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僕の中で君は愛する

作者: 哀姫

 季節は冬。

 聖なる夜――クリスマス。

 その日の真夜中、僕は夢を見る。

 その日からずっと。毎夜毎夜、夢を見る。

「来た……」

 クリスマスの翌日、僕は呟いた。

「もういいだろ、許してくれよ……」

 そして必ず、許しを請うのだ。

 誰よりも深く愛した、彼女に。



 三年前。

 僕は中学三年生だった。

 桜舞い散る春。僕はめでたく受験生となった。

「何だか早いものよねぇ。中学に入学したての頃が昨日のことのように感じられるわ」

 母はしみじみと言った感じでそう呟いた。二年なんてあっという間なのね、何て呟いては「今年は受験なんだから、気を引き締めなさい」と言う。

 受験生。僕はその響きが大好きだった。理由は、なんとなくカッコイイから。受験生と言うだけで、自分がガリ勉のように思えてくるからだ。

 しかし、塾に通わされ始めて、僕は「受験生」と言う言葉が大嫌いになった。

 折角部活がない日も、学校から帰ってまで勉強、勉強、勉強。酷い時は学校の宿題と塾の宿題とで一睡も出来ない日があった。その日は授業中にうっかり寝てしまい、先生にくどくど怒られた記憶がある。

「受験生としての自覚が足りない」

 説教の内容は、その一言に尽きる。

 中学三年生イコール受験生。間違ってはいないのだが、そんな日々が続くと、僕はその等式がだんだん大嫌いになっていったのだ。


 そして、体と、精神的な疲労が溜まった塾の帰り。

 季節はいつの間にか春から夏、四月から六月へと移り変わり、いつもは嫌だった塾も学校に行くのと同じくらい、自分の生活に溶け込んでいた。

「真吾君!」

 そんな中、不意に後ろから名前を呼ばれる。

 振り返るとそこには、同じ塾に通っている新野由美が立っていた。

「もー、何回も呼んだのに振り返らないんだから……つい名前で呼んじゃったよ」

 息を切らしているのを見ると、走って来たようだ。一つに結わえられた髪が少々乱れている。

「えっと……新野、さん?」

「同学年なのに、何で敬語なの?」

 由美が、心外だとでも言いたげに眉を顰めた。

 僕は、少し息を吸った。

「……僕に、何か用?」

 随分失礼なことを言っているような気もするが。由美は満足だと言うようにニコ、と笑うと話を切り出した。

「真吾君、一緒に帰らない?」

 ……唐突に。

「は? ……何で?」

「え、っとね、だから、その」

 由美は少し口ごもった。

「最近、物騒でしょ? 誘拐とか通り魔とか。いや、怖いわけじゃないよ? 全然怖くないんだけど、お母さんが過保護でさ。絶対一人で帰ってくるなって言うの。でも、私の家と同じ方向の人、真吾君しかいなくて」

 僕は由美のその言葉に、クスリと笑みを漏らしてしまった。塾では至極真面目な性格だが、そんな彼女の意外な一面を垣間見たような気がした。

「……駄目?」

 僕の笑いにも全く気付かず、黙って由美を見ていた僕を見つめ返して、彼女は言った。

「いいよ。別に誰と帰る訳でもないし。友達がいた方が帰り道も楽しくなるし」

「本当? ありがとう、真吾君!」

 その時由美が見せた、極上の笑顔を、僕は一生忘れないだろう。


 その日から丁度一週間が経った時だった。僕は急に、思いを告げたくなったのだ。

 あの日からずっと、一週間経った今でも、今だ二人で肩を並べて塾の帰り道を歩いている。

 そうしているうちに、だんだんと、僕は彼女への気持ちに気付き始めた。

 すなわち、「新野由美が好きだ」と。

「新野、ちょっと、いいか?」

 塾帰り、いつものように二人で帰ろうとした由美を、僕は引きとめた。急に歩くのをやめてしまった時のことを考えると、どうしても歩きながら告白しようなんて気分にはならないのだ。

「真吾君?」

 由美が不思議そうに僕を見つめる。

「新野。僕は――」

 自分で、怖い顔をしているなぁ、などと、ぼんやり思った。鬼気迫る表情をしているだろう、と。

「僕は、新野が好きだ。本気で、好きだ」

 その後から、言葉が続かなかった。

 だから、付き合ってくれ。その一言、たった一言でいいのに。続かない。由美の返事に期待して続きを言ってしまおうとする自分と、傷つきたくないが為に逃げ出してしまいたくなる自分とがせめぎ合い、結果的に動けなくなってしまう。

 そもそも、告白なんて勢いだ。一度失速してしまった僕は、もう続けることは出来ないだろう。

 中途半端。もしくは、思いだけ告げて終わりなんて、最悪ではないのか?

 そう、自問自答した刹那。

「いいよ」

 簡潔な、返事。

「いいよ。付き合おうよ」

 嬉しそうに。

 彼女は最高の言葉を返してくれた。

 僕が一生忘れまいと誓った、あの笑顔と共に。



「じゃ、行こう!」

 元気に言う由美は、幸せそうだった。

 それと同じく、僕も幸せだった。

 人生初の彼女と、人生初のデート。「受験生」という肩書きを忘れ、今は「由美の彼氏」でいられる、至福の時。

「ね、私あの店行きたい! 最近出来たばっかりの大型店」

「オーケー」

 僕はそう答えると、その店の方向へ歩き出す。その時にさりげなく、自分の手を由美の手に重ねる。

 由美の手は温かかった。夏だから当たり前、と言われると、それはそうなのだが。それでも僕は、その体温さえ愛しいと感じた。そして、由美が頬を少し赤らめて俯いたのを見て、由美も同じなんだと思うと、無性に抱きしめたい衝動に駆られた。

 しかし、公衆の面前で堂々と抱きしめるわけにもいかないので、握り締めた手を更に強く、ぎゅっと握ることしか出来なかった。

 それでも僕は、幸せだった。

 凄く、幸せだと思った。

 自分は恵まれている、この世で一番幸せなんじゃないか……と、錯覚するほどに。

「真吾君」

「うん?」

 目的とする店の近道だと由美が言う路地を歩きながら、ふと気付くと、由美の顔が傍にあった。

 その顔は、いつもとは違っていて。

 いや、悪戯をした後の子供のように無邪気な表情なのは変わらないが。その表情に、何と言うか――『妖艶』加わったような感じだ。

 とにかく、綺麗で。とにかく、美しくて。

 気付いたら二人の唇は重なっていた。

 もう、理性も何もあったもんじゃない。

 とにかく、彼女の全てに夢中だった。彼女の全てが欲しいと願った。誰かをこんなに深く愛したのは初めてで。そんな自分に戸惑いながらも、そんな自分が誇らしくもあった。

 ぎゅ、と抱きしめると、由美がそれに答えるように舌を絡ませてきた。



 そのままずっと。

 二人は抱き合いながら、愛し合っていた。



「真吾君」

 時は夕暮れ、公園のベンチ。どうせ周りはカップルだらけなんだろうな、とか思いながらも足を運ぶと、そこには寂しそうにブランコが揺れているだけだった。

 彼女は少し眠たそうに僕の名前を呼んだ。

「好き、大好きよ。私、今、幸せの絶頂にいる感じがするの」

 まさに、今の彼女はそんな表情をしていた。恐らく、僕も同じような表情をしているだろう。今は二人とも、幸せなのだ。

 もしかしたら、世界中で誰よりも幸せかもしれない。もしかしたら、世界中で誰よりも恋人を愛しているかもしれない。そんな錯覚にとらわれる。

「僕も、君が好きだ。君抜きでは、生きていけないほど」

 僕がそう言うと、彼女は何も言わず微笑んだ。僕の大好きな笑顔だ。この笑顔が僕だけの、僕に向けられた笑顔なのだと思うと、僕も微笑まずにはいられない。

 こうして愛し合う恋人達は幸福を感じるのだろうなぁと、ぼんやりと思った。

「本当に私抜きでは生きていけないのかな」

「……どういうこと?」

 彼女は、少し寂しそうに言った。

「だって、人間って結局、生きることに貪欲なんだもの。きっと私が死んでしまっても、あなたは生きているんだわ。酷い時には、数年経ったら私という存在を忘れるかもしれない」

「酷いのは君のほうじゃないか」

 僕は少し、咎めるように言った。

 どうしてそんなことを言うのか、理解できなかった。

「それじゃ、君は僕が死んでも生きていけるのか」

 由美は、弱弱しく首を振った。

「自信ない」

「そうだろう」

 少し、辺りの気温が下がったような気がする。僕は無意識に自分の体を抱きしめた。

 その仕草が本当に寒かったからかどうかは、わからなかったけれど。

「とにかく、僕は絶対に君を忘れることもないし、君以外の人を愛することはないよ。そもそも、君が死ぬっていう前提で考えること自体間違ってる。由美は、僕が命をかけて守るよ」

 僕が今の本心を告げると、由美は小さく笑った。

「……そうね。本当は、私が言ったことを、あなたに否定してもらいたかっただけなのかも知れないわ」

 もうすぐ夕日が沈む。そろそろ帰ろうかと思ったとき、彼女が僕に寄り添ってきた。

 そうして僕らは、もう一度深くキスをした。





 そうして僕と由美は、頻繁にデートを重ねるようになった。

 しかし、デートと言えども、少しカフェで会話した後、公園へ行くだけのものだ。

 彼女は今時の女の子にしては珍しく、自分を誇張するようなメイクやアクセサリーを一切付けなかった。いつもそのままの由美の笑顔で笑い、悲しみ、喜ぶ。

 公園は、彼女と僕の、言わば、秘密基地のようなものだった。

 あまり人気がないのか、いつでもそこは空いていた。その光景は、僕たちのためにその公園を空けているようで、何だか清々しかった。

 そこで毎回、決まって僕たちはキスをするのだ。

 そして、僕が由美を家まで送っていく。それでデートは終了。

 今の女の子は、それだけでは満足しないだろう。しかし、彼女は僕に、そのデートの他に何も求めてはこなかった。それでも、いつも彼女は幸せそうだった。そんな彼女を見て、僕も胸がいっぱいになった。

「ね、真吾君。もうすぐでクリスマスねっ!」

 今年の初雪は、去年より少しばかり遅く、十二月の初旬だった。しかし、実は僕らにとってはそれでもよかった。ずっと公園にいられるからだ。しかし、雪が降って本格的に冬に近づくと、寒すぎてとてもじゃないがずっとは公園にいられないだろう。

 そう危惧していたにも関わらず。初雪の日、無邪気に由美ははしゃいでいた。

『真吾君っ! 雪だよ、雪っ! 真っ暗の夜空に、浮かぶように降ってるの! ね、素敵じゃない? 不思議な感じとか、しない?』

 僕は別段何も感じなかった。初雪は今年で十五回目――別に、一歳のときから初雪を見、記憶しているわけではないが――だし、特に思い入れもなかったからだ。だからそれだけではしゃぐ彼女の方が僕には不思議だった。

『……寒いな』

 僕がボソッと呟くと、由美は、むぅっと頬を膨らませた。

『もうっ。男の子が乙女心を一つもわかってくれないっていうの、本当だったのね』

 確かに。彼女の言う通り、乙女心はよくわからなかった。とにかく、綺麗で素敵な物が好きで、涙もろくて、そして何よりも愛を知っている。そんなことしかわからない。

 僕はあからさまに「わからない」という表情をしていたのか、由美は不満げな顔をしてから、すごく穏やかな表情をした。

『雪は……好きよ。何色にでも、染まるから。まるで、生まれたばかりの子供みたいに……』


 残念ながら、その意味を僕は理解できなかった。

 きっとそう言うと、由美は悲しそうに笑って「そう」と言ってしまうだろう。だから僕は何も言わなかった。というか、そんな彼女の顔を見たくなくて、言えなかったのだ。

「――クリスマス、か……」

 僕がぼんやりと言うと、由美は少し浮かれたような声で僕の腕を取ってきた。

「クリスマス、一緒に過ごそうね!」

「そうだね。絶対一緒に過ごそう。二人だけのクリスマスパーティーだ」

 僕も彼女につられて浮かれたように喋ると、由美は極上の笑顔を僕に投げかけた。

 その笑顔を見ると、ついつい「クリスマスプレゼントにはまだ早いんじゃないか?」と思ってしまう。もちろん、それが本当にクリスマスプレゼントな訳はないし、自分の勝手な妄想であることはわかっている。しかし、そう思ってしまうほどに、彼女の笑顔は僕にとって宝石のように愛しいものだった。

「どこで過ごそうか?」

「私ね……真吾君の家に行きたい」

 由美は、目を細めて言った。

 何度か、デートで僕の家に上がってもらったことはあった。しかし、本当にちょっとの時間で、だ。その後すぐに店に行ったりするものだから、あまりゆっくり僕の家で話をしたことはない。

「真吾君の家、すごく安心するんだ……。何か、ここでいつも信吾君が寝て、起きて、食事をしてるんだなー、って思うと、すごく安心して……」

 ――その瞬間、僕は決めた。

「じゃ、夜は僕の家でパーティーしよう」

 彼女は、その決断の早さと、意志の強さに少々驚きながらも。

「……いいよ」

 承諾してくれた。

「とびっきりの、素敵な日にしようね!」

 ――女の子は綺麗で素敵なものが大好きだというのが。

 僕にも少し、分かったような気がした。





 クリスマス当日。

 僕と彼女は手を繋ぎながら積もった雪に二人で足跡をつけながら歩いていた。

 傍では派手な装飾の施された店や、店頭にクリスマスツリーが飾られている店が何件も並んでいた。――これから僕の家に行くのだ。

「私ね、雪を踏む音、好きなんだぁ。キシリ、キシリって。この音、大好きなの」

「どうして?」

「わかんない。好きには、必ずしも理由があるわけじゃないし」

 僕はその場でぎゅっと自分の体重を雪にかけた。すると、『キシリ』という音がする。しかし、別に何も思いはしなかった。それはある意味、雪が好きな彼女を理解できないことと同じものだろうと思った。

「ちょっと硬いところはね、ザク、ザク、って音がして。この音も好き」

 僕は由美がどうして音だけで喜べるのかもわからず、まだまだ自分は由美のことをちょっとも知らないのだ、と思い知らされた。

 しかし。これから知っていけばいい。

 じっくり、時間をかけて。そうして、もっともっと愛を深めていけばいい。



 暗くなり始めた空を見上げながら、そう思った刹那。


 ――短い、悲鳴が聞こえた。


 僕は反射的に、声のした方に目を向けた。



「由美!」




 僕の瞳の先には、由美がいた。

 道路の真ん中で、転んでいる。きっと氷で滑ったのだろう。今ならまだ間に合う。あそこに行って、由美を庇ってやることが出来る。







 僕はその瞬間。



 残酷なことを思った。







 その僅かな時間、僕は無音になった。

 何も聞こえない。何も届かない。大きな音を立てて通る車も。鋭い急ブレーキの音も。愛しい人の――悲鳴さえも。

 しかし、その瞬間が過ぎ去った途端、僕の「音」は戻った。


 人々のざわめき。悲鳴。青ざめた表情さえも、音となって僕の元に届いてくるようだった。

 少し歩を進め、人ごみでよく見えない道路を見た。道路の中心で、転んでいる由美を見た。



『雪は……好きよ。何色にでも、染まるから。まるで、生まれたばかりの子供みたいに……』



 そう、由美の言うとおり、雪は何色にでも染まる。

 今は、彼女の紅の血で、鮮やかに染まっていた。








 責められても仕方がないと思った。

 しかし、僕を責める人は誰もいなかった。

 由美は交通事故で死んだ。僕は由美の恋人、悲劇の彼氏。そういうことになっている。僕は激しく自己嫌悪を感じた。

 僕はあの時、恋人としてやってはいけないことをしたのだ。


 すなわち――誰よりも愛しい人の命と、自分の命を秤にかけてしまった、ということ。


 あの時自分が由美を庇っていれば、由美は助かっただろう。しかし、彼女を庇った僕は助からない。そのことを考えて、最終的にどちらの命が大切か考え――

 そして、結局は僕自身の命を優先したのだ。

「うあぁぁぁ…………ゴメン、ゴメン、由美……」

 だから僕は嘆く。

 しかし、みんなはそんな僕を見て「真吾君のせいじゃないわよ」と言う。しかし、その言葉は僕にとっては苦痛でしかなかった。

「ゴメン、ゴメンッ……!」

 何度も、何度も吐いた。

 涙と、気持ちと一緒に、胃の中の物も、全部吐露した。

 何度も、何度もあの映像が甦る。


 真っ赤に染まった雪。

 その血は――愛する者の血で。

 その鮮血は、僕に見せ付けるように鮮やかに――煌めいていて。


「うっ……くぅっ……」

 思い出す度、吐いた。

 そして、夢を見た。



『許さないから……真吾君』

 夢の中で彼女は、僕を責め続ける。

『命をかけて守るって、言ってくれたの――嬉しかった。でも……』

 始終、僕を責め続ける。

『でも……信吾君は私を見殺しにした。まだ間に合うと知っていて――それでも助けなかった!』

 由美は、涙を流していた。信じていた者に裏切られたのだ、当然だろう。

『そんなのってないよ、真吾君――愛してた。誰よりも、誰よりも愛していたのに。好きで、好きで、好きすぎてどうにかなっちゃいそうなくらい、あなたに溺れていたのに……』

 僕は謝ろうとするが、なんと言っていいかわからない。残酷な嘘をつき、自身の命と彼女の命を天秤で吊るすという残酷なことをしてしまった今。何を言っても、言い訳に聞こえてしまいそうだった。

『真吾君。真吾君、私は……』

 彼女は、怒りを顔から消し、代わりに、深い哀しみを露にした。

『あなたを、裁きたくない――あなたを、苦しめたくない』

 けれど――それでも私は、あなたに……



 そうして、夢は終わる。


 その夢は正月まで続き、一月一日になったら急にピタリと止むのだ。

 しかし、次の年のクリスマスから正月に向けてもう一度、全く同じ夢を見る。

 それは三年経った今でも健在だった。


「許してくれ、由美……」

 しかし、その答えは、いつも夢の中で「NO」と告げる。

「もう、やめてくれ……」

 ベッドの上で、上半身だけを起こしながら。僕は嘆く。

 その時。ガタン、と派手な音がして、寝室のドアが開いた。

「……姉さん……」

 僕の姉、東京から正月のため帰ってきた美空は。腰に手を当てて踏ん反りながら、何かに憤慨するように僕に冷たい視線を向けた。何か、といっても、憤慨している相手は十中八九僕だろう。

「何が『許してくれ』よ。何が『やめてくれ』よっ。彼女一人守れなかったあんたが、何言ってるのよ! 女の子にとって、これほど嘆かわしいことはないのよ」

 そう言いながら、美空は僕に近づいてきた。

「クリスマス、何よりも楽しみにしていた日に、由美ちゃんは……その悲しい気持ちを、『許してくれ、やめてくれ』ですって? そんなので許されると思ってるの?」

 そうだった。ずっとそうだった。

 美空はずっと、僕を責めていた。誰もが僕に同情している時、本気で僕を蔑み、罵っていた。それで僕は少し、救われたような気持ちになったのを今でも覚えている。

「……命をかけても守りたい、って。あんた、言ってたの忘れないわよ」

 三年前は、美空はこの家にいた。そして、僕が由美と付き合っていたことも、由美を本気で愛していることも――命をかけて守りたい、と言っていたことも知っていた。

「嘘つきだよ、あんた。……最低で、最悪な嘘つきだよっ!!」

 僕はその叫び声に、弱弱しく答えた。

「彼女は――嘘つきな僕を、殺すつもりなのだろうか?」

 その刹那。

 やけにはっきりと。

 美空の、僕の頬を思い切り引っ叩く音が耳に残った。

 ――美空は震える手をもう一方の手で胸の前で押さえながら、荒い呼吸を繰り返し、怒りに震えた瞳で僕を睨みつけた。……痛いほどに。

「……そうね。死んでしまえばいいわ、あんたなんか。彼女がどんな思いをしてあんたの夢に出ているのか、考えたことのない人ですもんね。あんたはいっつも自分が助かることしか考えてないわ! もしも、本当に悪いと思っていて、彼女に謝りたいと思って、罪を償いたいと思う気持ちがまだあるのなら、態度に表して見せなさいよ!!」

 美空はそれだけ言ってしまうと、来た時と同じように、乱暴にドアを閉めた。

 僕はゆっくりと、美空の言葉を反芻してみた。


 罪を償うとは、どうすればいいのだろう?

 ずっと考えていた。

 そして、美空の言った「彼女がどんな気持ちで夢に出ているのか」ということ。

 じっと座って、考えてみた。

 そして、僕は――「自分が助かることしか考えない」ことを、そろそろやめることにした。






「あら、めずらしいわね、真吾君」

 そう言って目を丸くしたのは、由美の母親だ。

「クリスマス近くの日は一番ここに来たくない時だと思ってたけど……」

「あ……はい。でも今年は、けじめを付けに来たんです」

 僕が小さい声でそう言うと、由美の母親はにっこりと笑みを作り、「そう。頑張ってね」と言ってくれた。僕の『けじめをつける』というのがどういうのものなのか、僅かだが察しがついたのだろう。

「……はい。ありがとうございます」

 そう言うと、由美の母親はどこかへ歩いていった。

 僕は目の前の――由美の墓石の前に立つと、花を添え、線香に火をつける。それからゆっくり目を瞑り、手を合わせる。少し寒かったが、そんなの気にならなかった。


 由美。いまなら、分かる気がする。

 君が雪を好きだと、生まれたばかりの赤ん坊みたいだと言った、そのわけが。

 今なら、わかるよ。


「君は……忘れられるのが怖かったのか?」

 僕は小さく呟いた。

 寂しそうに揺れる線香を見つめて、ふと思ったのだ。



『あなたを、裁きたくない――あなたを、苦しめたくない』

 けれど――それでも私は、あなたに……


 忘れて欲しくないから。



 僕は嘘をついた。必ず守るという嘘を言った。だから、もしかしたら彼女は、絶対に忘れないという言葉も嘘だと思ったかも知れない。だから。

 こうして、僕の夢に現れて。

 『恐怖』として僕の中にずっと居続けたかったのかも知れない。『恐怖』でも、それでも僕の記憶に残るのならそれで……と。

 それが彼女の、僕に対する『戒め』なのだ。

「由美……」

 墓標に向かって、努めてゆっくり、喋った。

「由美、僕は君を忘れないよ。絶対、絶対忘れないよ」

 それは罪滅ぼしではなく。

 本気で、本気で――

「君を愛しているから……」

 今なら思える。君を愛していると。

 三年前のクリスマス。僕はあまりにも子供だった。そうして、取り返しのつかないことをしてしまったのだ。でも、今ならもう、大切な物がわかるから。

「ごめんな、由美。もう由美以外、僕は誰も愛せないから――」

 誰よりも、君を愛している、と。

 呟いた時、ふと気付くと、雪が降っていた。

 墓石には薄く雪が積もっていて。そんな光景を見ると、僕は何故か泣きたくなった。

「好きだ、好きだよ、由美――」

 その雪が、由美が笑っていることのように思えて仕方がなかったからだ。

初めて純愛書いてみました。一応「純文学」目指したのですが、何だかちょっと違った感じに(汗

しかも結局悲恋ιι

私は受験も恋も、まだ体験したことがありません。(あと二年先……)それでも、魂をいっぱい込めて作った作品です。楽しんでいただけたなら嬉しい限りです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 悲しいまでに純粋な二人がとても印象深い話でした。最初、受験から逃避するために主人公が由美と付き合っているのではと思ったが、少なくともそうではないと思うようになった。人物は良く描けていたが、ス…
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