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筺の鳥  作者: みなきら
籠の鳥、雲を恋う
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18/34

黄泉がえり

 鍾乳洞の中を勾玉が放つ淡く仄かな光だけで進む。ぴちょん、ぴちょんと水音が聞こえる以外は物音はなく、足元はツルツルの岩肌で少しでも気を抜くと真っ暗な暗闇に飲み込まれそうで、雅はそろそろと歩いた。


(これはなかなかに骨が折れますね・・・・・・。)


 衣冠束帯姿ではさすがに難儀するからと伝えて、洋装で着たものの、この中ではこの姿でも大立ち回りは厳しそうに思えた。


 火産霊神は「真っ直ぐに行けば着く」と言っていたが、どっちが真っ直ぐなのかも、怪しくなってきている。とはいえ、ここで徒(いたずら)に呪符や護符を消費する気もなく、素戔嗚尊に聞いた目印を頼りに進んでいた。


「行きは良いが、帰りがな・・・・・・。」


 そう濁す素戔嗚尊に勾玉と鏡の使い方をレクチャーしてもらって来たのだが、その時が来た時にきちんと使えるかが心配だ。


 暗がりをどれくらい進んだだろう。急に目の前が開けて、足元に青い篝火が点々と置かれている。それに沿って歩いていくと、言われた通り、黄泉の国の神々の御殿があった。


 洞穴の中なのに夕焼けのように天井が燃えて見える。御殿に近付くとぎいっと音がして、扉が開く。中からほっそりとした女が現れる。しかし、それは異形のものだった。


「汝(なんじ)は誰(た)そ。」

「源 雅信と申す。」


 これで通じるか心配したが、「雅信、こちや」と言われる。ホッとして近づくと、再び女に問われる。


「あぜ、こちに来られし。」


 一瞬、言われた事が分からず、言葉に窮する。上代の言葉はさすがに堪能ではない。雅は困り顔をすると、「しまし待たれむ」と火産霊神に貰った呪符をひとつ破る。


 途端、ほわんと拳大の光が現れ、胸に溶けて消える。


「これで通じるようになりましたか?」


 恐る恐る訊ねると、案内してくれていた女は「さっきよりも聞き苦しくなく流暢ですね」という。


「それは良かったです。先程、訊ねられたご様子でしたが、あいにく聞き取れず。もう一度よろしいですか?」

「ああ、はい。構いませんよ。こちらへのご用向きをお伺いしただけです。」


 両生類のような黒目の女は、そう言いながら、御殿の中へと誘導していく。


「私は素戔嗚尊の名代でこちらに参りました。伊邪那美命はいらっしゃいますか?」

「それでしたら、姉様はこの奥に。」


 そして、指さしたのはひとつの扉の前だった。雅が礼をすると、女は去っていく。雅は素戔嗚尊に言われた通りに、扉を開けぬまま平伏し、声をかけた。


「畏み、畏み、もの申す――。」


 すると、奥から「お前はだあれ」と鈴の転がるような声がする。


「源 雅信と申します。本日は素戔嗚尊の名代で参りました。」

「そうですか、遠いところをお疲れ様。」

「お気遣い痛み入ります。」


 扉越しとは言え、ひとまずここまでは順調にきている。雅はそっと首に下げていた勾玉を握った。


「それでどんな用を伝えに来たの?」


 伊邪那美命の問いに、雅は加代子の事を話す。


「素戔嗚尊の娘。須勢理毘売命、ねえ。」

「はい、解呪するなら伊邪那美命にお伺いするのが良いと火産霊神からお伺いし、素戔嗚尊をお訪ねしてこうして参った次第です。」


 すると、急に声が途絶える。


「加具土命と素戔嗚尊が力添えしているですって?」

「左様にございます。」


 すると、扉がぎいっと少し軋んで開いた。中から女性の服の裾が見える。そして、雅の事を上から下まで見つめる気配がして、「貴方が須勢理毘売命を助けたいのは最もな話ね」と納得の声を上げる。


「人の身に窶しながら、随分と多くの加護をその身に受けたこと。」


 ふわりと音もなく動くのは火産霊神と同じで、妙なプレッシャーは素戔嗚尊や龍翁のそれと同じなのに、たおやかな気配は天照大神を髣髴とさせる。


「まあ、それは後でもいいわ。加具土命と素戔嗚尊が目をかけているのも本当のようだし。素戔嗚尊が貴方を許すとは思わなかったから意外だけれど。」


 そういうと伊邪那美命は雅のすぐ傍までやってくる。それから「それで淤加美神の呪の解呪について聞きたいのだったかしら?」と言われる。


「お願い出来ますでしょうか?」

「ええ。淤加美神も須勢理毘売命には甘いからね。」


 そう言うと伊邪那美命は、六花の烙印の事を話し始める。


「あれは我が子、淤加美神が《所有》の証。貴方には許し難いことでしょうけれど、ね。呪を解く事のは容易いけれど、解くには代わりに呪いを受ける贄が必要。その身に呪が返るわよ?」

「構いません。」

 

 雅は「贄としてこの身を差し出せば、解呪はできるなら甘んじて受けましょう」と答えた。


「ええ。けれど、それよりは須勢理を淤加美神に差し出せば良いのではなくて? その方が貴方の為にも良いわ。貴方が彼女を手にし、失えば八岐大蛇が目覚めるわ。」

「八岐大蛇・・・・・・?」

「ええ。宝珠を奪われた龍の成れの果ての姿。」

 

 そう言うと「その身に焦がれるようにして、宝珠を求む龍が巣食っているでしょう」と笑う。


「淤加美神に彼女を渡したところで、いずれにせよ、八岐大蛇は復活しましょう。」

「ええ、そうね。それゆえ多くの者の平和を望むなら、宝珠の姫は奇稲田姫と同じようにしておくべきだった。小娘を一人殺し、心の太柱に捧げれば、多くの民草は救われましょう。けれど、怪物が目覚めた後ではそうも行かない。さあ、どちらを選ぶの?」


 少し意地の悪い声色で訊ねてくるのは、火産霊神そっくりだ。しかし、雅は迷うことなく、

「彼女を殺す気はございません」と言い切った。


 伊邪那美命は雅の頑なに拒絶する様子に「あら、即答ね」ところころと笑う。


「全てを敵に回すというの?」

「それしか彼女を救えぬなら、そう致しましよまう。」

「何故?」

「偏(ひとえ)に私の欲深さゆえに。」

「欲深さ、ねえ。己が欲のために、葦原の民草を贄にするとは、なんという欲深さでしょう。でも、それでこそ、あの素戔嗚尊から宇都志國玉の名を受けたものだわ。」


 その言葉に雅は顔を上げそうになった。


「失礼ながら、私は素戔嗚尊に宇都志國玉の名は受けた覚えがございませんが・・・・・・。」


 その名が須勢理毘売命の夫となった大己貴命の名前だとは分かる。伊邪那美命は「まだ覚醒前なだけよ」と笑い、ことりと漆塗りの美しい半月上の櫛を床に置いた。


「ならば、最後まで足掻いてみればいいわ。ここにその娘の魂を持ってきたなら、きっと助けてあげましょう。」


 伊邪那美命はそういうと静々と部屋の中へ戻って行く。そして、再び扉がぎいっと音を立てて閉まっていく。


「素戔嗚尊の名代ならば、黄泉よりお戻りなさい。万が一、出来るようであれば、その櫛に誓って、魂止(たまど)めの契約(あかし)として持っていきなさい。」


 雅は伊邪那美命に言われた通り、櫛を拾おうと手を伸ばす。途端、指先から痺れるように痛みが走り、急に熱を帯びて痛んで顔を顰めた。


 右手の指先から這い上がるようにして、中指から手の甲にかけて黒い唐草の模様が浮かび上がっていく。


(やられた・・・・・・。)


 強力な呪で縛っているのだろう。雅が解呪を試みても少しも解ける気配はなく、むしろ手の甲の文様が広がっただけだった。


「謁見の時間は過ぎました。こちらからお戻りくださいませ。」


 声に驚いて振り返れば、先程この部屋まで案内してくれた女性が出口を指さしていた。


 雅は手の甲の唐草をそのままに、伊邪那美命からの戴き物を上着の内ポケットにしまう。


「お待たせしてすみません。」


 すると「私めは五十宇(いそら)と申します」と話し、代わりに極薄い布を手渡してきた。


「姉様より、貴方を根の堅洲国にお戻しするようにと申し付けられました。そこで、こちらの肩巾(ひれ)をお渡しいたしましょう。これがあれば黄泉の国に棲むが気付きにくくなります。それと、生きて帰りたくば、これより何を見ても聞いても、ゆめゆめ声を立ててはならぬ、振り向いてはならぬと仰せにございます。」


 雅は受け取り、肩巾を首に掛けると深々とお辞儀した。


「この道を真っ直ぐに進めば戻れます。すでに貴方は伊邪那美命の眷属。悪鬼に気付かれねば根の堅洲国に戻れましょう。」


 そうして元来た道を指さされる。雅は「承知しました」という代わりにひとつ頷いた。


 帰り道は不思議と行きほど暗くなく、夜目が利いているかのように足元が見えた。


 しかし、その分、先程まで見えなかったものが見えてくる。蠢く虫溜(むしだま)り、人肉を喰らう鬼女、口から雷を吐く獣。そうしたものが脇道の洞穴には有象無象と蠢いていた。


 ここまで冥界に深く足を踏み入れたのは、恐らく伊弉諾尊のみで、ここを模して作られたという高天原管轄の《地獄》にも、ここまで陰の気の満ちているところはなかった。


 真っ直ぐに進めと言われた道は不思議と雅にはほんのり明るく見え、迷うことはなかったが「行きは良いが、帰りが」と言っていた素戔嗚尊の言葉の意味が気にかかる。


 伊邪那美命の加護なくば、ここは大神であっても戻れる保障がないという事だろう。


 そう思って、雅は剣に手をかけたまま歩んでいく。しかし、危惧していたような事は起こらずに、ぴちょん、ぴちょんと再び水滴の落ちる辺りまで戻ってこられた。


(もう半分くらいだろうか・・・・・・。)


 記紀のような事には巻き込まれずに、現世に戻れそうだと安堵する。しかし、次の瞬間、「もうし、もうし」と呼びかけられた声に雅はドキリとした。


「そこにいらっしゃるのは、殿ではございませぬか?」


 思わず振り返りかけたところで「ゆめゆめ振り返るな」という言葉を思い出し、なんとか踏み止まる。


「こちらを向いてくださいませ。」


 その声は従者であった彬久のものだ。雅はグッと堪えると歩き始める。


 しかし、自分と同じくらいの歩調でひたひたと足音が後ろを付いてくる。雅は冷や汗をたらりとかきながら、徐々に急ぎ足になった。


「そんなに急がれてどちらにいらっしゃるのです?」


 雅は振り返ることも、声を発することも出来ずに出口へと急いだ。


「また、私をまた打ち捨てなさるのですか?」


 後ろから彬久の声が追ってくる。雅は足元が滑りやすい洞穴の中にも関わらず、走り出した。


 彬久は琴子を喪ったあの日、琴子に斬りかかった同じ敵に斬られて命を落とした。


「琴姫の事ばかり気にかけられて、私めの事は後から知ったのでしょう? 乳兄弟としてずっと傍にいたと言うのに。」


 責め立てられて苦しくて、声を漏らしそうになる。


「お待ちください、ほんの少しでいいのです。」


 彬久の最期は酷いものであった。叢(くさむら)は血に染まり、その体は大の字で転がっていて。果敢にも戦おうとしてくれたのであろうことは傍らに転がっていた刀が証明していた。


「ただ一言、すまなかったと詫びて下されば、我が心や我が魂は救われるのです。」


 遠くで叫んでいるのであろう彬久の声に、雅は辛く哀しくて、手で口を塞ぐと必死に逃げた。


 そう、逃げ出したのだ――。


 嗚咽を押さえるのが精一杯で、道が真っ直ぐなのかなど、もはや気にも止めていなかった。何度も転びそうになりながら、駆けていく。


 ただ一言、詫びるだけ――。


 それが出来ない事に、ひどい罪悪感を感じる。


 彬久のことを忘れたことなどなかった。ずっと心の隅に引っかかっていた。琴子のことばかりで済まないと、生前に何度も思ったのも事実だ。


 胸が引き裂かれんばかりに痛い。


 黄泉の国の仕掛けきた罠だとしても、こんなに酷い仕打ちがあっていいのだろうか。


 死神となった雅が、全力疾走して逃げ出せば亡者の彬久は付いてこられなかったのであろう。雅の前には穏やかな春の日の夕陽と、根の堅洲国と黄泉の国とを隔てる垂綱(しでつな)が見えた。


 フルマラソンの選手のようにして、垂綱の下を潜ると、そのまま膝を折り、倒れ、天を仰いで人目も憚らずに泣いた。振り返って黄泉の国の入口を見れば、そこにはただポッカリとした洞穴の入口があるばかりだ。その中で彬久が亡者となり果て、未だに苦しんでいるのかと思うと、拭っても拭っても涙が溢れてくる。


「雅、どうしたの――?」


 着慣れないだろう服ながら駆け寄ってきた加代子が、心配して背中を摩(さす)ってくれる。それでも雅は辛く苦しくて泣き止むことが出来なかった。


 邸から出てきた素戔嗚尊は心底驚いた様子で「まさか本当に黄泉がえって来るとは」と呟きつつも、人事不省に陥っている雅の様子に眉間に皺を寄せた。


「だが、やはり心の鬼に喰われたか?」


 加代子はわなわなと震える雅の左手を握ると、素戔嗚尊をキッと睨み上げる。


「その言い方、こうなる事を知りながら、雅を送り出したって事?」


 素戔嗚尊は黙り、代わりに、一緒についてきたのだろう火産霊神がその後ろからひょっこりと顔を出して答えた。


「雅信はそれに喰い殺されるような男ではないと、見込んだんじゃがのう。」


 そして、まだ震えている雅信に「やはりだめだったかの?」と訊ねる。加代子は苛立ちを露に「そんな勝手な」と言い差したが、雅が手を握り返してきたから口を閉ざした。ゲホゴホ咳をしながら雅は火産霊神を見上げる。


「あのような所、二度と御免蒙(こうむ)ります。」


 苦々しげにそう言い捨てて、涙声のまま、何度か重たく息を吐く。それから、むくりと起き上がると、伊邪那美命に貰った肩巾を剥ぎ取るように投げ、徐(おもむ)ろに加代子をぎゅうっと抱き締めた。


「ちょっと、雅?!」

「良いから、暫(しばら)くこうさせてください。」


 素戔嗚尊が明らかに不機嫌になったが、知ったことではない。雅は「生きている実感」が欲しかった。


「ほら、の? 雅信はタフガイじゃ。」


 空気を読まずに火産霊神が、にいっと笑って素戔嗚尊に言う。


「戦場(いくさば)に何度も足を運んでおるし、ちょっとやそっとじゃ、へこたれぬであろう?」

「確かに、黄泉がえりするくらいだ。益荒男(ますらお)なのは認めよう。」

「また、須勢理を盗られたの。」


 火産霊神が楽しげに言うと、素戔嗚尊は不機嫌な表情はそのままに踵を返して邸の方へと戻っていく。


 そんな中、雅は二柱が去っても加代子を離せなかった。彼女の温もりだけが悴(かじか)んでいた心を溶かしてくれる。顔を真っ赤にさせた加代子は、雅の様子に大人しくしていたが、やがて右手の甲に入った唐草模様に気がついてそっと触れた。


「これ、どうしたの?」


 加代子の言葉に雅は片腕でだけ抱き締める力を緩める。明るいところで見てみると、なるほど刺青みたいに唐草模様が入っている。


「ちょっと伊邪那美命と、約束してきたのです。」

「約束?」

「ええ――。」


 自分の《欲》を優先した担保は、自分の《魂》のようだ。


「どんな約束――?」

「それは秘密です。伊邪那美命との約束ですしね。」


 加代子は心配そうに雅を見上げたが、自分の首に巻き付いた腕に触れると「神様案件じゃ、これ以上は聞けないね」と呟いた。


「もう大丈夫――?」


 雅は「さっきよりは幾分」と言いながら、加代子の髪に唇を寄せる。


「言ってるのとやってるのが、矛盾してる気がするけど?」


 そう言いながらも加代子は雅の腕を振りほどくことはしなかった。


「起きたら、黄泉の国に行ったって言われて驚いたんだから。」

「本当は加代子さんが起きる前に戻ってくるつもりだったんですが。」

「もう夕方だよ?」

「そうなんです。向こうとこちらも時の流れが違うようですね。本当、加代子さん絡みは上手くいかない。」


 雅が苦笑すると、加代子はいつものように「どうせ私は規格外ですからね」と笑った。

更新時間は5月30日0時でした。

次は5月31日0時に更新されます。

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