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筺の鳥  作者: みなきら
籠の鳥、雲を恋う
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イレギュラーな魂

「一体、何がどうなってるんだ?」


 灰峰は、魂管理システムの表示を前に頭を抱えていた。


 雅たちが立ち去った後、「島崎 加代子」のデータを魂管理システムで死神界に籍を置くことを受理するように書き換えるように、補佐である妹の(あかね)に渡した。


「ほら、決裁印も押したから。」

「支部長、今日は前々から言っている通り、四時には上がりますよ? 葵ちゃんと握手会に行くって言ったでしょ?」


 名前の通り、茜色の髪と瞳を持つ茜は血は半分しか繋がっていないが、前世で生まれた頃からずっと一緒に育ってきた仲だ。


「もちろん分かってるよ。他のは後回しでいい。これだけ片づけて欲しいんだ。」

「これが終わったら、帰りますよ?」

「・・・・・・はいはい。」


 茜が子供っぽく頬を膨らませる。見た目は灰峰も茜も二十代といった程度だが、二人とも死んだのは今から数百年前のこと。当時は大飢饉のせいで、働いても金は入らず、食料も手に入らず、それなのに年貢の取り立てがあり、小さな兄妹は口減らしのために死ぬしかなかった。


 その点、衣食住については心配のない死神界ではバリバリと働いている。閻魔大王を六歳にして看破した結果、冥界送りにはならず、死神界で獄卒として働かせて貰うことになったが、兄はまさしく《鬼》の統括官にも気に入られて支部長になり、妹はその下で補佐の仕事に任ぜられた。


 それすら七十余年ほど前の話だ。


「それじゃ、お兄ちゃん、あとはヨロシク!」


 いつもならブラコンな茜は残業になってもいとわないのだが、今日は何でも韓流スターの貴公子が、訳あって人間界を引退した後、「そのまま冥界送りにするには忍びない」という理由で高天原に留置きとされたそうで、それを記念して握手会があるらしい。


 茜の服装やら化粧やらは数百年間の合間に、ころころと変わったのに、この無類の面食い好きだけは、生前から変っていない。


「そういや、時任さんは茜のお眼鏡にかなわなかったのか? 小さいに会っただろう?」


 いつもならキャーキャーと騒いだり、早く申請を通してあげてとか言い出すのに今日は恐ろしく静かだ。


「あー、確かに格好良かったね。でも、彼、異類婚希望だったでしょ? 私、他人のモノに手を出すのは趣味じゃないし。・・・・・・ってか、結婚する前に紹介してって思うんだけど?」

「俺もさっき聞いたからねえ、《婚約者》ができたなんて。それに、あの人は琴子(ことこ)さんを忘られない気がしていたし。」

「琴子さん?」

「あの人の最愛の人だよ。」

「その人は死神界にいるの?」

「いや。行方不明。」

「行方不明? すれ違いで転生していたとかじゃなく?」

「ああ。そうじゃない。彼の探す《琴子の魂》は三界のどこにもなかったんだ。」

「そんなことってあるの――?」

「あっちゃいけないことなんだけどね。あ、この事は他には言うなよ? お偉いさんたちにとって触れるのもタブーな話なんだからな。」


 茜は目をぱちくりとさせて、灰峰を見た。


「時任さんはかなり古参の死神だ。俺らよりもずっと前からいるんだよ。それこそ、死神協会の幹部であってもおかしくないのに、琴子の魂を探しているからフリーの死神をしているだけで。」

「なんだか切ない話ね。あれ? でも、じゃあ、さっきの人は?」


 灰峰は加代子の案件をどう言ったものかと逡巡(しゅんじゅん)したが、結局、雅の考えに(のっと)ることにした。


「文字通り『婚約者(結婚相手)』ってことじゃないか? いつまでも独り寝っていうのも寂しいのかも。」

「うわ・・・・・・、男の人って最低。」

「お前の追っかけしている韓流スターだって《男》な気がするけどねえ。」

「あら、彼は違うわよ! 夢を壊さないで!」


 そういうと茜は口を尖らせて、席を立ち、帳票のスキャンへと向かう。そして、慣れた手つきで複合機を操作するとパソコンの前に座った。


 しかし、その後の作業が順当にいかなかったらしく、宣言をしていた四時少し前に「登録がどうしてもできない」と泣きついてきた。灰峰は「入力漏れがあるからだろう」くらいにしか考えていなかったから、もう一度試すように返答する。


 死んでしまった魂は死亡時間や死因等は《運命の書》から自動的に読み込んでいるから、こちらで変更する事はできないのだが、生存中であれば、それが一時的ではあるが「訂正」できるはずである。だから、手動入力で受理するように言ったものの、茜は「それも試したけど、うまく行かないの」と泣き言をこぼした。


「ねえ、明日に回しちゃダメ?」

「そう言わずに。一件だけだろう?」


 何か入力を間違えているに違いないと思いながら、茜のパソコンの前に移動して、加代子のデータを確認する。そして、そこに表示された内容に絶句し、頭を抱える羽目になったわけだ。


 険しい表情になる灰峰の様子に茜が心配して声をかける。


「し、支部長?」

「事態はよく分かったから、今日は帰って良い。」

「え、いいの?」

「ああ、登録できないのはお前のせいじゃないのが分かった。」


 茜の知る優しい表情の灰峰に戻り、ホッとする。


「心配するな。それより時間はいいのか? 遅れるぞ?」

「あ、本当だ。もう行かなくちゃ。」

「じゃあ、行っておいで。あとはこっちでやってみるよ。」

「うん。ありがとう!」


 ぎゅうっと抱きついてくる茜の様子に、灰峰は目を細めた。生前と変わらず何年経っても茜は可愛い。いつだったか雅が「本当、重度のブラコン、シスコンですね」と言っていたのをふと思い出した。


 それから二時間――。


 天照大神の治めるこの高天原でも、すっかり日が沈んでしまった。


 最初はパソコン側のトラブルを疑って、あれこれしてみたが、何をしても加代子の「死亡日」の編集は出来なかった。


 魂管理システムの「島崎 加代子」の内容は、三年も前に「死んでいる」扱いになっている。それなのに、その癖、死んでいるのであれば記載されないといけない「死因」については無記入になっている。


(彼女は確かに生きていた。)


 つまり、システムが間違えているのは、明らかだ。


(どうなっているんだ・・・・・・?)


 表向きは「魂を円滑にリサイクルするため」に導入された魂管理システムは、その実、琴子の一件の再発防止策として、三十年ほど前に導入された。それ以降、アップデートを繰り返しながらも、今まではこんなトラブルは起こったことがなかった。


 この「魂管理システム」は、人間界で導入されている「戸籍管理システム」とは異なり、こちらは「魂」を自動追跡するシステムだから、ホームレスだろうが、災害で死のうが、殺されて地中に埋められていようが「誰が、いつ、どこで生まれ、そして死んだか」は自動的に記録され管理出来るようになっているはずなのに、そんな精巧なはずのシステムに寄れば、既に「死んでいる」ものとして認識されていた。


(本当、厄介事を持ち込みやがって・・・・・・。)


 思わずため息が出てしまう。今夜も残業確定だ。


 ◇


「それで――? 結論、移籍できるんですか? できないんですか?」

《今日は無理だ、としか言えません。》

「無責任ですねえ。」

《いきなり無茶を言ってくる方には言われたくないですね。こっちはこれから報告書を出さないといけないから、残業になったというのに。ひとまずは本部に口頭での連絡と相談をした際に、緊急措置として受理はされるだろうとの回答はもらいましたが。》

「仕方ないですね・・・・・・。何かわかったら連絡ください。」

《そうさせていただきます。では、改めて。》


 ツーツーと機械音がして、雅も終話ボタンを押して通話を終えた。


「どうかしたの?」


 電話がかかってくるまではソファーに座って窓の外の景色を堪能していたはずの加代子が、心配そうにこちらを見ていた。


「ちょっと野暮用です。」

「ふーん?」


 斎の説明を聞いたものの、まだ完全にはこの死神界の仕組みを理解できなかったようだから、電話がかかってくるまでは「死神」についての説明をしていたのだ。


「それで? 加代子さんの質問はもう無いですか?」

「まだ、いっぱいあるけど、ひとまずご飯にしない? お腹が空いてきた。」


 加代子がそう言うと、雅はくすりと笑って「承知しました」とキッチンへと向かう。加代子はその姿を目で追いながら訊ねた。


「料理できるの?」

「加代子さんはできないんですか?」

「正直、あんまり得意じゃない・・・・・・。」

「素直でよろしい。」


 刷り込みされた雛鳥のように、あとについて行くと、オープンキッチンのカウンターの向こう側で、雅は年代物の赤ワインの栓を開けて、デキャンタージュしていた。


「どうしたんです?」

「み、見てるだけ。」

「そうですか?」


 そんな会話をしながら、雅は手馴れた様子で、冷蔵庫からブロッコリー、イタリアントマト、モッツァレラチーズ、バジル、それから戸棚から乾麺のスパゲッティーニ、鷹の爪、にんにくと次々取り出していく。そして、下準備をすると、今にも鼻歌を歌いだしそうな雰囲気でテンポよく材料を刻み始めた。


「テーブルでも拭いておこうか?」

「では、お願いします。」


 雅に固く絞った台布巾を貰う。


「他にも何かやれる事ある?」

「どうしたんです?」

「な、何もしないのも悪い気がしただけ。料理までさせてるし。」

「別に趣味みたいなものですから、お気を遣わなくてもいいんですよ?」


 すると、加代子が少し拗ねたような表情で、「でも、一緒に暮らすことになるのに、おもてなしされてばっかりじゃ落ち着かないよ」と言い出すから、雅は「では、そこの戸棚からワイングラスを取り出して、濯いで頂けませんか?」と話した。


 指差さされた先の戸棚には綺麗なバカラのグラスの並んでいる。


「た、高そうなグラスだね。」

「そうですね。本来は来客用ですから。」

「これって、いくらくらいするの?」

「さあ? 私自身も頂き物ですから、よく知らないんですよ。」


 その言葉に加代子は眉根を寄せて、恐る恐るワイングラスを手にする。


「もっと気軽に使えるグラスはないの?」

「あいにくワイングラスはそれしかなくて。気になるなら、今度、買いに行きましょう?」


 普通のグラスで良いんだけどと言いかけたものの、そう宥められて、かつ、料理のいい匂いがふわりと香ってくると、文句は自然と引っ込んでしまった。


「いい匂い・・・・・・。」


 慣れた手つきでフライパンで温めたトマトソースを茹で上がったパスタに絡めつつ、もう一つの小さめのフライパンで艶々としたブロッコリーが炒められている。


「美味しそう。」


 ワイングラスを持ったまま加代子が呟くと、「もうすぐできますから、待っててくださいね。あ、つまみ食いはダメですよ」と諭される。


 加代子がテーブルを拭き、指示されたランチョンマットを敷いていると、雅が「そろそろ出来ますよ」と声をかけてくれた。


 加代子がカウンターの所に近づけば、雅はパスタを皿に盛り付けてその上からチーズとバジルの葉をちぎって散らしているところだった。ブロッコリーも白い中皿に盛り付けられて、もくもくと湯気を立てている。


「はい、できましたよ。」

「え、もう?」

「切って、茹でて、炒めるだけですからね。」

「うわ、その言い方、なんか腹立つ。」

「そう仰られましても。」


 雅は加代子に皿を差し出すと、これまた手を洗う。見れば、作った時の鍋やフライパンは既に洗われていて、洗いかごに伏せられていた。


「ねえ、死神じゃなくて、コックをした方がいいんじゃない?」

「趣味を生業にすると、何かと大変ですよ?」

「そういうもの?」

「ええ。生業とすれば、嫌になっても続けねばなりませんからね。ある程度、割り切ってできる仕事の方がいいですよ。」

「そういうもの?」

「ええ、そういうものです。ほら、料理が冷めますよ。」


 そう言いながら、残りの皿を運んで、加代子に席につくように促すと、椅子を引いてエスコートしてくれた。


 まるで、隠れ家レストランのようだ。


 雅がデキャンタから先程の高そうなワイングラスにそっとワインを注いでくれる。加代子は雅が向かいの席に腰を下ろしたのを確認してから「いただきます」と挨拶した。


「はい、召し上がれ。」


 雅に続いて加代子も先にワインを一口含む。そして、加代子は目を丸くした。


「なにこれ、すっごく美味しい!」


 フルーティな香りが鼻腔を擽り、今まで飲んだことのあるどのワインより断然美味しく感じる。


「気に入りましたか?」

「うん、でも、同じようなのを前に飲んだ時はここまでフルーティーじゃなかったよ?」

「ああ、ワインを開かせましたからね。」

「ワインを開かせる?」

「ええ、たっぷり空気に触れさせると、人間が目を覚ました後で伸びをするように、ワインも開かせると本来の味が現れるんですよ。」

「へえ。亨ともワインはよく飲んだけど、こんなに美味しいのは・・・・・・。」


 飲んだことがない――。


 そう言いかけて、自分は亨にとって美味しいワインを飲ませるだけの価値がなかったのかもしれないと思ったら、急に言葉が続かなくなった。


「加代子さん・・・・・・?」


 雅の声にハッとしたものの、(元カレ)を思い出してだけで、まだこんなにズキリと心が傷つく事に自分でも驚いた。


 浮かない表情だったのだろう。雅が怪訝そうな顔で見つめてきている。加代子は無理矢理苦しい思いを呑み込むと「大丈夫だよ」と、答えた。


「電話がかかってきた時も、その名前でしたね。」


 雅の言葉に加代子は返答に(きゅう)する。


「前にお付き合いなさっていた方ですか?」


 図星を刺されると加代子は目を三角に吊り上げて「あなたに関係のない事だわ」と突っぱねた。


「今日は昼間のあれこれが気になってお邪魔したけど、さっきの事務処理が受理されて、もう命の危険がないんだったら、この後、失礼するわ。」


 何をまったりしていたんだろう。


 加代子は不意に我に返るとグラスを置く。


「これ以上、あなたのプライベートな事に踏み込むのは、私も気が引けるんですが、一つだけお伺いしたい事があります。」

「何・・・・・・?」

「灰峰から聞いたあなたの死亡日がちょうど三年前の日付になっているようなのです。その頃、何かありませんでしたか?」

「へ?」


 間抜けな声を出した加代子とは対称的に、雅はより一層深刻な顔付きになる。


「何か・・・・・・、そう、今日のように、命の危険に関わるような事はありませんでしたか?」

「三年前・・・・・・。」


 その言葉で思い当たったのは、亨との知り合ったバスでの事故だった。


「バスの中程に乗っていて、曲がり損ねたトラックが突っ込んできて横転、炎上した事故にあった頃だと思う。」


 そして、その時、たまたま乗り合わせて、加代子を助けてくれたのが《亨》だと、加代子は話した。


「だとすれば、《亨》と名乗ってる何者かが、今回の事の原因なのかもしれませんね。」

「まさか。」

「しかし、そう考えれば電話のことはともかく、加代子さんが()()()死にかけるのは推察できます。こんな事が出来るのは神か、御神使いだけですから。」

「神か、御神使いかって、亨は歴とした人間だよ?」


 しかし、雅は切れ長な目を細めると、忌々しげな表情をする。


「そう擬態できる高位の存在もいると言うことです。人の姿で近づき、魂を操る程度の事は簡単に出来るでしょう。」

「操る?」

「ええ、魂を人のそれではなくしてしまう。戦争を引き起こしたり、テロの指導者にしたり、独裁政権を作らせたり・・・・・・。」


 加代子はヒュッと喉を鳴らした。


「私が《それ》になると?」


 雅は黙りこむ。加代子の眼は不安に揺れた。しかし、雅は加代子が《残虐非道な何か》にならない保証はくれなかった。

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