ふてくされても、本題へ
――何か、もう、何だろう……。
《風》神は憔悴しきったように顔に手を当てて肩を落とし、そのままふてくされるように寝転がってしまう。
――白の皇帝の、空を飛んでみたい、という強い気持ちの発端はわかった。
同時に、
――白の皇帝には憧れの存在があった、ということもわかった。
彼の言う「好き」が、自分たち竜族の言葉の意味合いでどれほどの感情をあらわすのかは定かではないが、並みならぬ思い入れがあることだけは理解もできた。
――よりにもよって、俺だけど、俺じゃないなんて……。
その意識さえ覆せたら、いまごろは幸せな時間を送っていられたかもしれないのに。
それは白の皇帝が認識を改めなければ、今後も訪れそうにもない。
――でもそれは、俺の気持ちであって、この子の気持ちじゃない。
感情や気持ちの無理強いだけはしたくはない。
ただ、自分の存在を否定されるように言われた経験がなかったため、《風》神はため息をつくことしかできなかった。
そのようすを見て、何か悪いことを言ってしまったのだろうかと心配になって、白の皇帝は尻もちの姿勢からどうにか身体を動かすことができて、自分よりやや低い位置で寝転んでしまった《風》神を見やる。
宙に浮いたまま、四つん這いに姿勢を変えて、覗きこんでくる。
「《風》神……?」
少年の声音は不安げだった。
「あの、俺、その……」
白の皇帝には言葉で《風》神を酷く傷つけた認識はない。
あくまで、自分が憧れを抱いている存在は《風》神ではないと、まちがってはいけないと思い、それをちゃんと伝えたまでだ。そういう認識でしかない。
困ったように手を伸ばして頭を撫でてくるので、《風》神はしばらくふてくされるように白の皇帝の好きにさせていたが、
――まあ、いいか。
白の皇帝の思いは、所詮は「過去」だ。「いま」ではない。
だとしたら、「いま」を近づけて、「過去」を遠ざければいい話だ。
《風》神はようやくのことで子どもじみていた感情を掃う。
これを最後にしようと重いため息を吐き出して、いまも自分の頭を撫でてくれている白の皇帝の細い手を取る。
「――悪かった、白の皇帝。ちょっと俺の呑み込みが悪すぎた。この件は俺のほうが理解できたから、きみが無理をして考えを改める必要はない」
「《風》神……?」
「そう……」
――この子にとって《風》の神さまがそういう存在なら、それでいい。
すくなくとも久遠の彼方に生きる竜族の末裔たち……ハイエルフ族は竜族を尊崇し、「竜の五神」の存在を語り継ぎ、そのなかで白の皇帝は《風》を選び、大空を自由に飛ぶ存在こそが《風》の神で憧れだと言ってくれた。
他の部族の竜を選ばず、《風》を選んでくれた。
《風》族の族長として、それだけで充分に晴れがましい気分になる。
――あの子にとって《風》の神さまがそういう存在なら。
ならば、自分もまたべつの意味合いで少年の心に深く刻まれる《風》の神さまになればいい。それだけの話だ。
ようやくのことで涙に濡らした片眼を開ける決心がついた《風》神は、いつものようすで白の皇帝を見やって、にかり、と笑う。
「さ、――本題に戻るぞ」
「ほん……?」
何のことだろう、とまばたく白の皇帝に、《風》神は、
「今日は、空、飛ぶんだろ?」
「――あ」
「さっきまでは、きみが自分で飛べると思ったから俺は手出ししなかったけど、やったこともないやつをやれと言われても、急には無理だよな。――悪かった」
言って、白の皇帝の細い指と指の間に整った自身の指を入れながら、
「今度はこうやって、ちゃんと手をにぎっていてあげるから、もう怖くない。今度こそ自分が飛んでみたいと思うように、飛んでみな?」
「で、でも……」
「大丈夫、お兄さんがそばにいるから」
先ほどから……、最初からそれがしたくても、宙に浮くなどと経験がなかったため身体のバランスを取ることもままならず、尻もちまでついてしまった。いくら《風》神が手をにぎって安定に支えてくれたとしても、身体をまっすぐにさえできない自分に何ができようか。
そんなふうに白の皇帝は、あれほど楽しみにしていたというのに、いつの間にか自信をなくして否定的になってしまったようだったが、《風》神はそれに対して、いつものようにやや冷やかしをこめて、にや、と笑う。
「――そう言えば、白の皇帝。きみはいつの間にお兄さんとおなじ目線で立っていられるようになったんだ?」
急に身長でも伸びたのか、と揶揄するように言って見せる。
すると、はて、と白の皇帝は不思議にまばたく。
「あれ? ほんとうだ。俺、見上げてないのに」
いつもであれば、かなりの身長差がある彼ら「竜の五神」に対し、白の皇帝は絶えず顔を上げなければ視線を合わせることもできなかった。
けれども、いまは……。
ただ前を向いているだけなのに、《風》神とおなじ目線の高さだった。
金色の片眼は鋭くも見えていたのに、視線がおなじだとこうも優しく、そしてどこか艶めいたようにも見えるのだろうか。
そう思って、白の皇帝は何気なく下を見やる。
また、すぐに草花が近くに見えるのだろうと思っていたそれは、すでに遥か眼下。先ほどまで尻もちをついていたり、四つん這いになっているのが精いっぱいだったというのに、しなやかな肢体は、すとん、と立っているような姿勢になっていて、あれほどバランスを取るのが困難だった身体に、不都合はもうどこにもなかった。足もともグラグラとしない。
急にべつの不思議がやってきた感覚だった。