて、雅は転移の呪を唱え始める。
目の前の男の作り出した空間では時について操る事は能わない。こんな時、弓があれば、少しは相手の気を逸らす事ができたろうにそれもない。加代子を守る防衛戦をしながら戦うには分が悪過ぎだ。
「そちらから来ないならば、こちらから行くぞ?」
雅はその問いにも答えず、引き続き呪を唱えながら、加代子に被害の出ない距離を探って、亨との間合いをはかった。
大鎌にまで気を通している余力はない。一方、亨の剣は鋼色の神気に満ち、冴え渡って見える。この状態で戦っても、良くて差し違え、悪くすれば加代子諸共、跡形もなく消されてしまうだろう。
ジリジリと睨み合いが続く――。
先に動いたのは亨の方だった。氷の弾丸が矢継ぎ早に飛んでくる。それを雅が鎌鼬を起こして払えば、亨は身を低くして躱し間合いを詰めてきた。
間に合わない――。
亨の突きは後ろへと跳躍するより早く、雅の脇腹に届き、ずぶりと嫌な音を立てて突き刺さる。一瞬、遅れて雅はボタボタと血を落としながら、その場に片膝を付いて崩れ落ちた。
あと、少し――。
腹を押さえながら、それでも呪の続きを唱える。
「招かれざる者よ、疾く去ね。」
頭上を目掛けて剣が振り下ろされてくる。雅は力を振り絞って大鎌の柄でそれを弾く。しかし、それが軽くいなされて、再び目の前に剣先が迫る。
雅はその銀色の剣先を見つめながら、少しも動く事が出来なかった。
「蜘蛛の網よ!」
加代子の叫び声が後ろから聞こえる。
そして、その声と共に急に雅の視界は真っ白になり、目の前に迫っていた男は剣と共に弾かれ吹き飛ばされていた。
足元を見れば瑠璃色の光が複雑な文様を描いて浮かび上がっている。
(魔法陣・・・・・・?)
見れば加代子の周りには、さらに複数の魔法陣が展開しつつあった。
「何故、こいつを庇うんだッ!」
苦虫を噛み潰したような表情で亨は言うと、加代子の元へと向かう。どうやらその意識は加代子へと移ったらしい。
「止せ、人の身のまま、そのように無理に力を使っては・・・・・・ッ。」
加代子の展開している魔法陣を読み解けば、雅の唱えていた転移の呪と同じ物で、雅は脇腹の傷口から血が流れ出るのも厭わずに、大鎌を杖代わりにして立ち上がると、亨の前に立ち塞がった。
「死に損ないが、まだ邪魔立てをするか?」
「こちらも・・・・・・、《死》を司っています・・・・・・から・・・・・・。」
腹周りは焼けるように熱く、血を流し過ぎたせいか手足の感覚は鈍い。
「忌々しい。高天原の雉子め――。」
あと、一歩――。
雅は懐を呪符と加代子の転移陣に集中して気を流すと「糸遊よ、縁ある者のところへ繋げ」と呟いた。
◇
「なごみ屋」は午後二時で一旦店を締め、午後五時から再び店を開ける。
しかし、その日は客が引くのが少し早かったこともあり、二時半には各々の休憩タイムになった。
「それじゃあ、ちょっと一息いれてきまーす!」
アルバイトの千花の声に斎は蛇口を捻って水を止めると、「行ってらっしゃい」と送り出した。
「店長もちゃんと休んでくださいよー!」
「はいはい、あなたたちの食べたのを片付けたら休ませてもらうよ。」
「店長、いい歳なんですからー。」
猫又の千花はそう言うと二本の尻尾を機嫌良さそうにゆらゆらと揺らした。
「じゃ、行ってきまーす。」
そう言って、カラリと引き戸を開けた途端、ドサドサッと鈍い音がして店先に何かが降ってきた。
千花はそれが何なのかを見ると、ブルブルブルと一気に尻尾を逆立て「店長、早く来て!!」と呼び立てた。
いつもは猫又にしては人懐っこい目の千花が、その金色の目の瞳孔を細長くして警戒している。
斎はカウンターを後にすると、千花に続いて店先に出た。
「みっちゃん・・・・・・ッ?!」
そこには大鎌を支えに深手を負いながら蹲る雅と、呆然と腰を抜かしている加代子の姿があった。
「ちょ・・・・・・、一体、何がどうしたの?!」
「その声、いつ・・・き・・・か・・・?」
「みっちゃん、もしかして、目、見えてないのッ!?」
しかし、雅はそれには答えられず、体を支えていた大鎌も溶けるように消え、ぐらりと体勢を崩す。斎は慌てて雅の体を支えた。
「悪・・・い・・・、あとは・・・頼・・・む・・・。」
そう息も絶え絶えに言うと意識を手放す。
「ちょ、みっちゃん!! しっかりッ!」
斎は雅の体勢を整えながら千花を呼ぶ。そして、脇腹の傷に気がついた。
「千花ちゃん、二階から琢磨と喧太を呼んできて! あと、部屋にある護符をあるったけ持ってきて!」
千花はひとつ頷くと、一気に飾り屋根の部分まで跳躍し、琢磨と喧太の休んでいる部屋の窓から中へ入っていった。
斎は雅をその場に横たえると、加代子に無事か訊ねつつ、傍目にも深手を負っている雅の懐を探ると、いつも携帯している護符を使って応急手当し始める。
(みっちゃんが、こんな深手を負うなんて・・・・・・。)
雅とは気の遠くなるほど長い付き合いだが、こんな怪我をしたのを今まで一度だって見たことがない。
「店長、持ってきました!!」
千佳から一番強い護符を貰うと、斎は治癒の呪を重ねがけした。それでも雅の傷口はなかなか閉じない。
「店長、どうしたんですか――? って、なんじゃこりゃ!?」
「口動かしてないで、手足を動かしてッ!」
千佳に呼ばれてノコノコやってきた琢磨と喧太が驚きの声を上げる。斎は間抜けな声を上げる喧太と目を丸くしてる琢磨に檄を飛ばした。
「喧太はひとっ走り行って、癒し手を連れてきて! 琢磨はそこの女の子を座敷の部屋に運んで状態確認。千花ちゃんは、このままサポート。」
斎からの的確な指示に三人は真剣な顔付きになると、心得顔で「承知しました!」「了解!」「おうよ!」と口々に言って、作業に取り掛かる。
韋駄天のように早く走れる喧太は、「ひとっ走り、七種先生のところまでいってくらあ!」と、風を残して立ち去り、化け狸の琢磨はドロンと優男から力自慢の男に変身すると、加代子を奥の座敷へと運び込んだ。
「千花ちゃん、追加で悪いんだけど、部屋から悪いんだけどお神酒と盛り塩も持ってきて。」
ありったけの護符を使ってようやく傷口が塞がってきていたが、早くしないと護符の効果が切れる。斎は喧太が癒し手を連れてくるのを首を長くして待っていた。
「盛り塩とお神酒もってきました。」
「そしたら、四方に置いて、結界張ってくれるかな。」
千花は頷くと、四方に盛り塩を置き、急拵えながら結界を張り維持をした。
「みっちゃん、しっかりして――。」
死神とはいえ、雅は元々は《ヒト》だ。元が《モノ》の自分とは違って、《ヒト》の魂は器とする依り代がないから、産霊が解ければ消えてしまう。
今はそれゆえ護符や治癒の呪で魂の散逸を抑えるしかなかったが、斎は最後の護符が無くなると、グッと眉間に皺を寄せた。
これ以上は癒し手が来ないと、治療できない。
(みっちゃんが消えるなんて嫌だ。それに――。)
「それに、琴姫を見つけるまでは死神しているんだって言ってたじゃないかッ!」
最後の護符の効果が切れて、淡い紫色の光の粒が雅を包み出す。
「みっちゃんッ!!」
すると、その声に呼応するように、辺りに瑠璃色の魔法陣が浮かび上がった。
(え・・・・・・?)
結界を張っているのに、複数の魔法陣が展開していく。
「白繭と為し、清め給え、守り給え。」
その言葉と共に、ありったけの護符でも塞がらなかった雅の傷口が白い光の糸で覆われて、みるみる塞がっていき、それと共に雅の表情に生気が戻ってくる。
喧太が戻ってきたのだろうか。同じように驚いている千花が首を振る。
一体、誰が――?
やがて魔法陣の光が消えると、雅が薄らと目を開けた。
「斎・・・・・・?」
まだ顔色は悪いが、淡い紫の光は治まっている。
「あんた、今、何したんだ?」
琢磨の声に驚いて振り向けば、玄関先にはホッとした表情で、涙をポロポロと流す加代子が立っていた。
「ごめんなさい・・・・・・、こんな事に巻き込んで・・・・・・。」
その声に斎はさっきの呪の詠唱主だと知る。伏し目がちに話す加代子は、昨日会った時と違って妙に神秘的に見えた。
「店長、七種先生、連れてきました!」
加代子が近づいてきて雅の手を取ったタイミングで、喧太が戻ってくる。その後ろには眼鏡をかけて、ひょろりとした印象の七種が、かなり急かされて来たのだろう。肩で息をして苦しそうにしていた。
「あれ? もしかして、護符と呪符で間に合った?」
起き上がれこそしないものの、意識を取り戻した雅の姿を見て、斎は曖昧に頷く。それから、琢磨に「七種先生に、水を持ってきてあげて」と話した。
◇
七種がなごみ屋を出た時にはあたりは薄暗くなってきていて、空は春らしい朧月夜だった。斎は七種をお礼を行って見送り、今日の夜の部の営業は臨時休業にする貼り紙を引き戸に貼る。
(あの傷で全治二週間で済むなんて・・・・・・。)
正直、斎には信じられなかった。だが、部屋に運んでからの雅は、七種に受け答えも出来たし、今も加代子と共に、千花、喧太、琢磨と談笑している。
(やっぱりあれか・・・・・・。)
斎は加代子の治癒魔法の効果を思い起こす。
(千花ちゃんの張ってた結界を越えて起動するなんて、どんな魔女を花嫁に貰おうって言うんだか・・・・・・。)
単なる人間ならそんな大量の魔力を持っているはずがない。人の身でそんな魔力を持っていられるとしたら二つ。古にその力を持っている神の生まれ変わりか、後天的に魔縁の者と契約しているかだ。
「てーんちょ! どうしたん??」
夜の部のシフトに入っていた、小鬼の彩女に声をかけられて、斎は我に返った。
「って、その貼り紙・・・・・・。今日、臨時休業なん?」
「・・・・・・そうだった、彩ちゃんに連絡入れそびれてた。」
「えーッ。ホンマに休みなん? 今月、ピンチやのにぃ。」
そう言って彩女が頭を抱える姿を見たら、なんだか色々考えるのが面倒になって、内心、「みっちゃんが助かったんだし、いっか」と思う事にした。
「結果良ければ全て良し。」
「何、一人で納得してるん。こっちは全然良くないよ!」
「それはそうと、彩ちゃん。今月ピンチって、まだ月半ばなんだけど?」
「女の子には色々入り用やの!」
膨れっ面をする彩女を見て、斎は「じゃあ、彩女は特別有給休暇にしてあげる」と話すと、「ホンマに!?」と喜ぶ彩女を店の中に招き入れた。
「てんちょ、絶対やで。」
「はいはい、男に二言はないです。それに補填はみっちゃんにしてもらうし。」
「みっちゃんって・・・・・・、わあ、雅はんやん! って、どないしたん? その服に、その包帯。」
一気に捲し立てる彩女に、雅は「少しドジを踏みまして」と苦笑した。
「雅はんでも、ドジ踏みはるんですか?」
彩女の言葉に喧太がニヤリと笑う。
「彩女はいつでもドジを踏むもんな。」
「喧太ぁ、何やてぇ!!」
「こら、怪我人の前だぞ。」
わあわあ騒ぐ喧太と彩女を琢磨が一喝して仲裁する。その様子を眺めて、加代子はようやく緊張が解けたのか、ふふっと笑った。
「雅はん、ところでこちらはどなたですのん?」
くりくりした丸い目で彩女は加代子を見る。
「ああ、彩女さんにはまだ紹介してませんでしたね。私の未来の花嫁さんです。」
「はい・・・・・・?!」
彩女は皿のように目を見開くと、上から下へ、下から上へと加代子を見る。
「あ、嘘やないんやろな?」
その言葉に雅は「どうしてみんな嘘だって言うんですかねえ」ため息を吐く。
「それはそうと、みっちゃん。今夜は本調子じゃないんだから、泊まっていけば?」
「そうしたいところですが、そうもいかないんですよ、色々と。」
「なごみ屋」にはふたりも寝られる場所はないし、今朝みたいに誰かが訊ねてきた時に加代子ひとりでは対応できない。
「ここから家までなら、鏡を渡ればすぐでしょう?」
「まあ、そうだけど・・・・・・。」
そう話す雅と斎の横で、加代子は聞きなれない「鏡渡り」という響きに首を傾げた。
次回、5月20日0時更新を予定してます。