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筺の鳥  作者: みなきら
籠の鳥、雲を恋う
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死神界の夜と朝

 雅は加代子にベッドを譲ったあと、仕事部屋に籠ると、「城島 亨」についての情報を探った。


 しかし、それはすぐに行き詰まった。


 加代子の情報は三年前に鬼籍に移されており、それ以降のデータは何者かに改竄(かいざん)されている可能性が高いため信用が置けない。それであればその周辺の人の情報から、亨の情報を探れないかと試みたが、不自然なまでに名前以外のデータが抜け落ちている。


(よほど慎重な奴なのか、それとも、周りの人間にまで影響を及ぼせる規模の奴なのか・・・・・・。いずれにしろ、厄介だな・・・・・・。)


 こうなるとなかなか対策を練りにくい。そうなれば、加代子を一人で人間界に戻すのは難しい。


(あんな顔させるつもりはなかったのに・・・・・・。)


 夕食の際、その場限りであっても「大丈夫」と言ってあげればよかった。そしたら、加代子はあんな不安そうな顔はしなかっただろう。


(不安にさせてどうする。琴子のようになったら、目も当てられないというのに・・・・・・。)


 雅は冷めきったコーヒーを口に含むと、苦しい思いを飲み下す。


 正直、長い時を過ごしてきた雅にとって、琴子との思い出はかなり朧気になってきている。


 思い出そうとすればやけに美化された記憶になってしまって、その度に「いや、彼女はこんな風ではなかった」と雅は自分の記憶を打ち消す必要があった。


 彼女との思い出は「琴子の魂が永遠(とわ)(うしな)われた」と知らされた時の衝撃と、彼女の最期(さいご)の瞬間の僅かなやり取りばかりだ。


 彼女の腹から流れ出る温かな血と、逆に血の気を喪い、青白く、冷たくなっていく(からだ)の重み。


 そして、堪らず「置いて()くな」と言えば、うわ言のように自分の名を呼びながら、「生きて」と告げてくる震える口元。


 彼女と次の世で再び出会える事を信じて、天寿をまっとうしたというのに、黄泉の国に向かう途中で、彼女に二度と会えないと知らされてからは、何度となく非力だった自分を呪い、何度琴子を一人死なせてしまったことを後悔したか分からない。


 それも、今は昔――。


 雅が人の世の(ことわり)の中で生きていた頃は、当時の人の世でも真名を呼ぶことは(はばか)られていた頃で、もうかれこれ一千年以上は経っている。


 源の姓を受けて臣籍に降り、迎え入れた大納言の娘の正室も、その後、中宮として栄華を誇った自分の孫娘も、すでに何回も輪廻転生を繰り返していることだろう。


 と、コンコンコンとドアがノックされ「どうぞ」と言うと、ガチャリとドアが開き、隙間から自分のパジャマの袖と裾を捲った姿の加代子が顔を覗かせた。


「まだ、起きてたの?」

「ええ、少し調べ物をしてまして。」


 加代子は「亨のこと?」と訊ねてくる。しかし、雅はそれには答えずに手招くと、不安げな加代子の肩に、近場にあった上着を羽織らせた。


「ありがとう。」


 そう話す加代子は、出会った時とは違い、自分に信を置いているように見える。雅は夕食時に聞けなかった、「城島 亨」のことをもう一度訊ねてみることにした。


「彼の事はどこまで覚えてますか?」

「え?」

「彼の容姿、彼の仕草、彼の好み。何でもいいです。今、どこまで覚えてますか?」


 そう訊ねると、加代子の表情は一気に曇ってしまった。


(まだ時期尚早だったか・・・・・・。)


 雅が「いえ、無理に話さなくていいですよ」と話す。加代子は唇を僅かに噛み締めた後、「その事で相談があってきたの」と話した。


「どうしても思い出せないの。」


 亨の容姿も、仕草も、好みも――。


 今回の辛かった記憶以外にも、楽しかった日々があったはずなのに、それらは上手く思い出せず、余計に狂おしい気持ちにさせられる。


「あんなに同じ時を過ごしたのに・・・・・・。」


 加代子の覚えているのは、亨の名前と別れる少し前に辛うじてどんな会話をしたかくらいだ。


(どうして思い出せないの・・・・・・?)


 一方、加代子の切なげな「あんなに同じ時を過ごしたのに」という声に、雅もギュッと胸が締め付けられる心地になった。


 そして、それが彼女にその台詞を言わせてしまったことではなく、別の事に起因していることにも気がつく。


(そうか、似ているのか・・・・・・。)


 加代子の(それ)が、琴子の(それ)に――。


 そう思い当たると胸の奥がチリチリと傷んで、雅も落ち着かなくなった。


 遠い昔になり朧気になっていた琴子(彼女)の姿が、加代子で補完されていく。


 どうかしている。


 しかし、(せき)を切ったかのように、少し拗ねたような仕草や、甘えてきた仕草の記憶が戻ってきて、雅は腕を伸ばすと、肩を震わせている加代子を引き寄せた。


 どうして今まで忘れていられたのだろう。あの幸せな日々を。


 一方、加代子は心乱れる雅の胸中は知らぬまま、優しく抱き締められた腕の中で、そろそろと雅の背中に腕を回すとそのまま甘える事にした。


 温かい。


 今日一日、何度も死にかけて、かなり気が(たかぶ)っていたのを自覚する。目を伏せて、雅の与えてくれる体温に意識を移せば、ずっと抱えていた不安が()けていくのを感じた。


 たった半日。


 雅と過ごした時間はたったそれだけなのに、気づけば自分は雅に絶対の信頼を寄せている。抱き締められているのに、不思議と嫌な気はしない。


 加代子はこのまま雅の腕の中に居たい気持ちを堪えると、背中に回していた腕を解いた。


「ありがとう。」


 その言葉に雅がピクリとし、名残惜しそうに腕を解く。ハッと我に返った雅は自分の気持ちにはきつく蓋をした。


「少しは落ち着かれましたか?」


 こくりと頷くと、雅は愛しいものを見るように目を細めて、優しげな表情で加代子に微笑(ほほえ)んでくる。その甘やかな笑顔を見ると加代子は急に気恥ずかしくなって口篭った。


「よ、夜遅くに、ごめんなさい。」


 急に顔を赤くした加代子はそのまま「おやすみなさい」と告げて、逃げ出すように部屋から出た。


 それから、急いでベッドのある部屋に戻ると、突っ伏して枕を強く握りしめた。


(何、あれ・・・・・・。本当にもう、何なのよ、あれッ!!)


 まだ顔は熱いし、心臓もバクバクと脈打っている。昼間に見せていた笑みとは全然違う。


 もっと甘やかで、優しげな笑み。あの表情で自分の名前を呼ばれなら、きっと正気ではいられなかっただろう。


(事情聴取のために保護されてるだけだって言うのに・・・・・・。)


 本気で恋に落ちるわけにはいかない。


 分かっているのにッ!


 亨の事を思い出せなくて眠れずにいた加代子は、今度は雅の微笑みのせいで眠れなくなってしまった。


 ◇


 朝陽が眩しい。


 加代子は結局一睡も出来ぬまま、朝を迎えた。重だるい身体を起こして、居間に向かうと雅はソファーで気持ちよさそうにすうすう寝息を立てて眠っている。


(うっわ、寝顔まで絵になりそうな男の人ってどうなのよ・・・・・・?)


 こっちは寝不足で酷い顔をしているだろうに、朝陽に照らされて雅の髪は艶々と輝き、出会った時も思ったものの、鼻筋の通った顔立ちはこういう芸術品なんじゃないかとさえ思えてきてしまう。


(なんか、ずるい・・・・・・。)


 何となくむしゃくしゃした思いに駆られながらも、不思議と心地よさそうに寝ている雅の姿を見る気が緩んできて、加代子は眠気につられてそっと雅の足元近くの床に腰を下ろすと、何気なく外に目を向けた。


 雅が異世界に生きる人だと知っても、外の景色はいつも通り、変わらぬ青い空と白い雲。


 と、不意に部屋の中が薄暗くなり、日が陰ったのかと思えば、そこには目を大きな大きな龍がいて、その薄緑色の瞳と目が合った。


 思わず、口を丸く開ける。そして、大きく息を吸い込み「きゃああああ」と叫ぶ。


 雅はその声にムクリと起き上がると、目覚まし時計を止めるかのようにして、加代子の口を塞いだ。


「朝っぱらから何ですか?」


 苛立ちを込めて、加代子かもがもが言いながら窓の外を指差す。雅はその先を見ると、ようやく悲鳴の理由を合点してその手を弛めた。


「ちょっと口を塞ぐことないでしょ!? それに龍と目が合えば、普通の人はこうなるわよ。」

「ご自身を普通の人だと思ってるんですか?」

「ぐぬ・・・・・・。」


 くすりと笑う雅は窓辺に向かい、龍に向かって「おはようございます」と告げる。途端、直接、頭に響くような声が辺りに響いた。


《その娘っ子が申し出の者か?》

「挨拶もなしに直球ですね?」

《気が()いてのう。》

「そうだとしても、先触れもなくいらっしゃるのはいかがなものでしょうか?」

《カッカッカッ! いつも突如として現れるお主がそれを言うか?》

「私はともかく、彼女は免疫が無いのですから。」

《ふむ。それもそうじゃのう・・・・・・。》


 そう言うと透けていた龍は眩く光ると、姿を消す代わりに、雅のすぐ側に薄い緑色の唐風の服を来たがたいのいい壮年の男が立っていた。


 雅は頭が痛そうにおでこに手を当てている。


「これでどうじゃ?」

「そういう意味ではないですよ、龍翁(りゅうおう)。」

「む? 違うかの?」


 呆れてため息をつく雅の様子に、加代子はふふっと笑みを漏らした。


「仕方ないですね、そのままお待ちくださいね?」


 そう言うとパチリと手を打つ。龍翁は動かなくなる。


「さあ、今のうちに。」


 雲の流れも止まっているのを見て、昨日と同じように時が止まっているのだと気が付いた。


「ねえ、これって時を止めてるの?」

「いいえ、時は止められませんよ?」

「じゃあ、この状態は?」

「周りが止まって見えるくらいに、自分たちを早く動かしています。このタイミングでなんですが、これを持っててください。」


 手渡されたのは二センチほどの小さな横笛のついたネックレスだ。


「それはいつも身に付けてください。あと、それを身につけたまま、洋服に触れて《解》と言えば私たちと同じ位相に移されて着替えられるようになります。あまり長時間この状態だと、戻した時に躰に負担が掛かりますから、急いでくださいね。」


 そう言うと、雅は洗面台に向かう。加代子は寝室に着替えに戻ると、雅に言われたようにして昨日着ていた服に袖を通した。


 洗面所に向かうと、雅はタオルで顔を拭いている。


「私も洗面台、借りてもいい?」

「ええ、もちろん。」


 そして、戸棚のタオルに触れて《解》と呟き、タオルを手渡してくれる。


「タオルはこちらを使ってください。」

「ありがとう。」

「どういたしまして。」


 雅はにこりと笑って洗面所を出ていく。その笑顔は昨夜ほど甘やかなものではなかったが、昨日の昼間のものとは異なり、柔らかなものになっていた。


 すっぴんで初対面の人に会うのは気が引けるものの、「寝起きの顔をすでに見られてしまっているし今更だな」と思い直して居間に戻る。雅も着替えたのか昨日とは違うデザインの黒いシャツを着ていた。


「元の位相に戻します。違う位置だと身体への負担が大きいですので、同じ位置に付いてください。」


 指差されたソファーに座ると、雅は龍翁に向き直る。いくつか手で印を結んだ後、《解》と告げた。途端にエレベーターが止まる時に感じるようなGが掛かった。


 さっきまでピクリとも動かなかった龍翁がこちらを向いて、驚いた表情をする。


「娘っ子、いつの間に着替えた?」


 その横で雅が目だけで「理由を言うな」と伝えてくる。そして、龍翁に呆れたような声で、「龍翁にお会いするのにそのままというわけにはいかないでしょう?」と、話した。


「それよりも、わざわざ彼女を見に来ただけというわけではないでしょう?」

「おお、そうであった。お主に頼みがあってきたのだ。」

「頼み、ですか?」

「そこの娘っ子を正式に保護せよ、と、我らがひいさまの命じゃ。」


 その言葉に雅は膝を折ると(こうべ)を垂れる。


「謹んで拝命致します。」


 龍翁は「うむ」と言うと、加代子の方に向き直る。


「して、そこの娘っ子の《名》はなんと言うんじゃ?」


 目が合うと、龍の姿のまま、目が合った時のように居竦(いすく)められる。


「まだこちらの《名》はございません。」


 雅が膝を折ったまま、代わりに答える。


「彼女は高天原において過客(かかく)に過ぎませんから。」

「過客、のう? しかし、昨日、支部長より上がってきたのはこちらへ移籍と聞いておる。よもや、お主、禁忌を冒したのではあるまいな?」


 龍翁は眉間に皺を寄せ、雅を睨む。途端に雅は苦しげな表情になり、脂汗をかき始めた。


「彼女は《運命の書》では()()です。どうして死神の分際の私めが、《運命の書》の理を曲げられましょうか?」


 その言葉に合点したというように龍翁の眉間の皺が緩む。加代子は雅の顔色の悪さに思わず駆け寄って支えた。しかし、雅はそんな加代子を(かば)うように背に隠す。


「龍翁よ、彼女は葦原の一本の葦に過ぎませぬ。どうか(とうと)き方に彼女は《名》を持たずとも、害をなさないとお伝え頂けないでしょうか?」

「一本の葦をそこまで守る理由はどこにある?」


 雅は龍翁を見上げると、掠れた声で上奏する。


「琴子の事をお忘れですか? 私は彼女に守ると告げました。もう二度と同じ想いはしたくありません。もし、この願い叶わぬというならば、その時はこの身を冥界に落としてでも抗いましょう。」


 その言葉に龍翁は短く唸った。


「よかろう・・・・・・。ひいさまにはその旨も伝えておこう。」


 そう言うと龍翁はふっと姿を消す。雅は龍翁の気配が消えたのを確認してから、崩れるようにして床にゴロンと転がった。


 龍の重い気に当てられて、ジェットコースターを乗った後のように世界がグラグラと揺れて感じる。自分の気の充ちたこの部屋でこの状態なのだから、龍の巣(監獄)に放り込まれていたなら、もっと酷い目になっている事だろう。


「大丈夫?」


 心配そうに覗き込む加代子と目が合う。


「しばらく休めば動けるようになりますよ。」

「そうは言うけど、ひどい顔色だよ。ソファーまで動ける?」


 雅は目を伏せ、首を横に振る。


「あいにく、とても強い龍の気に至近距離で当てられましたからね。すぐには難しいです。加代子さんこそ、大丈夫ですか?」


 加代子が頷くと、雅はホッとしたような表情になった。


「膝、貸そうか・・・・・・?」


 その言葉に雅は目を細めて頷くと、加代子は雅の頭を支えて膝枕した。雅は再び目を閉じると、ふうと息を吐く。


 窓辺に近いから暖かな日差しが身体を温める。雅はその心地良さに意識を手放した。

次回、5月18日0時更新です。

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