【精霊国物語番外編】約束の首飾り
編み上がった網を見て、カッテは思わず息を漏らした。
物心ついた頃から、船に乗ることを夢見て、腕を磨き続けていた編網技術。
エランいちの船長であり、父であるエルベルから幾度も指導を受けてきた。
エランの船乗りは、編網が出来るようになってやっと、船員として船に乗ることを許される。
それまでは、船に乗ることはあっても、櫂を握ることも潮を見ることも、船を操ることに関わるのは許されない。
船を動かすには、網や縄を扱う必要がある。
それは、初歩中の初歩の技術だった。
勿論、エランの民は大海原を行くだけが全てではない。
船に乗らずとも、浜で網を使い、魚を獲る者も居る。
エランに住まう者にとって、欠かせない技術のひとつ、編網。
指導を受ける内、自身の編む網の問題点に気が付いたカッテは、無闇に出来を尋ねるのではなく、ただその腕に磨きを掛けてきた。
その目で見て、最高の出来だと思える網が編み上がった。
「これで……」
期待で膨らむ胸を抑え、カッテは海の先を見つめた。
エルベル──父は今、炉の国へと船を走らせている。
帰って来るのは、まだ少し先になるだろう。
──早く見て貰いたいけど、こればっかりは仕方ないね。
カッテは自室へと小箱を取りに帰り、再び編み場へと戻った。
役目を終えた網の小さな端を取り、丁寧にほぐしていく。
そうしてから、小箱に収められた小石や珊瑚、精霊石の欠片に鉄鉱石などを作業台に置き、頭の中で父の顔を思い浮かべた。
強い印象を与えるのは、やはりカッテが受け継いだ海色の瞳だろうか。
エランの民は、多くの者が海色の瞳を持っている。しかし、それは一口に〝海色〟といっても様々だった。
海には多くの色がある。
流れる色、陽を照り返す色、深く広がる色、朝や昼や夜だって様々だ。
カッテが受け継いだのは、昼間の空と溶け合うような海の色だった。
「やっぱり……これかな」
精霊石を取り上げ、陽の光に照らして見る。
瞳と同じような色を持った石が、煌めく。
心を込めてほぐした網をもう一度編み込み、途中で海色の精霊石を絡め編む。そうして、カッテ自身が惹かれる鉄鉱石の欠片を両脇に飾り、編む指に力を込めた。
網を編むのと同時に、カッテは組み紐作りにも熱中していた。
炉の国との取引をするのに、エランでは組み紐や橘が主だった品となっている。
橘を使った料理を作ったり、収穫をするよりも、カッテにとっては組み紐作りの方が魅力的に映った。
それは、編網に通じる所があるという理由もない訳ではないが、どうにも心惹かれるものがあるのも、当然あった。
炉の国からの帰りの船には取引をした品物が乗っている。中でも、炉の国で作られる鉄鉱石を組み込んだ装飾品がカッテの心を掴んで離さなかった。
普段は取引の為にせっせと編んでいるが、今完成したそれは、初めて誰かの為に編み上げたものだ。
幼い頃、父とこうした装飾品が好きなのだ、という話になった時に「いつかアタシがつくってやるよ」と宣言した首飾り。
父の瞳の色と、カッテの感性にあう意匠。
自分の確かな目で見ても熟達した編網技術。
網と一緒にこの首飾りを見せたら、父はきっと喜ぶだろう。
思わず頬を緩めると、後ろから声が掛かった。
「おい、カッテ。もう日も暮れたぞ。夕餉に帰ってこい」
振り返れば、兄のセレノルが立っていた。
魚の入った小さな網を持ち、嬉しそうに掲げて見せる。
「あぁ、判ったよ」
小箱に石やら何やらを仕舞い、網を手に兄の許へ走る。セレノルは好奇心を覗かせ、網を見やった。
「出来たのか?」
「あぁ……アタシの目では、完璧な網だね」
「ふぅん……」
セレノルは魚の入った網を足元に置くと、手を差し出し、カッテの網を掲げ持った。広げて見たり、網目を見たりしてから、カッテの手に戻す。
「いいんじゃないか。なかなか出来がいい。これならどんな魚でも捕まえられそうだ」
その言葉に、カッテは嬉しさに緩みそうになった唇を噛んで抑えた。
セレノルは歩き出し、はぁと溜め息を吐く。
「これでお前も船乗りかぁ」
「まだ言ってんのか? 船乗りは誇りある生き様だろ」
何度も繰り返しているやり取りに、カッテが鼻に皺を寄せると、セレノルは優しい手つきでカッテの頭を撫でた。
「そりゃあ勿論。ただ、お前が船に乗るってことは、会えない時が増えるってことだろ。親父も滅多に帰ってこないんだから……また家族と会えなくなるってのに、兄さんは心を痛めているんだ。まぁ、今度お前は親父とは一緒に居られるようになるけどな」
もう一度溜め息を吐くセレノルを横目で見たカッテは、その背中を軽く叩いた。
「まぁ、でもアタシにとってこれは昔からの夢なんだ。笑って送り出してくれな」
カッテが言うと、セレノルは大げさに顔を歪めた。
「なんで俺の妹は『お兄様、アタシも寂しい!』くらい言ってくれないんだ」
「アタシはそんな女じゃねぇ。判ってるだろ?」
判ってるけど、とセレノルは俯いていた顔をおもむろに上げて、海の遠くを見つめるようにした。
陽はずっと先で世界の端に沈もうとしている。
再び歩き出したセレノルは、遠くに目を向けながら、まるで独り言のように話し出した。
「まぁ、俺もコルソンも海を行くのではなく、陸を選んだ。だから、親父を継ぐ者が兄妹の中に居て、良かったよ」
セレノルは近海での漁を生業とし、二番目の兄であるコルソンはエランの兵団に所属している。幼い頃はエルベルの後を継ぐ為に励んでいたが、いつしか二人は陸で生きることを選んでいた。
別に、それが理由で船乗りとなることを決めた訳ではない。
カッテの心は、広い海を行くことに魅せられていた。
様々な意匠を凝らした装飾品と、広がる海。
それが、カッテの生きる意味だった。
「まずは、親父に網を見せて一員に迎えられないとね。それから経験を積んで、いつか親父の船を継ぐ。船長の座と共にね」
決意を滲ませて言うと、セレノルは眩しそうに目を細め、ふっと笑った。
「そのうち、俺達より立派な体になるんだろなぁ。昔は軽々と持ち上げられたものだけど、今は俺の方が持ち上げられそうだ」
この時カッテは、上背もそこそこにあるセレノルの肩口程に届いていた。網を編む傍ら、鍛えることも欠かさず行っているから、腕や脚の太さも兄に追いつきつつあった。
全ては、船乗りとなる為だ。
「当たり前だろ。でも、こんなじゃ全然足りないね。あの立派な船を繰るんだ。それに海上じゃ全てのことを自分達でやらなきゃならない。まずは、体を鍛えること。櫂を扱うんだって、この筋肉がないとね」
そう言って腕を見せつけるようにすると、セレノルは僅かに唇を尖らせた。
セレノルの友人の許には、カッテと同じ年の妹が居た。その妹は早々に家業である橘の栽培を手伝い始め、婚約まで済ませている。
そしてセレノル自身の妻は、艶やかな美しさを持った華やかな女だった。
──でも、アタシの夢は昔っから、ただひとつ。
誰に何と言われようと、思われようと、気遣われようと、カッテの想いは決まっていた。
船に乗って、海を行く。
その為だったら、何だってする。
カッテはニッと笑って、セレノルの背を今度は力一杯に叩いた。
思わずよろけたセレノルが、魚の入った網を取り落としそうになる。
「陸で生きるって言ったって、セレノル兄さんは海に出てるだろ。海で生きる者がそんな軟弱でいいのかねぇ?」
顔を顰めたセレノルは、次の瞬間にはニヤリと笑みを浮かべ、腰を低めてカッテに突進していた。
ガンッと互いの体が激しくぶつかりあい、カッテは力を込めた。
しかし、それよりも先にカッテの体は軽々と持ち上げられた。
「いやぁ、まだまだお前もこんなものか」
「お、降ろせ、兄さん!」
カッテが暴れるのも笑い飛ばし、セレノルはカッテを抱えたまま帰宅した。
夕餉の支度をしていた母や、妻に呆れた顔を向けられたのは、言うまでもない。
真剣な瞳で網を見つめる姿に、カッテはごくりと唾を飲み込んだ。
「いいだろう」
そう言って頷いた父に、ハッと息を呑み、目を見開く。
「じゃあ……アタシも船に乗って、いいん……だよな?」
「あぁ、まずは見習いからだが」
カッテはその日、人生で一番の喜びの声を上げた。
思わず父の首に抱きつき、力一杯に抱き締める。
「有難う、親父! アタシ、もっともっと鍛えて経験を積んで、親父みたいな船乗りになるからさ!」
喜ぶカッテの背を大きな手で優しく撫でたエルベルは、そっと体を離し、言い聞かせるように指を立てた。
「私の船の一員となるならば、『親父』ではなく『船長』だ。勿論、こうして陸に居る間は今までと同じで良いが」
その言葉に、カッテは背筋を伸ばすと、腹に力を込めて言った。
「はい、船長!」
エルベルは厳めしい顔でひとつ頷くと、すぐに表情を和らげた。
「では、次の船出にはお前も共に行こう。母さんと話してこよう」
「あ、ちょっと待って!」
部屋を出て行こうとしたエルベルを、カッテは慌てて止めた。
懐から包みを取り出して、エルベルの手に押し付けるようにする。
「ずっと小さい頃にさ、話しただろ。網を上手く編めるようになったら親父の為に作ってやるってさ! ……覚えてないかもしれないけど」
聞きながら包みを開けたエルベルは、髭に埋もれた口元を緩めた。目元に皺が寄り、笑っているのだということが判る。
「覚えているとも」
そう言って包みから取り出した首飾りを、そっと首に掛けた。
「どうかな」
胸がいっぱいになったカッテは、それを呑み込むように無言で頷いてから、言った。
「うん、やっぱりアタシの感性は間違ってなかったよ。似合ってるよ、親父」
エルベルは元々あまり装飾品を身に着けていなかった。船長の威厳を表す帽子を被っているだけだ。
だから、胸元で光を受ける精霊石と鉄鉱石の欠片が、より一層煌めいて見えた。
「有難う。大切にしよう」
「うん!」
夜の海を見つめながら、幼い日を思い返していたカッテは、手にした随分とくたびれた首飾りに視線を落とし、ゆっくりと握りしめた。
あれからどれ程の時が過ぎたのか。
今では、自分が船長となった。
父の船は継げなかったけれど。
──仕方のないことさ。海を行くということは、こうしたことも覚悟しなきゃならない。
マリーエルより海底での話を聞き、カッテは父の死を完全に受け入れていた。
その最期を知られただけでも、幸いだったと思っている。
エルベルと共に海を行った者達は、全員が見つかっている訳ではない。
それでも、その家族や友人、仲間達はその事実を受け入れ、生きている。
「あぁ、船長、こんな所に居た」
聞き慣れた声が届き、カッテは首飾りを懐に仕舞った。
「なんだい、シュッド?」
振り向くと、奇妙な顔をしたシュッドが首を傾げて言った。
「抱き締めてやろうか?」
「はぁ? 何、寝惚けたこと言ってんだい? それで、アタシを探してた理由は?」
シュッドは修理中の〈謳歌号〉について話すと、判断を仰いだ。それに答えるカッテの横顔を、時折ちらりと見やる。
「そのチラチラ見るのを止めないか。アタシは親父についてはもう受け入れてる。お前達が気にかけてることも知ってる。だけど、アタシは船長なんだ。それ以上、そうやって気に掛ける素振りを見せるのは、アタシの船長としての決意を疑っているとみなすよ」
その言葉にシュッドは困ったように眉を下げ、頬を掻いた。
「勿論、疑ってなんかいませんよ。ただ、これは単純に俺が心配しているというか……抱き締めてやりたいなと思っただけで」
カッテはシュッドを睨み付けると、その胸をドンと叩いた。
「アタシはそんな女じゃない。判ってるだろ?」
「まぁね。……じゃあ、ただ単に俺が抱き締めたいって言ったら?」
そこで思い切り顔を顰めたカッテは、今度はシュッドの腕を力いっぱい叩いた。僅かに上体を揺らしたシュッドは、次の瞬間にはからかうような笑みを浮かべた。
「駄目ですかい?」
「ふざけたこと言ってるんじゃないよ。船について相談に行く。アンタも付いてきな」
そう言って、シュッドを置いて歩き出す。すぐに背後をシュッドが追ってくる気配がした。
港に泊めた、修理中の〈謳歌号〉を見やる。
──アタシの船。アタシが船長。
唇を引き結び、湧き上がる想いを胸に、歩く足に力を込める。
──アタシは、この船と仲間と一緒に国いちの……いや、この世界で一番の船長になるよ、親父。
ザァと聞き慣れた海の音が、ひときわ大きく届いた。




