第三話・上 『思惑』
1
ガビア帝国は皇帝ゼルドレイス・ガビアが治める国家である。
強き者による強き国──それこそが彼らの掲げる理念。その頂点が御座す玉座の間は、相応しき豪奢さを備えていた。
美しい白色の大理石。壁面に彫り込まれた絵画達。金で作られた精緻な装飾。そして、並び立つ九人の石像。
石像はベルタの地に降り立った初めての人間を示している。彼らの遺志を継ぐ者、それこそが玉座にある皇帝陛下である。
その皇帝の前に今、一人の将兵が謁見に現れた。玉座の間が広大である故に、跪く彼はちっぽけに見える。
しかし皇帝ゼルドレイスには、一片の緩みも存在しない。
「表をあげよ」
ゼルドレイスは跪く将兵にそう告げた。
低く唸る獣のような声。白髪白髭の威厳のある面。玉座に気だるそうにもたれかかる、二メートルに迫るほどある体躯。
彼が皇帝ゼルドレイス・ガビア。ある意味で帝国そのものである。
そのような者の前に立ったなら、野生の虎ですら怯えるだろう。だが、将兵である以上はたとえ怯えていても話さねばならない。
「陛下に、ご相談にあがりました」
「申してみよ」
「ファルファリア侵攻作戦は成功を収めました。現在、基地の完全制圧と捕虜の移送とを急がせています」
「報告書は読んでいる」
「は……ですが、いくつかの懸念もあります。まず、今回の攻撃作戦で陥落したのは前線基地のみ。更に制圧に失敗している基地もわずかながら存在します」
将兵は立ったまま報告した。
彼の胸に飾られた勲章は数々の功績を讃えている。しかし、そんなものには価値などない。全ては皇帝の意向一つだ。
「それで? 我に、何を願いたい?」
「ファルファリア方面軍がとる──行動の指針をいただければと。ファルファリアはエイデンに降伏。現在、吸収されつつあります。そのために混乱が生じており、作戦の成功に寄与しました」
「だが……継続には懸念がある。故に、我に伺いを立てに来た」
「は。先ほど申し上げたとおり、ファルファリアの基地は無数あります。他国からの攻撃もあるにせよ、短期に全て制圧できません。時間をかけ過ぎればエイデンから逆襲を受ける恐れもあります」
「戦力の集中が長引けば、他勢力も我らを狙うだろう」
「はい。特にタルボアは歴史的にガビア帝国と不仲であります。隙を見せれば何か理由をつけ、ガビアへの進行もありうるかと」
ここまでの話を纏めると──『ファルファリア攻略は順調だが、攻め過ぎれば守りが甘くなる。それを加味した上で方針を、皇帝自らに示してほしい』
ゼルドレイスはその要望を聞き、数秒間の後に指示を出す。
「よかろう。ならば侵攻作戦は慎重に、出過ぎぬよう留意せよ。またエイデン本国に対しても、同時に侵攻すると見せかける」
「欺瞞作戦ということでしょうか?」
「そうだ。エイデンがファルファリア領を併合する速度を鈍らせよ。エイデンも疑いはするだろうが、兵力は分散せざるを得まい」
その言葉に迷いなどはなかった。ゼルドレイスとはそういう男だ。
「また、タルボアには偽の情報を流し、その行動を縛り付ける。エイデンはファルファリアを併合し、戦力を増し隣国を攻めると。奴らはエイデンとも国境にて武力衝突をした過去がある。我々が会談を持ちかければ、奇襲を狙う判断はできまい」
「素晴らしい方策と思われます」
「世辞はいい。つつがなく実行せよ」
将兵は皇帝を讃えたが、どのような方策もリスクはある。
しかし、最大最悪のリスクはただ座して結果を待つことにある。
「承知いたしました。では即座に、軍議にて仔細を決定します」
「ゆけ。ガビアの威武を見せつけよ」
「は! 皇帝陛下のおんために!」
将兵は敬礼をしつつ、言った。
そして玉座の間を後にする。険しい表情を保ったままで。
一方、ゼルドレイスは将兵が見えなくなると次の策に移る。
「来い。グラド」
「は。仰せのままに」
呼ばれたのは彼の側近であり、先代からの相談役グラド。
まるで魔術師のような雰囲気のローブを着た、静かな翁である。
「バーズを使う。局長を呼べ」
その彼にゼルドレイスは命じた。
通常、皇帝の命は絶対。反論や疑問すら許されない。
しかし、グラドは相談役である。彼のみに許された仕事がある。
「よろしいのですか? バーズのような諜報機関を利用し過ぎれば……」
「いずれ我が権勢を脅かす。その危険は我も理解している」
故に、ゼルドレイスも糾弾せず、むしろグラドの意図を汲み取った。
バーズとは帝国の情報局。情報戦に特化した組織だ。機密情報の入手、暗殺、捕虜の尋問、要人の監視。彼らが担う任務は多数あり、その実態を知るものは少ない。
そういった組織を頼り過ぎれば、組織自体の権力が強まる。増大した力がいつの日か、皇帝に向けられる事もある。
「だが、バーズは必要悪である。勢力図が塗り変わる次節には、必ず裏切り者が現れる。引き締めるにも、利用するにしても……闇に身を沈めなければならん」
「は。そこまでのお考えならば」
戦争が唾棄すべき物ならば、勝利とはその深淵にこそある。ゼルドレイスは勝利のためならば、汚れることすら厭わぬ男だ。
「もう一度言う。局長を呼び出せ。ただし、バーズが増長をせぬようプレッシャーをかけることを許可する」
「承りました。尽くします」
グラドが去り、皇帝は目を閉じる。
一度雪崩が起きれば何者も、その場に止まることなどできない。皆がもがきながら押し流される。ゼルドレイスはそれを知っていた。
2
その頃──ラーズは尋問室で、一人静かに椅子に座っていた。ラーズはエイデン軍に協力し襲撃を無事撃退したはずが、翌日には尋問室にいる。現実はラーズには甘くない。
目の前の机には新聞と、機能制限されたスマートフォン。これで現実を知れと言うことだ。ラーズにはそれ以外、許されない。
ラーズが新聞のページを捲る。その度に鎖が揺れ、音が鳴る。ラーズの四肢は鎖付きの錠で金属の椅子へと繋がれていた。
鎖は一メートルほどはあり、多少動く分には問題ない。しかし椅子は地面に固定され、部屋から逃れることは不可能だ。それ故に、ラーズは黙々と、新聞の記事に目を通してゆく。
「敗戦と混乱。降伏により罪を逃れた複数の政治家。罪を問われる軍の上層部。風刺漫画。経済欄もある」
そしてラーズは呆れながら言った。
その内容に意外性はない。ファルファリア敗戦を伝えている。新聞自体も真っ当なものだ。偽造されたものかも知れないが。
とはいえ、これが偽造品としてもラーズには確かめる術などない。そして確かめる意味もない。ラーズは既に捕虜となっている。
敗戦していようが、していまいが、行き着く先はあまり変わらない。エイデン軍の胸三寸である。より正確にはその指揮官のだ。
目下、ラーズが対処すべきなのはミネルヴァ・ザグ少将一人である。
徐に金属のドアが開き、まさにその人物が現れた。
「ラーズ軍曹。体調はどうだ?」
彼女はラーズに問いかけながら、正面にある椅子に腰掛けた。
少将は以前見た時分よりも、かなりラフな服装と見て取れる。具体的にはタンプトップであり、豊満な胸部が強調される。
ラーズはミネルヴァ少将について詳しく知っているわけではないが、型破りで危険な人物だと改めて教えられたようだった。
「健康に問題はありません」
「それは何よりだ。では始めよう。君には今二つの道がある」
そのラーズが抱いたイメージは、間違いでなかったと思い知る。
ミネルヴァ少将は胸に手をやりその谷間から鍵を取り出した。
「一つの道は私の部下となり、直轄の部隊に配属される。エイデン共和国軍、バレサンド王国勢力軍陸軍にだ。都合上、少尉に任命する。随分な出世だと言えるだろう?」
そしてミネルヴァはその鍵を置くと、選択肢をラーズへと突きつける。
それはそれとして何故に谷間から鍵を取り出したのかも気に掛かる。
「この方が男は喜ぶだろう?」
怪訝な顔をしていたからだろう。ミネルヴァがその疑問へと答えた。
ラーズとしては嬉しくなどはない──と、伝えても良いことなどはない。それよりも話を進めるべきだ。今、ラーズの命がかかっている。
「なるほど。提案は理解しました。それではもう一つの選択肢は……?」
「この場で私に撃ち殺される」
ミネルヴァがポケットから取り出した、ピストルの弾が机に置かれる。こつりと冷たい音を立て。その先端はラーズに向けられる。
鉱山労働者という道すらラーズには許されていないらしい。少将に気に入られたか或いは、想像だにしない理由があるか。
「わかりました。エイデン軍に属し、少将の部下になると誓います」
なんにせよ、ラーズは選択した。生きる中でずっとそうやってきた。
たとえ間違いを犯したとしても、その結果は受け入れねばならない。
「簡単に決めたように思えるが?」
「熟考した上の決定です」
「ふむ。それなら言うべきことはない。多少つまらないとは思うがな」
ラーズが言うとミネルヴァが認めた。
そして正式なる辞令が下る。
「では……汝ラーズ・ベリリュート。これより、貴様をエイデン軍少尉と認め我が部下として迎える。エイデン共和国軍、バレサンド王国軍、陸軍、ミネルヴァ麾下──特殊作戦部隊グルルドのハウンドパイロット。それが貴様だ」
最早反論をする余地はない。
軍人として全うするだけだ。
「『最後に宣誓を』と言いたいが、貴様には文言はわかるまい。我が言葉を復唱してもらう。軍に入る呪文と思えば良い」
「了解です。少将」
「良い返事だ」
ラーズはミネルヴァ少将に続き、訳もわからぬまま誓いを立てる。
「宣誓。私ラーズ・ベリリュートは……」
「宣誓。私ラーズ・ベリリュートは……」
「エイデンの同盟を尊重し、共和国に忠誠を誓います」
「エイデンの同盟を尊重し、共和国に忠誠を誓います」
このようにして、ラーズは正式にエイデンの軍人に転身した。
ファルファリアの降伏が嘘ならば銃殺刑は免れないだろう。故に、後戻りなどできはしない。ラーズはもう覚悟を決めていた。
「よろしい。では、これを受け取るが良い」
ミネルヴァがそんなラーズに対して、置かれていた鍵を拾って投げた。
「感謝します」
ラーズはその鍵で、腕についた錠を外しにかかる。
一方、ミネルヴァは残されていたピストルの弾をポケットに入れた。
しかし仕舞い終わった瞬間に、しまったと言うような顔をする。わざとらしい、縁起くさい仕草で。
「そういえば、すっかり忘れていた。この財布は貴様のものだろう?」
そして弾をしまったポケットから、代わりにラーズの財布を取り出す。
ミネルヴァはその財布を机へと叩きつけるが如く設置した。わざわざ中にあった札の束を広げて見えるようにした上でだ。
その札はエイデンで使われる、トールという通貨に他ならない。無論、ラーズの所有物ではない。財布は昨日取られたものだが。
「初任給とアイディーも入れてある。嫌だと言っても、受け取ってもらう」
実に少将らしい物言いだ。
この短い時間ではあるのだが、ラーズも彼女が理解できてきた。飴と鞭のバランスが取れている。それと変人だが無能ではない。
軍人にとって無能な上司に付き従う以上の悲劇はない。その一点だけは恵まれている。ラーズはそう考えることにした。
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第三話の半分……と思って書きましたが、文字数多めですね。




