新たな一歩1
「オランジュもリオンも元気そうで何よりです」
「ありがとうございます、ヘザー様」
「ご無沙汰いたしてます」
なんと驚いたことに師匠のお母様は私達兄弟が居た孤児院に年に二回奉仕に来てくれていた貴族様だった。
他の貴族のご婦人達は自分の体を動かすことはなく、何を寄付したかの自慢ばかりで体裁のためなのが見え見えだったがヘザー様は違った。
孤児一人一人の名前を覚え何が欲しいかを聞き、次の訪問で約束をちゃんと果たしてくれる人で、ゴテゴテに着飾って来ることも無く、自慢することもなく、自分から率先して行動する人なのだが、院長以上に厳格な雰囲気が漂うのでどこか近寄りがたかった。
孤児院に居た頃はとにかくその厳しさが苦手ですべてを見透かされそうな目が怖くてしかたなかった。
しかし前世の記憶を取り戻してみると、その厳格さがとても信用できる人なのだと安心感を覚えさせる。
「アンドリューが孤児の後ろ盾になりたいと言い出すとは思ってもいませんでしたが、あなた達だったのですね」
「アンドリュー?」
「母上、その名前は既に捨てました。今の私はただのジャッジです」
「名をそう簡単には捨てることなどできようもありません。それに私にとってあなたはいつでも私の大事な息子アンドリューに違いありません。そんなことより最近まったく顔を見せてくれないので母は心配してたのですよ。見たところ体調に変わりはないようですが、お友達と仲良くしているのですか。そうそうそう言えば」
「……」
ヘザー様のお喋りは止まる気配を見せない。こんなに喋る人だったなんて全然まったく想像もできなかった。師匠も返事すらできずに困り顔だけど私はもっと圧倒されてるよ。
「ヘザー様」
「ぁっ、コホン。私としたことが子供の前で失礼しました」
執事に静かに窘められヘザー様のお喋りは漸く止まる。
「母上、オランジュとリオンを既にご存じのようですが改めて紹介したいので取り敢えず座りませんか」
「そうですね。私としたことが久しぶりにアンドリューに会えたのでつい興奮してしまいました」
◇
私達がヘザー様から解放されたのはそれから三時間後だった。
今まで孤児院で何度かお会いした時とはまったく雰囲気が変わり、とにかく放っておいたらいつまでも喋り続けるとても楽しい人だった。
話題がコロコロ変わるので聞いていて退屈なことは無いのが救いだが、お茶を飲み過ぎてお腹がタプタプになってしまった。
師匠が覚悟しておけと言ったのはヘザー様の話し相手になることだったらしい。
そして師匠の説明によるとヘザー様はとても記憶力が良く人間観察が好きらしく、外では殆ど必要なことしか口にしないのに屋敷に戻ると途端にお喋りになり、放っておいたら大昔の話まで持ち出し誰がいつ何をしてどう思ったかまで事細かに話すらしい。
師匠は一人っ子なのでどうしてもヘザー様の話し相手に付き合わされる事が多く、そのせいもあって現在は屋敷に戻る回数が減ってしまっている模様。
けしてヘザー様を嫌っている訳ではないようだが、やはり毎日のこととなると息子としては苦痛を感じるのだろう。
しかしリオンはなんとも聞き上手で、驚いたことにヘザー様に的確な相槌を返し、寧ろ色んな話を次々引き出し楽しんでいた。我が弟ながら驚きだった。
そしてヘザー様に甚く気に入られ、なんといつの間にかお屋敷に同居することが決まっていた。
当然私も同じように同居することになったのだが、リオンはヘザー様のお屋敷から毎日教会へ通い、私は平日は研究所の宿舎を利用し週末だけお屋敷でご厄介になることになった。
自然な流れで師匠を連れて週末は一緒に屋敷に帰る事が義務づけられた、所謂師匠のお目付役を仰せつかったような感じだった。
という訳で、これからはリオンとは週末しか会えなくなってしまい、私はすごく寂しさを感じているのにリオンは案外平気そうなのがちょっと面白くない。
それも「これからはお互い進む道も変わるんだから仕方ないよね」なんて正論まで言われると反論のしようもなく本当に腹立たしい。
急に大人っぽくなってしまったリオンが、今は何を考え何をしようとしているのかまったく分からなくなってしまって少し不安だ。
でも本当に一人暮らしにも慣れなくてはならないし、リオンの言うように自分の進む道をきちんと見詰めるのには必要なのかも知れないと納得するしかなかった。
もうこのまま会えなくなる訳ではない。週末にはまた変わらずに会えるのだし、兄弟の絆がなくなることはないのだから。
そうしてあっという間にお屋敷に私とリオンの部屋が用意され、私達は正式に師匠ではなくヘザー様の後ろ盾を得ることとなった。
「これからは私に責任が生じるのです。行動を縛ることはいたしませんが、自由には責任が生じることを肝に銘じ、けして他の人に迷惑を掛けることのないよう心して励んでください」
師匠のお父様は数年前に他界していて女主であるヘザー様が厳しい口調で念を押してくる。
「はい、これからどうぞよろしくお願いいたします」
「お言葉肝に銘じます」
前世の記憶を取り戻してから色々あったが、私は何故かなんとなくここからまた新たな一歩が始まる気がしていた。




