なろうは公平か?
この話、なろうの問題というより賞の問題だととらえました。
賞は公平であるべきだ。全くもってその通りですが、大金が関わっている以上公平であるはずがありません。有名どころでは五輪コンペからやらせが騒がれましたね。出版業界では芥川賞ですらおかしくなっていましたので、本屋大賞が出来た経緯もあります。これはなろうに限った事ではありません。
さて、某賞の講評を講評してみると、見えてくるものがあります。
・受賞作は明快で分かりやすい描写やテンポを重視しており、コミカライズしやすい作品を集中させて受賞させている。
・講評が販促文なのは、その作家を育てようとするよりも売り込もうという姿勢の方が強い
・そもそも大量に応募してくる作品をまじめに読んでくれるわけがないだろ!
ということで、この点から、ある程度の足切り点があり実際には読まれていない、また特定の賞は出来レースで作家を売り込むための賞ではないかと推測される部分もあります(講評=販促文はそのためですね)。この辺りは軽いミステリを読んでいる感覚で、鋭い作家さんや読者さんたちにはうすうす感じてる部分も大きいのではないでしょうか。だから、揉める。
しかし、個人的には問題はそこじゃないと思います。出来レースでもいいし、人手不足や時間不足で読まずに足切りしてもいい。彼らも商売だしね。でもさ。
だったら、出版社も責任をもって面白い本を出せ!
これですよ。例えそれが表面上だけの賞だとしても、選考して作品を振いにかけた体を作るのならば、受賞作は少なくとも一部の誰かには刺さる「傑作」であるべきだと思うのです。公平でなくてもよい、しかし公平感を失ってはならぬ。もし、金をかけた駄作を繰り返し生産するようでは賞の価値も出版社の価値も下がりますよ。
さて、現在の「なろう小説」世間一般からはどう思われているのでしょうか。その評価を作ってるのは出版社です。




