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また、いつか

 ほとんどの室内を壁で区切る造りを持たない天空宮は、いくつもの柱と高い天井、そして壁のかわりに装飾としてつけられている幕があるだけで、どこで寝そべっていても閉塞感はなく、どこも広い間取りなので、何をするにしても解放感がある。

 空はすでに夜の色をしていた。

 それも、深夜の深い色。

 けれども雲の上の浮遊大陸、そこにある天空宮に、地上のような夜の暗さはない。月があって、星があれば、それだけで充分な灯りだった。

 地上で見上げるよりもかなり近く感じられる満天の星空に、白の皇帝は寝転びながら手を伸ばす。腕には包帯が巻かれているが、もう痛みは感じないという。

《風》神は寝宮にある広々としたバルコニーのひとつに寝床を用意させ、そこで夜空を見上げながら白の皇帝と寝転がっていた。

 ふたりはかるい食事を取ったあと、やはり疲労の蓄積にはかなわず、どちらともしばらく寝落ちしてしまった。

 怪我の手当ての最中に身体を拭ってもらったので、今夜は湯浴みの必要はない。もっとも、ふたりとも身体中に傷を負っているので、湯に浸かればかなり沁みただろう。


「――ごめんなさい、《(ふう)(じん)。俺、よく思い出せないけれど、怪我をしたのはきっと俺のせいだよね」


 ひと寝入りから目を覚ました白の皇帝は、満天の星空を寝転がりながら見やり、傷だらけの自身の手足を見て、いまは切りそろえてもらったが、唐突に短くなった髪を見て、《風》神の腕に巻かれた包帯、頬を押さえている止血帯を見て詫びてくる。


「気にするな、俺もはしゃいでいたんだ。そのとき、怪我をしたんだよ」


《風》神は適当に言うが、さすがに白の皇帝もそれを鵜呑みにすることはなかった。《風》神はすぐに軽口を叩く。


 ――どうでもいいときと。

 ――何かをさらりとごまかすため……。


 それは、


 ――相手に心配をかけないため。


 すでにそういう人だと学んでいるため、白の皇帝はなおのこと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「俺ね、ほんとうは治癒することができるんだけど、ここに来てそれがうまくできないの」


 だから、ほんとうは傷ついた《風》神を見て即座に治そうと詠唱を口にしたのだが、この世界創世期の時代ではあまりにも自然が放つエネルギーが強く、濃すぎて、本来であればそれらをあやつり治癒を施す力を持つハイエルフ族も、竜族の時代の自然をあやつることができない。


「俺はね、女官のお姉さんたちに手当てをしてもらったから、もうほとんど痛くないよ? 《風》神は大丈夫?」

「大丈夫、お兄さんは(りゅう)五神(ごしん)だぞ? すぐに治る」

「ほんとうに?」


 白の皇帝は何度も詫びてくるが、怪我をしたときの恐怖を思い出し、ふたたびパニックを起こすのは望ましくはないので、思い出せないのならそれでいいと思い、白の皇帝が何を詫びても《風》神は適当に流す。


 ――でも、それは同時に。


 白の皇帝がどこまで覚えているかにもよるが、もしかするとこの少年は、あれほど心底憧れていた空への飛翔と、会いたがっていた竜の神さま――《風》の神さまとのやりとりも忘れてしまったのかもしれない。

 あれほど夢が叶ったと喜んでくれたのに、自分の不注意で前後の記憶を失うほどの恐怖を体験させてしまったのだと思うと、「どこまで覚えている?」などと怖くて聞けなかった。

《風》神は後ろ手に組んだ手を枕にして、おなじように寝転がりながら星空を見やる。


「なぁ、白の皇帝……」


 うまい言い回しが浮かばないが、これだけは聞かなければならない。


「もし高い木を見て、飛び上がることができたら、何をしたい?」


 これはほとんど当時を思い出させる質問でしかないが、木の枝に髪を引っかけて宙づりになったということは、何かをしたかったということだ。

 何か、が分かれば、今後はいかようにでも対処できるはず。

《風》神は問うてみて、返答を聞くまでの間かなりの緊張を覚えたが、


「ええと、ねぇ……」


 白の皇帝は考えて、


「俺ね、もし空を飛ぶことができたら……、ぴょんと跳ねることができるだけでもいいの。そうしたらね、爺やみたいに木の上に登って、ハープで演奏しながら歌ってみたいの」


 すでに空を飛ぶ体験をしたというのに、それを口にするということは、白の皇帝は今日遊んだことのほとんどを記憶から失っている。あれほど楽しんだ時間を失うほど、少年は怖い思いをした。――それを語っている。


 ――俺の不注意が、それまでも奪ってしまったんだ……。


《風》神は唇を噛みしめる。

 だが、気配を悟られぬようにして、


「へぇ、木の上で歌ってみたいのか、白の皇帝は」


 ――白の皇帝はそれを真似したくて……。


 だから、木に登ろうとして、飛ぼうとして髪を枝に引っかけてしまったのか。

 それなら、どうしてあのような目に遭ったのか、納得もいく。


「うん。爺やほどうまくはないけど、俺だって上手に歌えるんだよ?」

「知っている――。きみの歌声は、聞いていて心地がいい」

「ほんとう?」


 素直に褒めると、えへへ、と白の皇帝が嬉しそうに笑うので、《風》神は横目で見やり、枕にしていた手を動かして白の皇帝の頭を撫でる。

 撫でて、腰もとに手をやって、そのまま自分の身体に引き寄せた。


「《風》神……?」


 ぴく、と白の皇帝の身体が揺れたが、《風》神はただ抱き寄せただけ。

 いまはそれ以上何かをしようとは思わなかった。

 ただ、無性に罪悪感だけが込み上がっていた。


「怪我が治ったら、今度、きみの歌声を聞かせてもらおうかな? きみが歌いたい場所で」

「え? いいの?」

「もちろん――」


 今日のことを忘れてしまったのなら、それでもいい。

 何かのはずみで思い出したのなら、もう大丈夫だと言って、丁寧に慰めるから。

《風》神は心中でつぶやいて、もうすこしだけ、と白の皇帝を抱きしめる。

 ふたりはそうやって、夜空の下で眠りにつくのだった――。

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