表参道と死神界
雅は竹下通りと表参道との合間の裏路地を進むと和風な建築の喫茶店の前で立ち止まった。
入り口には一枚板の味のある看板に墨字で「なごみや」と書かれている。
雅に案内されて暖簾をくぐって中に入ってみると、柿渋を塗った黒光りする立派な柱や梁と、それとは対象的に落ち着いた色合いの漆喰壁が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ――。」
店内からは何人かの店員の声が入り乱れて響く。
「って、あれ? みっちゃん?!」
一番、年輩そうな男性が手招いている。
「斎、猫じゃあるまいし、その呼び方は・・・・・・。」
「えー、猫みたいなもんじゃん。ふらりと現れて、ふらりと消える。」
その説明に面白くなさそうに片眉を上げながらも、雅は加代子の背に片手を添えてカウンター席へと案内した。
(この人、絶対、女慣れしてる――。)
さっきから絶妙なタイミングでエスコートされるから、加代子は少し落ち着かない気分になって席に着く。
「彼女は?」
「私の未来の花嫁です。」
加代子が会釈すると、斎は思わずひきつった笑顔を浮かべた。
「四月一日は二週間前に終わっているけど?」
「どうしてみんなして、《嘘》だっていうんですかね?」
「日頃の行いじゃない・・・・・・?」
雅がやれやれと言った口調でぼやくから、加代子はぼそりと呟いた。
「ほう――?」
加代子はメニューに顔を隠し、雅の刺々しい眼差しから身を守る。
「まあまあ、みっちゃんはさ、さっきも言ったみたいに根無し草だからさ、簡単には所帯を持つ想像がつかないわけよ。」
「言ってくれますね・・・・・・。」
「仕方ないでしょ? それより、彼女の生業は何?」
斎が訊ねてきても、加代子はなんと答えたらいいか分からなくて雅を見つめる。
「そう言えば、何になりたいですか?」
「へ? 選べるものなの?」
「ええ、選べますよ。」
「なあに? 決まってないの? じゃあさ、俺みたいに付喪神は?」
「彼女は人間ですので付喪神は難しいかと。」
二人に寄れば、RPGゲームのように生業として、何か選んで生きられるらしい。
「あ、お勉強用にメモ帳あげるね!」
加代子が目を点にしている合間にも、斎は人懐っこい笑みをしながら、いそいそとメモ帳とボールペンを持ってきてくれる。
そこからは注文したコーヒーと、抹茶ラテと抹茶ザッハトルテをそれぞれに食しながら、斎による死神界の仕組みについてのご高説を聞くことになった。
「通常、葦原中国に居着いた魂は葦原中国で死を迎えると、この高天原に送られてくるんだ。そして、多くの魂は輪廻の輪に乗って生まれ変わる。」
しかし、中には葦原中国で生きるのが難しく、高天原に居着いてしまう魂もある。
「たとえば、俺みたいに元々は《モノ》だったのに、勝手に意思を持って魂となっちゃったようなのは、輪廻の輪に乗るのは難しい。」
「雅もそうなの?」
「いいや、みっちゃんは能力を買われてヘッドハンティングされちゃった口・・・・・・。」
「ヘッドハンティング?」
「みっちゃんはね、色々と規格外なのよ。」
華やかな見た目に、文武両道。一を話せば、十を理解し、大鎌を振る姿は舞うように美しく、弓を扱えば蜂が刺すように急襲する。
そうした能力に秀でた者は、葦原中国の魂を管理する側になり、《人神》や《神使》になったりするらしい。
「つまり、チートな人の集まりって事?」
「まあ、そんなところだね。そして、何を隠そうそこに坐わすは、死神界きっての強者で、《紫雷の時任》と異名をお持ちの死神様です。」
「紫雷の時任」とか「中二病みたいな異名だな」と思って雅を見れば、「黙って聞いていれば、好き勝手言いますね」と冷ややかな声色で斎に相槌を打つ。
「あまり、ある事ない事話すと魔物を誘き出す餌にしますよ?」
「んなッ!?」
斎が顔色を悪くするから、加代子は雅の袖を引いた。
「魔物もいるの?」
「ええ、いますよ。人の世の魂を死神界の許可なく掠め取る盗人さんたちで《魔縁の者》とも言われていますね。」
「うわ、みっちゃんが言うと、魔縁の者がなんだか可愛く聞こえる。」
しかし、雅は葦原中国で知られるような魔縁の者は可愛い部類であり、それらは攫った魂を糧にして生きている者に過ぎないと話す。
「それよりも怖いのは神の祟りです。」
「神の祟り?」
「ええ、古き世から生きる神が荒御魂と化せば、噴火、地震、竜巻、津波、洪水。実に恐ろしい事が起こるでしょう。」
雅が「自然の猛威ほど恐ろしい物はないという事ですよ」と言えば、加代子も納得がいった。
「でもさ、俺・・・・・・。みっちゃんも荒御魂と化したら、きっとラスボス級に強いと思うんだけど?」
斎と加代子がちらりと雅を見ると、我関せずといった雰囲気でサービスで淹れてもらったコーヒーを美味しそうに口にしている。
「魔王かあ。確かに死神よりもそっちの方が似合いそう。」
「ほう――? あなたも私を怒らせたいのですか?」
にっこりとしているのに、雅の視線は冷ややかだったから、加代子は背筋をゾクリとさせて「言い過ぎました」と口篭った。
「みっちゃん、そんなに凄まないでよ。未来の花嫁まで怯えてるじゃない?」
加代子が斎の助け舟に内心頷いていると、雅は「他人事のように言ってますけど、元はあなたのせいではないですか」と苦笑した。
「だいたいそれで言うなら、我が未来の花嫁はろくにセーブをしないまま、ラスボス戦に参戦中ですね。」
「う・・・・・・ッ。」
「そうなの?」
言葉に詰まった加代子は視線をわざとらしく逸らす。
「ラスボス戦に参加したいわけじゃなかったのに。」
そういうと、雅はとてもいい笑顔をうかべる。
「ラスボス戦は撤退出来ませんから覚悟してくださいね。」
加代子は「この死神、本当に魔王なのかもしれない」と思うと、そうっと目を伏せた。
◇
斎から講釈を受けて一時間が経過したころ、雅は「そろそろ帰りましょうか」と言い出した。
「そろそろ店も混み合ってきましたし。」
時計を見ると、もうすぐ三時になろうとしている。
「えーッ、これからが面白いところなのにい・・・・・・。」
斎は話し足らなそうで、残念そうに雅を見た。
「斎、あなたは元々モノだから疲れないでしょうが、彼女は人なんです。ましてや高天原に連れてきたのが初めてなのですから・・・・・・。」
「じゃあ、仕方ないか・・・・・・。また来てね。」
「ええ、今日はこの辺で失礼しますよ。」
会計を済ませて外に出ると、加代子はほっと胸をなで下ろした。
「止めてくれてありがとう。正直、途中からちんぷんかんぷんだったの。」
「いえいえ、斎の昔話に、私も途中で飽きてきたものですから。」
斎は由緒ある家に受け継がれてきた琵琶だった事は分かったが、それ以外はあんまり頭に残らなかった。
ただ、話を聞いた限り二人の付き合いは深く、雅とはかなり前から知り合いだったらしい。
斎はその経緯も笑い話を交えながら話してくれたが、途中からは幕末やら明治維新やら、歴史に詳しくないせいもあってかよく分からなくなってしまった。
「ねえ、さっきの話なんだけど。神様は、えーっと、高天原? そこにしかいないの?」
「いいえ、他にも夜の食国、根の堅洲国、黄泉の国、それから幽世にもいらっしゃいますよ。」
「え、そんなに分かれているの?」
すると、雅は「《古事記》や《日本書紀》はご存知ですか?」と訊ねた。
「な、名前だけなら?」
「では、壮絶な夫婦喧嘩をした伊邪那岐命と伊邪那美命の話だけでも、分かると幸いなんですが・・・・・・。」
「あー、それなら聞いたことがあるかも。国産みの神様だったけ?」
「ええ。その二柱です。」
雅は表参道の大通りに出ると青山通りの方へ進路を取り、ゆったりと坂を上っていく。
「それで? それがどう関係するの?」
加代子は雅を追いかけながら、表参道ヒルズの横を通り過ぎる。雅の歩むスピードがゆっくりになった。
「死神界は伊邪那岐命の娘、天照大神の統治する《高天原》にあります。そして、その妻の伊邪那美命の治める国が《黄泉の国》です。」
黄泉の国は、輪廻から外れ魔と化した者や、高天原で死を迎えた神の魂が、行きつく国だという。
「そして、《幽世》は《無》を司るところ。《黄泉の国》でも死を迎えれば、魂は青火となって《幽世》に送られます。」
夜の食国は月読命が、根の堅洲国は素戔嗚尊がそれぞれ統治している。
「その二つはそれぞれ、高天原と黄泉の国の一種の自治領ですね。」
「じゃあ、人の生きる世は?」
「《葦原中国》です。高天原と葦原中国、そして、黄泉の国。この三つの世界は別々にあるように見えて、その実、同一空間にあるんです。伊邪那岐命が伊邪那美命と決別することがなければ、もっと自由に行き来される世界になっていたでしょう。」
青山通りの交差点が見えてくる。そして、雅は表参道駅の入口を指さした。
「坂や階段はね、それぞれの世界の境なんですよ。」
雅は加代子の手を取ると、表参道駅の入り口に降りはじめる。しかし、その中は加代子の知る地下鉄の駅構内とは似ても似つかない世界が広がっていた。
券売機の位置も変わらないし、改札の位置も変わりはない。それでも加代子は呼吸が浅くなっていき、目を瞑ると手を引いてくれている雅の手を強く握った。
「大丈夫ですか、加代子さん?」
「なんとか・・・・・・。」
叫び出してしまいそうなのを飲み込み、加代子は肩で息をする。ゆっくり瞼を開いても、目を閉じる前と景色は変わらず、まるでレイヤーを重ねたみたいに世界が三重に見える。
「どうなっているの? これ?」
「先程、話した三界が一体になっているんですよ。」
改札を出てきた女性を奇妙な角をした男が通り抜ける。通路では小さな男の子が小鬼に足を引っかけられて転ぶ。
(何でもないところで転ぶのって、ああいうのが原因・・・・・・?)
そう思って、自分も小鬼に突き飛ばされたのかと思ったが、雅はかぶりを振った。
「小鬼にそこまでの力はありませんよ。あれはまだ魂が定着しきれていない子供だからこそ、ちょっかいを出せているだけです。」
近くの年輩の女性が男の子に近づいて手を貸す。男の子を立たせると、丁寧に埃をはらって上げる。
「加代子さんに手出ししてきているとしたらは、天使か、悪魔か、はたまた、それ以上の何かでしょうね・・・・・・。私が傍にいるのに何度も執拗に狙ってきますから。」
「天使もいるの?」
「ええ、日本的に言えば《御神使い》ですけれど。ああ、あんな感じです。」
加代子が視線をずらすと、先ほどの女性の傍には白い光の羽根を背負った男が佇んでいる。
「御神使いが命を狙う事もあるの?」
「ええ、天使も悪魔も仕える神が違うだけで、元は同じ《使いの者》ですから。あれはかつての配偶者が、彼女を加護をしてるだけですけどね。」
「そうなんだ・・・・・・。」
雅はうまい具合に誰ともぶつからないように加代子を導いてくれる。
「神の加護を得た神使は、人神と同様に、元が人魑魅であっても強い力を行使出来ます。神が審判を下したら天使たちが命を狙いにくるなんてことも大いに考えられます。頼むから《最後の審判》なんて言い出さないことを願うばかりですよ。」
「《最後の審判》?」
「《この世の終わり》って事です。日本では《大峠》。ケルト神話では《世界の黄昏》とも言いますね。」
時間が経つにつれて、加代子の手はゆるみ、呼吸も穏やかになっていく。目に見えてる景色も、比較的、いつものそれに戻ってきた。
「もう、大丈夫そうですね?」
雅は顔色の落ち着いてきた加代子に微笑みかける。それから、改札を通り千代田線に乗ると、霞ヶ関で日比谷線に乗り換えて神谷町で降りた。
三重に見えていた景色は駅構内を出ると完全に治まったものの、しばらくは雅に手をつながれたままで歩く。
「まだ歩くの?」
東京タワーがすぐ近くに見える。
「もう少しですよ。」
「どこに向かっているの?」
「行けばわかります。」
雅はにこりと笑い、脇道に入る。そうして案内されたのは、タワーマンションのエントランスだった。
前栽として植えられた桜は、葉桜となりちらちらと花びらを散らして、アスファルトをピンク色に染めている。
「・・・・・・ここは?」
「私の家です。」
真っ黒な雅の服の肩に薄桃の花びらが止まる。
「はい?」
加代子の声に花びらは離れ、地面へと舞い落ちた。
「ですから、私の家ですよ。部屋は四十二階。」
雅はにっこり笑い、上の方を指さす。
「ええ、そして、加代子さんの新居です。」
「・・・・・・新、居?」
軽いめまいを覚えながら、加代子は上を見上げる。
「部屋からなら、六本木ヒルズも見えますよ。」
「嘘・・・・・・。」
加代子が絶句すると雅は眉をひそめる。
「さっきと言い、今と言い、加代子さんって、意外と疑り深いんですね?」
雅の言葉を遠くに感じながら、加代子は春の穏やかな光にあふれた真っ青な青空を見上げた。