焼きもちも、興ざめて……
――あれもダメ、これもダメ。
そう、とにかく行動に制限をつけて安全第一に事を運ぼうと《風》神は思い、白の皇帝に対して年上らしい強気な態度であろうとしたが、結局それは自分の行動にも制限を設けることになる。
早い段階でそれに気がついた《風》神は、口から吐き出される煩わしいため息を切り離したくて、風に乗せた。
結局のところ、白の皇帝は好きに遊ばせたほうが余計な気苦労も減るというもの。
片腕でひょいと抱き上げた白の皇帝は、ようやく夢が叶うのだ、という期待に満ちた瞳を輝かせ、たくさんのことを話してくれる。
身が軽くて《風》神のその腕に収まる少年は、とても不思議な話を《風》神に聞かせてくれた。
「――でね、俺たちの時代には竜の神さまがどのようにしてお生まれになったのか、そのお話しだけが残っているんだけど、爺やが言うの」
「爺や?」
白の皇帝は自分のことを話すとき、ときどき誰かの名前のようなものを口にするが、尋ねても、「爺やは、爺やだよ」と、くすくすと笑いながら説明した気でいるので、《風》神はいまのそれが何なのかが理解できていない。
ただ、何度も聞いているうちに、知識を施し、世話をする女官のようなものだろうと推察はできた。
「爺やが言うにはね、竜の神さまたちはお姿こそなくなってしまったけれど、俺たちの世界にあるすべての自然に回帰して、そこに住まうすべての種族に恵みと実りをお与えくださっているんだって」
――だから、まったくいなくなったわけじゃないんだよ。
《風》神は白の皇帝を連れて、天空に浮遊する群島――浮遊大陸を見下ろせる高さまで飛翔し、ゆっくりと飛んでいた。
天空に吹く風が、白の皇帝の長い水色の髪をその速度でなびかせている。
「それでね、俺が住んでいた大陸とはべつの大陸に、たったおひとりだけお姿を残してくれた竜の神さまがいてね。とっても大きくて、とっても素敵な翼があってね。俺、その神さまのことがずっと好きだったの」
「へぇ」
「だから俺、その神さまにお会いしたくて、こっそり城を抜け出して旅をはじめたの」
「それで、どういうわけか、きみにとっては遥か太古の時代である、俺たち竜族の世界創世期の時代に流れ着いたというわけか」
「うん、不思議だよね」
《風》神はかるく聞き流すようでいて、やや心に引っかかるものを感じていた。
――白の皇帝が「好き」って言葉を使うなんて……。
通常であれば、よほど憧れて慕っていたのだろうと感情の大きさを読み取れるのだが、白の皇帝が口にする「好き」は、《風》神たち竜族が使う言葉とは意味合いがかなり異なる。
白の皇帝――ハイエルフ族たちは、竜族が久遠の先で回帰したという自然の元素やエネルギーから「自然と生まれる」ため、男女の区別がある性別があっても、それぞれ特徴がある身体を持っていても、女が男と交わって子を孕み、それを腹から出産する必要がなく、そのため男女が恋や愛の感情を持って異性と向き合う文化……本能がないため、白の皇帝が口にする「好き」は、竜族の言葉で例えるのなら「気に入った」が適切だと、最近になって判明した。
だから、この少年が「好き」という言葉を使うとき、対象は好物の食べ物だったり、気に入った花をそのように表現するだけで、それ以上の感情は一切働いてはいない。
それを理解するまで、竜族――竜の五神たちは大変苦労した。
――どこからどのようにして渡ってきたのか。
それがさっぱりわからない、ハイエルフ族の少年。
ほとんど行き倒れのところを《風》神が見つけ、《火》神が保護し、どちらにとっても手探りの状態で交流がはじまって……、次第に竜の五神たちは白の皇帝に心惹かれ、心を奪われ、永遠の忠誠と愛を誓った。
竜の五神たちが向けた「好き」や「愛している」の言葉は、終生傍にいてほしい、最愛の人、という意味だったが、それらが本能にない白の皇帝はどうしたらいいのかわからず、互いに言葉がわからなかったということも含め、最初は自分に伸びてくる手に怯え、その言葉の行為を向けられて、泣いてばかりの日々を過ごしていたほどだった。
――その白の皇帝が「好き」と表現する相手とは……。
――その、姿を残した竜の神さまとやらは、いったいどこのどいつなんだッ?
自然と腹が立つのは、《風》神もすでに白の皇帝に対して永遠の忠誠と愛を誓っているからだ。
最初はこうして抱き上げることさえ怖がられたが、《風》神は自分のことを「お兄さん」と称し、持ち前の気安い性格を全面に出して、ようやく白の皇帝を安堵させるまでに至った。
現在竜族で、ヒトとおなじ形容の人化を成しているのは彼ら竜の五神と、その竜の五神がそれぞれ率いる部族の女官……雌たちだけだ。雄は半人半竜の竜騎兵や竜騎士で、これらすべての竜族は自身のもうひとつの姿である竜化に変ずることができる。
なので、
――もし、白の皇帝が好きだって言ったやつが、そこらへんの適当な雄だったら……。
いや、雌である女官たちの竜化かもしれないが、見ず知らずの相手に白の皇帝が「好き」の言葉を使うのは、《風》神の心中としては穏やかではいられない。
白の皇帝は、翼があると言っていた。
だとしたら、大地神の竜化で翼を持つ者はほとんどいないので、天空を自由に飛ぶことができる天空神の部族、《空》族か、《風》族の誰かに焦点が絞れるかもしれない。
《風》族にそれがいれば、族長の権限として彼方まで殴り飛ばすこともできるが、《空》族だとしたら厄介だ。
《空》族の族長である《空》神は、天空神主神で、《風》神はその従神にあたる。
べつに一発ぐらいなら殴れるが、あとの報復が怖い。
――《空》神はホント、そういうところが怖いからな。
「……どうしたの? さっきから何かを言っているね?」
白の皇帝に言われて、《風》神は、ハッ、とする。
どうやらろくでもない悩み事をぶつぶつとつぶやいていたらしい。
《風》神はしれっとするが、
「べつに。どの大陸で遊ぼうかなぁ~って、思っていただけ」
「やったぁ! いっぱい遊ぼうね!」
――ダメだッ、気になってきた。
いったい、どの部族の誰が、純粋清らかな白の皇帝の心を射止めたというのだろうか。
見つけ次第、相手の胸倉をつかむぐらいは許容してほしい。
《風》神は知らず、獲物を狩る猛禽のように片眼を鋭くさせていた。
けれどもその複雑な焼きもちは、すぐに決着がついた。
それも最悪な方向で。
「――で、その姿が残っている竜の神さまって、どういうやつなの? 部族とか、何か特徴とか持っていないかな?」
意を決して相手を割り出そうとすると、白の皇帝は「う~ん」と何かを思い出すように考え込むが、
「竜の神さまはね、峻峰の岩肌に化石として残っているの。すっごく大きくて、何かの紋章みたいにかっこいいの!」
「か……せき?」
聞きなれない言葉に、《風》神は、はて、と首をかしげる。
そのようすを見て、白の皇帝はくすくすと笑った。
「ええと、ね。魂はすでに自然にお戻りされていて、骨だけがきれいに残っているの。骨だけの姿を、化石、って言うんだよ」
「……ほね?」
「うん。そのお身体にはね、大きな翼をお持ちだったんだろうなって骨もちゃんと残っていてね」
「骨……」
竜族たちは大変長命であり、竜の五神にいたっては本性は世界の自然そのもの。ゆえに、永遠の命をその身に宿している。
まず、簡単なことでは死を迎えない。
――骨って……誰かの死体ってことか?
端的にまとめると、肉体の寿命が尽きた竜族の誰かが完全に自然に返ることができず、骨だけになって山脈の岩肌に貼りついた状態で後世まで晒し者になっている。そういうことだろうか。
《風》神の感覚でいえば、それがもっとも適切だった。
――骨を見て、「好き」って……。
種族が変われば、文化も、思考も、まったく異なるというのはわかったけれど、まさかハイエルフ族に他者の死体を見て拝み、「好き」という感覚を持つとは……。
相手が骨ならば、焼きもちも半減どころか興ざめだ。
それどころか、知らず鳥肌が立ってしまう。
すでに何を目当てに話をしていたのか、すっかり忘れてしまったが、《風》神はひとつだけ肝に銘じようと思ったことができた。
何、簡単な話だった。
――万が一、俺にそのときが来たら、骨までの残さずきれいさっぱり自然に回帰してやるッ。