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知育玩具

作者: 彩音りあ
掲載日:2026/07/02

 これは、去年の夏に私が体験した出来事である。


 私は専業主婦で、小学一年生と保育園年中の息子がいる。


 家計にはあまり余裕がなく、子供たちにおもちゃを買ってあげられることは多くなかった。


 ある日、親戚の子供が病気で亡くなった。


 遺品整理をしている最中、その子が大切にしていたおもちゃを捨てるのは忍びないので、いくつか引き取ってもらえないかと連絡があった。


 ありがたく譲り受けることにし、息子を連れて親戚の家を訪ねた。


 子供が気に入ったおもちゃをいくつか持ち帰ったのだが、その中に、今回の出来事の原因となるおもちゃがあった。


 それからしばらくは何事もなく時間が過ぎ、季節は夏を迎えた。


 例年を上回る猛暑が続き、寝苦しい夜が続いていた。


 まさか、その暑さとは正反対の、背筋が凍るような体験をすることになるとは、この時は思ってもいなかった。


 その夜も、いつものように扇風機の生ぬるい風を受けながら眠っていると、隣の部屋から、ある音が聞こえてきた。


「あ」


 ひらがな一文字が読み上げられ、そのあとに軽快なリズムが流れる。


 親戚から譲り受けた知育玩具だった。


 ひらがなのボタンを押すと、女性の声で文字を読み上げ、画面には書き順どおりに文字が表示される。


 ひらがなだけでなく、濁音や半濁音まで学べる、小さな子供向けのおもちゃである。


 その音が、誰も触っていないはずなのに聞こえてきた。


 何の音だろう、と半ば苛立ちながら起き上がり、隣の部屋へ向かった。


 すると、おもちゃの電源が入っていた。


 たくさんのおもちゃの下敷きになっていたので、何らかの拍子にスイッチが押されたのだろうと思った。


 電源を切り、そのまま寝室へ戻って再び眠りについた。


 翌日の夜も、同じように隣の部屋から音がした。


「そ」


 また一文字だけ読み上げられ、あの軽快なリズムが流れる。


 またか、と思いながら隣の部屋へ行くと、やはりおもちゃの電源が入っていた。


 しかし今度は、他のおもちゃの下敷きにはなっていなかった。


 勝手に電源が入るとは考えにくかったが、電子機器の故障で誤作動を起こすことくらいはあるだろう。


 そう自分に言い聞かせ、おもちゃの電池を抜いてから寝室へ戻った。


 ところが、その翌日の夜も音は鳴った。


「ん」


 また一文字だけ読み上げられ、同じリズムが流れる。


 苛立ちながら隣の部屋へ行くと、またおもちゃの電源が入っていた。


 確認すると、抜いたはずの電池まで入っている。


 子供が遊ぶために戻したのだろうと思い、電源を切って寝室へ戻った。


 翌日、子供たちにあのおもちゃで遊んだか尋ねたが、遊んでいないという。


 電池を入れたかと聞いても、「入れていない」と答えた。


 子供のことだから忘れているだけだろう。


 その時は、本気でそう思っていた。


 その日の夜は、寝る前にもう一度電池を取り外した。


 これなら、さすがに鳴ることはないだろう。


 そう思って床についた。


 しかし、深夜を過ぎた頃だった。


「で」


 また一文字だけ読み上げられ、軽快なリズムが流れる。


 おかしい。


 電池は外したはずだ。


 動くはずがない。


 私は飛び起きて隣の部屋へ向かった。


 おもちゃは、確かに動いていた。


 裏返して確認すると、電池は入っていない。


 その瞬間、背筋が凍った。


 電池が入っていないのに、どうして動いているのだろう。


 そこで、ふと気付いた。


 最初の夜は「あ」。


 次の日は「そ」。


 その次は「ん」。


 そして今日は「で」。


 頭の中で四文字を並べた瞬間、全身から血の気が引いた。


「あそんで」


 私は悲鳴を上げ、その拍子におもちゃを床へ落としてしまった。


 落下の衝撃で電源は切れた。


 プラスチックの外装は割れ、中の基板が露出していた。


 私の悲鳴と落下音で目を覚ました夫が、慌てて寝室から駆けつけてきた。


 私はひどく取り乱していて、何が起きたのかをうまく説明することができなかった。


 夫になだめられ、しばらくしてようやく落ち着きを取り戻す。


 電池が入っていないのにおもちゃが動いたことを説明したが、「寝ぼけて夢でも見たんじゃないか」と本気にはしてもらえなかった。


 子供には申し訳ないと思ったが、このおもちゃだけは処分しようと決めた。


 そう考えると少し気持ちが楽になり、その夜は眠ることができた。


 翌日、子供がおもちゃで遊ぼうとして、「壊れて動かない」と言いに来た。


 昨夜落とした衝撃で壊れてしまったのだろう。


 私にとっては、その方が都合が良かった。


 新しいおもちゃを買うことを約束し、事情を説明して処分することにした。


 おもちゃはプラスチックごみとして捨てた。


 これでもう夜中にあの音で起こされることはない。


 そう思うと、ようやく安心することができた。


 その夜は何事もなく眠れた。


 次の日も、その次の日も。


 久しぶりにぐっすり眠ることができ、おもちゃのことも少しずつ忘れ始めていた。


 ところが、その翌日だった。


 ちょうどお盆に入った日だった。


 その日、子供が学校で「お盆は亡くなった人が家に帰ってくる日なんだよ」と教わったと話してくれた。


 亡くなった祖父母が迷わず帰って来られるようにと、子供と一緒に胡瓜と茄子で精霊馬を作って飾った。


 その夜を境に、また異変が始まった。


 真夜中だった。


 聞きたくもない、あの音が聞こえた。


「さ」


 一文字だけ読み上げられ、続いてあの軽快なリズムが流れる。


 そんなはずがない。


 あのおもちゃは捨てた。


 飛び起きて隣の部屋へ向かったが、そこには何もなかった。


 疲れているだけだ。


 何日もあの音を聞いていたせいで、幻聴が聞こえたのだろう。


 そう自分に言い聞かせて、その日は無理やり眠った。


 翌日も部屋中を探したが、おもちゃは見つからなかった。


 やはり幻聴だったのだと思うしかなかった。


 その夜は、音楽を流しながら眠ることにした。


 イヤホンから流れる曲を聞いているうちに眠気がやってくる。


 ところが突然、音楽が途切れた。


「と」


 あの音だった。


 慌ててイヤホンを外す。


 確かにイヤホンから聞こえた。


 もう一度差し直してみても、普通に音楽が流れるだけだった。


 巻き戻しても、別の曲に変えても、二度とあの音は鳴らない。


 結局その夜は一睡もできなかった。


 翌日、家には私一人しかいなかった。


 夫は飲み会、子供は友達の家へ泊まりに行っていた。


 寝不足だったこともあり、珍しくクーラーをつけて横になった。


 テレビを見ているうちに眠ってしまったらしい。


 目が覚めると真夜中だった。


 電気をつけようと立ち上がった、その時だった。


「し」


 また、あのおもちゃの音だった。


 そこでようやく気付いた。


「さ」


「と」


「し」


 亡くなった親戚の子供の名前だった。


 どうして。


 捨てたはずなのに。


 部屋中を見回しても、おもちゃはない。


「さ」


 必死になって探す。


 どこにもない。


「と」


 音が大きくなった気がした。


 いや、違う。


 近づいてきている。


「し」


 そう気付いた瞬間、背筋が冷たくなった。


「さ」


 もう、すぐ近くだった。


「と」


 息が苦しい。


 鼓動だけが耳の中で鳴っている。


「し」


 恐る恐る振り返る。


 さっきまで何度探しても何もなかった場所。


 そこに、捨てたはずのおもちゃが置かれていた。


 割れた外装。


 露出した基板。


 消えかけた、うちの子の名前。


 間違いなく、あのおもちゃだった。


 どうしてここにあるのか。


 考えようとしても頭が回らない。


 電源を切ろうとしても切れない。


 私は夢中でおもちゃを掴み、何度も床へ叩きつけた。


 そのたびに音は歪み、低くなっていく。


 やがて、もう人の声とは思えない音になった。


「あ」


「あ」


「あ」


「あ」


 ただ一文字だけを、壊れたように繰り返していた。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 そこから先の記憶はない。


 早朝、夫が帰宅すると、部屋で気を失っている私を見つけ、救急車を呼んだ。


 意識を取り戻した時、目に映ったのは病院の天井だった。


 医師の診断は、熱中症による意識混濁。


 だが、その日のうちに退院して自宅へ戻ると、部屋には私が叩きつけて壊した、あのおもちゃがそのまま残っていた。


 あれは夢ではなかった。


 後日、おもちゃは神社へ持って行った。


 それ以来、おもちゃが鳴ることは二度となかった。


 これが、去年の夏に私が体験した出来事である。


 もし、夜中に知育玩具がひとりでに鳴り始めたら。


 その時は、読み上げられた文字を忘れないでください。

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