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困った《風》神

「――空、ねぇ」


 白の皇帝とはずいぶん気安く話をすることができる仲にはなったけれど、《(ふう)(じん)はある日、白の皇帝にお願いを持ちかけられて、返答に少々渋った。


 ――もちろん、この小さな少年を、自分たち《(かぜ)(ぞく)のように空へと舞わせることは造作もない。


 いま、この瞬間にだって彼に「ふぅ」と風を吹かせれば、空とも水ともとれる色をした長い髪を揺らしながら、白い肌に鋭くとがった長い耳を持つハイエルフ族の少年――白の皇帝は彼が望むままに空へと飛ばせることができる。

 すぐにそれをしたら、空を飛ぶことに憧れていたという白の皇帝は、きっと喜ぶだろう。ころころと変わる表情に嬉々だけを浮かべて、楽しい、と言ってはしゃぐだろう。

 楽しんでもらえることなら、何でも彼の望みを叶えてやりたい。


 ――何せ、自分はそれを可能とする《風》族の族長であり、


 世界創世期に最初に誕生した種族、竜族の最高位にあたる「(りゅう)五神(ごしん)」がひとり、《風》神本人なのだから。


「……ダメ?」


《風》神がくつろぐところに家具はない。

《風》族は床に絨毯を敷いた上に直截座するのが基本で、家具といっても寝そべるのに都合がいい座高の低い背面のない長椅子があるていどだ。

 一見は質素に思えるだろうが、絨毯や寝そべるのに都合がいい大小さまざまなクッションの生地の配色が美しく、それだけで大変贅沢な空間を成している。

 その絨毯の上で寝そべっていた《風》神のとなりに、白の皇帝が、ぴょこり、と腰を下ろす。


「俺ね、いっぱい飛びたいなんて我儘言わないから。ちょっとでいいの。ちょっとでいいから、お空をお散歩するように飛んでみたいの」

「お散歩、ねぇ」

「……ダメ?」


 いまにも手が伸びそうなほど愛らしい容姿で白の皇帝はこちらを覗き込みながら、断られたらどうしよう、と不安を表情に浮かべている。

 もし断りでもしたら、そのまま美しい水色の瞳を涙でゆがませて、泣いてしまうだろうか。

 それを思うと、あまりにも簡単な願い事だというのに、ずいぶんと厄介な願い事を持ち込まれたな、と《風》神は危うく眉間にしわを寄せかけた。


 ――まだ幼い竜のとき、《風》神は不慮の事故で左眼を永久に失った。


 それをあまり衆目に晒さぬよう、《風》神は長い黒帯を眼帯のように器用に巻いて、竜族特有の尖った耳に――それはハイエルフ族よりも短く、ヒトが持つそれよりもわずかに長いていど――帯をまとめる留め具と装飾を兼ねて、赤珊瑚の塊をいくつも連ねた腕飾りのようなものをかけている。

 癖が強い髪は黒色の短髪、容姿は端正にシャープで、ときおり残る片眼が猛禽のように鋭い眼光を放つが、性格は「竜の五神」のなかでは破格に陽気だ。

 年のころは、見た目だけなら二〇代の前半かそこら。

 背丈は二二六センチ近くあり、ヒトの感覚でいえばかなりの上背を持っているが、体つきは均整が取れているが大柄の印象はなく、等身美に優れたしなやかな印象があった。

 その彼を、「竜の五神」を、《風》神をいとも簡単に困らせてしまうほど、白の皇帝はすでにこちらの世界――突如として迷い込んでしまった世界創世期の時代と、それを現在創世している竜族たちに馴染むことができている。


 ――そう。

 ――この子は本来、こちらの時代に存在する種族ではない。


 言葉が通じるようになって、たくさんの話をするなかで「竜の五神」たちが理解できたのは、竜族は永遠の時間を生きる種族であるが、その身が人化であれ、竜化であれ、久遠の先で竜族はすべて自然に回帰する時代が来るのだという。

 そして、その竜族の末裔として誕生した種族が、――ハイエルフ族。

 世界と自然の守り人の役目を持つ一族で、この目の前にいる少年はそのハイエルフ族の長であり、世界最高峰の位を冠した存在だという。


 ――だから、名を、白の皇帝、という。


 けれどもいまは、「空を飛んでみたい」とおねだりをしてくる、ただの少年にすぎない。


「ねぇ……ダメ?」


 普段であれば、大抵の物事に即答してくれるというのに、いまはそれがない。

 白の皇帝は、むぅ、と唇を尖らせ、業を煮やしてくる。

 これは泣くのではなく、拗ねるか怒るか、そのどちらかにかたむきそうだ。


 ――すぐそばの美しい雲行きが、怪しくなる。


《風》神はいよいよ視線を逸らしてしまった。


「いや、そこまでは言っていない。きみが望めば、お兄さんはいくらだって力を貸すけれど……」

「けど?」

「でもなぁ~」


《風》神が居宮としている天空宮は、その名のとおり、遥か天空に群島のように浮かぶ浮遊大陸のひとつにある。

 視界の景色は見渡すかぎりの青き空と、雲が眼下にあるだけ。

 雲は絶えず風によって形容を変えているので、天下にある海洋の波とはちがう雲の波は見ているだけで時が経つのも忘れるほどに美しかった。

 天空宮の造りは風通しのよさを優先したもので、いくつもの宮は大きな柱と高い天井、どこまでも居心地のよい空間が目立つ。

 壁のかわりに幕が随処にかけられて、風になびくと風雅に揺れていく。

 風はどこまでも自由に吹くというのに、《風》神が思わずついたため息は、いまだけはどこまでも不自由な重みに感じられた。


「ひとつ条件がある」

「何? 俺、ちゃんと言うこと聞くよ?」


 ――いや、それは口だけだな。


 すでに嬉々と身を乗り出す白の皇帝の、即座の信用ならざる口約束に、《風》神は額に手を当てながら、


「まず、ひとりできみを空に飛ばすことはできない」

「ええッ?」

「空を飛ぶときは、お兄さんがいつものように抱っこする。これが絶対条件だ」

「ええ~ッ」

「――そのかわり、好きなところに好きなだけ連れて行ってやるから」


《風》神としてはめずらしく妥協のないきっぱりと下した条件だが、すでに白の皇帝の表情は不満にあふれて頬を「むぅ」と膨らませている。


 ――ほら、やっぱり拗ねる……。


「それじゃあ、つまらない! 俺は、ひとりでお空を飛んでみたいの!」


 その道中、鳥と出会えたら友だちになって、歌いたくなったら風に世界最高峰の歌声を流して、みんなに届けて……。

 他に無理な要求などしていないというのに、どうしていつものように「それじゃあ、遊ぶか!」と、どちらが少年なのかわからないほど陽気に笑いながら白の皇帝の細い手首をつかみ、そのまま風のように居宮の一室から吹き抜けて、庭や周囲の浮遊大陸、どこまでも広がる空へと連れ出してくれないのだろうか。


「もうッ、《風》神の意地悪ッ」

「意地悪なんか、していない」

「じゃあ、お庭のなかで飛ぶだけでもいいから」

「庭じゃ狭い!」


 そうだろうか、と白の皇帝は風に揺れる幕を見やる。

《風》神がくつろぐ広間にある幕は、爽快な天空宮にふさわしい紗で織られているので、透けて見えるその先の庭、風に紗が煽られて、じかに見える庭の規模はまさに広大。


 ――この世界創世期の時代。


 ヒトの形容を持ち、なおかつ、自然エネルギーそのものを司る竜族以外に種族は存在しない。

 外敵などいない一強の一族に、居宮を堅牢するような壁は不要。

 なので、どの部族の族長が住まう居宮にもそれは存在しない。

 白の皇帝が例えに挙げた目の前の庭は、ちょっとした草原のようだった。

 高さがある木はほとんどなく、近景には天空の青と雲だけ。


 ――これを狭いっていうのは、やっぱり神さまはちがうなぁ。


 すこし気が逸れたように庭を見やる白の皇帝の頬に、《風》神が手を伸ばし、指先で滑らかな頬をくすぐる。


「悪かった、声を上げて」


 楽しい事柄だったら《風》神は簡単に声を上げるが、感情のまま声を上げることは彼にしてみたらほとんどない。

 小さな身体を宙に浮かせるかどうか、そんな些細な事柄だというのに、どうして声を上げてしまったのだろうか。

 白の皇帝は自然の静寂な世界で生まれ育った。

 そのため、簡単な声音の昂りや質量だけでも怖がるときがある。


 ――せっかく竜族に慣れてきたというのに……。


《風》神が謝罪すると、白の皇帝もむくれた表情をやめて、男性らしい骨格の手に自分の手をそっと重ねる。


「……ごめんなさい、俺、我儘言って」


 誰よりも気安い《風》神のことだから、二つ返事ですぐに夢を叶えてくれると思っていた。

 けれども、それに躊躇するということは、何かあったのだろうか。


「――白の皇帝が謝ることじゃない。俺が気をつけてさえいれば、何の問題もない話だ」

「……?」

「何でもない。――じゃあ、白の皇帝のお望みどおり、すこし広めの遊び場で空を飛ぶ練習でもしますか」

「――!」


 ――結局は、俺が折れるかたちになったか。


 言って、《風》神は寝そべっていた身体を起こす。

 普段から着ている長衣の羽織だけを肩から艶めかしく落とすと、《風》神は、じつは八〇センチ近くも身長差がある白の皇帝の身体を片手で軽々と抱き上げた。

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