第25話「原作に、いない」
それは。
建国祭まで、あと、ひと月——という、ある日の、ことだった。
王立学園に。
ひとりの、留学生が、やって、きた。
海を越えた、遠い国の——第一王女。
その姿が、講堂に、現れた、瞬間。
ざわめきは——ぴたりと、止んだ。
燃えるような、紅い、髪。
贅を尽くした髪飾りで、結い上げ。切れ長の、紅い瞳に、紅い唇。抜けるように、白い肌。
身に纏うは——深紅の、ドレス。
圧倒的な、存在感の、美貌。
そして、その瞳に、宿るのは——獲物を、見定めるような。酷薄な、光。
「——ごきげんよう」
優雅に。
けれど、その目は——少しも、笑って、いない。
「わたくし、イザベラ。……以後、お見知りおきを?」
しん、と、静まり返る、講堂。
誰もが、息を、呑んだ。
(……な、なんだ。あの、王女)
(絵に描いたような……悪役令嬢、オーラ……!)
◇
そして——。
アルフォンスの、頭の中で。
ひかりが、ぴしり、と——固まって、いた。
『…………あれ?』
『……ねえ、武士さん。ちょっと、待って』
『あの子。……こんなキャラ、原作に……いた、っけ?』
ひかりの声が、みるみる——うろたえて、いく。
『……いない。いないよ。聖女ルートにも、悪役令嬢ルートにも。どの攻略対象ルートにも——こんな、真っ赤な王女、出て、こない……!』
『え、なに。原作に、いない、キャラ……? そんなの——わたしの、原作知識。まるっきり、通用、しないじゃん……!』
ひかりは、頭を、抱えて、混乱した。
『どこから、湧いたの、あの子……。っていうか……あれ? なんか……どこかで、見たような、気も……』
『……いや。気のせい。気のせい、だよね。うん』
(原作とやらに、おらぬ者、か。——ふむ。それは、また、面白い)
アルフォンスは、むしろ。
どこか、興味深げに——その紅い王女を、見やった。
◇
イザベラの、紅い瞳が。
つ、と——講堂を、舐めるように、見渡す。
その、慇懃無礼な、佇まいに。
ことに——ロザリンドを、知る生徒たちは。気が気で、なかった。
(ヴァレンシュタイン嬢に、続いて……また、濃いのが……!)
(あの二人、ぶつかったら……いったい、どうなるの……!?)
——と。
イザベラの、視線が。
ふと、アルフォンスで、止まった。
呪い児と、蔑まれた、白銀の王子。
なのに——その瞳には。怯えも、媚びも、ない。ただ、まっすぐに。彼女を、ひとりの人として、見返してくる。
(……あら)
イザベラは。
ほんの少し、目を、細めた。慇懃な微笑みを、湛えて——口を、開く。
「……あなたが。噂の、呪い児の、王子様? ……ふふ。ずいぶんと、肝の据わった目を、なさるのね」
「いかにも。それがしが、アルフォンス。——遠路はるばる、ようこそ、おいでなされた。イザベラ殿」
慇懃無礼な、含みも。
どこ吹く風と——ただ、まっすぐに。礼を、返す、アルフォンス。
その、あまりの、手応えのなさに。
イザベラの、優雅な仮面が——ほんの一瞬。きょとん、と、揺らいだ。
(……何、この人。……調子が、狂うわ)
『あ。武士さんの、まっすぐビーム。悪役令嬢オーラに、ノーダメージで、突き刺さってる……』
◇
その、時だった。
イザベラの、紅い瞳が。
ふいに——ある一点で。止まった。
視線の、先に、いたのは。
人の輪から、少し、外れて。ひとり、うつむき気味に、佇む——アンジェ。
イザベラの、瞳から。
すっと——あの、酷薄な光が、消えた。
代わりに、宿ったのは。
何か、ひどく——静かで。深い、色だった。
(……ああ)
(あの娘の、あの目)
イザベラは。
誰にも、聞こえぬほど、小さく——呟いた。
「……知っているわ。あの、目」
「闇に、片足を——踏み入れて、しまった者の。……目」
かつて。
誰よりも、深く、その淵を——覗き込んだ、ことの、ある彼女には。
ただ、ひと目で。
——分かって、しまったのだ。
◇
紅い王女、イザベラ。
原作の筋書きには——どこにも、いない。
ひかりの、原作レーダーにも、映らない。
予測の、つかない、闖入者。
その彼女が。
今、静かに——ひとりの、傷ついた少女に。
じっと、眼差しを、注いで、いた。
『……ねえ、武士さん。原作に、いないキャラが。アンジェに、近づいてく……。これ、吉と出るの? 凶と出るの……?』
「——案ずるな」
アルフォンスは、静かに、言った。
「あの王女の、眼の奥には。昏い淵を、知った者だけが、宿す——凪のような、静けさが、ある。……敵では、あるまい」
物語の、台本には、ない。
紅い、不確定要素が——。
アンジェの、運命に。
そっと、関わり始めた——瞬間だった。




