出会いは突然に
暗いところに一人でいると、心の内まで暗くなり「一人きり」だと言うことがやけに身に染みる。
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いつ いつ 出やる・・・
加代子は膝を抱えるようにして、目を瞑ると、「かごめかごめ」を呟くように歌って、途中で止めた。
暗い部屋から見る外の景色は、いつも通りの見慣れた景色なのに、街灯の光さえ今の自分にはまぶしい。ベッド脇の時計を見ると、もう二十二時を回っていて、貴重な日曜日が終わろうとしていた。
(嫌だな・・・・・・。)
こんな気持ちのままで、あと何時間かしたら、週の始まりを迎えるのかと思うと気が重い。
ここには「彼」との、いや、正確には「元彼との」だが、思い出が多すぎる。今、抱えている茶色のカバーのクッションも、ベージュ色のラグやカーテンも、「彼」と買い揃えたものだったし、食器棚にしまってある茶碗や皿、カップもお揃いで買ったのものだった。
(全部入れ替えたらいくらになるんだろ・・・・・・。)
長年付き合ってきた自分ではなく、浮気相手を選ぶような男なのだから、すっぱり、さっぱりと忘れてしまいたいのに、どうしてもそれが上手くできなくて、加代子は電気を付けずにクッションを抱えて、ほぼ一日中、座り込んでいた。
「彼」こと、城島 亨との付き合いは、大学三年生の時からだから、かれこれ三年が経っている。仕事の合間を縫いながらデートもしたし、互いの家を行き来もしていた。
お互いの両親にも顔合わせもしていたし、本当だったら昨日、今日、明日と三連休で旅行をする予定すら入っていた。すべて順風満帆で順調だと思っていたのに。
「亨のバカ・・・・・・。」
同年代の友達が周りが家族を作っていくのを目の当たりにして、「そろそろ亨に結婚したいって言ってみようかな」なんて思っていなかったら――。
そしたら、ここまでみじめな気分にはならなかったのかもしれない。
◇
翌日。加代子は部屋から逃げ出すようにして、渋谷の駅前にいた。
何か用事があるわけでもないし、ウインドーショッピングをする元気があるわけでもない。ただ、スクランブル交差点を眺めながら、ハチ公と並んで人を待っているふりをしながら、ぼうっと立っていた。
たくさんの人が行き交うのに、誰も自分を見ない。
ギターケースを持って南口に向かう男性も、スマホを操作しながら改札に向かうサラリーマンも、女子高生も、外国人も、誰一人として自分に目を向けることは無い。
まるで自分がハチ公と同じように、生命の通わない銅像にでもなってしまったような感覚だ。
(こんなに人がいるのに、独りぼっち・・・・・・。)
ため息が自然とこぼれて、三月後半の穏やかな空気にとけ込んでいく。
加代子は行き交う群衆を一瞥した後、鞄からスマホを取り出した。着信履歴は亨の名前ばかりだ。
思わず眉間に皺が寄って、目頭が熱くなってくる。
加代子はクリアボタンを押して亨の電話番号を消すと、おもむくままにテンキーをランダムに押し、桁数すら確認せずに通話ボタンを押した。
トゥルルル、トゥルルルと数度のコール音が流れ出す。
どこの誰に繋がっても構わない――。
「城島 亨の携帯ですか」、「いいえ、違います」、「ごめんなさい、間違えました」のやりとりで良いから今は誰かと会話がしたい。
私はココにいるのだと、証明してほしい――。
《もしもし――?》
訝しげな声に、我に返る。
(あ・・・・・・、つ、繋がっちゃった・・・・・・。)
早くも後悔の念でいっぱいだ。
《もしもし?》
それでも繋がってしまったものは仕方ないと思って呼吸を整える。
「あ、あの――、城島 亨の携帯ですか?」
《いえ、違います。》
電話の相手は落ち着いた声の男性で、そんなはずないのに亨の声に似て聞こえた。そのせいかうまく「ごめんなさい」の言葉が出てこない。そうこうしている合間に、電話相手の男が名乗る。
《こちらは《死神》の携帯です。》
「はい?」
思わず声がひっくり返り、変な声が出てしまい、加代子は左手で口を覆った。
《それよりもそちらから掛けてきているのですから、あなたこそ、名乗られたらいかがですか?》
そう言われて、それもそうだと思い、名前を告げる。
「私は 島崎 加代子ですけど・・・・・・。」
《島崎 加代子さん、ですか。初めまして。》
「は、初めまして・・・・・・、シニガミさん?」
相手の男につられて挨拶をし、電話に向かってぺこりと頭を下げる。
それにしても全国各地の珍名特集でも「シニガミ」なんて名字聞いたことがない。せいぜい「四月一日」で「ワタヌキ」とか「八月一日」で「ハッサク」さんとかだ。
《一つお伺いしたいのですが、どうやってこの番号に電話してきたんです? これ、普通は繋がらないんですが。》
「普通は繋がらない?」
《ええ、これは死神専用の電話ですから。生きてる人間から掛かってくることはないんですよ。》
生きている人間から掛かってくることはない――。
その言葉に息を呑む。
「あ、あの・・・・・・、シニガミって・・・・・・。」
おそるおそる尋ねてみると、相手の男は無言になり、咳払いをひとつした。
《死神は、死神ですよ?》
「・・・・・・鎌を持ってる?」
《ご存じのようで何よりです。 そこからお伝えしないと行けないのかと心配しました。》
相手の男がそう言いながらくすくすと小さく笑うから、加代子は思わず声を荒らげた。
「か、からかわないでよ!」
しかし、相手の声は飄々としたもので、
《からかってなんかないですよ? 何ならあなたの余命でもお教え致しましょうか?》
と、言ってのける。そして、しばらく後、
《ああ、ですが、もうすぐ死んでしまうみたいですね。》
と話した。
「はいはい、死にたい気分ではありますよ。」
《いや、冗談じゃないんですよ。あと十分ほどであなたは死んでしまいます。死因は外傷性ショック死。》
そして、「どうしたものかな」とつぶやく声がして、こちらを無視して何かを読んでいる気配がする。
「ご生憎様、私、ピンピンしてるわよ。十分やそこらで死ぬわけないじゃない。」
なんで見ず知らずの男と、電話越しにこんな会話になっているのか、相手の男の小馬鹿にした態度に頭に来ていた加代子は考えもせず、「嘘吐き」と言うと相手の声色が変わった。
《嘘吐きとは心外ですね。》
口調は柔らかいのに、電話越しでも寒気がするくらい、冷え切った声がする。それでも、加代子は意を決して、相手に下に見られないように虚勢を張る。
「電話だからって適当なことを言うからでしょ?」
《適当になど、一言も言っていませんよ?》
「それなら、証明しなさいよ。」
《証明ですか・・・・・・。そこまでおっしゃるなら、致し方ありませんね。》
「な、何よ?」
《そちらに伺って、あなたの死亡フラグを折ってあげましょう。》
「は?」
《では、十秒後に。》
そう言い残して、ぷつりと電話が途切れ、ツーツーと冷たい電子音だけが耳に残った。