白昼夢
死神と名乗る謎の男から一方的に電話を切られて、加代子はムッとした。リダイヤルしようとボタン操作をする。しかし、一覧にはなぜか亨の名前しかなかった。
(どうなってんの・・・・・・?)
スマホのディスプレイと睨めっこする。
「お待たせしました。」
電話の声と同じ声が目の前からして、ぎょっとして加代子は目線をあげた。
「こんにちは、《死神》です。」
そこには春の景色には似合わない、上着から靴まで真っ黒なコーディネートの男が立っていた。胸にはシルバーで作られた鎌の刺繍が入った服を着ている。
「島崎 加代子さん、ですよね? お茶でも飲みながら、どうして電話が繋がったのかお話を伺いたいのですが。」
そういうと目の前の男は、端正な表情を崩して、極上の笑顔を加代子に向けた。切れ長な目は黒曜石でも嵌めたかのように深い黒で、見つめられるとドキドキしてくる。
普段の加代子なら、こんな風に見目のいい男に甘やかな表情を見せられたら、二つ返事でうなずいただろう。しかし、この時は宣言通りのタイミングに姿を現したこの男の様子に、目を見開いただけだった。
ギターケースを持って南口に向かう男性も、スマホを操作しながら改札に向かうサラリーマンも、女子高生も、外国人も。誰一人として変わらずに自分達に目を向けることは無い。それでも、加代子には街が急に色付き動き出したように感じた。
「加代子さん?」
声もなく、ただ見つめてしまったせいか、死神が眉根を寄せて心配そうに尋ねてくる。
「あの。あなた、本当にさっきの人?」
「ええ。姿まで現したんだから、信じてくれますよね?」
「いや、逆に信じられるわけないでしょ・・・・・・。」
加代子は呟くように言うと、ぶんぶんと頭を横に振った。男を無視してその場から逃げるように離れる。
「ちょっと、加代子さん?!」
自称、死神の男は「待ってください」と呼び止めながらも追いかけてくる。
「姿まで見せているのに信じてくれないなら、どうしたら信じてくれるんです?」
「さっきのは間違い電話なの!」
スクランブル交差点を渡り、文化村通りへと進む。
「それは、この際どうでもいいんですけど。どうやって電話掛けてきたのか教えてくれれば。それが分からないと、協会にこちらから生者にコンタクトをとったと嫌疑を掛けられるんですよ?」
「そんなの私が知るわけないじゃない!」
相当早足で進んでいたから、かなり後ろを歩いていたはずなのに、次の瞬間、男は立ちはだかるように目の前に居た。
加代子が右へ向かえば男は左へ、左へ向かえば男は右へと通せんぼする。
「邪魔なんだけど!」
「それはそうですけど、これ以上進むと、本当に死んじゃいますよ?」
「何を言って・・・・・・。」
加代子が文句を言い掛けたところで、ふいにキキィッと甲高い急ブレーキ音がする。振り返ると、目の前には乗用車が迫ってきていた。
「危ない――ッ!!」
誰かの叫び声が聞こえて、でも、一歩も動けなくて。数センチ目の前を乗用車が通り抜け、ガシャーンッと耳をつんざくような音の方を目で追えば、すぐ横の店のガラスが割れていた。
あたりは騒然となり、周りの人が「救急車ッ!」とか「警察ッ!」とか口々に叫び始める。加代子は腰が抜けてその場にへたりこんだ。
「大丈夫ですか? 加代子さん。」
「何、今の・・・・・・。」
「だから、これ以上進むと、本当に死んじゃいますよって言いましたでしょう?」
そう言って飄々としている男のいた位置は確かに、車に轢かれる位置だったはずだ。現に彼の立っている足下にもくっきりと付いている。
(今、車が彼の身体をすり抜けた――?)
加代子が惚けていると、男は加代子の前にしゃがみ、パタパタと手を振る。
「加代子さん、大丈夫ですか?」
「あ、貴方・・・・・・、一体、何者? 今、車に轢かれる位置にいたでしょ・・・・・・。」
「何者って、ですから《死神》ですよ?」
黒尽くめの男は「なかなか信じてもらえませんね」と言うと、パチンと指を鳴らす。その瞬間に二人を残して時が止まった。
「そろそろ、信じてくださいませんか?」
誰もが、ストップモーションで動かない。加代子も目と口を丸くあけたまま固まる。
「何、これ――。」
「いや、周りの音がうるさいかな、と思いまして。これで少しは静かに話せますでしょう?」
許容範囲外の事が起こると人間は頭の中が真っ白になるらしい。
「・・・・・・って、加代子さん!?」
いや、訂正する。
許容範囲外の事が起こると、人間は意識も手放すらしい。
誰もが止まっている世界がぐらりと揺れ、加代子は視界が狭まり、目の前が真っ暗になるのを感じながらゆっくりと倒れた。
◇
次に加代子が目を覚ました時、静かな喫茶店のボックス席で横になっていた。見覚えるのある店内は、奇しくも亨に別れを告げられた店だったから苦笑いするしかない。
(なんて、ファンタジックな夢――。)
妙にリアルな夢だったが、お店でうたた寝してしまったのだろう。随分と奇想天外な夢だった。
(でも、いつ、お店になんて入ったんだっけ?)
いまいち記憶が曖昧だな、と思いながら、上体を起こすと、向かいの席には飲みかけのエスプレッソが置いてあり、加代子の前にはミルクたっぷりの紅茶が置かれていた。
コツコツと革靴の奏でる靴音に加代子が視線を向けると、自動ドアから入ってくる死神男と目が合う。
(う・・・・・・そ・・・・・・。)
正直に言えば、すぐにでも逃げ出したいのに、何故か身体が言う事を聞かず、席を立つことができない。
「お目覚めですか? 加代子さん。」
「ええ、まあね・・・・・・。」
できれば、夢落ちを狙っていただけに、声が裏がえってしまう。
(本当に夢ならいい加減、醒めてよ・・・・・・。)
しかし、加代子のそんな心の声を知ってか知らずか、死神と名乗った男は向かいの席に座ると、覚めかけのエスプレッソを口にした。
「じゃあ、早速、本題に戻りましょうか。どうやって私に電話をしてきたんです?」
「また、その話? さっき言ったでしょ。間違い電話。ボタンの押し間違いだよ。」
「それでは納得できかねます。こちらは始末書を書かなきゃいけないかもしれないって言うのに。」
「だって、本当なのよ? 意識して押したわけじゃないの。偶然、あなたに掛かっただけで・・・・・・。」
「加代子さん、残念ながら、この世に偶然は無いんですよ。あるのは必然だけ。だから、あなたは何かしらの方法を使って私に電話をしてきたんです。」
「でも、本当にそんなの、知らないのよ・・・・・・。」
加代子がそう呟いて黙りを決め込むと、男は一枚の真っ黒い名刺を取り出した。名前は白い文字で死神協会認定死神、時任 雅と書かれている。
「あなたがこの渋谷で不幸な交通事故に合う予定だったのも必然ですよ。」
隣の席に座ると雅は一口、エスプレッソコーヒーを啜る。そして、加代子の方に向き直った。
「先ほどは電話が繋がった理由を聞けませんでしたから、緊急措置で助けてしまいましたけど、貴女はさっきの車に轢かれて即死となる予定だったんです。そして、この世に未練を残してしまい、悪霊と化す予定だったので、私はそうなる前に、貴女の魂を狩るために張っていたんです。それなのに・・・・・・。」
雅が言うには、推理小説の佳境のシーンで、犯人を突き止めるべく断崖絶壁に追い込んだのに、推理を披露する前に「自分が犯人です」と申し出てきたようなものらしい。
「その癖、どうやってアリバイ工作したのかは頑として教えてもらえない状況だと考えてください。気持ち悪いでしょう?」
「そう言われても・・・・・・。あ! このまま何もなかった事にすればいいんじゃない?」
「何、いい事を思いついたって顔をしてるんですか? 先程、緊急措置と申しましたでしょう? 加代子さんがこの世に居るのはもはやイレギュラーなんですよ。ちゃんと協会に申し出しないといけません。まあ、一回、死に掛けたのに助かったのなら、もう、ちょっとやそっとじゃ死ぬ機会はないと思いますが・・・・・・。」
そう口にして雅は懐からスマホを取り出す。しかし、すぐに険しい顔になった。
「加代子さん、貴女、スプラッタがお好きなんですか?」
「へ?」やや
「これから電車に乗って移動すると、ホームから落ちて、電車に轢かれて、やはり悪霊と化す予定のようですが。」
「なっ?!」
「こんなにすぐに死ぬ運命にある人は初めてお会いしますね。」
「な、なんとかならないの?」
「一回助けるのも、二回助けるのも、同じですけど・・・・・・。こうなったら、いよいよ電話がつながった原因を究明したいものですね。」
「もう亨の事なんて、どうでもいいから平穏無事に過ごせるようにしてよ。」
「亨?」
途端に鼻の奥がツンと痛くなり、カッと目頭が熱くなる。そして、真っ直ぐに見つめてくる雅を前に加代子はすんと鼻を鳴らすと、顔を窓の方へと背けた。
「貴方が言うには、亨に会って捨てられたことも、必然なんでしょうけど・・・・・・。」
涙で世界がじわじわと滲んでいく。
「私の電話の履歴は亨ばっかりだった。それが辛くって、ランダムに電話番号を押して、それがたまたまあなたの携帯電話だっただけなのよ。」
それを聞くと雅はきれいな形の眉を寄せて思案顔になった。
「加代子さんはその某と別れて、独り身ということでいいですか?」
「ご丁寧に念を押さないでくれる?」
「結構、大事なお話なのですが・・・・・・。」
加代子はむっすりとした。
「では、私と付き合ってくださいませんか?」
「はい?」
「そろそろ飽き始めていたんですよね、魂を狩るだけの生活にも。私、今は未婚ですし、加代子さんも独り身なら問題ないですよね?」
加代子は驚いて目を丸くした。
「は? ちょっと何を冗談・・・・・・。」
「冗談じゃないですよ。真剣なお話です。」
「車が通り抜けるような男と付き合えって?」
「ああ、それはもう問題ないですよ。」
そういうと雅はひょいと加代子の手を取ってその甲に口付けてくる。そこだけ温いぬくもりに包まれて、柔らかな感触が伝わってきた。
「ほら、ちゃんと触れるでしょ?」
そういって笑う雅の仕草はやっぱり格好よくて、加代子は息を飲む。しかし、次の瞬間、我に返ると、加代子は手を引っ込めた。
「冗談言わないでッ! 年齢考えたら、次に付き合うなら結婚を前提に考えたいし、そんな新手のナンパに引っかかるとでも?」
加代子が声を荒らげれば、好奇の目に晒される。気恥しさに顔を背ければ、雅はくすくすと笑みを漏らした。
「言ったでしょ? 未婚だって。結婚を前提にしたければ、それでも構いません。むしろこちらとしては好都合ですし。」
「はあ?」
腹立たしくて思い切り不機嫌な顔を向ければ、雅は悪戯めいた目をして「本当にころころ表情の変わる方ですね」と言う。
「加代子さんといると、なんだか楽しいです。」
「こっちは全然楽しくないんですけど?」
雅は腕を伸ばしてきて加代子の髪を一束掬うと、くるくると指で弄ぶ。
「退屈はさせませんよ? まずはお試し一ヶ月から始めてみませんか?」
きっといつも見ているドラマなら、美青年と運命的な出会いのうち、不意のプロポーズだなんて、瞬間最高視聴率を叩き出すようなシーンなんだろう。でも、当事者になってみて思った。
夢ならいい加減に覚めて欲しい――。
恋人が死神――?
何それ、そんなのあり得ないんですけど?